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2023年9月

書評です~『教師1年目の授業づくり』(学陽書房)~

 三重の中林則孝先生から以下のような書評をいただいた。
 ありがとうございました。

★ ★ ★
「教師1年目の授業づくり」について
野中信行先生が中心となって書かれた「教師1年目の授業づくり」が最近、発行されました。私が読む前に今、担当している初任の教員に先に渡しました。「暇なときに読んでおきなさい」では不親切なので指導の時間内に読んでもらいました。
 40分後、気になったところを聞くと「発問・指示・説明の違いのこと」などと言います。なるほどこの区別を意識することは教師の発言が締まります。付箋紙もたくさん貼ってあります。 
 野中先生の著書は何冊も目を通していますが、この「教師1年目の授業作り」の特徴は4人のベテランの教員が書いていることです。皆さんが得意とする分野を2ページから4ページ単位に簡潔に書かれています。そのため読みやすくなっています。写真や図も多く、レイアウトも工夫されており、読みやすい。多忙な教員には読みやすさは大事なポイントです。しかも、最初から読み始める必要はありません。気になるところから目と通せばいい。
 内容について。これまでの野中本とやや傾向が異なっています。ジャンルが広いです。「基本の指導技術、最初の授業、授業作りの心構え、成功授業の例、失敗授業の例、つまづきのある児童への指導」と多岐にわたり、しかも極めて具体的です。実践をくぐらせた考察であるため説得力があります。
 やんちゃ君には「その子の土俵に下りてはならない」とあり、「ど」や「そ」のつく言葉で対応することが提案されています。
 授業については教科書通りという記述が何回かあり、意を強くしました。教科書通りとは教科書を読んで進めることではありません。教科書編集の意図を読み取ることです。編集の意図を考えると、いかに教科書が巧妙に作られているのかが分かります。レイアウトにも工夫があります。
 私の今の仕事は若い先生を応援することです。そのためにはこの書籍はとても役に立ちます。
 ★ ★ ★
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緊急の、学校現場に課せられる重要なテーマ(9)~これで終わります~

 ブログの連載を長々と続けてきた。
 今回で終わり。
 
 このブログを書くきっかけになったのは、異動先の学校で、荒れた学年や学級を担任させられるということについてであった。
 こういう事例が最近頻繁に起こっていて、異動していった先生たちが鬱病になったり、辞めてしまったり、……ということを数多く聞くようになっている。

 

 先生たちの多くは、荒れた学級を担任するという発想がない。
 だから、やることは対症療法的に、とにかく何とか授業だけでも成り立たせようとがんばるという方法。
 でも、うまくいかない。
 
 そこには、3つの問題点がある。

 

 ①最初に「学級をつくる」という発想がない。
 ②荒れた状態をどう立て直すかという方向性をほとんどもっていない。
 ③やんちゃ対応がうまくできない。

 

 この3つに対応できる方法論がなければ、荒れた学級をうまく軌道にのせるようにはできない。
 
 私は、「組織論がないのだ!」と。
こう言うと、この組織論という言葉のイメージの悪さに引いてしまわれるかもわからない。
 
むずかしいことを言っているつもりはない。
 学級というのは、1つの組織。
 この組織を軌道に乗せるというのは、組織論がなければうまくいかない。

 ★
 なぜ組織論なのか?

 

 実は、組織論について初めて提起しているのは、私ではない。
 向山洋一先生が、今から32年前に『学級を組織する法則』(明治図書)を出されている。
 私は、この本に影響を受けて、組織論を考えるようになっている。

 

この本のまえがきに次のように記されている。
 「学級を組織するには、原理・原則(法則)がある。大学を出たばかりの新卒の教師は『私は子供を大切にする』ということで『一人一人の言うこと』に耳を傾け、一人一人に対応するのであるが、その結果、2か月もしないうちにクラスはズタズタになり、騒乱状態になる。
 それは、『学級』という『集団』を生かしていくためには、それなりの『方法』や『しくみ』が必要だからである。
 人間という1つの組織体は、頭脳や神経などという『しくみ』に支えられているから、『生き生き』とする。
 足や手や目がバラバラの動きをしたら、想像するさえ恐ろしい騒乱状態になってしまうだろう。
 『学級』は1つの『生きもの』なのである。
 『1つの生きもの』を『生き生き』と『好ましい』状態で生かしていけるかどうかは、教師の技量にかかっている」

 

 私が目にする限りでは、この本が初めての組織論の本だったのである。
 ただ、私が向山先生と違ったのは、普通の教師ができる組織論を考えようということであった。
 この本に出てくる向山学級組織図を見ると、とても普通の教師ができることではないというのが実感だった。

 

 私は、この本が出版されて12年後に『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)を出した。
 この本では、組織論としての「学級づくり」を提案している。
 
 そんな経緯があったのである。
 ★
 なぜ、組織論なのか?
先ほどの向山本では、「なぜ組織論なのか?」に次のように答えてある。

 

 ①学級という「集団」を生かしていくには、それなりの「方法」や「しくみ」が必要になる。
 ②学級を組織するには、原理・原則(法則)がある。
③学級は1つの生きもの。生き生きと好ましい状態で生かしていけるかどうかは教師の技量にかかっている。
この中で示してあるのは、「『私は子供を大切にする』ということで『一人一人の言うこと』に耳を傾け、一人一人に対応する」ことの問題である。初任者の事例。
 
 荒れたクラスを担任する先生たちの多くがやっていることも、ほとんどこのことである。 そして、あとは授業さえがんばれば何とかなるだろうと思っている。
 これが私が言う対症療法の実態である。

 

 こんなことでうまくいくはずはないし、実際にうまくいっていない。

 

 決定的に欠けているのは、学級という「組織」をどのように動かすのかという考え方であり、実践である。
 ★
 なぜ、組織論なのか?

 

 組織論を展開するのは、子供がもつ習性、特性、願いを十分に把握しなくてはならない。
 こちらが十分に賢くならなければならない。
 たとえば、子供は次のような習性がある。

 

 ①子供は1人のときにはきちんとしているのに、「群れ」のなかに入ると別人格のように変身する。これは子供の特性と思われる。
 ②4年生のときのクラスでは、あんなに真面目だったのに、学級崩壊をしている6年生のクラスでは、「獣」みたいな姿に変身している。
 ③超やんちゃな子供は、常に「群れ」で逸脱する。1人では逸脱できない。
 
 反面、子供は、担任やクラス集団に次のような願いを持っている。

 

 A クラスの中に一貫性のあるシステムがつくられ、明確なルールをつくって、安心できる、居心地の良さを感じられるようにしてほしい。

 

  B 担任は、毅然として自分たちを管理監督してくれる厳しさを持ってほしい。
 これらの習性や特性や願いを「組織づくり」に生かしていかなければならない。

 

 それは、クラス集団を「群れ」ではなく、「組織」としてつくりあげられるかがどうかが試されるということになる。
(完)

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緊急の、学校現場に課せられる重要なテーマ(8)~困難校を改革する~

 荒れたクラスを見るとき、特徴的なことが3つある。

 ①時間にルーズになっている。
 ②教室が汚い。
 ③子供たちの言葉や姿勢、動きが汚い。
 

 これは何だろうか?
 集団が集団として機能する基本的な根幹がなくなっていることなのだと、私は考える。
 これは、人が集団の中で過ごすための、どうしても必要になる基本的な秩序が亡くなっているということになる。

 この秩序のもとに、子供たちは、普通の、まともな生活を送っている。
 この秩序がなくなると、その集団に集う子供たちの生活は、「荒れ」てくる。
 その荒れの現象が、この3つに特徴的に現れるということではないか。

 ★
 森信三先生が、『一語千鈞』(致知出版社)の中で指摘されている「再建の三大原理」は、以上の基本的根幹「秩序」の回復である。

 「時を守り、場を清め、礼を正す」  
 これ現実界における再建の三大原理にして、いかなる時、処にも当てはまるべし。
 
1 困難校を改革する!  

   この三大原理を中心に据えて、困難校を改革した実践がある。
 北海道大曲小学校を改革した横藤雅人校長の実践である。

 この学校には、3年間通った。
 最初にこの学校へ行くと、校長室で3人の子供が勉強していた。
 学級では、授業の邪魔をして学習ができないので、校長室で勉強している子供たちなのである。
 話によれば、先日国道36号線上で、3台の自転車で車をせき止めて、逃げたという事件があり、6年生が捕まったということ。
 もちろん、学力などは、全国学力テストの最下位を占める北海道の中でも、また最下位の位に位置する、と。
 荒れまくっていたわけである。

 3年目にこの学校へ行くと、廊下で立ち止まって挨拶してくる子供たちがいた。
 この変わり様は、なんということかと驚いたものである。

 さまざまな改革がなされた。
 それは、『学力向上プロジェクト』(明治図書)という本に収められている。

2 三大原理の実践とは~組織論3~  

 この学校での、森信三先生の三大原理の実践とは、どんなものだったのだろうか。

 ①時を守る

 ・全教室を電波時計に変える。
 ・チャイムを復活する。
 ・日課表をきちんと守らせる取り組み など

 ②場を清める

 ・教具室の片付け
 ・靴箱、ロッカーの整頓
 ・机、椅子などの整頓 など

 ②礼を正す

 ・挨拶をきちんと正す
 ・立腰        など

これはその一部であろうが、このような取り組みがなされている。

子供たちの集まりが組織として成立するための基本的根幹を、このようにして回復されていったのである。
(つづく)

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つれづれなるままに~高校時代からの親友が亡くなった~

●脊柱管狭窄症と診断され、座骨神経痛になった症状が、すっかり良くなった。
 整形外科で処方されていた痛み止めの2種類の薬も、終わりになった。
 そうしてほしいと医者に願った。

 医者の診断を、信用していない(笑)。
 これは困ったことなのだが、病気は、つねに医者に治してもらおうと思わないで、自分で治そうとする気持ちが基本であると、思っている。
 もちろん、いよいよダメなときは医者に頼る以外にないのだが……。

 症状に良かったのは、青竹踏みとサポーターである。
 サポーターは、娘が誕生日のお祝いに買ってくれたもの。
 これを痛いところにピシッと締めると、1時間ぐらいで痛みが消える。
青竹は、踏んでいるとぐっと痛みが出るところがあり、そこを中心に繰り返しているともう今は痛みが無くなっている。
原始的な方法である。

●高校時代からの親友Kが亡くなった。
突然の訃報に茫然となっている。

 5月に、奥さんから気力、体力が落ちてきて、ずっと寝ている状態が続いていること、電話でもかけてもらえば気が紛れるのでお願いしますという連絡。
 これはいかんと電話をし、押しかけて自宅まで出かけて行く。5月末のこと。

 5年以上前に大腸がんで大手術をし、回復していたのだが……。

 自宅を訪ねると、椅子に座っていつものクラシック音楽を聴いていた。
 痩せ衰えている姿に愕然とする。
 それでも声は元気なので、安心する。
 出されたお菓子を同じように椅子に座り直して、同じように食する。
 歩くことはできる。ただ、長く歩くことができない。

 しばらく居て、疲れた様子だったので、早々に帰り支度をする。

玄関まで見送りにきたKに、「歩くんだよ!」と声をかけた。
 それがKとの最後の別れの言葉であった。
 ★
 それから3ヶ月後のことであった。
 亡くなるときのこと、亡くなったあとのことなどを全部指示をして亡くなって行ったということだった。
 ★
 高校2年のとき出会い、それ以降60年間の付き合いであった。
 郷里佐賀から私は横浜へ、Kはさまざまに引っ越し、最後は川崎であった。
 コロナ前は、高校2年のときの同窓4人が夫婦連れで会うということを毎年繰り返してきたが、もう4年会っていなかったことになる、

 朝起きたとき、布団の上で「ああっ、もうKはいないのか!」と思う。
 大切な「つながり糸」がぱちんと切れた、そんな気持ちで落ち込んでいる。

 
 

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緊急の、学校現場に課せられる重要なテーマ(7)~超やんちゃな子への対応~

荒れているクラスを受け持ったときに、最初に目をつくのは、逸脱行動をしている超やんちゃな子供たちである。

「この子たちがクラスを荒らしている!」と当然考えられる。
 もちろん、クラスの荒れのキッカケをつくっている。

 子供たちは、特に、このマイナス行動に引き寄せられる習性がある。
 だから、中間派の何人かは、この子等と同一行動をとる場合が出てくる。

 最初は、2、3人の逸脱行動が、「魔の6月」になったころには7,8人に増えているということはよくあることである。

1 超やんちゃな子は、目的をもって行動する!  

 この超やんちゃな子たちは、一体何者なのか?
 また、どのような対応法をとるべきことなのか?

 組織論2の対応をとっているとしても、この課題は残される。
 目の前につねに突きつけられるからである。

 このことについて、「アドラー心理学」で有名なアドラーが、問題行動を起こす子供の行動原理として「5つの作戦」というのを提起している。

 問題行動を起こす子供は、「目的をもって行動する」。
 その目的が満たされない場合は、5つの作戦を実行する、と。

①褒められよう(褒めてください)
②目立とう(見て見て)
③悪さを前面に出そう(悪い子だぞ)
④復讐してやろう
⑤諦めよう

 このアドラーの主張は、確かに今までの担任経験からすると納得する。
 「目的をもって行動している」。

 ほとんどの超やんちゃな子は、②が多かった。
 ③の行動をとっている子は、学級崩壊をしている場合の子供の行動と一致する。

 彼らの目的とは、何か?
 それは、自分の「存在」を認めてもらいたいという一心。

 だから、私が成功したやんちゃの包み込み(クラスに包み込んでいくこと)は、最初に「つながり感」(この先生は自分を分かってくれる)をもち、そして「所属感」(クラスのみんなから認めてもらえる)をもたせることであった。
この実践については、『困難な現場を生き抜く やんちゃな子のいるクラスのまとめかた』(学陽書房)に明らかにしている。

2 快・不快の価値観で動いていく  

 アドラーがこのように5つの作戦を提起してから多くのときを経ている。
 子供の存在そのものも、大きく変わっている。
 
 最近は、自分が「やりたいようにしたい!」という目的をもち、それをかなえてくれない担任に対して反発をし、授業妨害を繰り返している子供がいることも事実である。

 集団に所属するときには、自分の思い通りにはならないということが認識できない未発達の子供である。家庭教育が、このような子供を育てている。増えている。

 彼らは、ものごとにたいして、「善悪の価値観」で行動するというより、「快・不快の価値観」で行動する。「良いか悪いか」ではなく、「快いか不快か」で判断する。
 いじめが典型的である。
 これほどいじめはだめだと言われているが、減ることはない。
 年々増えていっている。
 これは、善悪の価値観よりも、快・不快の価値観が優先するからである。
 いじめは、快感である。

 しかし、学校は、「善悪の価値観」で成立している。
 「快・不快の価値観」とは、根本から違っている。
 だから、担任は、大変である。

 こういう子供を、これから学校教育は、どうしていくかが大きく問われることになる。
  
3 彼らの土俵に下りてはならない!  

 問題行動をとっていく子供に対して、彼らの5つの作戦には絶対乗ってはいけない。
 これが、鉄則である。
 私は、「彼らの土俵に下りてはならない!」とくり返し主張してきた。

 どうするか?
 私の主張は、次の通りである。
 これについては、脳科学者平山諭氏の『満足脳にしてあげればだれもが育つ』(ほうずき書籍)に書かれていることを参考にした。

 ①最初の「関係づくり」をする

 問題行動を起こしてくる子供に対して、対応する方法は、2つの言葉かけである。

○さまざまな問題行動が起こったとき、最初「ど」の言葉で対応する。
 「どうしたの?」、「どうですか?」、「どれどれ」……など

○その言葉に、反発の言葉が返ってきたときは、「そ」の言葉で対応する(反発の言葉とは、「うるせえ~」、「めんどくせえ~」、「うぜえ~」など)。
 「そ~なの」、「そうなんだ」、「そうか」、「そうだよね」……など 

 この「ど」は、その子の今の状態を問う言葉。また、「そ」は、その状態を認める言葉。

「そんな甘い対応でいいのか?」という反論がある。

 今までの土俵に下りる対応は、すでに「関係づくり」として破綻している。認識しなければならない。

 ここから「関係づくり」を始める。
 
②彼らの「不適切な行動」には、必要な対応だけをとる。

○しょっちゅう叱っていくことは止める。ますます反発が返ってくる。

○ただし、人としてやってはいけない行動や、いじめをやったときなどは強く
 叱る(事前に子供たちに宣言しておくことが必要)。

○授業妨害などの行動をするような場合は、管理職などと相談し、
別教室などでの学習をさせる(これができない学校が増えている。空きの教員がいないのである)。

③彼らの「適切な行動」には、いち早く反応し、ほめる、認めるなどの言葉かけをする。   ○短い言葉でほめる
いいね、すばらしい、わかるよ、すごい、さすがだねなど
○名前をつけて、特定化する
「すてきだね、○○さん」、「ばっちだよ、○○さん」など
○達成や成長を伝える
 「できるようになったね」、「やったじゃない」など
(つづく)

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緊急の、学校現場に課せられる重要なテーマ(6)~組織論2の要諦~

 荒れたクラスを受け持ったとき、ほとんどの先生たちが気にかけて、毎日指導していく子供たちがいる。
 やんちゃな2,3人の子供である。
 目立っているので、当然そうなる。
 「この子たちが、このクラスを荒らしているのだ!何とかしなくては!」と。

 何とかなったことはほとんどない。
 ますます荒れは広がっていくことになる。

 最近、学校の中心を担ってきた先生や、高学年を専門にしてきた先生たちのクラスが学級崩壊になっていくことがとみに増えた。

 なぜか?
 調べたことがある。

 共通しているのは、1つ。

 「しょっちゅう叱っている」。

 やんちゃな子を叱ったり、全体を叱ったり。
 ますますクラスは荒れていき、学級崩壊になる。

1 「2」割の活躍がクラスを軌道に乗せる!
 上の事態は、組織論2を分かっていないことになる。
 
 組織論2とは、2割の法則である。

パレートの法則(2:8の法則)がある。
 このパレートの法則とは、その組織体の8割の成果は、2割の要素(あるいは人たち)によってもたらされるというもの。

 
 このパレートの法則から、その発展系の組織論として「2:6:2の法則」が生まれている。 
 だから、これを組織論に生かしていくと、組織の「2:6:2」の構成の中で、最初の「2割」の人たちが、8割の成果を上げていることになる。

 これをクラスに喩えると、クラスがうまく軌道に乗るのは、2割の真面目派の子供たちがクラスの中で活躍しているからということになる。

 クラスがうまくいくかどうかの決め手は、この「2割」にかかっている。
 この2割が、担任に味方して先頭をきってクラスの活動をしていく。
 それにつられて、6割の中間派が一緒に活動をする。
 順調なクラスは、そのような構造になっているはずである。

 ところが、荒れているクラスを担任したほとんどの先生たちは、決め手は最後の「2割」(超やんちゃな2,3人の子供)にあると勘違いしてしまう。
 周りの先生たちも、そのような認識をしている。
 「この子たちを何とかしなくては!」と。
だから、担任は、超やんちゃな子ばかりにベクトルを向けてしまう。

2 組織論2の要諦

 荒れているクラスに、まず第1に手を付けていくのは、その超やんちゃな子たちではない。
 「2」割の真面目派と、共にやっている「6」割の中間派である。
この子たちをしっかりと担任の味方にしていくのである。
 これが組織論2の要諦である。

 どうしていくのか?
 常にこの子たちにベクトルを向けておくのである。

 そして、その子たちに「ほめる」「認める」言葉をどんどんかけてあげることである。
 ちゃんとやっているのであるから。

 私は、「2割の真面目派に6割の中間派を引き寄せて、8割を味方につければクラスはきちんと軌道に乗せられる」と主張している。

 荒れがひどいレベル3や、レベル4のクラスは、時間がかかる。
 我慢比べをしなければならない。

3 担任が見捨てられる行動を取ってしまう!
 うまくいかない場合がある。
 もちろん、超やんちゃな子ばかりに対応していてはうまくいかない。

 そればかりではなく、真面目派の子供たちが、担任を見捨てる場合である。
 その子たちが動かなくなる。

 それは担任に原因がある。
 見捨てられる行動を、担任がとってしまうからである。

 それは、コロコロと方針を変更していく場合になる。
 一貫性のある指導をしないで、ころころと方針がぶれる。

 真面目派は、1,2回の方針変更は仕方ないと思っている。
 ところが、何回もコロコロと方針が変わっていくと、「もうやってられない!」と担任を見捨てていく。

 なぜ、そんなにコロコロと方針を変えるのか?
 
 ここにも決め手の考え方が影響を与えている。
 担任の方針に、超やんちゃな子が文句を言う。
 その文句を聞いて、方針を変える。
 また、違う超やんちゃな子が、その方針に文句をつける。
 その文句を聞いて、また方針を変える。
 
 「○○さんの考えはよく分かるよ。でも、せっかく先生が方針を提起しているんだから、それでしばらくやってみて、それでうまくいかないならもう一度話し合おうか!」と言っておけばいいのに、「彼らの思いを大切にしよう!」とするあまりにコロコロ変わってしまう。
地獄への道は、いつもこんな甘言から入っていく。

 2割の真面目派が決め手であると分かったが、さてその目立っている超やんちゃな子供たちをどうしたものか、ということになる。
 これについては次回書いていきたい。

 
 
 

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緊急の、学校現場に課せられた重要なテーマ(5)~なぜ、早く学級をつくることなのか~

1 なぜ組織論1は効果的だったのか?
 組織論1は、端的に言うと「学期の最初に早く学級をつくってしまう(1ヶ月)」という方法論である。
 なぜ、「早く学級をつくる」ことなのか?

 「3・7・30の法則」で1ヶ月を構造的に組み立てることを考えたのは、「最初の1ヶ月が大切だよ!」と先輩たちから教えられてきたことからである。
 それでもどのように1ヶ月を大切にするのかは、全く明らかになっていなかった。
 そこで、私が、その1ヶ月をカタチにしてきたわけである。

 なぜ1ヶ月だったのか?
 これは経験的に伝えられたことだった。
 だが、教師たちの多くが、この1ヶ月を意識していたかというと、ほとんどありえなかったのではないか。
 それは、「学級づくり」ということがほとんど意識されていなかったことにある。
 しかし、確実に、この1ヶ月の「学級づくり」が1年間を決定していくのは、私の担任経験からはっきりと言うことができた。

 このことについて、『世界最高の学級経営』(ハリー・ウォン/ローズマリー・ウォン著 東洋館出版社)では、次のことが書かれている。

 ★ ★ ★
 1年の終わりに子どもがどれだけ学びを達成できるかは、新年度の最初の1週間に、教師が「どれだけきちんとクラスをまとめられるか」にかかっているのです。

 成果を上げる教師は、最初の1週間でクラスをまとめます。とはいえ、これは子どもたちを脅して怖がらせるということではありません。①教師の役割、②クラスの手順の確立、③仕事しての教師の責任、の3つをきちんと把握する、ということです。教師が自分の役割をわかっていると、子どもは安心するものです。
 最初の2,3週間がその後1年間の子どもの学びの達成度を左右することは、多くの例からわかっています。新年度が始まるまでに、あらゆる準備を整えておかなければなりません。
1年間を成功させるためには、最初が肝心です。
 ★ ★ ★

 最初の1週間で、クラスをまとめ、そしてその後の2,3週間でそれを徹底していくことが決め手であると書かれている。
 
 このハリーとローズマリーの実践は、私の「3・7・30の法則」とほとんど同じ実践である。
 
 私の実践では、最初の1週間は、「仕組みづくり」になる。「勝負の1週間!」と名付けて、その1週間を「1週間のシナリオ」としてモデルの時間を提示している。
 
なぜ、1週間なのか?

 ★ ★ ★
 最初の1週間で最も大切なことは、「一貫性」を確立することです。なぜなら子どもたちは、何か行われて、どういう結果になるのかを、はっきりと知っておきたいからです。予想外のことや、秩序だっていないことは嫌がります。一貫性をもって接していれば、
「先生、今日は何をするんですか?」などと聞かれることもありません。
 子どもたちは、何を行うかを予測できる、安心できる学びの場を求めています。つまり、一貫性のある環境です。学級経営が上手になされていれば、子どもたちは怒鳴られることもなく、学習に集中できます。成果を上げる教師は、最初の2週間をかけて、一貫性のあるクラスの環境をつくり、その中で子どもたちに自分の行動に責任を持つことを教えるのです。
 成果を上げる教師は、一貫性が生まれるよう、学級経営をしています。すると子どもたちは互いに思いやり、刺激を受け、やりがいを持ち、高いレベルで学びを達成できるようになります。きちんとした学級経営は、学びの基本です。
 ★ ★ ★  

 なぜ、1週間なのか?
 はっきりした答えはない。
 それでも、まとめてみると、次のようになる。

 ①子供たちは、一貫性のある秩序だった環境を求めている。
 ②その環境が早くできれば、子どもたちは怒鳴られることなく、学習に集中
  できる。 

 
 ここにあるキーワードは、次のことではないか。
 
  安心感のある学級
 
 これを早く学級につくってくれることを、子供たちは何よりも願っているのである。

 私は、長年のクラス担任の経験から、子供たちの多くが、クラスに安心感と同時に、毅然として自分たちを管理指導してくれる担任を求めていることを感じることができた。  クラスにきちんとしたシステムをつくりあげ、明確なルールをつくって、子供たちが安心感と居心地の良さを感じられるようにすることが大切である。

 初任者が学級づくりに失敗するのは、ここにあることが長年の経験から分かってきた。
 子供たちから好かれたいと思うあまりに、甘すぎる態度で接してしまう。子供たちは最初そういう態度を好むが、そのうちにだんだんと離れていく。

2 組織論1を身に付けたい!
 組織論1について書いてきた。
 くり返しになるが、組織論1は、端的に言うと「学期の最初に早く学級をつくってしまう(1ヶ月)」という方法論である。

 このことの重要性は、学校現場では認識されていない。
 相変わらず、「授業、授業」という認識しかない。
 だからこそ、異動して荒れたクラスを受け持ったときの対処法が出てこようがないのである。

 だが、この組織論1を実践すれば、初任者のクラスでも、順調な学級経営が行われていくことになる。

 最後に、この組織論1は、具体的にどんなものなのかということについて書いておきたい。
 ①『教師1年目の教科書』(拙著 学陽書房)
  初任者向けに書いたものだが、これを読めば組織論1が十分に分かってくる。

 ②『必ずクラスを立て直す 教師の回復術!』(拙著 学陽書房)
  荒れたクラスを立て直すために書いた本である。
 
この①②を読んでもらえば、十分に組織論1の内容が分かってくる。

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緊急の、学校現場に課せられた重要なテーマ(4)~組織論1を実践する~

 私は、最後の勤務校となる、O小学校へ赴任した。
  2001年。もう22年前のことになる。
 
 このO小学校は、Y市小学校360校の中で5本指に入ると言われている困難校であった。
 ここに赴任すると聞いた同僚は言ったものである。
 「それはかわいそう。3年我慢して、すぐに異動すればいいよ!」と励まされたわけである(励ましにもなっていないが<笑>……)。その学校は、「3年学校」と呼ばれていて、3年経ったならばどんどん先生たちは異動していくところだったのである。
 私が赴任したときも、今までの先生は、ほんの数人しかいなかった。
 他の大勢の先生たちは、私と同じように赴任してきた人たちであった。
 
 そのO小学校で最初に担任した5年生のクラス。
 前年度の4年生では、1クラスが学級崩壊になっていた(その学校は、他にもいくつものクラスが学級崩壊になっていた)。
 そのクラスの半分が私のクラスにいたわけである。
 蓋をあけてみると、なんと隣のクラスは、初任の先生(男の先生)だった(2クラスの学校)。
 「おいおい、こんな人事があるのか?初任者を潰してしまうのか?」と思ったものである。

1 組織論1の実践
 この5年生で実践したのは、組織論1の「組織立ち上げの組織論」である。
 はじめてきちんと意識してこの組織論を実践したことになる。

 このクラスの荒れの状況は、心配するほどのことはなく、レベル1の「ほころびの状況」と思われた。
 前学年で学級崩壊の中心人物と言われた子供が、中心に座ってぺらぺらしゃべっていて、私が話すとその言葉尻をとらえて、みんなを笑わせる仕草を繰り返していた。
 テキトウに付き合っていく。
 その間にしっかり「学級づくり」をしていく。
 何よりも素直な子供たちがいることがうれしかった。
 
 意識して取り組んだことは、次のことになる。
 
 (1)「3・7・30の法則」で1ヶ月を過ごす。
「3」で担任としての印象づけをし、「7」で学級の仕組みをつくり、「30」でつくった仕組みを定着する。
 (2)「学級づくり3原則」として提起していた「関係づくり」、「仕組みづくり」、「集団づくり」を具体的に実践する。
 

 その効果は見る見る表れた。
 その年、順調に学級が軌道に乗り、1年間を終えることができた。
 隣の初任者も、学級が崩れることなく何とか1年を終えることができた。

 「そうなのだ。学級経営は、最初の『学級づくり』が大きな決め手になるのだ!」と自信を深めた1年であった。
 
 自信を深めて、1冊目の本『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』を出したのが、2003年のことである。55歳になっていた(そのO小学校は、2年目で普通の小学校に回復していって、学級崩壊がなくなっていった。その詳細についてはここでは触れない)。

 それでも、なぜ1ヶ月なのか?
 学級をそんなに早くつくりあげることにどんな意味があるのか?
 もっとゆっくり2,3ヶ月かけてつくっていけばいいし、遅くても1学期間でまとまればいいのではないか、という疑問が当然出てくる。
 それについては次回考えたい。        (つづく)

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