日記・コラム・つぶやき

つれづれなるままに~第1次の「味噌汁・ご飯」授業研究会は解散です~

●10月5日に神戸へ行く。

 神戸のJR三宮駅の中にある三宮ターミナルホテルへ泊まる。
 
 6日の兵庫県三木市の初任者研修会の参加のためである。
 もうここには6年間ぐらい来ていることになる。

 今回も、3年生の初任者の教室で授業をし、講座を持つ。
 講座のテーマは、「授業を成り立たせるための基礎・基本」。
  ★
 6日9時頃にホテルへ指導主事の先生に迎えに来てもらう。
 三木市まで車で40分ぐらい。
 M小学校へ行く。

 3時間目と4時間目に、初任の先生2人の国語授業を見る。
 そして、私が5時間目に授業をする。
  ★
 3時間目に、3年生の国語の授業。「三年とうげ」の教材。
 大学出たての女性の先生。

 4時間目は、4年生の国語の授業。「プラタナスの木」の教材。臨任経験のある男性の先生。

 2人ともみごとな授業であった。
 初任でこれだけの授業ができれば、もう申し分のないできばえ。

 特に、女性のT先生の授業はみごと。
 また、男性のH先生も、すでに中堅の実力という感じ。
 ★
 5時間目に、3年生の初任のクラスで、いつもの詩の授業をする。
 楽しかった。
 
 最近授業をすることが、ほんとに楽しい。
  どうしたものか。

 5分ぐらい前に教室に行き、自己紹介をする。
 この5分で、雰囲気を作る。
 子供たちを笑わせて、授業がスムーズにできる雰囲気を作るのである。

 最近、「こう言えば、子供は笑うものだ!」という笑いの極意が分かってきた。

 ①意外性のある言葉を言う。
 ②「言葉遊び」を使う。
 ③会話を話の中に入れる。

 こんなことになる。
 
●10月12日に、東京O区の初任者研修会へ行く。
 小学校の初任の先生たちに、生活指導について話をする。
 テーマは、「生活指導の在り方と実際」。

 1 担任をする初任の先生がよく失敗する1つのこと。
   今もその失敗の後遺症があるかもしれない。
   それは何だろうか?
 2 子供との「関係づくり」をどうしたらいいか?
  3 「関わり」の基本について考える!
 4 いじめの指導をどうするか?
 5 クラスにいるやんちゃな子供を包み込む方法とは?

 以上のことについて話をする。
 
 私の話が、初任の先生たちに伝わっていけばいいと思いながら一生懸命に話す。
  ★
 1の失敗である。
 最初ほとんどの初任の先生が子供たちと友だちになろうとする。
 「仲良し友だち先生」と言っている。

 これは自然な付き合い方である。
 初任者は、これしか方法は持っていないからである。

 しかし、これでクラスが荒れ、辞めていった初任者は限りなくいる。
 ★
 どうすればいいのか?
 「友だち」ではなく、「先生」として付き合うこと。
 当たり前のことであるが、これができない。
 「先生」として付き合えば、子供たちは「先生」として対応してくれる。
 
 「友だち」感覚で子供たちと付き合えば、「友だち」みたいに遇してくれる。
 そうなるのである。
 教師と生徒の関係は、鏡の関係と表現してもいい。

 ジャック・ラカンが『自我(下)』の中で次のようなことを言っている。
 ★ ★ ★
 教えるというのは非常に問題の多いことで、私は今教卓のこちら側に立っていますが、この場所に連れてこられると、すくなくとも見掛け上は、誰でも一応それなりの役割は果たせます。(……)無知ゆえに不適格である教授はいたためしがありません。人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り、その人が役に立たないということは決してありません。
 ★ ★ ★

 教師が「教卓のこちら側」にいる限り、生徒はそういう存在として遇してくれる。
 それをラカンは言っている。

 私たちは、このことを「縦糸を張る」と主張してきたはずである。

●甥や姪が教員採用試験に合格し、退職時の教え子Sさんも横浜市の採用試験(養護教諭)に合格した。
 これらの報告を受け、嬉々としている。
 
 また、東京のK先生も、東京の採用試験に合格したことの連絡があった。
 メールで何度もやりとりをした先生である。

 うれしい連絡が続く。


●10月21日(土)に「味噌汁・ご飯」授業算数本の出版セミナーがある。

 今、その準備に追われている。

 このセミナーを終え、今年度をもって第1次の「味噌汁・ご飯」授業研究会は解散をする。

 7年間、研究会は続いてきたことになる。
 算数本の出版をもって終わりである。

 「始め」があれば、「終わり」は必ずある。
 解散をきちんと決めて、この会は続いてきたので、このセミナーでその任が終わることになる。

 もちろん、第2次の「味噌汁・ご飯」授業研究会を2018年度設立する。会長は、秦安彦校長になる。
  また、新しい試みが始まるであろう。

 「日常授業」改善の灯火を消してはならない。
 今は、ALの時代であり、それに邁進する学校現場になっているが、それが終了したあとには、必ず「日常授業」改善が問われる時代がくるはずである。

 かつて30年前に「新しい学力観」という形で、新しい教育の方法が導入された。総合が入った時代である。

 私はALの第1回戦だったと言っている。
 「ゆとり教育」という形で、大失敗したことになる。

 その失敗を受けて、基礎基本を徹底すべきであると登場したのが「100マス計算」の陰山先生であった。

 また、こんな時代がくるはずである。
 しかし、今度は大変な時代になる。
 学校教育そのものの存亡が問われる。 
 
 

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第1回野口国語継承セミナーの案内

 第1回「野口国語」継承セミナーin横浜

~国語科授業の指導技術を磨く~

【目的】

 確かな学力形成を図るため、野口芳宏先生のもつ指導技術と教育理論を学び、他者に伝達できる力を培い次代に継承する。

 (1)学力を保障するための指導技術と根底にある教育理論を学ぶ。

 (2)学んだことを活かして国語科授業の活性化を図ると共に、職場等に還元する。 ※ブログ http://ngkeisyo.blog.fc2.com/

◆期日 平成291028()10:20 16:35

テキスト ボックス:  横浜駅(東口)から徒歩10分
 横浜市営地下鉄「高島町」駅から徒歩1分
 横浜高速鉄道みなとみらい線「新高島」駅から徒歩5分
 京浜急行「戸部」駅から徒歩5分
◆会場 大学(横浜市西区桜木町7-42)

 

◆日程(若干の変更は有るかも知れません)

  9:3010:20  受付

 10:20      開講挨拶と日程説明

 10:3012:00  説明文教材の模擬授業

         ①瀧澤 真  4年教材「便利ということ」教育出版 20

         ②佐藤秀樹  5年教材「生き物は円柱形」光村図書 20

         ③井関和代  5年教材「動物の体と気候」東京書籍 20

 野口先生の指導助言  30

 12:0013:00  昼食・休憩

 13:0014:30  物語文教材の模擬授業

         ④小路健太郎 1年教材「おてがみ」教育出版            20

         ⑤早川広幸  4年教材「ごんぎつね」東京書籍          20

         ⑥丸岡慎弥  5年教材「大造じいさんとガン」東京書籍 20

 野口先生の助言指導 30

 14:4515:30  野口先生の授業 「詩歌」 45分 

 15:3516:20  野口先生の講話「国語教師の自覚と使命」  45

 16:2016:30  「模擬授業受講書」伝達(6名へ)とアンケート記入

 16:3016:35   閉講挨拶と次回予告

 17:3019:30  懇親会(野口先生を交えて、会場近くにて希望者で)

◆参加費 3,000円 (当日受付で)

◆申し込み方法

 ①お名前 ②所属(県名から) ③連絡用アドレス ④懇親会希望の有無を記入の上、

 松澤正仁(saffron@mxi.netwave.or.jp)まで申し込んでください。

 【件名】第1回「野口国語」継承セミナーin横浜 参加申込

◆「こくちーず」からの申込みもできます。http://kokucheese.com/event/index/475681/

※参加者へ「第1回記念特典」有り    (裏面に講師・授業者紹介があります)

講師略歴

野口 芳宏先生 

1936年生まれ 千葉大学教育学部卒業

千葉県内で小学校教員、教頭、校長を経て

1996年北海道教育大学教授(国語教育)

2008年植草学園大学教授(のち名誉教授)

2009年~2015年 千葉県教育委員

現在全国各地で「授業道場野口塾」や道徳教育、家庭教育についての講演会講師として活躍されている。「野口芳宏著作集」をはじめ著書多数。

 

授業者

瀧澤  真先生

 千葉県小学校教員 木更津国語教育研究会代表

     「国語の授業がもっとうまくなる50の技」(明治図書)等の著書あり

 

佐藤 秀樹先生 

横浜市小学校教員 横浜青葉授業づくりサークル主催

 

井関 和代先生 

高知県小学校教員 教育雑誌等に実践論文等多数 野口塾講師として全国で活躍

 

  小路健太郎先生

      千葉県小学校教員 木更津技法研

 

  早川 広幸先生

      愛知県小学校教員 教育雑誌等に実践論文等多数

 

  丸岡 慎弥先生

      大阪府小学校教員 教育サークルREDS大阪代表 「崩壊しない学級づくり」等著書あり

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相談に答えて~幸福は最初不幸の形をして現れる~

  Y先生から以下のような相談コメントが載りました。

 ★ ★ ★
 突然のコメントすみません。
中学校の教師をしている20代のYといいます。
野中先生が2010年7月19日(月)にアップされた「孤立 命絶った教師」2010年11月19日 (金)にアップされた「再び、報道ステーションの初任教師自殺の番組を見て」の記事を1年ほど前に読み、何とも言えない衝撃を受けました。
すごく心に残って、また心が洗われるような感覚になり、時々読み返しています。
よろしければ、フェイスブックで、この時の記事を紹介したいのですがよろしいでしょうか。
私自身、木村百合子先生のような気持にここ2、3年ずっとなっていて、なかなか抜け出せず、このままだと私はどうなってしまうのだろうか不安です。
教師としての自信も無くなり、また小さい学校で教師の人数も少なく、40代後半~50代の先生しかおらず周りの先生からはフォローがなかなか得られていないように私自身は感じ、批判ばかり・・・、それらのストレスで人生で初めて蕁麻疹ができました。
このまま教師を続けることはできるのだろうか、またこのまま続けたら私はどうなってしまうのか、、、とても不安です。
小学校、中学校、高校と、私が生徒の時、学校に行きたくないと思ったこともなかったですが、今初めて「学校に行きたくない」と思いました。
私はどうしたらいいかわかりません。
どうしたらいいかわからず、野中先生のブログに書き込んでしまいました。
お忙しいところ、申し訳ないのですが、何かアドバイス、お言葉いただけたら嬉しいです。
乱文乱筆ですみません。よろしくお願いいたします。
 ★ ★ ★ 
●以上のような内容のコメントをいただきました。
 2010年に書いたブログを読んでもらえたのですね。
 
 私ももう一度読み直して見ました。
 この状況は今もぜんぜん変わっていないですね。
 (フェイスブックへの掲載は大丈夫ですよ。)
  ★
 人生で初めて躓き、立ち止まっておられるのですね。
 そのように感じました。

 「私はどうしたらいいかわかりません。
どうしたらいいかわからず、野中先生のブログに書き込んでしまいました。」
  と書かれてありますので、とにかく立ち止まっておられるようです。
 
 私にも、若い頃そのように思ったことが何回かありましたので、その時の苦い思いが甦ってきました。
 具体的に悩んでおられる内容が分からないので、今私がY先生に伝えられる内容は、以下のことです。
 
 それは私がそのような生き方をしてきて、自分なりに克服してきた経過があることです。
 落ち込んだりしたときのとっておきの極意です。
 
 ①結果には原因があること。
  偶然起きることはないです。
 
  原因があって結果があります。
  その原因をじっくり考えてみることです。
 
  そして、その原因に向き合うことです。
  すぐには克服できないかもしれません。
  でも、少しずつ克服していけばいいです。
 
 ②目の前のことだけに対処すること。
  今の大変な状況がずっと続くことはないのです。
 
  そのようには、人生は成り立っていません。
  大変な時は、努めて目の前のことだけに集中して生きて いく。
 
  過去を振り返らず、未来も考えず、ただその時の課題だけに集中する。これはむずかしいですが、努力する。
  時として、終わった過去をぐじぐじと振り返るのです。特に調子が悪いときは、こうなります。
 
  誰も、もうそんなことは忘れているのに、自分だけがぐじぐじ引き摺るのです。最悪のパターン。
 
  きっぱりと止めることです。
  これからの未来を心配することもよくあります。
 
  今の状況が未来永劫続くような感じになっているはずです。
  そんなことはありえないのです。
 
  目の前のことだけに集中する。
  これを続けていくと、ふっと楽になる時間がきます。
  必ず来ます。
 
  こうして乗り切っていくことです。
 
  人生には、必ず躓きや失敗や挫折があるものです。
  だから、昔から「禍福はあざなえる縄のごとし」ということわざがあるのですよ。
 
  こういう時には「凌ぐこと」だけです。
    ぜひ、乗り切っていってください。
  ★
  もう1つだけY先生に伝えておきます。
 
  森信三先生という人がおられます。
  日本の教育界に大きな足跡を残された方です。
 
  その先生が、『若き友への人生論』(致知出版社)を書かれています(Y先生読まれた方がいいです)。
   その中に、「逆境に処する態度」があります。
  ★ ★ ★
  では、逆境に対処するには、われわれは一たい如何なる心がけが必要であろうか。
   それに対してわたくしに忘れられないのは、「隠岐の聖 者」永海佐一郎博士のいわゆる「幸福は最初不幸の形をして現れるのがつねである」というコトバであって、わたくしは、これほど端的、しかも深い真理を語られた人は少ないのではないかと思うのである。……略…
   ……
  即ちわれわれ人間が、不幸に対処する態度としては、不幸を回避しようとしないで、あくまでもそれに耐え抜くことによって、やがてそこには、全く思いも設けなかったような大きな幸福が与えられるということであって、このことの示す真理性については、わたくし自身もその永い生涯の上に、これを身証体認してきたといってよいのである。 ……
  ★ ★ ★ 
    どうでしょうか。
  凌ぐことについての真理が書かれているわけです。
 
  「幸福は最初不幸の形をして現れるのがつねである」ということなのです。
  今感じている不幸は、耐えているうちに幸福に変わるというのです。
 
  私もまたそういう経験を何度もしました。
  Y先生も、今大変な不幸に会っているのでしょう。
 
  耐え抜いていると、いずれ「苦しかったけれど、経験して良かった!」という時期がくるのですよ。 

   健闘を祈ります。

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「味噌汁・ご飯」授業 算数編のセミナーご案内

   「味噌汁・ご飯」授業(算数本)出版記念セミナー

                                                           司会 清水
 
  もっとくわしく「ときかたハカセ」を提起!
    インプットの授業はどうしたらいいか!
    さらにレベルアップする授業をするには!
1 日時 10月21日(土)
     受付12:30~
     13:00~17:00
 
2 場所 大和市富士見文化会館(1階の会場)
3 会費  2000円(学生1000円)
  懇親会 4000円
4 人数      40名
5 プログラム
 ①算数の「味噌汁・ご飯」授業を提案する     秦
    13:00~13:40  (40分)
 
 ②「ときかたハカセ」を提起する      野中
     ○A,B,C型の提起         
    13:45~14:35(50分)
  <休憩 14:35~14:45>
 ③ 例題指導(インプット部分)をどう授業化するか14:45~15:25(40分)                               武井 井上
  ○授業と解説
 ④ 確実にクラスのレベルを上げていく  野中
  「復習テスト」の作り方と実践報告 佐藤    ~共同研究の報告~  
  15:30~16:10(40分)
 
   <休憩 16:10~16:20>
 
 ⑤ Q&A                野中 
                       小島
  16:20~16:50(30分)
※学年ごとの「ときかたハカセ」(11月からの単元)
 を冊子にして販売します(低中高別300円)。
   ○東京書籍(1年~6年)
  ○教育出版(5年)啓林館(6年)
  申し込みは、以下のところでお願いします。
 
  https://ssl.kokucheese.com/event/entry/484674/

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再び「味噌汁・ご飯」授業(4)~緊急事態なのだ~

   ここ5年間で1000人近くの先生たちの「日常授業」を見てきた。

 
 現役の頃には想像もできないぐらいの状況であった。
 現役の頃は、ほとんど研究授業しか見ていなかったのである。
 
 研究授業と「日常授業」は明らかに違う。
 考えてみれば当たり前のことだが、その違いにびっくりする。

  参観した先生たちの7割から8割は、主として3つの授業をしていた。
 
 授業の8,9割をずっとしゃべり通していく「おしゃべり授業」、インプットの部分に時間をかけて、アウトプット部分がイイカゲンになる「学力定着不足授業」、授業のほとんどを挙手発言で済ませ、傍観者が多数出てくる「挙手発言型授業」。
 
 ほとんど教材研究をしないで、そのまま指導書を斜め読みして行う「ぶっつけ本番」授業になるので、どうしても以上の3つの授業になっていく。

 同情すべきことは多々ある。
 それほどまでに忙しさを抱え込んでいるのである。
 
 学校の仕事の最後に、やっと教室の仕事になる。
 授業のことは最後の最後である。
  ★
 多くの先生たちが崖から転げ落ちている。
 まともな「学級づくり」をしないで、授業もイイカゲンになるなら、それは必然的にそうなる。

 必要なのは、「ごちそう授業」をどのように作っていくかではないはずである。
 そんなことは現実的にできない。

 今できることは、自宅と教室とを往復しながら(限られた時間しかないのである)、それでも何とかして教室を成立させ、子供たちを授業に集中させたいと悪戦苦闘している先生たちに、届くメッセージを提起することではないか。
 私たちは、そのように考え続けている。
  ★
 まず、「学級づくり」ですよ。これが学級の土台に据え付けられれば、学級は何とか軌道に乗っていけますよ。
 そこで「学級づくり3原則」を提起した。
 
 絞りに絞り、もうこれ以上絞れないという形で提起したものである。
 初任者が実践してみて、見事なクラスを作り上げた。
 これでいけると自信をもった。

 授業は「味噌汁・ご飯」授業ですよ。
 短時間で授業準備をし(もう教材研究とは言わない)、子供たちを集中させていく授業を作りましょう。
 
 基礎的な学力もしっかり身に付けましょう。
 そのように考えて、「味噌汁・ご飯」授業の国語編と算数編を提起した。

 緊急事態なのだ。多くの先生たちが崖から転げ落ちているのである。
 
 どのように着地するか、それを共に考えようとすることなのである。

 

 
 

 

 

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再び「味噌汁・ご飯」授業(3)~崖から転げ落ちている~

   現在の学校現場を見舞っている緊急事態を、例えを使って言えば、以下のようになる。

   ★ ★ ★
 多くの教師たちが、崖から転げ落ちていて、どう着地すればいいかと不安と心配に苛まれている。
 そんなときに、相変わらず崖から落ちないようにするにはどういう柵を設ければいいかとか、落ちない予防策はどうすればいいかなどの議論をしている。
   ★ ★ ★
 多くの教師たちは、崖から転げ落ちているのだ。
 だから、態勢を整えて、うまく着地できるようにしなければならない。緊急事態なのである。

 そんなときに、まったくトンチンカンな対応をしている。

●たとえば、初任者指導の先生が初任者を指導している場面。
「もっと教材研究を数多くして授業を作っていくべきだ」
「あなたの授業はつまんない。もっと楽しい授業に変えなければ、子供たちは授業に乗ってこないよ!」
「教科書を教えるような授業ではなくて、もっと教材を工夫しておもしろい授業をつくらなきゃあ!」
 ………
 
 学級で一部のやんちゃな子供に四苦八苦して苦労しているときにこんな指導をする。まともな授業にもなっていないのにである。

●たとえば、その学校の数クラスが学級崩壊に陥って騒乱状態になっているのに、研究授業で「言語活動の充実を目指して」というようなテーマを設けて取り組んでいる。
 
 もちろん、実際は研究授業をやっている場合でないことは、明らかである。だから、研究は空回りする。

 こういうトンチンカンな実例は数限りなくある。 
  ★
 多くの先生たちは、崖から転げ落ちている。
 もう転げ落ちているのに、相変わらず崖から転げ落ちないようにするにはどうするかとか、どのように柵を設ければいいかとか、そんな論議をしている。

 その証拠に、相変わらず「ごちそう授業」の提案をしている。
 
  その「ごちそう授業」の提案が、崖から転げ落ちている数多くの先生たちに届くと思っているのだろうか。

 これから新学習指導要領への対応が各学校で始まる。
 アクティブ・ラーニング(名前はなくなったが)への対応が始まっていく(もうすでに始まっている)。
 
 学級崩壊を起こしている先生たち、かろうじて学級をつないでいる先生たち、…。そんなクラスに、ALの授業が成立するはずはない。
 ますます荒れを増幅するだけである。

 学校現場は大きな転換点を迎えている。
 この認識ができるかどうか。そこにかかっている。

 

 

 

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再び「味噌汁・ご飯」授業(2)~「ごちそう授業」について~

   「ごちそう授業」については何度も書いてきた。

 「味噌汁・ご飯」授業と、対比的に使ってきたネーミングである。

 「ごちそう授業」とは、多くの時間をかけて教材研究をし、さまざまな準備をして、精一杯の授業を展開するもの。

 今まで強調してきたのは、これまでの日本の授業研究は、「ごちそう授業」追究だったということ。
 それは、各学校現場では、研究授業として具現化されてきた歴史がある、と。

 誤解を受けやすいのだが、私は、その「ごちそう授業」を否定してきたことは一度もない。
 むしろ年に1,2度は挑戦した方がいいと言ってきた。
 その挑戦で学ぶことは数多い。

 ただし、その「ごちそう授業」の追究の中で必ずなされなければならないことがある。
 それは、今日も6時間行い、明日も6時間を行う「日常授業」に下ろしてくる原理・原則をつかんでこなければならないことである。
 
 大切なのは、ここ。
 「ごちそう授業」の追究に、日常性を繰り込んでこられなければ「砂上の楼閣」にしか過ぎない。
 ★
 だから、今まで否定してきたのは、今だもってその「ごちそう授業」の追究だけをしていることになる。
 
 公開の授業研究会などは、いまだにそれである。
 
 いわゆる「ごちそう授業」主義に陥っている。
 「ごちそう授業」の感覚が染みついてしまっているからである。

 否定してきたのは、「ごちそう授業」主義に陥ることである。
 この主義とは、提起される授業が日常授業にはとても実践できないシロモノであることだ。

  この主義に陥っている現象が2つほどある。

 1つは、研究授業主義とでも言った方がいい現象。
 研究授業をやっておけば、それでこと足れりとする。
 
 研究授業と日頃の授業(「日常授業」)とは、ほとんど関係なく過ごしていく授業研究である。
 「あれはあれ、これはこれ」と区別して、研究授業さえやっておけば済まされる。
 
 このような現象を作り上げている。
 追究しても研究成果はほとんど達成できないような過大な研究テーマを設定し、年中行事化している。
 
 2つ目は、「日常授業」を粗末にする現象。
 1つ目の現象の結果であるが、研究授業さえやっておけばいいという考えは、日頃の授業を実にイイカゲンに済ませていく現象を生みだした。
 
 多くの教師たちの「日常授業」は、ほとんど何の準備をしないままに済まされる「ぶっつけ本番」授業になっている。
そうせざるを得ない忙しさを抱え込んでいるとも言える。



 

 

 

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再び「味噌汁・ご飯」授業~学力について~

   「味噌汁・ご飯」授業の算数編を提起した。

 この中で多くの先生たちが戸惑うのは、学力=点数だとした提起である。
 こんなことを正面から主張したことは今までなかったはずである。
 タブー視されてきたことでもある。
 ★
「味噌汁・ご飯」授業は、まず1時間を完結する授業にすることが原点になる。
 本時の目標がある。
 それを達成するために組み立てる。
 
 その1時間で達成することは、子供たちにとっては1時間分の「学力」を身に付けるということになる。
 
  1つの単元が終わったら、1時間ごとに身に付けた学力がきちんと身に付いているかどうかをテストをする。

 そのテストの結果(点数)が「学力」になる。

 私たちは、このように「日常授業」の「学力」を位置づけている。
  ★
 こういうことで「学力」が形成され、そのためには毎日の「授業」の積み重ねが必要であるという考え方。
 言われてみれば当たり前なのだが、このことが、学校現場では、実に曖昧であった。
 
 「学力」というのは、何か特別な考え方をしなければ位置づけられないのだと、私たちは思い込んでいたところがある。

 確かに「学力」についてはさまざまな本が出されていて、ネットで探せばさまざまな学力論が展開されている。

 「学力」というのは、何かむずかしいもので、現場にいる私たちには縁遠いものだという認識である。

 だから、「これから本校では学力向上の取り組みをやる」という研究課題が設定されたら、まず最初に「学力」の定義をしなければならないという発想になる。
 学力論の勉強会である。

 まずさまざまな学力の定義を勉強して、それで学力について考えていこうというわけである。
  ★
 私たちが毎日やっている授業は、子供たちに学力を身に付けることをやっているのである。

 5年生の単元で「小数のわり算を考えよう」の3時間目で「小数÷小数の計算の仕方について理解する」という本時目標で1時間の授業をする。

 この時間で「小数÷小数の計算の仕方」を子供たちに身に付けさせる。

 これがこの時間での「学力」になる。

 そして、この単元で5年生の「小数のわり算」の学力を身に付けさせるのである。 
 この学力が身に付いているかどうかが問われるのである。

 私たちは、ここから、この「事実」から出発すべきだったのである。
 ★
 この学力(すなわち「日常授業」で身に付ける学力)が、すべての学力の基盤である。
 
 しかし、この学力だけで「他が要求する学力」(全国学力テストや標準学力テストなど)に対応できるかというと、そうはいかない。

 「日常授業」で身に付けた学力(日頃のテストは良くできる子供)が、そのまま全国学力テストや標準学力テストには通じない。

 それは、問題が違うし、答え方も違う。
 教科書での問題で身に付けた学力では、対応できない問題がある。

 上位層の子供は、どのテストでも対応できる力を身に付けているが、中位層や低位層の子供たちは、そうはいかない。

 これは教室では当たり前に目にする光景。

 上位層の子供は、学習塾や通信講座などでさまざまな問題に当たってきていて、それができる学力を身に付けているからである。
  ★
 私は、現役の頃、「基礎的な学力を身に付ければ、応用問題にも対応できる力がつく」という考え方を持っていた。
 
 この考え方は、ピアジェが提起したものらしい。
  でも、これは、今でも多くの教師たちのものでもある。
 
 これで私も対応していた。
 しかし、まったく対応できなかった。
 
 日頃のテストは、平均90点以上の点数を上げているのに、全国学力テストや標準学力テストではガクンと落ちる。
 そんな結果を見てきた。

 考え方が間違っていたのである。
「ほんとうの学力」というのはない。
 そんな学力があるのだと、ずっと思い続けてきた。
 勘違いであった。
 
 私たちが算数本で提起したのは、「日常授業」で身に付ける学力である。
 これが子供たちの基盤になることは間違いない。
 
 しかし、これが他のテストでの学力として通用するかというとそうはいかない。
 全国学力テストは、要求しているテストの内容を分析しなければならない。
 標準学力テストもまた、そのテストが要求している内容を分析しなければならない。

 そうしなければ、目指すべき学力を上げることはできない。

 これは、認知心理学が明らかにしてきたこと。
 くわしく言えば、文脈依存性や領域固有性という考え方によって明らかにされている。

 もし現役の頃、この考え方を知っていれば、私のクラスの子供たちはもっと良い成績になったことは間違いない。断言することができる。
 そういうことなのである。 

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つれづれなるままに~鳥取大山へ行きました~

●鳥取県の大山町大山西小学校を訪問した。

 大山町を訪問するのは、昨年からである。
 今年も呼んでいただいた。

 今年も、大山西小で全部の先生たちの授業を参観し、私も授業をし、そして講演をする。
 楽しみにしていた。

 そして、念願の大山(だいせん)を見られること。
 昨年は、曇っていてまったく大山が姿を見せなかった。
 今年は、ずっと天気が良い。
 今年こそ大山を見られるのだと思って、意気込む。
  ★
 19日は、米子空港にセンター所長の井上先生に迎えにきてもらい、夜は、4つの小学校の校長先生たちと懇親会であった。
 大山町の小学校は、4つ小学校がある。

 楽しい会だった。
 校長先生たちの熱い思いを聞いて、うれしくなった。
 ★
 20日 大山西小を訪問する。
 
 早速全部の先生たちの授業を見せていただく。
 5分程度。
  驚く。
 先生たちの授業技量が高い。
 「おい、おい、これは、これは…」と。

 何が良いのか。
 第1に、子供たちがよく授業に集中している。
 第2に、ノート指導が徹底している。
 第3に、板書が良い。
 第4に、先生たちの子供たちに向ける視線が鋭い。
 ★
 5時間目に6年生のクラスで授業をさせてもらう。
 いつもの詩の授業。

 授業は小刻み活動法で組み立てている。
 指導言のあとには、すぐに活動を入れ、小刻みに組み立てていく。

 「ごちそう授業」ではない。
 内容は、きわめてシンプル。
 詩を黒板に書いて、子供たちはそれを写し、そして音読する。それを小刻みに繰り返す。
 そして、ところどころを(  )にしてその言葉を考えさせる。

 「味噌汁・ご飯」授業として考え出された詩の授業の方法である。

 子供たちは授業に集中する。
 集中せざるをえないと言った方が正確。
 
 次から次へと活動が指示されるから。
 しかも10秒、15秒、30秒程度の時間しかない。
 小刻みなのである。

 楽しかった。
 きっと私が一番楽しんだのである。
 
 今回の授業も、ICレコーダーで録音する。
 10回ほど聞いて、次回の授業に備える。
 次のAfter(1つ、2つの改善をする)の準備である。
 
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 終わってからの講演では、「学級づくり」で行うたった1つの手立て(これが学級を軌道に乗せていく岐路になる)、克服していく「問題の授業」、「日常授業」は、小刻み活動法でいいのだという提案など。
 
 そして、最後に新しい学習指導要領の話。

 他校の先生たちもおられて、熱心に聞いてもらう。
 ★
 夜の懇親会には、センターの所長、校長、教頭、教務主任の先生とともに、3人の若手の先生たちも参加されていた。

 この先生たち(2人の先生は実際に授業を見ている)は、これからの教師人生で期待が膨らむ人たちなのである。

 鳥取県で有数の授業人に3年間でなれる方法などを伝える(笑)。
 それができるかどうかは、志がどれほどのものかで決まる。
 ★
 19日も20日も期待に反して、天気は曇り。
 大山は一度も姿を現さなかった。

 21日12時30分の飛行機なのだ。
 朝起きたらすっかり晴れている。

 午前中、大山の麓まで車で連れて行ってもらえるという。
 わくわくする。

 しかし、今日も大山は雲をかぶって見られなかった。
 よほど大山に嫌われている(笑)。

 もう一度来いというお告げであろうか。
 
 

 

 

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相談を受けて~1年生の世界を楽しむこと~

  高学年ばかり担任してきて、初めて1年生を担任している先生からの戸惑いの相談が入りました。

 以下の通りです。

 ★ ★ ★
低学年の指導についての相談です。
これまで高学年ばかりで初めての一年生担任です。

高学年担任ばかりをしていたからなのか低学年の騒然としたあの感じが我慢ならないのと同時に、学級としてまずい状態だから何かしなければいけないのか、低学年は普通こうだから大丈夫だよという状態なのかが全くわかりません。

具体的には
●高学年だと多少騒がしくても「〇〇くん、よく話聞いてくれてるね。」たどと言えば大体すぐに落ち着くものですが、一年生はその褒め言葉すら聞こえないで騒いでいます。10回ほどそんな褒め言葉を繰り返して、やっと落ち着くこともあれば、時には少し口調を強くして強制的に落ち着かせることもあります。

●さらに話を聞いていない子も必ず5人くらいいて、その子にものすごく目がいきます。下を向いている、隣としゃべる、地面をいじるなどです。5人くらいならやはり目をつぶるべきなのでしょうか。私はどうしても気になって、〇〇聞いてる?大丈夫?などと言ってしまいますが。。
それでも、中には同じ質問をしてきたり、自分のやる事や並ぶ場所などがわかっていない子もいます。

●リーダーシップを取る子があまりおらず、おふざけやお遊びにすぐ同調してしまいます。「今はやめとけよ」などという子がほぼいません。それでまた怒る。


こんな感じで、荒れてるとかでもないですし、他の先生から褒められることもあるのですが、自分自身がこれまでの高学年のイメージが基準にあるので、到達ラインが高すぎる?のかイライラしてしまいます。

高学年イメージが邪魔していて、一年生としては優秀ではないにしても、普通のクラスにはなっているのでしょうか。

それとも、やはり私の感覚通り、クラスは荒れていて、今後改善為に多大なる努力をしていかなければいけないのでしょうか〈もちろん優秀なクラスでもさらなる向上をさせなければいけないわけですが、、〉。

これまで高学年担任として、教師主導で、統率した雰囲気でやってきていたので(鬼監督とかそういうイメージではなく、楽しませながらもやるところやらせたり、自分が中心にいる感じです。例えが変ですが明石家さんまのよう感じです。)、そのギャップをものすごく感じます。
投稿: カナリヤ
 ★ ★ ★

 この戸惑いは、私が初めて6年生から1年生の担任になったときのものと同じです。
  よく分かります。

 今までは「右!」と言えばさっと動いていた子供たちが、そうはいかないのです。
 1つ1つの学習規律の定着も、今までと2倍も3倍も時間がかかります。
 一々にぐったり疲れてしまうわけです。
 
 今までは2,3つまとめて指示を出せば子供たちは動いてくれたのが、まったく通じません。「先生、次何やるの?」と今言ったばかりのことを何人も聞きます。

 低学年は、指示についての「一時に一事の原則」が分かっていなければ、指導できません。
 ★
 こんな戸惑いですね。
 私は、カナリア先生が、こんな世界もあるのだと戸惑いを覚えられたことは実に良いことですよ。

 決してクラスが荒れているわけではなく、高学年的な指導が低学年では通用しないということなのです。

 子供たちは、1,2年生はこんな具合なのです。
 
 3,4年になると、ちょっと変わってきます。
 とくに、4年生の夏休み以降は判断力がついてくるわけですから、とても大切な時期になります。
 
 そして、高学年。今は女子が思春期を迎える子が多く、大変です。それに比べ、男の子たちの幼さが目立ちます。

 低中高のいずれの学年でも、それぞれに指導が違ってきます。
 
 だから本来は、高学年ばかりとか、低学年ばかりとかを固定して持つべきではないのです。
 
 でも、学校事情でそうならざるをえないのですね。
  私も最後の10年以上は、高学年でした。

 若い頃に4回1年生を担任することがありました。
 その時の経験はものすごく貴重なものでした。
 
 高学年ばかりを持つと、こちらの心がかさかさに渇いてしまう経験がありました。
 しかし、その後低学年を持つと、心洗われる思いになりました。
 ★
 低学年は、複雑ではありません。
 簡単な基本原理で動いています。
 活動的なことが大好きですし、おもしろいことが大好きです。
 しかし、ねばり強い継続は苦手。
 
 幼児期や低学年の頃は、「動」の時間と「静」の時間を意識した子育てをしなければなりません。
 そのバランスが大切です。

 「動」の時間を数多くもった子供は、落ち着きがなく、少しでも静かにすることがむずかしいのです。
 こんな子供にカナリヤ先生もきっと手を焼いていますね。
  それは、「静」の時間をあまり持たないで子育てをしてきた結果が出ています。
 
  1年生の担任の時は、読み聞かせを数多く取りました。
 「静」の時間ですね。
 
 わざわざござを教室に準備していて、このござにご招待という形で特別の空間を作るわけです。
 そこで静かに絵本の読み聞かせをしました。

 1年間が過ぎるとずいぶん落ち着いてきますよ。
 ★
 低学年はどんな子供たちなのか。
 私は、「その場、おもしろ、理想主義者」と名付けていました。

 その場主義者、おもしろ主義者、理想主義者を総称したものです。
 その場主義者とは、その場で決着をつけなければ効果がないことです。
 
 ノートに丸を付けることも、ドリルなどに丸を付けることも、…ほとんどをその時間の中で決着をつけるようにしました。
 その場で、ほめ、認めていくのです。
 
 授業の中に、その時間を組み込むようにしました。
 それがどれほど子供たちのやる気を生み出すのか。

 おもしろ主義者とは、おもしろいことには男女とも掛け値なく惹きつけられること。
 笑うことが大好き。
 だから、笑わせておけば、もうそれだけで先生が好きになるのです。

 理想主義者とは、先生が「こうしよう!」ということには、掛け値なく従っていく存在なのです。
 ただし、認め、ほめ、励ましてあげることが必要。

 この3つのことをやっていけば、クラスはうまく軌道に乗ります。
 
 でも、このことは中学年でも、高学年でも、同じ事ですね。
 ただ、低学年は、顕著に反応するのですから。
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 カナリヤ先生、1つ1つの指導は時間がかかりますが、そのうちに効果が現れてきます。
 
 時間がかかるのです。
 教えることはそんなに多くはないのですから、じっくりと構えて1年生の世界を楽しんでください。

 
 

 

 

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