日記・コラム・つぶやき

つれづれなるままに~近視が良くなった!~

  ●義妹のお父さんが亡くなった。

 93歳。老衰で亡くなられた、と。
 もう十分に生ききったというところだろうか。
 
 一度A市を訪問したとき、案内をしてもらったことがある。
 その市の教育長をやられていたのである。

 会葬のお礼が来た。
 その中に思い出が書かれている。

 「どなたに対しても温かな心で接していた父は、晩年お世話になっていた施設や病院のスタッフのお名前を全部覚えていたのです。“名前で呼ばれた方が親しみやすいだろう”きっとそんな気遣いに溢れていたのでしょう。現役時代は誠実に教育の道を歩み、心を尽くした幾歳月。今も印象に残っているのは父の優しい微笑みです。家族はもちろんのこと、関わってきた全ての方々一人一人を尊重し、その個性を大事にしておりました。……」

 このようなハガキには、決まり切った常套文句しかないのが普通だが、心こもった言葉が添えられていた。

 このハガキを読みながら、人生にはいつも「主戦場」があるのだと、つくづく思った。

 「晩年お世話になっていた施設や病院のスタッフのお名前を全部覚えていたのです」と。

 普通、こういうことは誰でもができることではない。
 常に目の前の課題に真剣に取り組んでいる人にしかできない。

 最後まで教育者として貫き通されたのだ、と。

 ふっと一陣の風が吹き渡っていく。
 
 過去も、未来も、そんなものうっちゃっていいのだ。
 目の前の、自分にできる課題に取り組めばいいのだ。

●眼鏡やへ行く。
 最近、遠近両用の眼鏡が合わなくなっている。
 近くが合わないのである。

 眼鏡をかけながら、本が読めない。
 仕方なく、眼鏡やへ行ったというわけである。

 調べてもらう。
 その結果、思いがけないことを言われた。

 「近視の方が良くなっているのです。
  それで近くの方とバランスが悪くなって、近くが見えに くくなっているようです。近視の方は4度ほど軽くしてお きましょう」と。

 今になって近視が良くなるというのはどういうことだろうか。
 パソコンや読書でかなり目を酷使しているはずなのである。
 
 思いついたのは、「両手振り体操」。
 健康法として毎日やっている。
 朝、500回(10分)、夜、500回、合わせて毎日1000回は振っている。 
  多分、これが効いているのであろう。
  様々な病気に効くと言われている。

 https://matome.naver.jp/odai/2136133519411366001

  この健康法を教えてやった知り合いの方で、五十肩が治ったという報告を受けた。

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どうすれば授業はうまくなるのか(11)

      どうすれば授業はうまくなるのか(11)

                         ~「全員参加」の授業づくり~
 
  1,簡単な授業準備。
  2,基礎学力保障のための「授業づくり」。
  3,全員参加の「授業づくり」。

3 全員参加の「授業づくり」。
 学力向上を図る「70点の授業づくり」について書いてきた。
 いよいよ最終回になる。
 
 さて、最後は、「全員参加」の授業づくりになる。
 
 ここで最初にはっきりさせておかなくてはならないこと。
 それは、授業の「主体」は、誰であるかということ。
 これである。
 
 講座などで先生たちに聞くと、ほとんど「子供」という答えになる。
  「学習の主体は、子供ですけど、授業の主体は、教師でなくてはなりません」とはっきりさせる。
 
 なぜか。
 それは、授業には、本時の目標があり、それを達成させるのは、教師以外にないからである。
 
 だから、教師は、意図的に授業を作らなければならない。
 
 ここを勘違いするから、授業で子供たちを司会役にさせたりして、教師はできるだけ話さないように心がけようとする。
 
 「授業の主人公は、子供である」と。
 活発に子供が話し合い、討論し、活動をすれば、それで満足する。
 見栄えは良い。
 
 私も、若い頃そんな授業に憧れてきたので、えらそうには言えないが、自己満足にしか過ぎなかった。
  ★
 私たちが主張する「全員参加」の考え方には、子供たち一人一人をいかに育てていくかの思想が込められている。
 
 自分の考えを持つこと。
 それを言語化すること。
 他者に伝えられること。
 
 このような子供たちを育てようとする。
 そのためには、外向的な子供ばかりに挙手発言をさせるような授業ではダメである。
 
 内向的な子供にも、自分の考えを表明できる場が必要。
  それを意識的に教師は、授業で作らなければならない。
 
 授業は、「強制」によって成り立つ。
 これは厳しい言葉だが、当たり前なのである。
 
 だから、「味噌汁・ご飯」授業は、授業で全員参加をさせる授業を意図する。
 挙手もあるが、どんどん指名をする。
 
 列指名、名前指名、男女別指名、……。
 また、ペア相談―発表、グループ相談―発表もある。
 ★
 もう1つ。
 「全員参加」の考え方に付け加えたいことがある。
 
 それは、全員参加は、全員を授業に参加させるということだけではなく、低学力児を中位に上げていく(できれば上位に)手立てを取ることである。
 これについては、繰り返さない。
  ★
 「学力向上を図る70点の授業づくり」をまとめたい。
 
 ①簡単な授業準備をする
 ②分割システムを整える
 ③授業の基本型(指導言―活動―フォロー)で授業をする 
 ④全員参加の授業にする
 
 この4つをシステム化すればいいのである。(完)

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どうすれば授業はうまくなるのか(10)

  どうすれば授業はうまくなるのか(10)

                    ~「授業づくり3原則」で授業をする~
 
 「学力を高めるための70点の授業」をどうするか。
 以下の3つを実践することだと書いた。
   1,簡単な授業準備。
  2,基礎学力保障のための「授業づくり」。
  3,全員参加の「授業づくり」。
2、基礎学力保障のための「授業づくり」
 
 2つのことを考えている。
 ①授業のカタチを作る
 ②授業の基本型を作る
 ①については、2つのことを行う。
 
 A 学習規律を整える
  私は、すでに初任者向けに以下の10箇条を提起している(『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』明治図書)。この中で、必須なのは、「ノート指導の徹底」になる)
 
     1 挙手はきちんと
  2 名前を呼ばれたら「ハイ」と返事
  3 机上の整理をさせよう
   4 机の中の整理・整頓をきちんと
  5  筆入れの中味を整える
  6 ノート指導の徹底
  7 発言を整えよう
  8 授業時間を守る
  9  ノートを先生に提出するとき
  10「どうぞ」「ありがとう」の言葉かけ
 
 B 分割授業(ユニット制)を推進する
  それぞれの教科には、どうしても必要な基礎・基本がある。例えば、国語では、漢字、音読などである。算数で言えば、計算や前時の 復習をすることなど。
    それは、まとめて取るということではなく、ちょこちょこと毎時間取っていかなくてはならない。そうしなければ、定着は難しい。
 
  例えば、国語は次のようになる。
   ○音読(5分)
   ○漢字(5分~10分)
   ○本時
 
  ②の授業の基本型である。
   これについては、「授業づくり3原則」という提起をしている。
   授業についての基本型をもっていなくては、「日常授業」を乗り切っていくことは難しい。
 
  この基本型に従って、授業を作っていく。
  ほとんどの教師が、この基本型を持っていない。
  ずっと指導書を頼って授業をしてきた後遺症である。
 
  「授業づくり3原則」とは何か。
 
   指導言(縦糸)―活動―フォロー(横糸)
 
  指導言とは、発問、指示、説明。これを使って、私たちは授業をしている。
  インプットである。「教える」ことが中心になる。
 
  そのあとに、「活動」を入れる。 
    私たちは、「アウトプット」の活動と言っている。
 
  これを入れないと、子供たちは「考えたり、相手に自分を意見を伝えたり、自分を表現したり」できない。また、インプットしたことを定着させることもできない。
 
  そして、最後に子供たちの活動に対して、「フォロー」を入れる。
  「フォロー」とは、ほめたり、認めたり、励ましたりが中心である。
 
  「学級づくり3原則」を提起した時、その中心になるのは、「関係づくり」であった。これは、縦糸と横糸をバランス良く張っていく手立てになる。
  実は、この「授業づくり3原則」も、縦糸と横糸をバランス良く張っていく手立てになる。 
   指導言が縦糸張り、フォローが横糸張り。
 
  ところが、多くの先生方は、縦糸を張りすぎるほど張る。その典型が「おしゃべり授業」。
   横糸のフォローがあまりにも少ない。
  ほとんど入れていない。
  授業のバランスが悪くなる。
  「おしゃべり授業」をやっていては、フォローが入れないのである。
 
   フォローを入れるためには、「活動」を入れなくてはならない。子供たちに活動をさせて、その様子でフォローを入れるからである。
    ★
  私たちの研究で、はっきりしてきた「実践」が1つある。
 
  私たちの授業は、ほとんどが「つまらない」ものである。
 
  でも、この「つまらない」を、そのまま「つまらない」ままにしておくことはできない。子供たちはどんどん逃げていっている。
  「手応えのある」ものに変えていかなくてはならない。子供たちが「集中する」授業。
 
  いつのまにか子供が「集中する」。
  そのような授業。
 
  手はある。
  「小刻み活動法」。
  昔「スモールステップの繰り返し」と言われていたものである。
  どうするか。
 
  指導言を投げかけたら、できるだけ早く「活動」に変える。そのように授業を組み立てる。
  間違いなく、子供たちは集中してくる。
 
  子供たちの体は、意識的ではなく、体を動かすことにすごく反応する。無意識的である。
   だから、小刻みに活動を入れれば、否応なく反応する。
 
  そうなっている。
  小刻みに活動を入れると、定着も早い。
  副作用はない(笑)。
 
  使わない手はないではないか。
  だから、教師の指導言で「教え」、「活動させ」、そして「フォロー」を加える。これを小刻みにする。
  ただ、これだけである。
 
   

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どうすれば授業はうまくなるのか(9)

     どうすれば授業はうまくなるのか(9)

                                 ~簡単な授業準備とは?~
 
 さて、さて「70点の授業」づくりについて書いていきたい。ずいぶん回り道をした。 
  「味噌汁・ご飯」授業では、次の3つのことを実践していくことが学力向上へつながっていくこととして考えている。

  1,簡単な授業準備。
  2,基礎学力保障のための「授業づくり」。
  3,全員参加の「授業づくり」。

1 簡単な授業準備
 まず前提にあるのは、授業を準備する時間が限られているということ。
 教師の仕事は、もともと忙しいものだが、今はさらに過酷になっている。
 繰り返すが、先生たちは、授業で一番手を抜いている。
 他の仕事が忙しくて、授業までにたどり着かないといった方が正確である。
 だから、私たちは1教科で10分ぐらいしか準備する時間がないと言っている。それさえもやっていない。
 せめて、そのくらいの授業準備をしましょうということである。
 指導書が頼りになる(所詮この指導書も誰かが作っているのである)。
 しかし、いつまでもこれに頼っていると、自分で授業を作っていくことができなくなる。
 いかに、指導書から離れていくか。しかも早い時期に。
 そのことが望まれる。
 
 では、どうするか。
 教科書を教えればいいのである(「教科書で」ではない)。
 教科書ほど洗練された教材はない。
 「日常授業」は、教科書を教えればいい。時間があれば、教材の工夫をした方がいいが、日常に、どだいそんな時間はない。
 だから、教科書を読む力をつけなければならない。
 
 指導案も、いつもの指導案は作れない。
 あの指導案は、研究授業用に成立しているものである。日頃は、メモ書きで行う以外にない。
  ★
 さて、その10分程度でどんな授業準備をするかになる。
 
 「味噌汁・ご飯」授業を実践した北海道の大曲小学校は、
 その10分間で「学習課題」を検討していた。

 「味噌汁・ご飯」授業の算数では、指導メモというカタチの指導案を作り上げた。
 そこに手書きでメモをしていく。
 そこにキーポイントになる「ときかたハカセ」を書いていく。
 この「ときかたハカセ」を10分間で考える。
 あとは、教科書通りに教えていくのである。
 
 註 この「ときかたハカセ」について書いていくとまた長くなるので、7月刊の本を参考にしてほしい。
 ★
 10分程度の授業準備をしても、小学校は5教科で1時間近くかかる。
 これだけでも、この時間を生みだしていくことは大変なことである。
 
 それでも、この時間を生みだしていく気概がないと、「ぶっつけ本番」授業に流れていくだけである。

 仕事術である。
 これを考えないと、いつまでも同じようなことの繰り返しではどうしようもない。
 独身の時は、学校に遅くまで残っておられたが、そんな時間はいつまでもない、と思わなくてはならない。
 いずれにしても、この授業準備の時間を取ることが、先生たちの大きな関門であることは間違いない。

 


 

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ヨッシー先生のコメントに応えて

 ヨッシー先生が久しぶりにブログにコメントされている。

 今ブログで連載している「どうすれば授業はうまくなるのか」に応えてもらっている。
  ★ ★ ★
 野中先生
お久しぶりです。四年前に何度もこのブログでお世話になったヨッシーです。今は、異動四年目、中核として頑張っています。
授業力の向上、とても同感です。四年前に異動して六年、学級が荒れに荒れ、その時に本気で学ばなければこれから生きていけないと思い、毎月、また、可能な土日はセミナーなどにも出かけ学んできました。
今は、日常授業で教材・教具をフルに活用し、授業を分割して小刻みな活動をいれながら、日々の授業を行っています。
あの時にこのような知識や技能があったならば、もう少しは上手く出来たのではないかと今になって思います。ただ、あの時があったから本気で学ぼうと思い、今があるのだと思います。とても辛い時期だったけど、あの時の六年生には申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、今、私の学校では今年度から研究授業の教科が『体育』になりました。そして、昨日、指導主事の先生をお招きして講演会がありました。ところが、その先生は、15時45分~始まるのに15分前に来校し、プリントを裏表で5枚を人数分印刷を要求し、終了は17時と勤務時間を15分オーバーしての講演終了。ほとんどの先生は、講演中寝ていました。残念ながらそれくらい、日常授業とかけ離れた話をされていたということだと思います。
このような時間が現場の多忙化に繋がっている原因の一つかと考えています。
その後、更衣室で同僚と冗談半分でこんな会話をしました。
「指導主事にも現場職員からの総選挙でもあればいいのにね」と。
これは冗談ですが、こうすればきっと現場のニーズに合った指導主事だけが残り、よっぽど為になる研修が増えるのではないかと思います。やはり、現場の先生は日常授業に直結する話や知識を求めています。きっと寝てしまっている先生たちも自分ごととして考えられれば、身を乗り出して聞くのではないのかと思います。
ということで、まとまらない文章で申し訳ありませんが、要するに『現場はまだまだ出来もしない体裁のよいご馳走授業を求めている』というのが、現状です。
乱文乱筆乱文お許しください。今後も野中先生のブログ、楽しみにしています。
投稿: ヨッシー
  ★ ★ ★
 ヨッシー先生は、重要なことを書いておられる。
  自分が受け持たれた6年生が荒れに荒れて大変な事態になった経験がある。
 それを克服して、以下のように書いておられる。
 「今は、日常授業で教材・教具をフルに活用し、授業を分割して小刻みな活動をいれながら、日々の授業を行っています。
 あの時にこのような知識や技能があったならば、もう少しは上手く出来たのではないかと今になって思います。」
 まさに「味噌汁・ご飯」授業である。
  ★
 もう1つは、指導主事の問題。
 このブログも、読んでもらっている指導主事の先生たちが数多くおられる。
 ヨッシー先生が指摘されている指導主事のえらぶった態度をどう思われただろうか。
 
 私が知っている指導主事の先生たちは、優秀である。すぐれた授業者でもあった。
 でも、もう少し現場でこだわってほしかったという願いがある。
 今は、もう30代で指導主事になる。
 
 指導主事は、各学校現場を周り、さまざまな話を先生たちにされる。
 誰でもが静かに聞く。反論などは一切ない。
 だから、受け入れられているとだんだんと勘違いをする。 このことに慣れてくると、いつのまにかあのえらぶった態度が身に付いてくるのである。
  ★
 私は信頼する指導主事の先生たちへは口にすることがある。
 「授業をやりなさい!」と。
 もう口舌では、先生たちには伝わらない。
 聞き飽きている。
 子供たちに、私たちの言葉が届かないのと同じように、先生たちにも、もう指導の言葉は入らないのである。聞いているそぶりをしているだけだ。
 
 本気になって先生たちに伝えようと思っていれば、やはり授業で伝えなければならない。
 現場の教師たちは、そこでしか受け入れてくれない。
 
 授業をしたいと思っている指導主事はいるのである。
 しかし、教育委員会が止めている場合が多い。
 
 もし、たいした授業でなかったら、委員会全体がダメだと思われてしまうということである。
  指導主事も、委員会全体を背負って授業をするなどとは、とても思えないわけである。
 
 今、教育委員会から呼ばれることが多くて、指導主事の先生たちと付き合うことも多い。
 過酷で、大変な仕事に振り回されていることが分かる。
 上からの指示で動くだけで、重労働である。
 とても、とても、授業をするなんて、とんでもないというのが実態である。
 ★
 横浜で37年間教師をやったが、一度も指導主事の授業を見たことがなかった。
 指導主事訪問など定例行事の1つにしか過ぎなかった。
 
 指導主事とは、どんな意味があるのか。
 学校現場にとって、今どんな意味があるのか、もう一度原点に返って問わなければならないはずである。
  ★
 私は、学校訪問をするときには、必ず授業をさせてくださいとお願いする。
 授業ができなくなったら、もう私が今やっている仕事は終わりである。
 
 「ごちそう授業」はしない。
 70点の授業をする。
 だから、たいした授業ではない。
 「味噌汁・ご飯」授業が、たいした授業であるわけがない。
 
 それでも、「提案のある授業」をする。
 「このように授業を変えていくべきである」と授業で提案する。
 うまくいかないときもある。
 でも、それでいいではないか。
 
 講座で主張することを、授業でやってみる。
 ただ、これだけである。
 「現場で生きる」というのは、これだけのことである。
 
 広島の福山で、横藤雅人先生や中村健一先生と一緒に講座を持つ。
 私は、「日常授業」についての提案になる。

 できれば、この講座でも、「味噌汁・ご飯」授業をしたい。 もちろん、先生相手の模擬授業になる。

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どうすれば授業はうまくなるのか(8)

 どうすれば授業はうまくなるのか(8)

               ~学力向上の本質とは?~
 
 もう一声、あえてここで付け加えておきたいことがある。
 学力を、私たちは、学力=テストの点数 というようにとらえている。
 これには、なかなか賛成できないという先生がいる。
 
 「だって、学習では、テストに表れない学力があるじゃないですか!作文だって、表現力だって、…その学力の方が、大切じゃないですか!」
 「今、アクティブ・ラーニングって盛んに言われていて、思考力、判断力、表現力を高めようとされているじゃないですか。これって、日頃のテストには表れてこないん  じゃないですか?」
 もっともな疑問である。
 このことについて、以下のように答える。
 
 ①テストに表れない学力で大切な学力があることは
  もちろんである。それは、授業で追究していく以外に
  今のところはない。
 
 ②アクティブ・ラーニングで問題にされている「思考力、判断力、表現力」の大切さも分かる。でも、これはいずれテストが表れてくる。点数で測られるようになるはずである。大学入試では、記述テストとして登場する。 
   でも、今のところでは、普通のテストでは測れないので、授業で追究する以外にない。
 
 ③だが、今まで重要視されてきた「知識・技能」も、必要がなくなるわけではない。これからもしっかりと「不易な学力」として追究されなければならない。
    ★
 もう1つ、はっきりしておきたいのは、「点数、点数」と言ってくると、点数を上げることばかりが中心になって、目の前の子供たちを育てるという課題が置き去りにされるのではないかという危惧である。
 
 確かに、そういう危惧が出てくる恐れがある。
 目標と手段を一緒にしてしまう勘違いである。
 
 私たちは、「点数主義」と言っている。
 点数はあくまでも「手段」である。
 
 テストの点数を上げていく目標は、勉強が楽しくなって、もっと勉強をしていこうという「意欲」と、勉強がおもしろくなってきて、できるようになってきたという「自信」を育てていくことである。
 学力を上げていくことの本質には、この意欲や自信を育てていく目標がなければならない。
 これを忘れてはいけない。
 目標と手段をごちゃまぜにしてはならない。
 
 あえて、このことを付け加えておきたい。
                    (つづく)
 
   

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どうすれば授業はうまくなるのか(7)

   どうすれば授業がうまくなるのか(7)


 70点の授業ができる教師になりたい。
 そのように問いかけた。

 今、学力保障ができない授業をしている先生も、ちょっとした努力で、この領域にはいける。
 ただ、問題は、そういう意識になれるかどうかである。

 「学力向上」を図る「70点の授業」づくり ということになる。
 そのためには、まず毎日の授業で1時間だけ、意図的な試みをすることである。
 これを、1年間続ける。
 2年目、3年目には、2教科、3教科、……、と広げていくことになる。
  ★
 ここから「味噌汁・ご飯」授業として実践してきた成果が出てくる。

 題して「『学力向上』を図る『70点の授業』づくり」。

  その前に「学力向上」ということで、「学力」をどう考えているのか、ということについて言っておかなくてはならない。

 私たちは、テストの成績に出てきた点数(結果)を1つの「学力」と規定している。
 
 ここでは、なぜそのように考えているかは書かない。
 7月に『「味噌汁・ご飯」授業」算数編』(明治図書)が刊行される。
 そこに、私たちが考える「学力」について書いている。
 申し訳ないが、それを参考にしてほしい。
 ★
 ただ、はっきりしているのは、「日常授業」での学力は、
その結果として行う単元テスト(小学校は、業者テスト、中学校は、自作テスト)が中心になるはずである。

 それは、否定しようがないはずである。
 また、その結果のほとんどが、通知表の評価対象にもなっているのであるから、このテストがキーポイントになる。

 私たちは、学力向上としての目標を、2つ上げる。

 1つは、単元テストのクラス平均を、80~90点にすること。
 2つ目は、クラスにいる低学力児(10点、20点、30点を取っている)を、中位の程度(60点、70点など)に引き上げること。
  ★
 なぜ、80点~90点なのか。
 これは、テストの作成基準の平均がこれであるために、そのように設定している。

 クラスには、さまざまな条件を抱えている子供たちがいる。
 悪条件を抱えているクラスは、そんな平均点は上げられないのではないか、という声が出るであろう。
 確かに、クラスの条件が大きく影響をする。
  学期の最初は、そんなわけにはいかない。

 それでも、きちんとした「日常授業」の取組をしていけば、ほとんどこの平均をクリアできる。
 私たちの研究会のメンバーのクラスも、そうなる。
  70点の授業でいい。

 中には、90点以上のクラスが出てくる。
 きちんとした「70点授業のシステム」を意図的、計画的、継続的に進めていけばそうなる。
 ★
 なぜ、低学力児を、中位に引き上げることが目標になるのか。
 
 今、この子供たちは、クラスの中で放置されている。
 昔は(30年、40年前)、「落ちこぼれ」「落ちこぼし」として意識されて、何とかしようと教師たちは悪戦苦闘をしたものである。
 
 今は、ほとんどそんな風潮はない。
  無視されているか、何とかしようとしてもなんともできない状態である。

 私たちは何とかしようとする。
 そして、その「事実」を作り上げる。
 できるのである。
 
 10点、20点、30点しか取っていなかった子供が、60点、70点、80点になっていく。
 意欲的になる。
 
 家庭でも勉強するようになる。
 こんな子供たちを何人も、私たちの実践は生みだしている。
 
 子供たちが、自分の人生に挑戦できる、最低限の基礎学力の保障をしていく。
 それは、私たち教師の責務ではないか。
 

 
 
 
 


 
 
 


 

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どうすれば授業はうまくなるのか(6)

    どうすれば授業はうまくなるのか(6)


 授業がうまくなるには、意図的、計画的、継続的に何かをしなければならないと、書いた。

 何かとは何か。
 もちろん、自分が追究する課題である。

 もし「ひとかどの授業」をしたいと願うならば、どのくらいのことをしなければならないのか。
  「ひとかどの授業」とは、1000人に1人ぐらいのレベルの人ができる授業をイメージしていただきたい。

 そのためには、毎日5時間の授業を意図的、計画的に進めなければならない。
 学校の1年間を200日とする。
 200×5=1000時間
 
 一つのレベルをマスターするには、1万時間が必要だと言われている。
 そのためには、どのくらい継続しなければならないか。
 1000×10年=10000時間
 毎日、5時間かけて、10年の歳月がかかる。

 ★
 福山憲市先生は、こういう努力をもう30年以上続けておられるわけである。
 10年続ければ、1000人に1人の授業者になる。
 20年で1万人に1人。
  30年で10万人に1人。
 
 イイカゲンに推定していると思われるだろうが、やはりこうなる。
 
 ほとんど、途中で授業を止めて、管理職や指導主事になる先生がいるので、30年もこういう努力を続ける人はいない。
 人は、必然性がなければこの領域にはいけない。
 だから、福山憲市先生レベルには、なれない。
 
 評論家的になっているので、私の場合をはっきりしておきたい。
 私は、授業者として1000人に1人にもなり得ていない。
 授業者としては、普通であった。
 ただ、70点の授業はできていたと思われる。
 それくらいのレベルでしかなかった。
 ★
 この段階で、「もうあきらめた!」となるであろう。

 しかし、誰でもが福山先生にならなくていい。
 なろうとしてもなれないが…。

 でも、「70点の授業ができる教師」にはなりたいではないか。
 子供たちに学力保障ができる教師。
 クラスにいる低学力児を、中位レベルまでに引き上げていける教師。

 そういう教師にはなりたいではないか。
 「味噌汁・ご飯」授業は、そのような授業ができる教師を目指してきたのである。

 それはどうやって可能なのか?
                                  (つづく)
 


 
 
 


 

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つれづれなるままに~原因があって、結果がある~

●神奈川県の愛川町の中津小学校へ行く。

 もうここへは3年目。
 外国の子供たちが100名ぐらいいる。
 
  悪戦苦闘している。
 だが、先生たちは明るく、元気。
 
 最近、学力テストの成績も上がってきているという。
 先生たちの授業力が、みるみる良くなっている様子がよく分かる。
  ★
 3年生のクラスで授業をさせてもらった。
 楽しいクラスだった。

 授業やりながら、こんなに手応えがあるクラスも珍しいのである。どんどん授業に乗ってくる。

 最近は、自分の授業はICレコーダーで録音し、聞き直すようにしている。
 この授業も10回ぐらい聞いた。

 何度も聞くと、自分の授業の欠点と長所がよく分かってくる。

●知り合いの先生が、異動して学力が高いと評判の学校へいかれた。
 
 評判に反して、子供たちは落ち着きがなく、大変。学力も基礎学力が落ちていて、ひどいということ。
 
 どうしたことだろうと思っていると、何のことはない。
 この学校の子供たちは、4年生の頃からほとんど学習塾に通っていく。そこで学力を高めていく。
 
 結局こういうことなのだ。
 学校の先生たちは、ほとんど何もしていない。
 
 全部学習塾が、学力を高めてくれるわけである。
 
 親たちの声が聞こえてきそうだ。
「結局ね、学校に任せていたらダメよ。何にもしてくれないから。4年生ぐらいになったら、早く塾へやらなきゃダメよ」
 学力が高いと評判の学校の実態は、こういうことなのである。

 学習塾へ行けない子供たちはどうなるのだろうか。
 もうここでアウトということになる。

●栃木の足利フラワーパークへ藤の花を見に行った。
 今年一番の気温ということで、とにかく暑くて大変であった。

 ここの藤の花は、世界一であると評判。
 確かに、確かに。
 素晴らしい藤の花であった。

 冥土のみやげになったという思い(笑)。
 ただ、休みでもないのに、観光バスを連ねてやってくる外国の方々。人、人、人。
  藤の花というより、人を見に行ったという心境。

●道路を渡ろうと信号待ちをしていると、車が通り過ぎようとする前をいきなり自転車が渡っていく。
 「あぶないっ!」と。
 
 寸前で車が止まってくれた。
 若い青年(?)は、躊躇することなく、そのまま走り去っていく。
 
 見慣れた光景かもしれない。
 若い青年は、しょっちゅうこういうことをやっているのであろう。
 
 彼の将来、きっとどこかで大きな事故に遭う恐れがある。
 多分、そんなことが分かっていない。
 ★
 斎藤一人さんの本に『絶対よくなる!』(PHP)という本がある。
 その中で斎藤さんは書いている。
  ★ ★ ★
 「思いもよらない出来事に自分は遭遇して、ガク然とした」と言ったり、思ったりするのです。
 でも、本来、自分に起きることは起きるべくして起こる。必ず原因があります。何もないところから、その現象が起きているのではありません。
 偶然、起きた“こと”はないのです。原因があって結果があるのです」
 ★
  「“いいこと”もそうです。“いいこと”も、たとえば「たいしたことないだろう」と思って“いいこと”をボタッ、ボタッと続けてると、ごほうびがくる。逆に、悪いことをすると、嫌なことが起きる。
 人生というのは、たったこれだけ、なんです」と。
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 とりとめもない「日常」なのである。
 この日常で、イイカゲンに生きていると、そのしっぺ返しはくる。
 反対に、丁寧に、大切に生きていると、ごほうびがやってくる。
 結局、その積み重ねで、良くもなり、悪くもなる。
 
 長いこと生きてきて、そんなことが分かってきた。

 
 
 


 

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どうすれば授業はうまくなるのか(5)

    どうすれば授業はうまくなるのか(5)

 
 多くの先生たちの授業は、子供たちの学力保障はできないと書いた。
 「70点の授業」の提案をする前に、この授業について書いておきたい。

 私は、この5年間で、1000人近くの先生たちの授業を見てきた。
 授業を見ながら、共通の傾向を示す授業に出会った。
 どんな授業なのか?

 1つは、「おしゃべり授業」。
 2つ目は、「学力定着不足授業」。
 3つ目は、「挙手発言型授業」。

 私たちがネーミングした授業である。
 この3つの授業は、それぞれ共通するところがある。だから、1つだけということではなく、複合的になされている傾向が強かった。 
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 「おしゃべり授業」とは何か。
 まず第1の特徴は、授業の8,9割ずっとしゃべりまくっていること。
 
 第2の特徴は、時々思い出したように発問を出し、いつもの4,5人の子供たちが答えていくこと。
 それで、次に進んでいく。
 
 第3の特徴は、ほとんどが傍観者であること。

 「学力定着不足授業」とは何か。
 その特徴は、授業が完結しないことである。
 授業のインプットばかりに時間をかけて、中途半端に終わってしまう。45分(あるいは50分)の授業が完結しない。
だから、算数などはいつも練習問題が宿題に回されてしまう。
  本時の目標が達成されないわけである。

 「挙手発言型授業」とは何か。
 その特徴は、授業の大半を子供たちの挙手で済ませていく授業である。
 この授業をしている教師は、多い。
 工夫をしている教師もいる。
 ぐー、ちょき、ぱーで、挙手の意思を表明するという方法である。
 この授業のメリットはある。
 発言できない子供たちを、挙手して発言できるようにすることは、積極性を生み出す。確かに、人が変わったように活動的な子供に変身することもある。

 だが、デメリットもある。
 この授業は、外向的子供に向けたものである。
 挙手をして、みんなの前で発言することが平気な子供は、盛んに発言する。
 そのかげで、みんなの前で発言できない内向的な子供が必ずいる。
 これらの子供には、劣等感を与えることになる。
 「ぼくは、発言できないのでダメな子供だ!」と。

 しかし、内向的な子供だって、じっくりと課題を考え、人の意見をきちんと聞けることができるのである。いや、この内向的な子供の方が、外向的な子供よりその傾向が強い。

 子供によって、タイプが違う。
 だから、挙手発言も授業の中では、必要なものであるが、それだけに偏るとおかしくなる。
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 しかし、授業についての考え方において、以上に上げた傾向も、否定的に捉えられない場合もある。
 それは、授業観の違いになる。

 私たちは、授業というのを以下のように押さえている。
 「味噌汁・ご飯」授業の場合の考え方である。

 授業は、インプットとアウトプットによって成り立つ。

 インプットで、授業の導入をする。「教える」わけである。
 そして、アウトプットで、教えたことを練習し、定着させていくという試みになる。
 これで、本時の目標を達成させる。

 簡単に言うと、こういうことになる。
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 学力保障ができない授業の特徴は、いくつかにまとめることができる。

 1つは、授業がインプットばかりに偏っていくこと。
 2つ目は、全員参加の授業にはなりにくいこと。
 3つ目は、低学力児を引き上げていく授業にならないこと。
 
                                                                                   (つづく)

 

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