日記・コラム・つぶやき

「うるせ~~」「めんどくせ~」と言われて

  東京のO区での初任者指導研修会。
 昨年に引き続きである。

 生活指導がテーマ。
 
  講座の中で、こんな課題を出す。
 「こんな子供がいます。あなたはどう対応しますか?」
 
「始終落ち着きがなく、隣の子供にちょっかいを出す。注意をすると、『うるせ~~』『消えろ~』と暴言を吐き、時には暴力を振るったりする」

 そして、4人グループで、1人がやんちゃな子供になり、あとの先生たちが、その対応を演じる、というロールプレイ。

 初任の先生たちは、こういう発達障害などの子供たちに、困り果てている。
 どう対応していいのか、迷っているわけである。
  ★
 これに対して、今さまざまな対応が出されてきている。
 
 たとえば、脳科学者の平山諭さんは、『満足脳をつくるスキルブック』(ほおずき書籍)のなかで、ADHD、アスペルガー症候群、反応性愛着障害は、脳の働きの問題として捉えられるようになっていると、提起されている。

 脳の働きを良くすれば(満足脳にしてあげれば)、改善していくという提起である。

 脳には、2つのネットワークがある。
 1つは、報酬系神経ネットワーク。もう1つは、不安系神経ネットワーク。
 
 報酬系神経ネットワークは、給料のようなもので、もらうとうれしくなる。
 一方の不安系神経ネットワークは、給料をもらわないようなもので、不快や嫌悪が広がる。

 だから、報酬系神経ネットワークを強くすれば、満足脳にすることができる、ということ。
 反対に、不安系神経ネットワークを強くしてしまうと、人への警戒心が現れ、対人関係がうまくいかなくなる。
 
  大変分かりやすい。
 報酬系神経ネットワークを強くする働きには、その1つとして「セロトニン5」を実践することだと、いう提起がある。

 セロトニン5とは、次の5つ。
 ①見つめる
 ②ほほ笑む
 ③話しかける
 ④ほめる
 ⑤触る
 ★
 超やんちゃな子供が、「めんどくせぇ~~」「うるせぇ~~」と言ったら、どう反応するか?

 平山先生は、「《そ》が付く言葉は有効である」と言われている(『満足脳にしてあげればだれもが育つ!』(ほおずき書籍)
 ★ ★ ★
 《そ》が付く言葉は有効である。 
「そーなの」「そうなんだ」「そうか」「そうだよね」などは、相手の心を傷つけない。事実を認める言葉だからだ。《ど》が付く言葉もいい。導入段階で使える。
「どうですか」「どうしたの」「どれどれ(話してごらん)」「どうぞ」「どういたしまして」などだ。
 ★ ★ ★
 だから、「めんどくせぇ~~」「うるせぇ~~」と言ったら、「そーなの」「そうか」と対応すればいい。

 また、平山先生は、「ほめること」について、次のような5種類の方法も提示されている(上記の本)。

 ★ ★ ★
1 短いフレーズで元気よくほめる。
 「すてき」「ばっちり」「すごい」など。

2 名前を付けて特定化してあげる。
 「すてきですね、菜々子さん」「ばっちりだよ、一郎君」 など。

3 成長や達成を実感できるようにほめる。
 「できるようになってきたね」「やったじゃない」など。

4 にっこりほほ笑んで事実を話題にする。
 「(ノートに)書いてる、書いてる」「(ノートに)消して る、消してる」「いい顔、いい顔」など。かまってもらっ ている感じが出て満足度は高まる。2回繰り返すとリズミ カル(音楽)になるので脳は喜び効果的だ。

5「(集団から離脱している場合)中に入ってくれたらう  れしいな」「(教科書を出していない場合)出してくれた ら、先生、チョーうれしい」など。
 ★ ★ ★
 反対に、言ってはいけない言葉がある。

 〇そんなことは言ってはいけません。
 〇「まだできないの」「なにやっているの!」などの
  否定の言葉
  〇何度言ったらいいの、など。

 ★
 1つのグループに実演をしてもらった。
 やんちゃな子供になった、1人の男の先生の演技がうまくて、皆さんからどっと笑いが起こる。

 このような対応をこれから研修ではどんどん入れていかねばならないのだと、そう強く感じた。

 
 

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つれづれなるままに~小二教育技術11月が発売~

●小学館から出ている『小二教育技術』11月号に、原稿を書いた。特集原稿である。
 「11月の荒れ、これでクラスは回復する」
 8枚も書いたのである(笑)。

  Photo


  「11月の荒れ」は、大変である。
 もう回復不可能と言われるほどなのだ。
 それは、担任と子供たちとの関係が、もう修復不可能なほどにこじれてしまうからである。
 
 そういう状態に何ができるか。
 いやいや、苦労したのである。
 その苦労のあとを読んでいただきたい(笑)。

●それは一日検診から始まった。
 久しぶりに一日検診を受けたのである。
 
 結果は、胃に萎縮性胃炎が見られるというもの。
 原因は分かっていたが、再検査を受けた。
 
 「癌が隠れていたら困りますので胃カメラで検査しましょう」となったからである。
 
 受けに行った。
 異常ありません。
 
 今度はピロリ菌の検査というのだ。
 血液検査でピロリ菌はいないとなっていたのだが、今度は呼気での検査という。
 
 検査をしたら、次には医者による検査結果の通知がある。一々それに出かけなければならない。
 私は時間があるので、行けるが、仕事を持っていたら、これは大変。
 
 今、医療はこのようになっている。
 7月3日に一日検診を受けて、もはや10月が終わろうとしているのに、まだ引き摺っている。
 
 その間、何も異常がないのに、このように引き摺る。
 いわゆる、ここで一々「お金を落とさせる」わけだ。
 これが一部の医療の実態である。

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日常授業の改善(3)

「日常授業の改善」を書いた。
 

    三重の中林先生に、「教室はドラマ30」という初任者に出している通信で、私が書いたものを引用してもらっている。
ありがたいことである。
 最後の感想のところで次のように書かれている。
 ★ ★ ★ 
 野中信行先生の文章には過激な言葉が並んでいます。うなづくところもあれば、指導書を見ていてもそれをアレンジするのだがら、スカスカではないと思ってみたり。
 同感するところは日常授業の充実とそのための「全員参加、リズム・テンポ、小刻み活動」ということです。
 「学び合い」の学習ではそのどれも欠けていました。というか、この考えの対論としての「学び合い」でした。
 4人の初任者の皆さんが何年後か、この野中先生の文章を見るとき、自分の姿と重ねることのないようになってほしい。………
 ★ ★ ★
 過激だと言われている(笑)。
 意識して極端に書くことは、確かにある。
 でも、今回の「日常授業の改善」というテーマで書いたことは、「リアルな現実」である。

 指導書を見ることは問題はない。いや、それなくしては、もう「日常授業」をこなしていけなくなっている。多くの先生たちのこと。

 しかも、それはつかの間の「斜め読み」なのだ。
 それでしか、対応し切れていない現実がある。
  ★
 だから、授業がスカスカになるのである。
 
 教材の工夫をすべきだと言われる。
 反対する人はいない。
 その通り。
 できれば、そうすればいい。
 
 でも、そんなことは「日常授業」では無理だ。
 教科書でいい。
 子供たち全員が持っているのである。
 それを使わない手はない。

 指導書も使っていい。
 だが、いつまでもそれを読まなければ授業ができない状態ではまずい。
 指導書は、単元目標の確認や本時の目標の確認程度に止められるようにしたい。

 教科書を読んで、それを1時間で、どのように教えていくかが考えられるように早くなりたい。
 ★
 むしろ、私が強調したいのは、その「指導の展開法」なのだ。
 ここを変える。
 
 なぜ、変えるのか。
 
 多くの先生たちの授業の展開は、子供たちにとって、「飽き飽き」するものだから。
 
 ①話を「聞くだけ」があまりにも多すぎる。
  先生だけがずっとしゃべっている。
 ②一部の子供だけが始終発言する。
  ほとんどが傍観者になっている。
 ③ゆっくり、丁寧で、いつも授業が中途半端で終わる。

 これらを変える。
 
 「聞く」だけの授業→「集中する」授業 に変える。
 
  なぜ、「集中する」授業なのか。
 
 それは、子供たちが一番望んでいるから。
 子供たちは、どんなに「つまんない内容」(教科書に載っていることは、ほとんどがつまんないのである)でも、いつのまにかそれに「集中している」という状態に変えてほしいのである。
 ★
 先日も、兵庫県の三木市で、授業をした。
 4年生の初任者のクラス。

 いつもの詩の授業である。
 谷川俊太郎さんの詩を使う。

 授業は、黒板に詩を書いて、それをノートに写し、それを一人ずつ読んで行く。それが基本の進め方。
 おもしろくもないはずである。

 だが、子供たちは楽しそう。手応えもずいぶんある。

 どうして、このシンプルな進め方に、子供たちは乗ってくるのか。

 それには、授業の展開法に工夫を凝らしているからである。
 ★
 この授業では、展開法の工夫を、4つの条件で構成した。
 
 ①全員参加
 ②スピード・テンポ
 ③フォロー(ほめたり、認めたりすること)
 ④小刻み活動法

 「日常授業」の改善では、「日常授業を乗り切る3条件」を提案したが、今回は、それにフォローを付け加えている。
 
 これらの4つの「構成要素」を使って、「日常授業」の展開を変えていければ、子供たちはいつのまにか「集中してきますよ」という提案である。

 70点の授業でいい。
 「日常授業」は、80点以上を望む必要はない。
 
 50点以下の「すかすか」状態を克服するのである。
 それが、「日常授業」の改善というテーマになる。
 
 

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つれづれなるままに~北海道と兵庫県に行きました~

●9月25日に、北海道へ行く。
 登別の幌別西小学校の公開授業研究会に呼ばれている。

 新千歳空港を久しぶりに訪れる。
 ここへ下りるとほっとする。
 何か郷里へ来たような感覚になる。
 ずいぶん、この空港を利用したのである。

 ここから南千歳を経由して、幌別まで行く。1時間。
 この駅には、二度目になる。
 泊まるホテルも二度目。

 夕方に着き、ホテルから眺める景色は絶景。
 幌別の山々に夕日が沈み込む様子が、あざやか。
 こんな景色を久しぶりに見た感じで、しばし見とれる。
 ★
 幌別小は、道教委の学校力向上の事業を引き受けて1年目の学校。何から何まで初めてで、最初からさまざまなシステムを作らなければならない。
 大変な労力である。

 26日、午前中に先生たちの授業を見せてもらい、3時間目に、5年生の教室で、私もいつもの詩の授業をする。
 
 おもしろい授業。2年目の先生だが、良い学級経営をしていることがよく分かる。

 午後から公開授業研の授業を見せてもらう。
 そして、1時間、体育館で講演である。

 若い先生たちが多く、これから期待できる。
 がんばってほしいな、とエールを送る。
  ★
 26日、登別駅に教頭先生に送ってもらい、そこから新千歳空港まで急ぐ。
 20:00の飛行機。
 家に帰り着いたのは、夜11:00過ぎになる。
 フウッ~~、忙しい一日だった。

●10月4日に、新神戸に行く。
 5日に、兵庫県三木市の初任者向けの授業研究会に呼ばれている。
 この日は、三宮のホテルに一泊。

 そのホテルのレストランで夕食。
 サラダを頼むと、4人分ぐらいの大盛りサラダ。
 ウワァ~~~ということになる。
 レジで、「ウサギになった感じだったよ。」と言うと、笑い、笑い。
 ★
 翌日5日、9時過ぎに指導主事の先生がホテルに迎えに見える。
 三木市のM小学校まで40分ばかり。
  このM小で、初任者の2人が、授業をし、そして私が5時間目に授業をすることになっている。

 2年の初任の先生は、国語の「お手紙」の授業。
 4年の初任の先生は、国語の「ごんぎつね」の授業。

 この2つの教材ともに、よく知られたものである。
 初任者は、よくがんばって授業をしたことになる。
 望むことは、いろいろあるが、やはり精一杯に授業はされたことになる。
 ★
 講座は、他に希望された先生方を含めて30人ばかり。
 2人の先生の授業を検討し、私が初任者に望む内容を伝える。
 

  講座の最後に、「授業が上手になるとっておきの方法」を伝える。
 自分の授業を録音して聞く。これである。
 先生たちが一番嫌がることになる。
 「一人研究授業」と言っている。

 初任者の中で、すでに4人の先生がやっていて、「いいね」ということになる。

 最初に聞くと、
 ①冷たい言い方、嫌な声 
 ②しゃべりまくっている 
 ③何を言っているか分からない 
 ということになる。
 15分ぐらいで聞けなくなって、録音を止める。
 
  ここからなのである。
  自分では、15分ぐらいしか聞けない自分の授業。
 それを子供たちは、毎日5時間も6時間も聞いているのだと想像力が働くかどうかなのだ。
 ★
 終わったら、すぐ新神戸の駅へ送ってもらう。
 自宅まで帰るのに、また3時間。
 横浜へ着くと、小雨。昼頃からずっと降っているのだ、と。
 
 
 

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仕事への手応えを取り戻す~ここへ戻っていく~

 算数の共同研究をやっている。
 すでに2学期の単元に挑戦してもらっている。
 共同研をやっている一人のS先生からメールをもらった。
 
 ★ ★ ★
現在、研究の単元の最中ですが、子供たちの様子が変わってきました。
以前から全員参加を常に意識していたつもりでしたが、それは単なる「つもり」だったことを痛感しています。
クラスには発達障害の子が6人おりますが、その子たちの様子が特に違います。ついてきているどころか、授業を楽しんでいます!
「○秒でやります」「○年生のスピードです」
「先生と同時に書き終わります」など、具体的な目標を示すだけで、目の色、鉛筆の走りが全く違いました。先日いただいた算数の授業記録の、野中先生の指導言はまさに目から鱗、でした。
 また、低学力児も力をつけてきています。
九九が微妙な子も、「過去のことは気にしないよ。これから変われるように頑張ろう」と声を掛けると、毎日空き時間に九九の練習をし、授業についてこれるようになりました。子供をやる気にさせるとはこういうことを言うのだなあと勉強になりました。学校行事で算数の時間が潰れると、その子が「先生、今日算数の授業ないのが残念です。算数やりたかった〜」とまで言うようになりました(笑)嬉しいことです。子供の向上的変容は教師の頑張るエネルギーになるなあと感じました。

授業中の手応えは感じつつあるので、数字で結果を出せるように更に邁進してまいりたいと思います。
 ★ ★ ★
 ★
 「日常授業」の改善について書いてきた。
 その中で、多くの先生たちから無くなっていこうとしている最大のものが仕事への「手応え」なのだと指摘した。
  これについて、校長を経験された横藤雅人先生から次のように指摘を受けた。
 ★ ★ ★
 「一番大きなものは、仕事に『手応え』がなくなること」も全面的に同感です。その構成要素が「学力がつかない」「低学力児の固定化」「授業力が上がらない」の3要素というのも慧眼です。
 学校経営をしていた立場から言いますと、「説明責任」とか「危機管理」「多様性への対応」「個性の尊重」などなどへの対応をするために、何のためにするのかも、やって効果があったのかも分からない「アリバイづくり」文書づくりにとられる時間の増大も、仕事への誇りや面白さ、手応えを失わせる大きな要因だと感じます。
 ★ ★ ★
 重要な指摘である。
 「手応えの無さ」の構成要素を「学力がつかない」「低学力児の固定化」「授業力が上がらない」の3つのまとめとして上げてあるのは、その通りである。
 
  上にあげたS先生が、算数の共同研究でどれほどこの「手応え」が出てきているのか、分かってもらえるであろう。
 横藤先生が指摘されている、3つの構成要素をS先生は克服していかれている。

 教師は、どこで、何に、喜びを感じ、仕事への充実感を増していくのか、はっきりしているのである。
 
 ここへ戻っていくことである。

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再び「日常授業」の改善ということ

 「日常授業」の改善をどのようにしていくか、を書いた。
 ある先生からコメントを受けた。
 ★ ★ ★
 今回の野中先生の記事、「そうそう!」と納得しながら読んでいました。学力向上推進教員を3年務めているため、延べ300学級の授業を参観し、アドバイスしておりますが、野中先生の言われる通り、ほとんどの先生方が赤刷り指導書の斜め読みで授業を行っています。意識の高い先生方は、板書型指導案を作成し、前以て私に渡してから授業にのぞまれます。しかし、残念なことに、授業がスカスカなんです。「ねらい」「全員参加型」ここに意識が向いていないんです。研究授業のときだけ、仰々しいほどの資料を用意して授業を終わらせて、それが済んだら、また元のスカスカ授業です。「日常の授業を改善しましょう!」と助言するのですが。。。
 ★ ★ ★
  300学級の授業を見てきている先生のコメントである。
 やはりなあという思い。
 ★
 今まで何度も訴えているのだが、今までなされてきた授業論の多くが破綻していることについてである。

 どんなことが破綻しているのか。
 真っ先に思いつくのが「教材研究」。
 
 これが必要ないと言う先生なんていない。
 初任者指導の先生などは、初任者に、「もっと教材研究をしなさい」と強く指導されることである。

 だが、実際にこれをやっているのは、研究授業のときだけ。
 しかも、そのやり方はほとんどがネット検索。
 膨大な指導案が出てくるので、そのコピペをやっている。

 日頃は、教材研究などほとんどしない。
 赤刷りの指導書の斜め読みである。
 これでしか乗り切っていない。

 最近は、もうこの指導書を公然と手に持って授業をしている先生が多いと聞いている。
 昔は、指導書を教室に持ち込むなんてすべきではないという暗黙のルールがあったのである。
 
 こういう「現実」で、「教材研究をもっとやろう」という呼びかけがどんなに虚しいものか、分かるはずである。
  ★
 同じような呼びかけが、さまざまな研究会や研修会で行われている。それは、民間の研究会でも同じである。

 たとえば、社会科の研究会で「学習問題づくり」とか「子供の問題意識を大切にしてとか……そんなことを言う先生たちがいまだにいるということ。
 親しい知り合いの先生から聞く。
 社会科をずっと研究してきた先生である。

 国語でも算数でも、他の教科でも、同じような提起をしているはずである。

「そうあったらいいね」という「べき論」である。
 誰もやらない、誰もやっていない、「べき論」。
 ああっ、極端な言い方である。訂正!
 
 一部の熱心な先生たちがやっている実践。
 そんな先生しかやっていない実践。
 
 あまりにも学校現場の「具体」から隔絶した実践なのだ。
 そういうことに早く気づくことである。
 ★
 赤刷りの指導書斜め読みの指導(「ぶっつけ本番授業」と言っている)を否定することは簡単である。

 現実では否定なんかできない。
 それしかできないのだから。

 アクティブ・ラーニングが出てきたときに、初めに思ったのは、「そんなことが多くの先生たちにできるのだろうか?」という疑いだった。
 今では、その言葉はなりを潜めて「主体的・対話的で深い学び」になっているが、状況はまったく同じである。

 そんなことができるのか?

 やれと言われて先生たちは研究授業でそれなりのことをやる。
 しかし、「日常授業」になると、また指導書の斜め読み指導に戻る。
 それを繰り返すことになる。
 
 かつて、新しい学力観という形でゆとり教育が始まったが、その二の舞になることは必定である。
 多くの先生たちは、同じことをしたのである。
  ★
 しかし、「指導書の斜め読み指導」を擁護はできない。
 それが陥っていく「結末」は、決してうまくない。
 
 ①何とか今を乗り切っているつもりであるが、それはつも  りにしかならない。
  授業はスカスカで、その時間時間を何とか乗り切れるだ  けで、それっきり。
  子供たちに学力もつかない。
  つまらない授業だから、クラスによっては学級崩壊の危 機が潜在的に控える。子供たちは、もう嫌気がさしている。
 
 ②クラスにいる低学力児を引き上げることはもちろんでき  ない。そのままで上の学年に上げていくだけ。
  いつのまにか、そんなことも望まなくなる。

 ③授業力が上がらない。いつまでも初任者並みの授業しか  できない。だから、中堅やベテランになっても、その日  暮らしで乗り切っていくだけになる。
 
 一番大きなものは、仕事に「手応え」がなくなることである。
 授業の「手応え」とは、目の前の子供たちが、自分の実践で目を輝かせ、意欲や自信を示してくれることである。

 もちろん、熱心な先生たちも、それを願って提案しているのであるが、しかし「べき論」にしか過ぎない。
  ★
 教える内容をどのように工夫するかなどをもう追究できなくなっている。
 発問などの指導法をどのように工夫するかなども追究できなくなっている。
 
 学校現場の「具体」で、多くの先生たちに、突きつけられているのは、忙しさの合間に、とにかく授業をこなしていく手立てなのである。

 知り合いの社会科の先生は、社会の専門の先生ばかり集まっている会で次のように発言されている。
  ★ ★ ★
 社会科の専門の先生から社会の授業を学ぶ。算数の専門の先生から算数の授業を学ぶ・・・。それをすると、先生は大変。苦しくなる。
 専門外の先生で、結構上手にされている先生に学ぶ方が、現実的ですよ」という内容。
 社会の専門の先生ばかり集まっている会で言いました。まあ、みなさん、何とも言えない顔をしてました。
  ★ ★ ★
 ここで指摘されている意味が分かっていただけるだろうか。
  そこで、次のようにも指摘されている。
 ★ ★ ★
 私は、教科書を使った授業をしたらよいと、私流の教科書を使った授業を代案として書いて配りました。
 小学校の教員は毎日5時間も6時間も授業をするんです。忙しいです。
 それでも、毎日の授業を少しでも充実させる。
 そのためには、教科書を使った授業を上手にすることです。
  ★ ★ ★

 長年、社会科を研究されてきて、多くの実践を残されてきた先生が、このように指摘されている意味は、実に重い。
 もうここには「べき論」がない。
 ★
 今、何が突きつけられるのか。
 これほど混迷する時代も、かつてなかったのではないか。
 いや、もう混迷というところを超えているのかもしれない。

 私は、先に「『日常授業』の改善ということ」を書いた。申し出のあった方には、算数の授業記録まで付け加えておいた。
 
 今求められているのは、「日常授業」の、その展開の仕方である。
 教材は、教科書。
 
 その教科書を、子供が集中できるように、どのように展開していくかにかかっている。
 私は、とりあえず3つの条件を出しておいた。
 
 「日常授業を乗り切る3条件」
 ①全員参加
 ②スピード・テンポ
 ③小刻みに
 このような条件は、いろいろ考えられた方がいい。

 今求められているのは、「こうあるべき」論ではなく、「日常授業」のカタチなのである。
 

 

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つれづれなるままに~鳥取大山に行った~

●19日から鳥取の大山へ行った。
 ここへはもう3回目になる。
 
 楽しみにしていたのは、大山に出会えること。
 この山は、今年開山1300年ということ。
 2回の訪問では、雲に覆われて見ることができなかった。
 今年はぜひという思いで出かけた。
 ★
 午後16:15に米子空港に着く。
 
 迎えにきてもらった井上先生の車の中から、早速大山が顔を出した。
 雄大な山で、そびえ立つ。
 やっと3回目で大山を見ることができる。
 ★
 ここへは学校訪問をし、授業をし、そして講演をすることになっている。
 名和小学校。
 
 朝学校へ着くと、サルビヤの花が咲き乱れていて、うわ~~という気分になる。なんとも素晴らしい眺め。
 
 校長先生から学校の中を案内してもらう。
 この学校を作った設計者の思いがしっかりと刻まれていて、すばらしい学校になっている。
 
 数多くの学校を見てきたが、こんな学校を見るのは初めてである。
 中でも目を惹いたのは、図書室。
 
 司書の先生がおられて、目を見張る思い。
 こんな設計をされている図書室を見るのは初めて。
 北海道で網走小学校の図書室もすばらしいものだったが、この図書室もすごい。
 ★
 3年生のクラスで道徳の授業をさせてもらう。
 反応が良いクラスで、打てば響く子供たち。
 楽しい授業だった。
 
 ところが、私の方が時間を間違えてしまって、最後の大事なところで時間がきてしまい、尻切れで終わる。残念。
 ★
 21日、すっかり晴れてきて、空港から大山が見える。
 どんどん雲が流れて、大山が顔を出してくれる。
 良かった!
 
●メールが、突然機能しなくなった。立ち上げるのに5分以上かかる。一向に直らない。
 これではどうしようもないと、訪問サポートを頼む。
 
 翌日に訪問サポートの人がくる。
 早速パソコン診断をする。
「3年経っていますね。正常に機能しています。普通の家庭のパソコンより3倍使われていますね。」
 
 メールの問題は、セキュリティーが機能しなくなったことからきている、と診断。
 早速機能回復にかかる。

  すぐに正常に機能するようになる。
 驚くほどの速さである。
 プロという人のすごさを感じる。

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日常授業の改善ということ

 「日常授業」の改善ということ
                                       
1 ぶっつけ本番授業をしている 
 小学校の担任は、毎日5,6時間の授業をしている。
 ちゃんと教材研究ができているかと言えば、それはない。
 

 ほとんどの先生たちが、毎日「ぶっつけ本番授業」をしている。何の準備をしないままに、そのまま教室へ行き、赤刷りの指導書を斜め読みしながら、何とか1時間を終えていく。
 

 「ちゃんと教材研究をしなさい」と言葉かけできない。
 そんな余裕の時間なんてない。
 

 本来、学校は、授業で成り立っているところ。1時間目から6時間目の授業で、一日の日課表は組まれている。
 だから、そこに学校は、エネルギーの大半を注ぎ込まなければならない。しかし、そうなっていない。
 

 多くの教師たちは、その授業の準備を一番粗末にしている。
させられているというのが、正確な言い方だ。
 

 きちんと教材研究をしようと思っても、できない。それだけの時間的余裕がない。だから、テキトウになる。
 それでもがんばっている先生たちは、自分の睡眠を削って行っているはずである。
 

 「べき論」が主張される。
「もっと教材研究をすべきだ」「もっと楽しい授業にすべきだ」……
 しかし、こんな「べき論」は、ほとんど破産している。
 

 実際に、ほとんどの先生がやっていることは、これとは隔絶したことなのである。
 
2 「日常授業」の授業法を変える
 

 問題点を指摘ばかりしていても始まらない。
 現実がそうなのである。この現実はすぐに変わらない。
 

 だから、この現実を踏まえてこちら側の発想を変えなければならない。
 どうするのか。
┌───────────────┐                 
│ 日常授業の授業法を変えること   │                
└───────────────┘                 
  私は、こういう結論にたどり着いた。
 

 多くの先生たちは、「日常授業」を乗り切る授業法を持っていない。
 ほとんどが指導書頼り。
 

 研究授業の場合だけが、特別に特別の教材研究を試みる。
 ネット検索がほとんど。
 

 お客様用の「ごちそう授業」。
 その授業が終われば、もう1年間が終わる。
 

 明日から、いつもの授業に戻っていく。
 ほとんど何も変わらない。
 

 子供たちの学力向上もない。
 授業力の向上もない。
 

 だって、1000時間以上の時間を赤刷りの指導書頼りで、スカスカの授業を続けているのだから。
 
3  「日常授業」を乗り切る3条件
 

 さて、どのように「日常授業」を変えていくか。
 このためには、いかに子供たちにエネルギーを使わせて、授業に集中させていくかを考えればいい。
 

 子供たちは、決して教師に、毎日楽しく、おもしろい授業をしてくれと願っているわけではない。
 子供を見くびってはいけない。
 

 ただ、無意識的に願っていることはある。
┌────────────────────┐       
│ 聞いているだけの時間を少なくしてほしい    │      
└────────────────────┘       
 彼らは、ただ聞いているだけでなく、体を動かして作業などの活動をさせてほしいと、願っている。無意識ではあるが……。
 

 集中する時間を作るためには、どうするか。
 そのための条件を考えればいい。
 

 それを提案したい。
 「日常授業を乗り切る3条件」になる。
┌──────────────┐                   
│ ①全員参加                      │                   
│ ②スピード・テンポ              │                   
│ ③小刻みに                             │                   
└──────────────┘                   
 

 ①全員参加のためには、挙手発言型の授業を止めなくてはならない。いつもよく手を挙げる4,5人を中心に展開する授業を止めなくてはならない。
 また、数多く挙手させようとする授業も止めなくてはならない(挙手発言を止めるということではない)。
 

 そんなことに力を使わないで、どんどん指名をして全員を参加させる授業に切り替えていく。
 

 ②のスピード・テンポは、必須の条件。
 子供たちはすでに毎日のゲームで、もう無意識的にスピード感が体に染みついている。だから、「ゆっくり、丁寧」な授業は、もう彼らの感覚に合わなくなっている。
 

 ③小刻みに というのは、「小刻み活動法」として提起していることになる。
 指導言(発問、指示、説明)のあとに、すぐに「活動」を小刻みに組み入れていく授業法。
 

 指導の内容を細分化する。子供たちが聞く時間をできるだけ少なくし、ちょこちょこと活動を入れる。
 

 活動とは、書く、発表する、ペアで相談する、グループで話し合うなどになる。

4 「味噌汁・ご飯」授業の算数授業
 

 ちょうどこの時期に、神奈川県厚木市のM小学校から頼まれて算数の授業を行った。「味噌汁・ご飯」授業の算数の授業をしてほしいということ。
 

 この授業を「日常授業を乗り切る3条件」で組み立て、授業を行った。5年生の授業。
 結果的には、予定通りには行かなかった。
 

 しかし、私がどんな授業をしようとしたのかを授業記録として提起することは意義があることだと考えて、授業を再現してみたい。

   ★

 もしこの再現授業がほしいという方がおられたら、コメント欄で申し込んでほしい。

 メールの添付(PDF)で送ります。コメント欄は公開にしませんので、遠慮なく申し込んでほしい。

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甲子園白山高校の快挙から算数教育を考える!

 今年の夏の甲子園は、2校の県立高校が大会を盛り上げた。
秋田の金足農業と三重の白山高校である。
 金足農業高校は、吉田君という豪腕ピッチャーで勝ち抜いていったことは皆さんが知るところ。
 ところが、三重の白山高校は、そんな特出した選手はいない。
 こんなチームが、どうして予選を勝ち抜いたのか。
 
 三重県は、高校野球で特別に弱いところでない。
 三重高校は、春の選抜でベスト4に進んでいる。
 ここには、松阪商業という強豪校もいる。
 この松阪が、今年は1回戦で三重を破っている。

 こんな中で、白山高校が登場してきている。
 甲子園では、1回戦で敗れたのであるが、そんなことは問題ではない。
 この登場に、報道ステーションは、12分をさいて異例の報道をしたほどなのだ。

 プロ並みの甲子園常連校の中で、部員数人という白山高校に赴任した東先生が成し遂げたことはすばらしいという一事。
 
 誰も予想しなかった快挙。
 きっと選手たちも信じられなかったに違いない。

 東先生は、何をしたのか、ということになる。
 高校野球は、ほとんど監督の技量が、すべてを決定していくのである。
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 実は、このことをくわしく教えてくれたのは、いつも愛読している中林則孝先生の「教室はドラマ30」。
 初任者向けに出されている通信である。
 中林先生は、三重の白山高校の近く。
 
 中林先生の通信に、とても興味深い記事が出ている。
 「なぜ白山は強いのか」という記事。

 ★ ★ ★
 テレビ報道で知ったことですが、年間の試合数が160とのこと。この数字は常識的にはあり得ないことです。1年間は52週ですから、毎週土日に試合をしても100ちょっとです。160という数字は全国の高校野球の関係者を驚かせたはずです。
 1日に2試合をすることで160という試合数が可能になったようです。この試合数をこなすだけでもパワーやスタミナをつけることができるはずです。三重県大会で決勝を戦った松阪商の監督は「うちの選手は疲れ果てていたけど、白山の選手はピンピンしていた。練習試合の回数の違いだろう」とコメントしていました。
 ★ ★ ★
 160という試合をこなすことに賛否はあろう。
 しかし、これで普通の弱小の高校チームが、強豪校を破ったのである。
 それについて、中林先生は、次のようにその秘密を書いている。
 ★ ★ ★
 私はもう一つ思うことがあります。
 それは「練習」と「試合」は質が異なることです。練習はインプットといえます。対して試合はアウトプットです。
 脳科学者は「インプットだけではなくアウトプットをも取り入れる方が学習効果が高いこと」を実証しています。
 ……略……
 つまり練習ばかりするのではなく、試合を多くすることで強くなるということです。試合が多いというと、マラソンの川内選手を思い起こします。川内選手は常識外のレースを経験しています。レースそのものが質の高い練習になると川内選手はいいます。
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 ここには、大事なことが言われている。
  公務員ランナーの川内選手が、プロのアスリートたちをなぎ倒して勝っていった秘密も、書かれている。

 このことは十分に考える必要がある。
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 ここからまったく違う話題に引き寄せて語らせてもらう(笑)。
 「味噌汁・ご飯」授業の算数授業についてである。
  「味噌汁・ご飯」授業の算数について、この授業は子供たちに「思考力」を身に付けさせることができないという批判を受けることがある。
 
 「だって、どこにも思考させるところがない。ただ、教え込んでいるだけではないですか!」と。
 「じゃあ、反対に聞きますが、あなたの授業はどこで思考力をつけているのですか?」
 「私の授業では、最初の問題で自力解決として十分に時間をとって子供たちに考える時間をとっています」と。
 「それで思考力はついているのですか?ついていると何で評価しているのですか?」
 「……だって思考する時間は十分取っているのですから!」
というようなやり取りになる。

 ここには、「思考する授業」と「思考力をつける授業」の混乱がある。
 この2つを取り違えている。
 「思考する場面」を設定すれば、子供たちに「思考力」がつくという短絡化した発想がある。
 
 考えていただきたい。
 水泳のクロールの泳ぎ方についていろいろ考え、話し合いをして練り上げていけば、クロールが泳げるようになるのか。
そんなことはありえない。誰だってそれは分かる。
 
 クロールが泳げるようになるには、泳ぎ方の技術を教えてもらい(「インプット」)、水の中で何度も繰り返し練習(「アウトプット」)をしなければ泳げるようにならない。
 
 これは、スポーツ、音楽、料理、演劇、芸事などすべての技能を習得するものには共通なこと。
 技術を与え、その技術を使いこなす技能を高めさせていくアウトプットが大事になる。

 算数学習でもそうなる。
 子供たちに問題の解き方をきちんと教え(「インプット」)、その解き方を使って数多く練習問題に当たって、解いていく(「アウトプット」)。そのプロセスの中で算数の「思考力」は身に付いていくはずである。

 それを「味噌汁・ご飯」授業の算数はめざしている。
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 要するに、1問だけの自力解決の授業は、インプットばかりで迫ろうとしている。

 算数の「味噌汁・ご飯」授業は、「インプット」から「アウトプット」へのつなぎをきちんとなして、勝負は「アウトプット」の練習問題を解くことだと考えている。
 そして、そのための布石を打っている。

 クラスにいる算数の低学力児を、確実に引き上げていく手立ては、この「アウトプット」にあるのだということではないか。

 今までの算数教育は、このことをほとんど問題にしていない。
 「インプット」ばかりを云々してきたのである。
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 最初の中林先生の指摘に戻りたい。
 白山高校の快挙や川内選手の試みは、「アウトプット」への取り組みにその秘密があったのである。

 同じように、全ての学習も、ここにポイントがあることを知るべきである。
 
 

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つれづれなるままに~しゃべるロボットみたい~

●胃カメラを行った。
 一日検診で、萎縮性胃炎と診断され、胃カメラでくわしく調べた方がいいと勧められたのでやってみた。
 初めてなのである。
 
 麻酔をかければ簡単に終わると言われて、それを選んだ。
 点滴をし、のどに2回辛いものを振りかけた。
 

 それ以降、まったく意識がない。
 気づいたら、休養の椅子に座らさせられていて、時間は1時間ぐらい経過していた。
「えっ~~~、何だ!」と。

 それで終わった。
 ちょっとふらふらするが、それもすぐに回復する。
 

 今日一日は、乗り物を運転したりすることを絶対にしないこと。
 そんな注意を受ける。
 胃カメラを飲んだという意識がまったくない検査であった。
 
 この夏、整形外科、歯医者などにしばしば通う。
 老化現象で、さまざまなところがおかしくなる。
 
●算数の共同研究の資料づくりをしている。
 せっせと毎日この作業に当たっている。
 16人の先生たちと共同研究をしている。

 送られてくるテストを分析し、教科書の教材を分析し、そして復習テストと宿題を作成するという地道な作業。
 
 教科書は、T社、K社、K社の3つ。
  「それぞれこんなに違うのだ!」と分かってくる。
 

 T社は、練習問題が豊富。
 K社は、文章問題が少ない。
 ……  など。
  ★
 テスト分析しながら、その問題が教科書のどこで教えられているか、どこで問題として取り上げられているかを調べる。
特に、子供が間違いやすい「数学的な考え方」の問題などはマークする。
 

 確かに、教科書のどこか(まとめの問題など)で取り上げてはいる。しかし、1問だけ。
 
 その1問だけ問題を解いて、果たしてできるようになるのだろうかと疑問が出る。
 
 低学力児や中位の子供は、きっと分からないままで終えた可能性がある。あるいは、その1問で分かっていても、テストの問題を解けるかどうかは分からない。
 
 その結果、テストではできないままに悪い点数を取ってしまうということになる。
 問題がここにある。
 そういうことが分かってくる。

 学習塾に行っている子供たちができるのは、これらの問題を数多く練習しているから。

 子供たちにはあまりにも練習問題が少なすぎる。
 ここ。ここが、問題なのである。
 
●仕事の「2:6:2の法則」というのがあるそうだ。
 テレビでやっていた。
 
 いい加減に聞いていたので、確かではない。
 最初の「2」割は、きちんとがんばってやる仕事。
 

 「6」割は、それなりにテキトウにする仕事。
 最後の「2」割は、やらない仕事。
 
 うなづける。
 
 もはや、すべてをちゃんとやろうなんて考えてはいけない。
 そんなことをしたら、オーバーワークになってしまうことは当たり前。
 
 私が現場でやっていた時も、ほとんどこのような仕事をやっていた。
 私の仕事術も、この通りだった。
 だから、5時頃には帰ることができた。
 ★
 経済学者の野口悠紀雄さんは、その本『「超」集中法』(講談社現代新書)で、次のように書かれている。
 ★ ★ ★
 本書で述べるのは、「さまざまなことに『コア』と呼びうるものがあり、努力をそこに集中すべきだ」ということです。
 「コア」とは、「核」という意味です。コア機能、コア商品、コアメンバーなどというように使われます。
 全体の中でコアが占める比率は量的には2割程度であることが多く、他方で、「コア」によって全体の成果や価値の8割程度が生み出される場合が多いのです。このことは、「2:8法則」と呼ばれます。
 したがって、努力をコアに集中させれば、仕事の効率は飛躍的に高まります。これを意識するかどうかで、結果に大きな違いが生じるのです。
 ★ ★ ★
 結局、仕事の「2:6:2の法則」は、野口さんの「2:8法則」と同じことになる。
  ★
 今、多くの先生たちを襲っている感覚は、仕事への「手応え」のなさ である。
 
 ただ、教室へ行き、ただ授業をして、そして子供たちと「さよなら」をする。今日一日の満足感はない。ただ、目の前の蠅をはらっているだけだから。
 
 関係がない人が見たら、「しゃべるロボット」みたい(失礼!)に見えるのではないだろうか。

 仕事もまんべんなくやる。
 確かなのは、絶対に仕事の「2:6:2の法則」や「2:8の法則」を持っていないこと。

 仕事でコアになる「2」割を持っていなければ、絶対に「手応え」のある「日常」を送ることはできない。

 繰り返すが、今、多くの先生たちは、自分で大切にする「2」割の仕事を持っていないこと、そして目の前の仕事をまんべんなくこなしていくことで、「手応え」のなさに陥っているのである。
 

 
 

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