つれづれなるままに~『天路の旅人』を読む~
●母の1周忌で佐賀へ帰る。
羽田までの行きは、二俣川から高速バスに乗る。
ものすごい渋滞。
途中で、もしかしたら飛行機に乗れないかもしれないと覚悟する。
だが、途中から運良く渋滞は解消し、スムーズに動き出す。
いつもの2倍ぐらいの時間がかかったがやっと羽田へ着く。
23日に、佐賀で1周忌を終えて、福岡空港へ向かう。
空港へ着くと、長い行列が続いている。
「この行列は何ですか?」と聞くと、保安検査場を通過する行列だと言う。
23日の天皇誕生日で休み。
それでこのような行列になっている。
列に並んで後ろの人に「大変ですね!」と話しかけると、「正月もこうだったんですよ!」と。
検査場を通過するのに2時間ぐらいかかる。
今回は、余裕をもって行動しなければならないと痛切に考えさせられた旅行になった。
●母の1周忌を無事に終えることができた。
父の33回忌も同時に行う。
兄弟、身内の親戚一同がお寺に集まってくれて、ありがたい一日になった。
100歳まで生きた母は、生涯病気1つもせずに働きづめの生活で過ごしてきた。
その生命力が、私の中にも生きているのだろう、と。
23日の朝、ホテルで朝食をとってから佐賀の中心街を歩いた。
県庁や、佐賀城の周辺は、いつもながらすばらしい景観になっている。
ゆったり、静かな街なみである。
この周辺を遊び場にして、私は子供の頃過ごしたのである。
●夏目漱石「三四郎」の写本が終わった。
筆圧が弱まっていることから、1日に10分だけ写本をしようと思い立って始めたものだが、やっと終わった。A4のノートが11冊。
始めは、2021.6.8。
終わりは、2023.3.1.
2年8ヶ月かかったことになる(母の死去で3ヶ月中断したのだが)。
よくがんばったものだと、自分を褒めてあげたい試みであった。
それでどうなったのか?
もちろん、筆圧は回復している。
書くスピードも速くなっている(女房の証言)。
続け字も書けるようになっている。
何よりも漱石の文体が、私が書く文章に染みこんでいることを期待しているのだが……。
これからの10分間は、読書ノートをつけることにする。
本を読みながら、注目するところに付箋紙を貼っている。
そこのところを改めてノートに写していくことにしたい。
これは、私が死ぬまで続ける儀式になるのであろうか。
★
一日家にいる私だから、こんなことができるのであろう。
だが、考えてみれば、一日10分間でもこんな時間を確保するのは難しい。
普通の働き人はできないだろうなあと思ってしまう。
●『天路の旅人』(沢木耕太郎著 新潮社)を読んだ。
こんなに夢中で読むのも久しぶり。
著者は、沢木耕太郎。同世代、同年齢の横浜国大出。近くの大学なので、親近感があり、沢木の書は、今まで何冊も読んできた。
今回の本は、第二次大戦末期、中国大陸の奥深くまで密偵として潜入した日本人西川一三の旅を描いたルポルタージュ。
読み終えて、この本は、西川一三の人生の「往路」と「帰路」を鮮明に描いたものであると実感した。
「往路」とは、中国大陸の奥へ奥へと進んでいく、その行路。
「帰路」とは、日本へ帰ってきて、家族を守るためにひたすら毎日の生活に勤しむ、その生活。
あとがきで、沢木は書いている。
★ ★ ★
西川一三を書く。
しかし、その彼が自らの旅について記した『秘境西域八年の潜行』という書物がありながら、あえて彼の旅を描こうとするのはなぜなのか。
私は、何度も、そう自問した。
そして、やがて、こう思うようになった。私が描きたいのは、西川一三の旅そのものではなく、その旅をした西川一三という希有な旅人なのだ、と。
★ ★ ★
まさに、沢木は、西川一三の「往路」と「帰路」を描こうとしたのだと、私は勝手にそう考えている。
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