授業をしました!
神奈川県の厚木市立T小学校へ行った。
初任の先生のクラスで授業(3年生)をさせてもらうことになっている。
楽しみで、わくわくしながら行った。
そして、その後先生方へ対する講座である。
テーマが、「教師のスキルアップを図る学級経営のありかた」。
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5時間目の授業。
ところが、このクラスの初任の先生は、熱を出して休んでいる(あとでコロナ陽性と判明する)。これは大変。
このクラスへ行き、最初の5分間は、自己紹介(この自己紹介の仕方を先生方に見てもらいたかったと、あとで校長先生は言われていた)。
とっておきの笑いネタで迫る。子供たちは、笑う、笑う。
子供たちの名前を呼びながら話すので、子供たちはびっくり。
どうして知っているの?と。
事前に座席表を送ってもらっていて、全部の子供の名前を覚えていったわけである。
授業は、これもとっておきの「なくぞ」という谷川俊太郎さんの詩。
3年生ぐらいにぴったり。
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この授業は、インプットとアウトプットを小刻みに繰り返してつくっている。
「小刻み学習法」と名付けている。
先生方には、「脳科学の法則から授業の原点を考える」ということで、この授業をしていると紹介した。
脳科学の法則は、こうなる。
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インプットしたら、その知識をアウトプットする。実際に、知識を「使う」ことで脳は「重要な情報」ととらえ、初めて長期記憶として保存し、現実にいかすことができます。これが脳科学の法則です。
(『アウトプット大全』樺沢紫苑著)
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だから、「授業でインプットしたら、それをアウトプットすることで脳の中に長期記憶として保存する」。
この長期記憶が「学力」と言われているものである。
このインプットとアウトプットは、どんな授業にもあるはずである。
だから、私は授業の原点として定義している。
樺沢さんによれば、インプット:アウトプットの黄金比は、(3:7)ということである。
そうすると、インプットは、45分の授業にすれば13分か14分。
そんな授業なんかほとんどやっていない。
ほとんど「7:3,8:2,9:1」の授業をしている。
インプットだらけの授業。
そのため、せめて、「5:5」の授業をしましょうと呼びかける。
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この授業は、「小刻み学習法」として、次の視点で授業をつくりあげている。
①インプットとアウトプットの小刻みくり返し
②全員参加
③フォロー
問題は、全員参加である。
多くの先生たちの授業は、「挙手指名型授業」をされている。
発問をされて、子供たちは挙手をする。
先生は、多くの子供たちが挙手することを望まれるが、結果的にはいつもの4,5人になってしまう。
この4,5人が発言することで、ほとんどの授業は進んでいく。
大半の子供は、傍観者になる。
問題は、この傍観者である。
最初は、静かに教師の話を聞いているが、そのうちに聞かなくなる。聞いたふりをしているだけ。
最大の問題は、この傍観者の子供たちが、「考えなくなる」ということである。
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今新しい教育として「対話的」ということで話し合いの授業が推奨されている。
さかんにそのような授業を追究されている。
話し合いができるということは、話し合いをする子供たちが、自分の考えを持っていることが前提である。
ところが、今まで「挙手指名型授業」ばかりしているので、きちんと考えて、発言できるのは、4,5人程度。
他の子供たちは、課題に対して自分で考えて、自分の答えをもつという習慣をもっていないので、対話的な話し合いに参加できない。ただ、聞いているだけ。
そのために、対話的な授業は、形だけのグループの話し合いになっていて、実質的な話し合いになっていない。
そんな研究授業ばかりになっているではないかと予想している。
だから、私は先生方に次のように提案する。授業もそんな授業をする。
「指名する」こと。 ★
全員参加の方法は、次のこと。
①発問をしたら、ペアで話し合わせる。
②グループで話し合わせる。
③列指名をする。
④男女別指名をする。
⑤名前順指名をする。
⑥水戸黄門式指名をする。
⑦挙手指名をする。 などなど
私は、授業で①、③、⑦を使った。
なぜ「指名をする」のか?
全員の子供たちに、「自分で課題を考える」、「その考えを言葉にする」、「それを相手に伝える」をさせるためである。
これがなければ「対話的な話し合い」はできない。
義務教育の段階(とくに小学校)では、ぜひとも必要なことだと、思っている。
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授業は、3年生になって6日目の子供たちである。
2行ずつ詩「なくぞ」を板書して、それをノートに写し、そして列指名で音読させる。
これを繰り返したわけである。
しかも、「3年生のスピードで書きます。書き終わってから5秒間待ちます。その間に鉛筆を下ろした人は合格!」と言うものだから、子供たちはものすごい集中。
45分間、これを繰り返すわけである。
最後には、子供たちはへなへなになっている(笑)。
こんな集中をしたことがないからであろう。
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