日記・コラム・つぶやき

つれづれなるままに~19版になった~

●明治図書から出している『新卒教師時代を生き抜く心得術60』の本が19版になった。

 20版までもう少し。
 
 うれしいことである。
 2007年に初版を出し、もう10年経っている。
 この10年で19版。
 売れ続けているというのが良い。

 この本を見て、10年経って、また新しい初任者本を出してほしいという出版社があり、これもうれしい話であった。
 再来年の2月に出版することが決定。

●算数の「ときかたハカセ」の申し込みが殺到して、あっという間に残部がなくなってしまった。
 これには考え込んでしまう。

 この「ときかたハカセ」は、当然先生たちが自分で作成できなくてはならない。
 しかし、具体的にどう作っていくのかというのは少しの訓練がいる。

 そのためには、たたき台がほしいところだ。

 先日の「ときかたハカセ」の単元は、10月下旬からのもので、後半のものである。
 当然、4月からの単元で1年間の算数「ときかたハカセ」があってもいいと思われる。

 東京書籍だけでも、作成していけないものか。
 そう思いだしている。

●12月も中旬。3学期制の学校は、通信表の作成が終わりを迎えていることであろう。
 私の場合、通信表はだいたい締め切りの1週間前には仕上げていった。
 
 そんな仕事術を持っていた。
  その仕事術は、『必ずクラスを立て直す教師の回復術!』(学陽書房)に書いた通り。
 
 だから、最後の勤務校では、ほぼ5:00に帰っていた。
 その前の勤務校では、教務主任をしていたので、5:30か6:00には帰っていた。
 
 教務主任がそんな時間に帰る学校は皆無であろう(校長にには「早く帰りますよ。それでも良かったらやりますよ」と伝えていた。それでも校長は嫌な思いであったろう)。
 
 その時期、私が夕食の当番であったので、買い物の必要があり、その時間であった。
 それでも6年の担任をやり、初任者指導の担当をやり、またフルマラソンの練習もやっていた時期である。

 仕事術なのである。
 これから教員は、自分なりの仕事術を持たないとやっていけない時代になる。

 学校は、ブラック企業になっているが、教員の仕事はいくらでも工夫次第で簡単にすることができる。

 私の工夫を学陽本で参考にしてほしい。

 そうそう、12月の終わりには、もうほとんど指導要録も終えていたのである。終業式の前の放課後(空き時間がある)3時間ぐらいかけて一気に書き終える。
 
 資料はある。通信表である。
 3月には、もう一度点検して最後のまとめをすればいい。
 
●現場教師のとき、心がけていたことがある。
  何か問題を感じたとき、次のような動きをする。

 1 よく見る。
 2 それが何かと考える。
 3 打つ手を処方する。
 4 行動する。
 
 現場教師というのは、これを瞬時に行わなければいけない。
 誰でもがやっていることになる。

 ただ、漫然と教室へ行き、漫然と子供たちを見ていてはこのような行動は取れない。
 そして、問題が大きくなってやっと気づくということになる。

 1の「よく見る」は、日頃何を見ておくかだ。
 たとえば、私は、朝教室へ行くとき、靴箱を経由していくことを日課にしていた。
 
 それは、靴箱への靴の様子で、その子の生活の乱れが表れるからである。

 たとえば、休み時間の教室の様子を見る。
 一人で本を読んでいる子供がいる。
 要注意。

 時々図書室へ行く。
 一人で本を読んでいる子供がいる。
 要注意。

 職員室の前をうろうろしている子供がいる。
 要注意。
 ……

 孤立している子供は要注意なのである。特に、グループから離れて一人でいる女の子は、最も危険である。

 そして、2,3のことをやり、4の行動に移る。
 ★
 子供たちのどこを見ているか。
 これは決めておかなくてはならない。
 ピンと来たら、躊躇しないでその子に質問するか、話し合うかをしなくてはならない。
 
 
 

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網走小学校へ行きました!~年間1000時間で子供を育てる~

 11月30日、網走へ行く。

 前の日は、横浜は20℃近く。暖かかった。
 ところが、女満別空港へ着くと、零下の気温。
 網走は、朝方マイナス10℃にも下がったという。
 
 30℃近くの気温低下に体がついていかない。
 「寒い!寒い!」と連発。
 
 その夜、オホーツク教育局の指導主事の先生方から懇親会を開いてもらえる。網走小の校長先生もかけつけてこられる。
 さまざまな話をする。
 ★
 翌日、朝8:00過ぎに迎えにきてもらい、網走小へ行く。
 ここへは2年ぶり。
 
 網走小学校の公開授業研究会になる。
  全クラスの公開。
 
 2時間びっしりと全クラスを回る。1クラス3分。
 
 3分で何を見るのかと問われる。
 その先生の授業力が一番集中して現れるところを見る。
 
 まず気づくことは、この網走小の子供たちの集中力は素晴らしいということ。
 私は、全国で多くの学校の授業を見てきたが、この学校は抜きんでている。
 
 何がこれほどまでの子供たちを育てているのか。
  ★
 私は、道教委が進めている「学校力向上」事業のアドバイザーとして6年目を迎えている。
 この間に、多くの学校訪問をしてきた。
 
 今25校ほどの学校がこの事業に加わっている。
 この事業に加わると、3,4名の教師の加配があり、事務職も1名加配される。
 
 ただ、毎年2名(学校によっては1名)の初任者を受け入れ、育てなければならない。これが厳しいノルマ。
 
 北海道は、全国の学力テストが実施された時から、ずっと最低レベルのところを推移してきた。
 最近は、そこから上がり始め、中位の下ぐらいまでになっている。
 
 私が関わってきた学校力の学校は、ほとんどが全国平均を抜き始め、数校は秋田の平均を抜き始めている。もっと上を目指している。
 
 この網走小も、そういう学校である。
 何がこのように変えたのか。
 
 網走小は、「年間1000時間の時間で子供を育てる」ということを標榜している。
 言われてみれば、当たり前のことである。
 
 しかし、こんなことをきちんと言える学校はないはずである。
 
 この1000時間で、徹底した「日常授業」の改善を行っている。
(くわしくは『日常授業&校内研修ガイドブック』(網走小著)を参照してほしい)
 ★
 午後から授業の分科会に参加し、パネルディスカッション、
講演とびっしりとこなしていく。
 暖房の1つのヒーターが故障していて、寒い体育館になった。それでも、先生たちには熱心に耳を傾けてもらえる。
 
 その夜、校長先生宅で開かれた打ち上げ会にも、参加させてもらう。
 先生たちと授業論議を交わす。
 楽しかった!
  ★
 翌日、朝早く校長、教頭先生に空港まで送ってもらい、羽田へ戻ってくる。
 また、この暖かさである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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算数の授業ということ(4)~数学への橋渡し~

 

「ときかたハカセ」は、最後の勤務校での実践が原点である。

 算数授業をどんなにうまく、素晴らしいものに作り上げようと思っても、「日常授業」に耐えられなかったら、絵に描いた餅にしか過ぎない。
 大切なのは、日常に耐えられるかどうかなのだ。
 
 そこで「味噌汁・ご飯」授業の算数は、以下の観点を打ち出すことになる。
 
 ①簡単な授業準備で教材研究は済ませること(私たちは教  材研究と言わないで、授業準備の時間と言う)
   ほんの10分間ぐらいの準備。
 
 ②授業は、教科書を教える。
  教科書に書かれている通りに順番に教えていく。
 
 ③いつもは、復習タイム(前時)―本時―スキルタイム(本  時の復習)という3分割で行う。
 
 この3つの観点だけである。
 
 課題の本時は、教科書を教えるのである。
 しかし、ほんとうに教科書を教えられるのは、1000人に1人ぐらいであると言われ続けてきた。
 
 多くの教師たちは、指導書を見て教えている。
 教科書がどうなっているか、ほとんど見ていない。
 
 だから、効果的に教科書を使えないのである。
 教科書は、例題―類題―練習問題の構造で作成されている。
 
 でも、実際には、この通りになっていない場合も多い。
 また、教科書によっては、問題解決学習を意識して、この構造を無視した作成をしているところもある。
 
 だが、この構造を意識して指導すれば、とても効果的な指導が行われていく。
 ポイントはここだったわけである。
  ★
 もう一歩踏み込む。
 私たちは、授業を、インプットからアウトプットで成り立っていると位置づけてきている。
 
 1時間の授業で、インプットを設定し、アウトプットで完結させていく。
 
 算数の授業では、インプットが例題指導であり、アウトプットが類題、練習問題である。
 だから、教科書によって、類題、練習問題が不足していれば、それを先生問題として補っていく必要がある。
 
 ここでの大きな課題は、インプットからアウトプットへつなげていくものは何かということであった。
 
 ここは考え込んだわけである。
  ★
 私たちが考えたのは、「ときかたハカセ」であった。
 
 例題指導で、1問の解き方をまとめ、マニュアル化する(この順番に解いていけば類題や練習問題が解ける)。
 これがインプット。
 
 そして、このマニュアル化した「ときかたハカセ」で類題、練習問題に挑戦する。
 これがアウトプット。
 
 これで1時間を完結させようと。
 だから、教科書を教えるための課題は1つ。
 「ときかたハカセ」を例題指導の中間まとめとする。
 これだけ。
 
 「日常授業」に多くを求めない。
 70点の授業でいい。
 
 80点以上の「ごちそう授業」を作ろうとしたら、もちろんこれだけでは成り立たない。
  でも、これだけでいい。
 「味噌汁・ご飯」授業なのである。
 
 ただ、「ときかたハカセ」の作成には、ちょっと時間がかかる。これが10分ぐらい。
 あとは教科書通り。
 
 「ときかたハカセ」はABCという設定にした。
 8割方は、教科書の例題のところに書いてある。
 
 それをそのまま「ときかたハカセ」にすればいい。
 しかし、書いてない場合が必ずある。
 
 そのときが教師の腕のみせどころなのだが、慣れてくるとうまく設定できるようになる。
  ★
 「ときかたハカセ」とは何か。
 もう一度、国語の福嶋隆史さんの言葉を引用する。
  ★ ★ ★
 「考える授業」と「考える力を伸ばす授業」は異なります。
世の中の「考える力を伸ばす授業」と呼ばれるもののほとんどは、考える力を伸ばしません。
それは単に(無意識に)「思考する授業」に過ぎません。
大切なのは、「思考技術を体系的に与え、それらを意識的に使えるまで練習させる」ことです。
ただ思考させればいいのではありません。
スポーツでも料理でも音楽でも美術でも演劇でもなんでも、全く同じことです。
技術を与え、その技術を使いこなす能力(=技能)を高めさせること。これが肝心です。
  ★ ★ ★
 ここには大きなヒントがある。
 
 ただ考えさせるだけで思考力がつくと、そんなに簡単なことではない。これははっきりしている。
 「思考技術を体系的に与え、それらを意識的に使えるまで練習させる」と。
 これが「考える力を伸ばす授業」と。
 
 私たちは、「ときかたハカセ」で、問題を解く技術を与え、それを使って類題、練習問題に挑戦させる。
 そのプロセスを積み重ねて、子供たちに思考力が育ってくると考えている。
 
 私は、『「味噌汁・ご飯」授業 算数編』(明治図書)で、以下のように書いた。
 ★ ★ ★
 「算数」でやることは、「数学」への橋渡しです。「数学」では本格的な「数学的思考力」の追究をします。そのための「基礎トレーニング」です。私たちは、学習指導要領に基づいて作成された教科書を教えていきます。その中で、子供たちに、類題・練習問題を自力で解かせながら、その過程で思考力などが養われると考えています。実際に問題を解く過程で、解き方を覚え、考える力を身につけていくのです。
 ★ ★ ★
                        (終わり)
 
 
 
 
 
 

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算数の授業ということ(3)~発想を変える~

   私は算数について深く研究してくることがなかった。

 と言っても、37年間ずっと算数の授業をしてきたのであるが……。
 
 算数に関する本はいくらか読んだことがあるが、特別に算数について研究したことはほとんどない。

 そこで、覚悟を決めて「味噌汁・ご飯」授業の算数編の本を出版するとき、その参考に、さまざまな算数本を読んでみようとした。

 有名な先生たちの本である。
 2,3冊読んで、「これは無理、無理!」と。
 
 別に内容がひどいというわけではない。その反対。
 良すぎる。
 なるほど、なるほどとうなずく。
 
 でも、2,3冊で止めてしまった。
 この種の本をいくら読んでも、まったく参考にならないと分かったからである。

 これらは、本格的に算数を勉強しようとしたり、本格的に算数を研究しようとしたりする人たちの本。
 いわゆる「ごちそう授業」の作り方を書いてある。
 
 多くの普通の先生たちの「日常授業」とあまりにもかけ離れている。

 多くの小学校の教師たちは、算数だけを授業しているわけにはいかない。他の教科も教えなくてはならないのである。

 明日の授業準備にささやかな時間しかない。
 いやいや、ほとんど授業準備をしないままに教室に行って、「ぶっつけ本番」授業の場合だってやっているわけである。

 多くの普通の先生たちの日常に耐えられる算数の授業を考えようとしみじみと感じる。
 それが「味噌汁・ご飯」授業であるから。
 ★
 発想や考え方を変えなければならなかった。
 
 「味噌汁・ご飯」授業の原点は、最後の勤務校での実践である。
 最初に受け持った5年生は、算数は最悪で、かけ算九九がまともにできない子供たちがクラスの三分一ぐらいいた。
 算数嫌いもいっぱい。

 こんな中でまともな5年生の算数授業ができない。
 学校自体が低学力にあえいでいる中で、こうなっていたわけである。

 2年目から「算数を重点研究にしましょう」と呼びかけ、算数への挑戦を始めた。
  まず、計算力をなんとかしなくてはならない。
 
 学校全体で取り組んだことは、授業の最初の5分間を「計算タイム」にすること。
 百マスの計算プリントを印刷室に常備しておいて、それを使って計算練習をさせる。
 
 使い方は、先生たちを集めて推進委員会が模擬授業をして徹底する。
 ※百マス計算は、『徹底反復百マス計算』(小学館 陰山  英男著)を参考にさせてもらった。

 1年から6年まで、最初は繰り上がり、繰り下がりの計算から始め、中高学年は、わり算まで行くというコース。

 私は、1時間の授業を以下のようにした。
 学校全体では、①だけが統一されていた。

 <4段階分割指導法>
 ①計算タイム(5分)…百マス計算
 ②前時の復習タイム(5分)…復習テストを作る
 ③本時(30分)…教科書を教える
 ④スキルタイム(5分)…スキルに挑戦

 1分の無駄もなく、トントンとテンポ良く進む。
 
 本時は、30分しかない。
 どうするか。
 教科書をそのまま教えていく以外にないわけである。
 
  この実践の成果は大きかった。
 子供たちができるようになってきたのである。
 特に、低学力児の進歩が大きかった。
 私のクラスは、テストの平均が90点以上という状態を作れるようになっていった。

 学校全体で3年間算数の研究をして、高学年で基礎計算ができない子供たちがいなくなっていったわけである。
 計算タイムの効果は大きかった。(つづく)
 
 
 


 

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つれづれなるままに~これから網走へ~

●知り合いが亡くなった。

 難病になっていて、定年前に退職され、14年目だったということ。73歳。
 葬儀は近親者で行われた。
 
 以前の学校で副校長として勤務されていて、そこで一緒だった。芸術家で、画家であった。
 
 私が70歳になって、古稀になった知らせを送り、その知らせから1ヶ月後に亡くなったということ。
 あっけないものである。
 
 周りで多くの方が亡くなり、訃報のはがきが届く。
 私もそんな歳になっている。

●『みおつくし料理帖』で多くの読者を獲得した高田郁という小説家。
 最近、高田郁の『あきない世傳金と銀』(門川春樹事務所)を読んでいる。
 
 主人公幸が、その商才を生かして商売にのめり込んでいく、
その様を描いているのだが、これがおもしろい。
 
 ちょこちょこと読むだけ。
 一日がウキウキする。
 
●これから北海道の網走へ行く。
 その準備に追われる。
 
 きっと寒さと雪に覆われているのであろう。
 
 網走小の公開授業研究会に参加し、講演をすることになっている。
  この学校は、『日常授業&校内研修ガイドブック』(明治図書)を出版している(私が監修という形になっている)。
 
 訪問するのは、もう5回目ぐらい。
 先生たちは授業がうまい。
 子供たちも素晴らしい。
 
 さて、今年はどんな授業を見ることができるのか、楽しみである。
 
 

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算数の授業ということ(2)~単に「考える授業」をしているだけ~

 

問題解決学習は、「思考力」を付けるために行われていると書いた。

 本当に思考力がついているのか、と疑わしいとも書いた。
 実は、私も30代の少しの間、問題解決学習をやっていたときがある。
 だから、実際に経験しているわけである。
 その時は、ただやっていたというだけで実際に思考力がついているかどうかはまったく検討の対象にはなかった。
 そんなことを考えもしていなかった。
  ★
 問題は、思考力をつけるということはどういうことかということになる。
 国語の福嶋隆史さんはこのことについて以下のように書かれている。
 ★ ★ ★
 「考える授業」と「考える力を伸ばす授業」は異なります。世の中の「考える力を伸ばす授業」と呼ばれるもののほとんどは、考える力を伸ばしません。
 それは単に(無意識に)「思考する授業」に過ぎません。大切なのは、「思考技術を体系的に与え、それらを意識的に使えるまで練習させる」ことです。
 スポーツでも料理でも音楽でも美術でも演劇でもなんでも、全く同じです。
技術を与え、その技術を使いこなす能力(=技能)を高めさせること。これが肝心です。
そのためには、アクティブラーニングなんぞをやっている場合ではありません。
 ★ ★ ★
 最後の言葉は、厳しいが、考えさせられる。
 ★
 問題解決学習は、教師が最初に課題を与え、子供たちは既習事項を生かして、「課題」について自力解決をする。
 この「自力解決」をさせることが、この学習をやっている教師たちは、「思考力をつける」と思っているはずである。
 これは単に「思考する授業」に過ぎない。
 「思考力を伸ばす授業」にはならない。
 
 つまり、「考える時間を与える」→「思考力がつく」と簡単に考えているのである。
 
 しかし、私が実際に見た問題解決学習の算数授業は、「思考する授業」にもなっていなかった。
 先生の課題に対しての「自力解決」の時間。
 教科書は出していない。
 先行学習をしている子供は、その予想を書いている。
 でも、まったくアウトの低学力の子供は、ただ時間が過ぎるのを待っているだけ。
 これが「思考する」時間。
 そして、課題解決は、先行学習している子供が、習ったこと(教科書に書いてあること)を黒板に発表する。
 数人が発表する。
 先生は、教科書に書いてあることでまとめていく。
 
 ところが、大変な時がある。
 課題に対して多くの予想が出されたとき。
 これはその後の全体会で「予想が多く出て、子供たちはよく考えていました」という意見になる。
 ところが、先生は大変である。
 この予想の吟味を子供たちにやらせようとするとごちゃごちゃになる。
 だから、先生が最後に予想の1つ1つを吟味して、「これはむずかしいですね」と切っていかざるをえない。
 とにかく、最後は教科書に書いてあるものでまとめなくはならないからである。
 時間が延々とかかる。
 そして、1問だけで45分が消化されていく。
 練習問題は宿題になる。
 
 真面目に問題解決学習をやろうとすると、毎時間がこんなことになる。
 授業が進まず、完全に算数の時間が大幅に不足する。
 
 実態は、指導書で1時間ごとに設定している時間をきちんとこなしていかなければ不足するのは明らかだから。
 それでも、指導書はテストの時間やテスト返却の時間をとっていないので、きちんとやっても20時間ぐらいは不足する。
 問題解決学習をやっている先生たちは、どうしているのだろうか。
 
 テストの成績はどうだろうか。
 もちろん、学習塾などに行っている子供たちは、普通のテスト問題は解けるので、授業に関係ないが、問題は、そこへ行っていない中位の子供や低位の子供である。
 その子供たちは、本当に算数の学習が好きになり、学習ができるようになっているのだろうか。
 
 最大の問題は、そのような授業をして、本当に子供たちは「考える力」が育っているのかということ。
 単に、「考える授業」をしているだけではないかということになる。(続く)

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算数の授業ということ(1)~問題解決学習ではないか?~

  「ときかたハカセ」への応募が殺到して、大変なことであった(笑)。

 算数について多くの先生たちが悩んでいる状況がある。それがよく分かる。

 教科好き嫌いのアンケートをとれば、ほとんどトップにくるのが、算数ということになる。
 いかに嫌われている教科かがよく分かる。

 それはそうであろう。
 算数ができないという子供がいて、なかなかできるようにしてあげられない。
 できないままに上の学年に上げていく。
 その子供たちは、二度と算数ができるようにはならない。
 ほとんど低学力児のままで過ごしていくことになる。

 どうしてこうなったのか。
 それは、はっきりしている。

 日本の多くのところでやられている算数学習が、問題解決学習だからである(もちろん、ちゃんと問題解決学習で子供たちを引き上げておられる先生もいる)。
 私はそう判断している。

 若い先生たちに聞けば、問題解決学習と違うやり方をやろうとすると、ベテランの先生から「問題解決学習でやりなさい!」と指導されるという。
 特に、初任者の場合はそうなる。

 研究授業で、問題解決学習と違う授業をやると、批判の集中砲火を浴びる。
 だから、研究授業だけは、問題解決学習もどきの学習をし、それ以外は「味噌汁・ご飯」授業でやっていますという先生たちがいる。

 批判される観点はほとんど1点だけ。
「その指導では、子供たちが『思考力』がつかない」というもの。
 思考力をつけるために、問題解決学習をやっているのである。

 しかし、ほんとに「思考力」がついているのか。
 それは何でどのような形で評価されているのか。
 それが分からない。

 「テストの成績がぐんぐんあがっています」と資料を示されるなら、了解もできる。そのテストには、思考力を評価する問題もあるからである。
 
 でも、ほとんど何の変化もなく、ただやっているだけではないだろうか。
 相変わらず「できる子供」はできる、「できない低学力の子供」はできない。
 それを繰り返しているのであろう。
 
「できる子供」は、教師の授業ではなく、学習塾や通信講座などで先行学習ができている子供の場合が多い。
 結局、この子供たちに支えられて授業が進んでいっているに過ぎないのではないか。
 こういう風に邪推してしまう。

 問題解決学習も1つの学習の方法論に過ぎない。
 1つの方法は、子供の状態によって成り立つこともあり、成り立たない場合があるということに過ぎない。
 
 このことをあまりにも考えなさすぎている。
 最初から「算数は問題解決学習でなければならない」と決めてかかっている。
 なぜ、そんなことがまかり通っているのであろうか。
                                        (つづく)
 

 
 

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「ときかたハカセ」はもう終わりです!

   

「ときかたハカセ」の残部がなくなりました。東書①②③です。

 まだ、教育出版⑤、啓林館⑥はあります。
 増刷分もなくなりましたので、これで終わりにします。
 ありがとうございました。

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再び「ときかたハカセ」についての連絡です!

「ときかたハカセ」をさしあげますというブログを書いたら、すぐに多くの方から連絡がありました。
 
 もっと早く気づけばよかったと後悔しました。
 私たちは、50部作成して、10月21日のセミナーでお分けした残部を私のうちにそのままにしておいたのです。
 セミナーに参加したくても遠い方の参加は無理だった方があり、「ときかたハカセ」を送付する手があったのだと気づきました。
 ★
 そこで連絡があっているのですが、申し込みの内容が書かれていない方があり、メールに連絡しています。
 連絡をもらえる方は、次のことをよろしくお願いします。
 1 住所(郵便番号からお願いします)
   名前(ペンネームではなく本名)
  2 送付物(番号で連絡してください)
 いずれも10月中旬~3学期末単元
 ①東京書籍版 1年・2年算数「ときかたハカセ」
  ②東京書籍版  3年・4年算数「ときかたハカセ」
 ③東京書籍版 5年・6年算数「ときかたハカセ」
  ④教育出版版 5年算数「ときかたハカセ」
  ⑤啓林館版  6年算数「ときかたハカセ」 
 

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「ときかたハカセ」が必要な方はさしあげます!

 

算数の「ときかたハカセ」について問い合わせが何度かありました。

 私の手元には、算数の「ときかたハカセ」の冊子があります。
 10月21日のセミナーでお分けした残部です。
 あのときのセミナーに参加しなかったけれども、ぜひとも「ときかたハカセ」だけでももらいたいという方は、私の方へ連絡ください。
 この「ときかたハカセ」は、研究会メンバーが個人で作成したものですので、あくまでも参考として考えてください。
 
 連絡方法
1,ブログのコメント欄にほしい旨の連絡をください。
  そこには、送ってほしい住所を書いてください。
  このコメントは、公開をしませんので住所が明らかになることはありません。送付したあとは、消去します。
2,私の手元にあるのは、以下のものです。
    いずれも10月中旬~3学期末単元
 ①東京書籍版 
                1年・2年算数「ときかたハカセ」
                3年・4年算数「ときかたハカセ」
        5年・6年算数「ときかたハカセ」
 
  ②教育出版版 5年算数「ときかたハカセ」
 
  ③啓林館版  6年算数「ときかたハカセ」
3、私の方で住所に送ります。
 折り返し
  切手代+冊子代(100円です。切手で送ってください)
 を送ってください。 

 

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