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2023年1月

年度の途中でクラスを解体していく!

 先頃の参議院本会議の代表質問で、立憲民主党の水岡議員が、岸田首相に質問したことがあった。
 沖縄那覇市内の小学校で臨任の先生を確保できず、年度途中で担任不在が続いていた学級の児童が他の学級に振り分けられていた事態が分かり、教員不足が深刻だと現状認識をただした、という質問である。

 岸田首相は、「危機感をもって受け止めている」と答弁したということである(私はその答弁を見ていない)。

 その後、沖縄市内では21の学校で、こうした事態が進んでいることが明らかになっている。
 おそらく、全国で調査すれば、こんな学校はかなりあるのではないかと予想される。
 それほどに教員不足は、深刻なのである。
 私の親しい知り合いも、70歳を過ぎているのに担任をしたり、学級崩壊になっているところに入ったりしている。それほどに深刻である。

 この本会議での水岡議員の質問で、「今までの文教政策の失敗ではないか!」と首相に政策転換を求められたということである。

 文教政策の失敗とは何か?
 果たして首相にも、水岡議員にも、正確にその失敗がとらえられていたのかが心配である。

①教員の長時間労働がひどく、学校が「ブラック学校」に陥っている。

②教員の本務(授業)がまともにできない。その準備さえも勤務時間で
 できない状態に陥っている。
 

 その失敗はさまざまにあげられるだろうが、まずこの2つがまったく解消できないところにある。
 文科省は、「働き方改革」でこれを克服しようとしたが、このコロナ禍でほとんど機能していない。

 日本の文教政策の特徴は、お金を教育に出していないということに尽きる。
 初等教育から高等教育に対する公的支出総額の比率(2017年)は、日本は7.8%で、OECD平均の10.8%に比べて低く、最も比率の高いチリ(17.4%)の半分以下である。

 ★
 今回の沖縄のように年度途中のクラス解体でしか学校は対応できないようになることは目に見えている。
 これからこのような試みが、日本全体で進んでいくはずである。
 先生たちの苦労が目に浮かぶ。


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「策略 ブラック仕事術 誰にも言えない手抜きな働き方」(中村健一著 明治図書)をお勧めします!

 「策略 ブラック仕事術 誰にも言えない手抜きな働き方」(中村健一著 明治図書)を読んだ。
 この本はブラックシリーズの最後の本(?)になるのだろうか。
 次のように書いてある。
 「『ブラック』シリーズも、本書で9冊目である。毎年、夏休みに1冊ずつ書き続けてきた。だから、もう9年も書き続けてきたことになる。
 今年52歳だから、44歳の時からかあ。まさに、私のライフワークと言える作品だ。『ブラック』と書いている間に、私も歳を取ったもんだ。
 『ブラック』シリーズが続いたのは、売れたからに他ならない。売れない本は、消えていく。たまたま売れたから、続いたのだ。シリーズ累計は、10万部に迫っていると聞く。本当に有り難いことである」

 シリーズ累計が9冊で10万部というから、ものすごく売れたことになる。
 教育書では、1万部売れたら、もうベストセラーの部類に入るといわれているので、大変な売れようである。
 それだけ興味をひかれた本であったということになる。
 この一連の本を読んで、救われた先生たちは数多くいるだろうと思われる。
 
 ★
 この本は、「ブラック」というネーミングが惹きつけたものである。
 このような本は、教育界では初めての本。今まで見たこともないものであったことは間違いない。
 なぜ、中村健一先生は、このような本を出すことができたのか。
 私が考えたことはそこであった。

 今までの学校現場を、「家の構造」で喩えてみると次のようになる。

 家の「1階」で先生たちは生活している。
 その中の一部の先生が、「2階」に上がっていく。
 その先生たちは、教育に対する熱意があり、問題意識があって「2階」に上がる。
 その2階で、出されている教育本を盛んに読み、セミナーや研修会に参加し、熱心に勉強をする。
 その先生たちの一部が、今度は「3階」へ上がり、セミナーの講師を務めたり、本を出したりする。

 喩えの話で申し訳ないが、簡単に言うと学校現場は、このような構図になっていたはずである。
 
 この構図の中で、健一先生は、どうしたのか。
 2階へは行ったのである。
 ブラックシリーズには、そのようなことが書いてある。

だが、健一先生は、それから3階へは上がらず、1階へ下り、さらに「地下」へ下りて行ったのではないか。
 その地下で、このブラックシリーズが書かれている。
 私の仮説はこうなる。
 ★
 今まで学校現場に「地下」という発想があったとは誰でもがまったく予測できなかったことなのである。
 健一先生は、「ブラック」と「策略」という言葉と共に地下へ下りていったのである。
 その地下でブラックシリーズは書かれていった。
 なぜ、そんなことができたのか?

 ここには困難校での経験が強くあるのではないか、と私は思われる。
 この困難校で、今まで出されてきた教育本が、ほとんど通用しないという経験をされたのではないだろうか。
 熱意のある先生たちが鬱病になり、休職したり、辞職していったりする現状に健一先生は絶句したはずである。
 ★
 このブラックシリーズで明らかになった、大きな課題が1つある。
 
 今学校現場で、第1のターゲットにすべきは、保護者対応だということ。第2に、子供対応だということである。この順番になる。

 今まで(今も)、学校現場は、文科省や教育委員会の行政によって動いてきた、と先生たちは思ってきたはずである。
 もうそんなものはなくなっている。
 行政が、学校現場を支える存在としては、もはや機能しなくなっている。
 学校現場が抱え込んでいる最大の問題を、もう行政が解決できないのだと分かってきている。

 今、学校現場を動かしているのは、第1に保護者であり、第2に子供たちなのである。
 そこをはっきり健一先生は、このブラックシリーズで明らかにされた。
 私は、画期的なことだと、思った。
 そこをうまく対応できなくては、もう学校現場では生き抜いていけなくなっている。 

 今回のブラック本も、相変わらずの健一節で「策略」を書かれている。
 参考になる実践は多くある。

 それにしても、学級通信を「ほぼ毎日」、昼休みに子供たちと遊ぶのを「ほぼ毎日」というのは恐れ多いことである。
 本来、52歳のベテラン教師ができることではない。

 学級通信は、保護者対応を考えられていること。
 昼休みの遊びは、子供対応を考えられていること。

今、保護者に対して、何を、どのように対応すべきかはこのブラック本から学んでいくべきである。
 「トラブルが起きた時、真っ先に考えなければならないのが、『保護者の怒りを買わないこと』である」
 「『初期対応のポイントは、素早い対応。そして、相手が思うより一段上の対応である』」
 「『気持ちよく終わるためにも、子どもにお灸をすえるためにも、最後は保護者をヨイショして終わろう』」

 これらはすべて保護者対応の極意である。
 
 また、学級崩壊にあわないクラスをつくるというのも、この本から学んでいくことである。
『学級づくりは4月が全て!~最初の1ヶ月死ぬ気でがんばれば、後の11ヶ月は楽である』
 『手を抜くためには、学級崩壊させないことが一番大切だ』
 『学級崩壊は、担任と子どもたちとの人間関係の崩壊なのである』
 『学級崩壊しないためには、教師の笑顔が必要なのだ』

 これらも子供対応の極意である。

 このブラックシリーズが、学校現場に与えてきた刺激は、大変なものだった、と私は思っている。
 この本を読んで、ぜひとも先生方が過酷な学校現場を生き抜いていってほしいと願っている。

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第2回目のオンライン初任講座を開きます~呼びかけです~

 昨年に引き続き、第2回目の「オンライン教師1年目の教室」を開くことになりました。 その呼びかけをつくりました。

  https://syonin-start.peatix.com

 2月から7月までの月1回のオンライン講座です。
 ぜひとも初任の先生に参加いただき、1年間の初任者生活を軌道に乗せてほしいと願っています。
 2月からというのは、4月からでは間に合わない課題を伝えたいためです。

 周りの4月からの初任の先生に呼びかけていただけるとありがたいです。

 初任の先生だけでなく、現役の先生でも、初任者とともに学級経営をもう一度学び直したいと思う先生や、初任者指導に携わる先生方にも、参加いただけるとうれしいことです。 

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つれづれなるままに~コロナは増えているのだ~

●コロナ第8波で、死亡者が増えていることについて、今までその原因について分からないということになっていた。
 
 今回、それについて、専門家が明らかにしている。
 それによると、第7波から第8波へ至る過程で、陽性者の把握の仕方が変わっていて、それが影響をしているという。
 
 つまり、その陽性者把握が今は全数把握になっていなくて、実際は現在の第8波の陽性者は、第7波のときよりも多くなっているということ。
 それでその影響が、高齢者に行って、死者数が多くなっているということ。

 これが専門家の見解である。

 なるほど、現在の第8波の陽性者は、第7波を越えているのか。
 
 確かに年末、年始の人々の往来は、もうコロナを警戒するという身構えがなくなっていた。
すっかり気が緩んでしまっていて、その緩みが一気に陽性者を増やしている。

 さて、学校では3学期が始まっているので、そこでの感染が心配になる。

● 作家の吉本ばななさんが、朝日新聞に話している記事が載っていた。
 
 ★ ★ ★
………………
 最近の本で、「毎日が蜜だ。生きているだけで丸儲けだ。今日が来るのが嬉しい、目を覚ませるのが嬉しい。だいたいの人がみな愛おしい」って書きましたけど(「私と街たち(ほぼ自伝)」、それはほんとうですよ。結局、幸せって、生活の中にあるんだと思います。掃除したり、ごはんをつくったり、洗濯をしたり。そのことじたいが、幸せなことだったということに気づく。だって、みんな年を取るんですからね。いつかだんだん生活ができなくなっている。
 自分で着替えられて、瓶のふたが開けられて。もうそれで幸せなことなんだと思います。きちんと、生活することがいちばんです。
 ★ ★ ★

 何てことはないのだが、「幸せは生活の中にあるのだ」と言い切っている。

 ものごとや人生の本質は、「くりかえし」にある。
 このくりかえしは、生活そのものの中にある。。
 
だから、このくりかえしを生活の中で味わっていくことが幸せということである。

 

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つれづれなるままに~新しい年に~

●新年は、母の死去で喪中である。
 実家に帰ってきた娘と一緒に家族水入らずの新年を静かに迎えている。

 昨年から始めているのが、さまざまなことからの「卒業」である。
 75歳になってからの儀式。

 紅白歌合戦を最後まで見ることからの卒業。
実業団駅伝をずっとテレビで見ることからの卒業。
 毎年の目標を立てることからの卒業。
 さまざまなテレビ番組からの卒業。
 ………………
 笑われる事例が多いのだが、今まで受け身的に続けてきたことをこうして1つ1つ卒業していく。
 そして、私の中にこだわりとして残ってくることで、これから生きていきたい。

  ★
 朝日新聞に毎日掲載される「折々のことば」(鷲田清一)に次のようなことが書かれていたことがある(2018年1月31日)。
★ ★ ★
 生きているそのあいだに、なるたけ多くの「終わり」に触れておく。そのことが、
 人間の生を、いっそう引きしめ、切実に整える…… いしいしんじ

 鷲田さんは次のように解説する。
 「人は自分という存在の始点も終点も知らないし、知りえもしない。自分がどこから
  来てどこへ行くのか。いずれも霧の中だ。でも人の生が「終わり」を孕んでいるの
  は確か。だとすれば、旅にせよ、茶事にせよ、小さな『終わり』をくり返し、『か
  らだの芯へ収める』ことで、中途としての人生にも光が射す。」 
★ ★ ★

 この言葉に触発されて、卒業を考えるようになった。
 いずれ、全ての「終わり」を迎える。
 その前に小さな「終わり」をくり返すことなのだ。

●SEKAI NO OWARI というグループがある。
 いかにも、いかにものグループ名だが、このグループは今までなかなか良い歌をつくっていた。

 それが、今回は「Habit」。
 曲風をがらりと変えてきた。

 レコード大賞にも輝く。
 私も絶対これだなと思っていたが、やはりそうだった。

 ずっと耳について離れない曲。
 その軽快さはなんとも言えず、さわやかなのだ。
 これは何なんだろうと思ってしまう。

 ただ、何を歌っているのか分からない。
 そこでネットで検索してみる。
 
 habitとは、習性、癖。
 人は、何でも区別してしまう習性があるけど、そんな悪い習性は止めようよ、と。
 そんなことを歌っているのであろう。
 
 あまり歌詞に意味があるとは思えない。
 ただ、言葉を組み合わせて、「言葉遊び」風に仕上げ、バックダンスと組み合わせて、その軽快さをつくりあげている。ここなんだな、と思ってしまう。
 
●暮れから1冊の本を読んでいる。
 『ストーリーとしての競争戦略』である。
 著者は、楠木建さん。

 優れた戦略の条件が書かれているのだが、むずかしくよく理解できない(笑)。
 ただ、ところどころでキラリと刺さる言葉がある。
 この楠木さんは、『絶対悲観主義』という本で知ることになった著者である。
 最近もっとも注目している著者の一人になる。
 
この本を読みながら(理解できないながら)、わくわくしてしまう自分がいて、
 「まだまだ自分にこうした好奇心があるんだ!」と発見できて、ちょっとうれしい気持ちになる。

 もしかしたら、今まで自分で提起してきた学級経営のヒントになることが書かれているのではないか、と。
 そんなヒントを知ったからといって、もうどうなるものでもないが、今までの自分の考えをちょっと変えられるかもしれない、という好奇心である。

 「その歳で、そんな本を読んでいる時ではないだろうに?もう残された時間はそんなにないのに!」という声が一方では、自分の中から聞こえてくる。
 
 それはそうなのだが、好奇心があるというのは大切なこと。
 歳をとっていくと、これが無くなっていくのであるから。

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