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2023年6月

つれづれなるままに~「ひとりぼっち」になる効用~

●ふと、NHKの「うたコン」を見る。
 そこで、歌手の菅原洋一さんの歌を聞く。
 8月で90歳になるという。
 驚いた。
 若い頃の菅原さんの朗々とした歌声ではないが、決して衰えていないのである。
 90歳になれば、ほとんど歌の声は出てこないはずである。
 それが、90歳の歌声を響かせておられる。
 ネットでは、次のように出ている。
 ★ ★ ★
 8月で90歳になる歌手の菅原洋一が6日に放送されたNHK総合「うたコン」に生出演。1965年のヒット曲「知りたくないの」をピアノ伴奏のみで熱唱。生涯現役を貫く「菅原洋一さん」がSNSでトレンド入り。「これだけ声が出るのは驚異的」「驚きでしかない」「めっちゃ色気ある声」などの声が相次いだ。
★ ★ ★
修練をされているのであろう。
 目標があると、その努力ができる。

●「ひとりぼっちとバカにされている!」と思っていた。
 4人を殺害した31歳容疑者の言葉である。

 「ひとりぼっち」でいることがひどいコンプレックスになっていたわけである。

 4年目になるコロナ禍で、多くの人が自宅への「ひきこもり」を経験したことになる。
 私もまたそのひきこもりをしてきている。
 要するに、「ひとりぼっち」の経験を数多くしたわけである。
 何か不都合があったのだろうか?

 私は、このひきこもりの経験は良かったのではないかと思っている。
 だって、一人になるというのは、自分と向き合う経験を始終することなのであるから。
 
 ただ、その一人になるという経験を、更なるコンプレックスの深化につなげていくならば意味がないことではあるが……。
 
 かつて思想界の巨人と呼ばれた吉本隆明さんが、15歳の男女4人に対して1年にわたって小さな寺子屋授業を続けられたことがある。それが、1冊の本『ひとり』(講談社)にまとめられている。

 吉本さんも、子供の頃、人と話すのが苦手であった、と。
 そして、次のように語っておられる。

 「 あの人は何もいわないけど、本当は気持ちの中で自分によく問いかけ、自分でよく応え、それを繰り返している。それは言葉に表さなく   
  ても、行動に表さなくても、心の中でそういうふうにしてるってことがある。
   人は誰でも、誰にいわない言葉を持ってる。
   沈黙も、言葉なんです。
   沈黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人になるきっかけ
  をちゃんと持ってるといっていい。
   僕は、うまく伝えられなかった言葉を紙に書いた。届かなかった言葉が、僕に
  いろんなことを教えてくれた。自分や誰かの言葉の根っこに思いをめぐらせて、
  それを知ろうとすることは、人がひとりの孤独をしのぐ時の力に、きっとなる
  と思いますよ」 

 人と群れることばかりに逃げないで、一人ぼっちになって自分と向き合い、沈黙に対する想像力を持つことなのである。

 そんなときに鷲田清一氏の「折々のことば」(朝日新聞に毎日掲載されている)に次のようなことが載せられている。
★ ★ ★
 「生まれるときも一人、死ぬときも一人、だから生きているときも一人でいるように」                                                   
                                  笑福亭松之助
離れて住む高校生の次女が、友だちが持っているテープレコーダーを私も欲しい
 とおねだりしてきた時に、噺家はお金に添えてこう書き送った。誰かが持っている
 からではなく「自分が欲しいと思ったから、買ってほしいというようにしなさい」と。
 落語、舞台、テレビ、映画の世界で人熱れに年中もみくちゃになっていた人の言葉である。『草や木のように生きられたら』から。
  ★ ★ ★
 
●読書の欄(2023.6.26)に次のような投稿が出されていた。
 ★ ★ ★
 「臨時免許」で教員できるなんて
高校教員 S (千葉県 60)
  6日付「教員不足『臨時免許』の先生頼り」を読み、「教員免許更新制度」への
  怒りを思い出しました。昨年7月、13年間にわたって実施されてきたこの制度
  がやっと廃止されました。この間、私たち教員は、自腹で3万円を払い、免許を
  更新してきました。免許を失えば教壇に立てなくなるからです。
   にもかかわらず、正規免許を持つ人を確保できない時は、人手不足だから3年
間の「臨時免許」で教壇に、とはふざけているとしか思えません。教員免許を取
 得してない方でも「臨時免許」で教師ができるのなら、あの免許更新や大学での
 教職課程は一体何だったのでしょう。
これだけ教員不足が深刻化したのも文部科学省の無策のためです。企業が人材
 確保のため待遇や労働環境、募集方法を改善してきたのに、文科省や教育委員会
 は教員希望者を増やすために何かしましたか。やる気と使命感で教師は働くと、
 何人教師が倒れても希望者が減っても、十分な対応をしてきませんでした。
周りにも月100時間超の残業をしている教師がいます。やっと処遇改善の議
 論が始まりましたが、取り返しがつかないこともあるのです。
 ★ ★ ★

 まったくもって、その通りである。
 免許更新制で夏休みに免許更新を受けてきた先生たちは、この臨時免許で唖然としたことだろう。
 あまりにもお粗末である。お粗末すぎる。

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新任教諭 増える退職!

朝日新聞1面のトップで「新任教諭 増える退職」の見出しが出る。
 6月21日の朝刊。

 記事では、東京都、2022年度に正規採用した小中高、特別支援学校などの新任教諭2429人のうち108人が今年3月までに辞めている、という報道。
 全体の4.4%で割合は10年間で最高だった、と。

 その理由だが、全体の4割が精神的な不調を挙げている。
 また、転職などの進路変更を理由とする退職も多い、という。

 三重県では、新任教諭の8人が辞め、過去10年で最多になっている。
理由は、ほとんど精神疾患。

 栃木県では12人、広島市では8人が辞め、いずれも過去10年で最多。
 

ところが、この事態は、今に始まったことではないのである。
 数年前のY市では、1年間に小中41名の初任者が辞めている。

今年も、2,3日で辞めた。1ヶ月で辞めた……。
 このような情報が入ってくる。

これらの初任者は、「ブラック学校という噂で実際に仕事についてみると、やはり想像していた以上にブラック労働であった。やってられない、早く辞めよう!」ということではないか?
 そのように思われる。

 せっかく、4年間勉強して教師の資格をとり、現場採用になったのに惜しいことである。 確かに、ブラック労働といわれる労働慣行があるのは事実。

 しかし、それ以上に子供たちとの関わりの喜びは、格別である。
 忙しいのは当たり前。先生の仕事は、子供たちとしょうちゅう関わる仕事だから。

 マスコミなどは、あまりにも「ブラック労働」をふれ回り、その結果、教員養成大学では、もはや採用試験を受ける学生が資格者の半分ぐらいになっているという。
 このままいけば、確実に学校は、成り立たなくなる。

 文科省は、大学の2年、3年で採用試験を受けさせるとか、採用試験の日程を6月に繰り上げるとか、そのような「その場凌ぎ」の施策を取り上げている。
 民間の採用試験が早くあるから、人材を奪われないようにするためであろう。

 問題は、そんなことではないことは明らか。

 学校現場の先生たちが、元気で働ける、そんな労働環境を早くつくりあげることが緊急なことなのである。
 文科省が力を入れてつくりあげた「働き方改革」も、コロナ禍で頓挫している。
 もはや、現場ではほとんど機能していない。
 確実に学校現場が元気になる施策を実施しなければ、学校は潰れていく。
 
 たとえば、学校に2,3人の先生たちを増員させる施策をとる。
 学校現場は、先生1人が辞めていくと、替わりの担任はいない。
 他からの臨任の先生はいない。
 だから、どうしても専科の先生や担任をもっていない先生になる。
 それもいないとなると、教頭がもつことになる。

 こんなことに振り回されている。
 そのために、今最も必要なのは、空きの先生の確保。
 空きの先生がいると、荒れている学級で困り果てているやんちゃな子の対応がとれることになる。
 それができると、先生が鬱病になり、休職になっていく事態は防ぐことができる。
 
 文科省も決してさぼっているわけではないが、財務省を必死に説得することである。
 緊急事態なのであるから。

 くり返しになるが、学校に2,3人の先生を増員する、とりあえずこの施策をとるということが、まず学校問題の最初の解決策になるはずである。
 どうしてこんな初歩的なことが取れないのだろうか。
 あらゆるところにお金をばらまいているのに、教育にだけはどうしてお金を出すことを渋るのだろうか。それがよく分からない。

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「飛躍」した行動を若者が起こしている!

 若者が起こした事件が立て続けに起こっている。
 
 岸田首相を狙った爆弾事件。これを起こしたのは、24歳の容疑者。

 2人の主婦と、2人の警官を殺害した31歳の容疑者。

 そして、指導者の自衛官を2人殺害し、1人に重傷を負わせた18歳の自衛官候補生。

 これらの事件を見ながら、どの事件にも共通するのは「飛躍」というキーワードである。
 
 ★
 岸田首相を狙った容疑者は、衆議院議員へ立候補したいと思っていたら、25歳にならなければできないことが分かる。
 それで裁判に訴えている。「おかしい」と。

 こんなことに今まで無知だったというのがおかしいのだが、立候補したいというのは、自由な意思。
 ところが、25歳にならなければ立候補できないというのは、調べればすぐに分かること。
 それがおかしいと裁判に訴えるというのは、あまりにも考えに「飛躍」がある。
 もう少し待てば、いいではないか。
 裁判に訴えるというのも、常識からすれば、「飛躍」した行動である。

 そして、岸田首相への爆弾。
 首相への不満をツイッターに書いていたということだが、これもおかしな話である。

 なぜ、爆弾になるのか。おそろしく「飛躍」した行動である。
 ★
 散歩中の2人の主婦をナイフで殺害した容疑者。
 「以前から自分のことを一人ぼっちだとバカにしていたと思っていた!」と供述している、と。
 散歩していた2人は、毎日の散歩行路で容疑者の家の前を通過している。
 よく笑いながら歩いていたというので、その笑いを自分への嘲笑と受け取ったのではないかと予測される。
 ここにも大きな「飛躍」があるが、さらにその2人を殺してやろうと狙っていくという考えには、あまりにも「飛躍」がありすぎる。

 さらに、駆けつけた警官2人にも、猟銃を発砲していく行為。
 常人では考えられない発想の「飛躍」。
 ★
 そして、今回の事件は、自衛隊の事件。
 18歳の自衛官候補生が、銃撃練習のさなかに、同じ現場にいた2人を銃撃し、もう1人に重傷を負わせた事件である。
 当初、指導への恨みであると考えられたが、その3人は、直接指導に関わっていなかったいうこと。
 では、何なのだ、と。
 21日の報道では、「銃や弾薬を奪うために邪魔な人を撃った!」と供述しているという。
 この供述もにわかに信じられない。
 
もう少しで憧れの自衛官になれたのである。
 こんな事件を起こせば、その夢も、人生も、すべてだめになるということは、普通の人ならば簡単にわかることでないか。

 ここにも、常識ではとても理解できない、発想の「飛躍」がある。
 ★
 事件を起こした容疑者は、若者たちである。
 遡れば、同じような「飛躍」した事件は、今まででも数多くある。
 同じように若者たちが起こした事件である。

 若者に対して偏見があるわけではないが、あまりにも理解しがたい「飛躍」した事件が続くわけである。
 
 この「飛躍」した考えは、短絡した、直線的な考えでもある。
 自分が思うようにならないと、このように「飛躍」した行動に結びつける。

 共通しているのは、自分が今抱え込んでいる恨みや、不満や、願いなどが、他者を殺害するということに直線的につながっていくことである。
 そのことで、自分の未来や人生が、すべてパーになってしまうという重みが考えられていない(?)。
 あまりにも身勝手な「飛躍」した発想。

 どうして、こういう「飛躍」が出てくるのか?
 そこに何があるのか?
 このような「飛躍」した考えをもち、それを行動に移していく発想はどこから生まれてくるのか?

 現代人を包んできた価値観で、「今だけ、金だけ、自分だけ」がある。
 その凝縮されたカタチが、この事件で露出しているのではないか。
 そんなことを考えてみる。

 この身勝手な「飛躍」が、多くの若者の中に潜んでいないのか、と思いを巡らせている(若者と特定するのは無理があるのかもしれないが)。
 これらの事件は、その氷山の一角である、と。

 
 

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オンラインで提案します~毎日の授業を豊かにする~

 千葉県市川市の大野小学校を訪問した。
 親しい知り合いの清水校長の学校である。
 
 3年生のクラスで授業をさせてもらうことになっていた。
 6時間目である。
 授業はいつもの詩の授業。
 
 授業が始まる5分前に、教室に行った。
 自己紹介をするためである。
 これが授業の呼び水になってくれる。
 
 このクラスの子供たちは、乗りがよくて、自己紹介を大爆笑で応えてくれた。
 「野中先生って、おもしろい先生なんだ!」と。
 6時間目で子供たちは疲れているのかと心配していたが、元気そのもの。

 授業後の感想を担任の先生に頼んでいた。
 Sさんの感想。
 「もなか先生のじゅぎょう たのしかったです。
  これからいっぱいこわい話をしてほしいです。わたしはこわい話が大好きです。
  もなか先生これからもよろしくお願いします。」

 もなか先生になっている。
 これは自己紹介で、「担任をしているときには、もなか先生と呼ばれていました」と紹介したからである。
 こわい話も、「実は、私の一番得意なのはこわい話です」と紹介したからである。
 
 Tさんの感想。
 「すごくたのしかったです。そしてじゅぎょうがすごくたのしくできました。わかりやすかったです。またきてほしいです。」

 ほとんどの感想が「たのしかった」「おもしろかった」と書かれている。
 3年生の子供たちは、語彙力が不足するので、どうしてもこうなる。
 ともすれば、時間をおいて書かせると、楽しくなくても、おもしろくなくても、こう書いてしまう子供が出てくる。
 だから、授業後すぐに感想を書かせることである。
 ★
 授業は笑いに包まれた。
 担任の先生は、まだ採用試験を受けていない講師の先生。
 それでも、この2ヶ月の間に、よくぞこのようなクラスをつくったものである。
 学級経営がすばらしい。
 子供たちの関係がとげとげしていなくて、あたたかい雰囲気に包まれているのだ。

 ★
 「楽しかった」「おもしろかった」とほとんどの感想になっているので、大変楽しくておもしろい授業がなされたと思われるだろうが、事実はまったく違う。

 黒板に谷川俊太郎さんの詩を書いて、それを子供たちがノートに写していくという、それが基本の授業。おもしろくもなんともない授業である。むしろ、古い、昔の授業だと言われそうな授業。

 だが、そこにいくつかの工夫を込めている。
 ここにポイントがある。

 教室に座っている子供たちは、基本的にはすべて受け身である。
 それは当たり前。
 子供たちにとっては興味もない単元の内容を次から次へと教えられるのだから、受け身になるのは当然のこと。

 だから、「えっ!」「なんか楽しそう!」「やってみようかな?」などの興味をもたせるためには、どうしても興味をもたせるスイッチが必要である。
 ★
 毎日の授業が、50点以下のスカスカの授業になってはいないだろうか?
 
 問われているのは、毎日の授業をいかに豊かに充実させていくかなのである。
 だが、毎日80点以上の授業をすることなんかできない。
 それだけの授業準備なんか、ほとんど与えられていないのであるから。

 60点、70点の授業で良い。

 大野小学校の3年生のクラスで提案したのは、そういう授業だったのである。
 ★
 具体的にどんな授業をしたのか。
 それを6月17日(土)のオンライン教師1年目の教室で提案したいと考えている。
 
 興味がある先生は、ぜひ参加してほしい。

https://peatix.com/event/3585998

 

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