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2023年3月

小牧の初任者指導へ行く

  愛知県小牧市の初任者指導に行く。
 もうここの初任者指導は、現役の頃から続けている。17年目になるのだろうか。
 いつものように名鉄岩倉駅に早めに着いて、五条川の桜を見に行く。
 満開である。
 今年は満開を過ぎてしまうのかもしれないと心配したが、いやいや満開である。良かった。
 ★
 小牧勤労センターへ着くと、玉置先生と中川先生が見えている。びっくり。

 玉置先生のブログの仕事日記には、次のように書かれている。

 ★ ★ ★
12時45分ごろに家を出て、小牧勤労センターへ。小牧市教育委員会主催の4月からの初任者研修会で講演される野中信行先生にお会いするためだ。

 講演までの30分間、互いの近況報告、学級経営の大切さ、変化がない学校現場などを話題にあれこれ話す。初任者研修会を3月末に行ったのは、小牧が全国に先駆けたという記憶があるが、今回で17年目だと野中先生は言われた。「僕の講演を聞いた小牧の初任者は、すでに40歳ほどになっておられるのです」とも。75歳の今なお、この年度末に7、8件の講演依頼があるとのこと。「同じような年齢で私のように講演をやっておられる人はいませんよ。僕の上になると野口芳宏先生なんですよ」と、エネルギッシュに話される野中先生。
★ ★ ★

 つかの間の時間だったが、大切な話がぽんぽんと飛び出す。
 「学校現場が変わらない」という話は、その原因についてじっくり話したかったが、時間切れ。残念。

 そのあと、すぐに講座になる。
 2時間ばかりの講座の終わりに、初任者に話した。

 ★ ★ ★
 今朝早起きしてNHKのテレビを見ていたら、WBCで優勝した栗山監督の言葉が紹介されていました。
 決断のときの言葉は何かということです。
 「できるかできないかは、アウト。
  やるか、やらないか、なのだ」と。
 
 今初任の先生たちは、「できるだろうか?」と不安に思っているのかもしれません。
 はっきり言いますと、実際は、「そんなにうまくいきません!」
 だって、10年も20年もやっている先生たちがうまくいっていないのに、すぐの初任の先生がうまくいくはずはありません。でも、うまく行ったら「しめた!」じゃないですか!
だから、不安に思うことはないのです。

 大谷翔平君は、言っています。
 「何かやれば、良いこと悪いことが出てくる。これはしあわなこと。悪いことが出てきたら、それをどう乗り越えられるかの工夫ができるのですから、しあわせなことなのです」と。
 28歳の若者がこんなことを言っています。
 
 今日、私が提案したことは「やるか、やらないか」の話でした。
 ぜひとも1つでも2つでも挑戦していただきたい。 
★ ★ ★

 初任の先生たちは、これから準備をして初めを迎えるのである。
 何とか1年目を乗り切ってくれることを願っている。

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大谷翔平という存在~WBCが終わって~

 WBCの大会を夢中で見た。
 終わってみれば、やはり大谷翔平の存在が際立つ大会でもあった。
 MVPももらっている。
 アメリカでは、大谷を異次元の人間だと報道するところもあったのである。

 私は、ずっと以前から大谷翔平の発言や行動に注目し、彼についてこのブログでも書いてきている。
 それを改めて載せておきたい。
 ★ ★ ★
 ●大谷翔平がMVPに輝いた(註2021年の大リーグ)。
 満票だったということで、誰でもが認めた賞である。

 素人判断ながら、大谷は、野球の何かを大きく変えてしまったのではないかと思われる。
 この27歳の若者が、アメリカに渡って、これほどまでの偉業を成し遂げている。

 私は、その原点は、高校時代にあるのではないかとずっと考えてきた。

 ★
 朝日新聞に、花巻東高校硬式野球部監督佐々木洋さんのインタビューが一面に掲載されている(2021/11/18)。
 
 この先生が、菊池雄星選手や大谷翔平選手を育てておられる。
 興味深く読んだ。

 ○「メジャーリーガーとして活躍する選手は高校生の頃から他の選手とはまったく違うのですか」という記者の問いかけに、佐々木先生は、次のように答えておられる。

 ◆「大谷を最初に見たときはびっくりしました。すごい速い球が投げられるわけじゃないんですけど、リーチが長くてとてもしなやかだった。ただ、すぐにメジャーリーガーになる姿を思い描けたわけではありません」

 ○「選手の才能をみるときのポイントはどこですか」

 ◆「身体能力は重要です。骨格は遺伝するので、親も観察します。更に重視するのは、親が子どもにどんな言葉をかけているか、他の親とどんなふうに接しているか。親の育て方や考え方で子どものマインドは変わり、伸びしろに差が出ると感じています」

 家族についての発言は注目すること。

 また、佐々木監督は次のようにも答えられている。

 ◆「私が重視しているのは、考え方のインストールです。部員たちには目的と目標の違いを伝え、目標達成のための数値を明確にし、こと細かく設定させます。大谷や菊池はこのときに、すでに目標としてメジャー入りをあげていました。何をするにせよ生きていくには、この考え方が欠かせない」

 やはり、「目標達成シート」を教えたのは、佐々木監督だったということが分かる。
 私は何度も言っているが、この目標達成シートは、マンダラートと言って、今泉浩晃さんが考え出したもので、それをマネしたものである。
(このマンダラートに興味ある人は、『考具』加藤昌治著 CCCメディアハウスを参考にしてほしい)。
 
 このシートは、「考え方」を育てるものである。
 だから、大谷は、高校時代からメジャー入りを目指し、目標達成へむけて、この「考え方」を鍛えていったことが分かる。

 佐々木監督は、さらに続けて語っている。

◆「大谷のような身体や運動能力がある人間と、そうではない人間には必要な練習が違います。指導者は各選手に合わせた練習やアドバイスをしなければなりません。ときには野球に向いていない子どもに、他のスポーツや進路を勧めることもあります。これはあきらめではない。見極めなんです。子どもたちは高校を卒業した後、この競争社会で生き抜いていかないといけないのですから」
 
◆「私は渋沢栄一の『論語と算盤』が好きなんですが、野球選手にとって運動能力は算盤です。でも一生は使えない。だからこそ考え方や生き方といった論語の部分が大事です。社会は不平等だし、競争を強いられる。でも、勝負するフィールドは自分の発想で選べるし、変えられるのです」

○また、「大谷選手の活躍以外にもうれしいことがあったそうですね」という問いかけに、

 ◆「今春、野球部の卒業生が2浪して東京大学に合格しました。私は野球ではなく学力で生きていくべきだと伝えました。彼は東大という目標を掲げ、実現した。私は盆栽が趣味なのですが、指導者の仕事と似ています。盆栽は若木の時に枝に針金をつけて方向付けます。すると、かたちが整って価値を増して輝く。必要であれば針金を掛けたり、時には外したりする。器を変えれば、根が大きく張って、幹も太くなる。環境を整えて、子どもたちの意識を変えて意欲を促していくということです」
「子どもの才能を開花させるにはこうした強制が必要なタイミングがあります。その点で、最近の教育は自主性の重視に偏り過ぎているように思います」

 ◆
 「大谷翔平」という存在を生み出したのは、素質と家庭環境が土台にある。
 しかし、それだけでは「大谷翔平」は生み出されなかった。

 やはり、高校で佐々木監督と出会い、目標を実現する「考え方」を教わっているのがキッカケになっている。
 この出会いがなかったら、恐らく私たちは「大谷翔平」を見ることはできなかったであろう。
 
 佐々木監督は「指導者で才能が開花するというのはうそだと思います。大谷や菊池を私が育てたとは恐ろしくて言えません」と謙遜されている。

 しかし、きっかけだけは確かに与えられている。
佐々木監督から教わったマンダラートできちんと実現できる力を、大谷翔平はもっていたということになる。

 冬は雪深く、実践練習がなかなかできない東北の地から大リーガーになり、二刀流という偉業を成し遂げた大谷翔平。
 マスコミはさまざまな報道をしている。

 今回の偉業は「すごい!」「コロナ禍でこんなうれしいできごとはない!」……ということで終わらせるにはもったいことだ、と思ってきた。

 私は、彼が語る「ことば」に注目した。
 注目した発言は、2つ。

 1つ目は、起こってくる事態への対処の言葉である。

「良かったこと、悪かったこと、出てくることはとても幸せなことだと考えています」と。

 「良かったこと」だけを考えていない。
 「悪かったこと」を経験できる幸せを語っている。

 ここが普通の人とは、違う。
 普通の人は、「悪かったこと」が起これば不幸なことだと認識してしまう。そして、落ち込む。

 しかし、大谷は、「悪いこと」は1つ上のレベルで経験している証(あかし)である、と。
 チャレンジしている場所では、必ず「悪いこと」が起こるのであり、そのことで挑戦していく課題が見つかるのだと語っている。

 これはすごい「ことば」である。

 2つ目は、自分がやったことへの評価についての言葉になる。

 「自分の評価は自分でしないと決めている」、と。
  評価は、他人がするもの。自分ではしない、と。

 これもすごい。
 普通の人は、自分がすることへの評価を始終気にしている。
 自分がやる一挙手一投足を気にする。
 そして、「良かったら」舞い上がり、「悪かったら」落ち込む。

 大谷は、出てきた結果で、小さな変化を見逃さない。
 自分の評価をしないかわりに、自分の中の小さな変化に注目して、その課題をしっかり見つけようとしている。
 
(この2つについては、斎藤孝さんに教えてもらったことである)
 ★
 27歳の若者が、こういう境地に到達している。
 私たちは、この若者から多くのことを学ぶ。

 大谷翔平のこれからも、茨の道が続いていくであろう。
 しかし、その道がどんなに困難であろうとも、自分の道を歩んでいくだろうことだけは確実である。

 ★ ★ ★

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新しく管理職になる先生方へ

 親しい知り合いの先生たちが、管理職へ登用されている。

 私は、管理職へなっていないので、えらそうなことは言えない。
 私でも、親友から「野中を一度校長にさせたかったなあ!」と言われたことがあった。
 しかし、私が管理職へなっていたら、結局マネジメント能力でうまくいかなかったのではないかと、今ならはっきり言うことができる。

 昔なら管理職は名誉職であった。
 誰でもが順番にその職につくことができた。
 校長は、ただ居るだけで、あとは教頭や教務が学校を動かしてくれた。
 
 今はそうなっていない。
 管理職は大変な仕事になっている。
 ビジョンと方法論をもっていない(マネジメント能力)校長は、どんなに熱意があったとしても、管理職の仕事は務まらない。ただ居るだけの存在となる。

 教師の仕事と、管理職の仕事は、別の仕事なのである。
 そのことが分かっていなくてはならない。
 ★
 いま管理職にどうしても必要なビジョンは、「先生たちを元気にすること」なのである。
  
 子供たちをどうするかとか、学校の重点研究をどうするかとか、……は二次的なこと。
 もうそんなことが第1の課題になる時代が過ぎようとしていると、私は認識している。

 ただ、現在の現場の忙しさは半端ではない。
 ブラック労働と言われるごとく、目の前のハエを追うごとくに先生たちは振り回されている。
 だから、ビジョンを具体的に実現することは大変なことなのである。
 ★
 私から管理職へなろうとする先生たちへのエールは、2つのこと。

 1つは、法律にくわしくなることである。
 たとえば、『部活動の断り方』(西川純著 東洋館出版社)という本がある。
 これは、管理職とは真逆の本なのだが、ここで紹介されている法律ぐらいは、きちんと読み込んでおかねばならないものである。
 手元には、『教育小六法』(学陽書房)は常においておかねばならない。

 2つ目は、やはり『マネジメント能力』である。
 学校を動かしていくビジョンと方法を身に付けなくてはならない。
 このためには、ぜひとも『決定版 「任せ方」の教科書』(出口治明著 角川新書)を読んでほしい。

 ただ、出口さんは、「マネジメント能力の限界を知ることがいい上司への第一歩です」と書かれている。
 
 もう1冊は、『元気な学校づくりの秘訣』(横藤雅人著 さくら社)
 校長として学校を動かしていくための本として、これ以上の本は今までないはずである。 
 横藤先生は、校長として「荒れた学校」を3年間で落ち着いた学校へと変えていく実践も、『学力向上プロジェクト』(明治図書)に紹介されている。
 この本は、かつて斎藤喜博校長が、『学校づくりの記』として出された以来の本だと、私は評価している。 

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事務連絡です!

 連絡をいたします。
 オンラインの初任講座の申し込みを出していたのですが、不具合になっていること
をコメントで知らせてもらいました。
 まことに申し訳ないです。
 急ぎ修正しました。
 一つ前のブログの申し込みから申し込みをお願いします。

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第2回目の「オンライン教師1年目の教室」の参加を呼びかけています!

 20年前に、私は1冊目の本『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)を出した。
 今まで、授業、授業ということで進めてきた学級経営に、「学級づくり」を新たに提案した本であった。
 これまでは、学級づくりについて提案した本はなかったはずである。
 すべてが「授業づくり」で覆われていた。

 これまででも学級崩壊はあちこちで聞かれる事態であったが、私の周りで起こってきた学級崩壊は、新しい形の学級崩壊であった。
 今まで学校を背負ってきた、力のあるベテラン教師たちの学級が、学級崩壊になっていく事態がばたばたと新たに起こってきたのである。

 私は、もはや「授業づくり」だけでは、この事態は対応できないと判断できた。
 「学級づくり」という学級経営の方法を取り入れなければならないという形で、「3・7・30の法則」を提案したのであった。
 ★
 

 20年経って、「学級づくり」という方法は、すっかりメジャーなことになっている。
 
 ところが、初任者指導の現実は、相変わらず「授業さえうまくなればクラスは軌道に乗る」という指導が中心になっている。

 うまく行っていない。それは現状がはっきり示している。
 「初任者のクラスの8割が荒れていく」と言われているが、やはり現実はそのようになっている。

 もう授業だけの指導では限界がある。
 それを認識しなければならないはずである。
 ★
 20年経って、まず最初に「学級をつくる」ことはますます必要になっている。
 ただ、現状は、学級づくりだけでは対応できなくなっている。

 私は、「関係づくり」や「集団づくり」が必要になっていると強く感じる。
また、毎日の「授業づくり」をどうしていくかというのも大きな課題である。

 第1回の「オンライン教師1年目の教室」では、「関係づくり」について提案した。
 第2回目は、いよいよ「学級づくり」の提案である(「集団づくり」を含めて)。

 勝負は、1週間なのである。
 この1週間をどのように乗り切るかが問われる。
 そのために、「1週間のシナリオ」(リニューアルしました)を提案したい。
 私ならば、このように1週間を送っていくという参考案である。

 次には、「定着の1ヶ月」がやってくる。
 1週間でつくりあげた仕組みを、1ヶ月でクラスに定着させていくのである。

 これで学級づくりは、ほぼ8割できあがる。
 ★
 

 3月18日(土)に2回目のオンライン初任講座を開く。
 参加は、初任者だけでなく、現役の先生や初任者指導の先生にも門戸を開いている。
 ぜひ後参加下さい。

 

 申し込みは、次のところからお願いします。

 

     https://peatix.com/event/3507109
 
 

 

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つれづれなるままに~『天路の旅人』を読む~

●母の1周忌で佐賀へ帰る。
 羽田までの行きは、二俣川から高速バスに乗る。
 ものすごい渋滞。
 途中で、もしかしたら飛行機に乗れないかもしれないと覚悟する。
 だが、途中から運良く渋滞は解消し、スムーズに動き出す。
 いつもの2倍ぐらいの時間がかかったがやっと羽田へ着く。
 
 23日に、佐賀で1周忌を終えて、福岡空港へ向かう。
 空港へ着くと、長い行列が続いている。
 「この行列は何ですか?」と聞くと、保安検査場を通過する行列だと言う。
 
 23日の天皇誕生日で休み。
 それでこのような行列になっている。
 列に並んで後ろの人に「大変ですね!」と話しかけると、「正月もこうだったんですよ!」と。
 検査場を通過するのに2時間ぐらいかかる。
 
 今回は、余裕をもって行動しなければならないと痛切に考えさせられた旅行になった。
 
●母の1周忌を無事に終えることができた。
 父の33回忌も同時に行う。
 兄弟、身内の親戚一同がお寺に集まってくれて、ありがたい一日になった。

 100歳まで生きた母は、生涯病気1つもせずに働きづめの生活で過ごしてきた。
 その生命力が、私の中にも生きているのだろう、と。

23日の朝、ホテルで朝食をとってから佐賀の中心街を歩いた。
 県庁や、佐賀城の周辺は、いつもながらすばらしい景観になっている。
 ゆったり、静かな街なみである。

 この周辺を遊び場にして、私は子供の頃過ごしたのである。

●夏目漱石「三四郎」の写本が終わった。
 筆圧が弱まっていることから、1日に10分だけ写本をしようと思い立って始めたものだが、やっと終わった。A4のノートが11冊。

 始めは、2021.6.8。
 終わりは、2023.3.1.
 2年8ヶ月かかったことになる(母の死去で3ヶ月中断したのだが)。
 よくがんばったものだと、自分を褒めてあげたい試みであった。

 それでどうなったのか?
 もちろん、筆圧は回復している。
 書くスピードも速くなっている(女房の証言)。
 続け字も書けるようになっている。

 何よりも漱石の文体が、私が書く文章に染みこんでいることを期待しているのだが……。

 これからの10分間は、読書ノートをつけることにする。
 本を読みながら、注目するところに付箋紙を貼っている。
 そこのところを改めてノートに写していくことにしたい。
 これは、私が死ぬまで続ける儀式になるのであろうか。

 一日家にいる私だから、こんなことができるのであろう。

 だが、考えてみれば、一日10分間でもこんな時間を確保するのは難しい。
 普通の働き人はできないだろうなあと思ってしまう。   

●『天路の旅人』(沢木耕太郎著 新潮社)を読んだ。
 こんなに夢中で読むのも久しぶり。

 著者は、沢木耕太郎。同世代、同年齢の横浜国大出。近くの大学なので、親近感があり、沢木の書は、今まで何冊も読んできた。

 今回の本は、第二次大戦末期、中国大陸の奥深くまで密偵として潜入した日本人西川一三の旅を描いたルポルタージュ。

 読み終えて、この本は、西川一三の人生の「往路」と「帰路」を鮮明に描いたものであると実感した。

 「往路」とは、中国大陸の奥へ奥へと進んでいく、その行路。
 「帰路」とは、日本へ帰ってきて、家族を守るためにひたすら毎日の生活に勤しむ、その生活。

 あとがきで、沢木は書いている。
 ★ ★ ★
 西川一三を書く。
 しかし、その彼が自らの旅について記した『秘境西域八年の潜行』という書物がありながら、あえて彼の旅を描こうとするのはなぜなのか。
 私は、何度も、そう自問した。
 そして、やがて、こう思うようになった。私が描きたいのは、西川一三の旅そのものではなく、その旅をした西川一三という希有な旅人なのだ、と。
 ★ ★ ★

 まさに、沢木は、西川一三の「往路」と「帰路」を描こうとしたのだと、私は勝手にそう考えている。

 
 

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