つれづれなるままに~高校時代からの親友が亡くなった~
●脊柱管狭窄症と診断され、座骨神経痛になった症状が、すっかり良くなった。
整形外科で処方されていた痛み止めの2種類の薬も、終わりになった。
そうしてほしいと医者に願った。
医者の診断を、信用していない(笑)。
これは困ったことなのだが、病気は、つねに医者に治してもらおうと思わないで、自分で治そうとする気持ちが基本であると、思っている。
もちろん、いよいよダメなときは医者に頼る以外にないのだが……。
症状に良かったのは、青竹踏みとサポーターである。
サポーターは、娘が誕生日のお祝いに買ってくれたもの。
これを痛いところにピシッと締めると、1時間ぐらいで痛みが消える。
青竹は、踏んでいるとぐっと痛みが出るところがあり、そこを中心に繰り返しているともう今は痛みが無くなっている。
原始的な方法である。
●高校時代からの親友Kが亡くなった。
突然の訃報に茫然となっている。
5月に、奥さんから気力、体力が落ちてきて、ずっと寝ている状態が続いていること、電話でもかけてもらえば気が紛れるのでお願いしますという連絡。
これはいかんと電話をし、押しかけて自宅まで出かけて行く。5月末のこと。
5年以上前に大腸がんで大手術をし、回復していたのだが……。
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自宅を訪ねると、椅子に座っていつものクラシック音楽を聴いていた。
痩せ衰えている姿に愕然とする。
それでも声は元気なので、安心する。
出されたお菓子を同じように椅子に座り直して、同じように食する。
歩くことはできる。ただ、長く歩くことができない。
しばらく居て、疲れた様子だったので、早々に帰り支度をする。
玄関まで見送りにきたKに、「歩くんだよ!」と声をかけた。
それがKとの最後の別れの言葉であった。
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それから3ヶ月後のことであった。
亡くなるときのこと、亡くなったあとのことなどを全部指示をして亡くなって行ったということだった。
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高校2年のとき出会い、それ以降60年間の付き合いであった。
郷里佐賀から私は横浜へ、Kはさまざまに引っ越し、最後は川崎であった。
コロナ前は、高校2年のときの同窓4人が夫婦連れで会うということを毎年繰り返してきたが、もう4年会っていなかったことになる、
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朝起きたとき、布団の上で「ああっ、もうKはいないのか!」と思う。
大切な「つながり糸」がぱちんと切れた、そんな気持ちで落ち込んでいる。
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