つれづれなるままに~ありがとうございました~
●知り合いより、遠藤豊吉先生の書かれたものを送ってもらった。
遠藤先生とは、20代の頃多くの影響を受けた先生である。
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わたしが教師生活の第一歩をふみだした岳下村の中学校。ここから10キロ以上もはなれた安達太良の山懐に、戦後入植した人たちの開拓地があった。その開拓地から、わたしの受け持つ学級に一人の女の子がかよっていた。
彼女は毎朝四時半に起き、朝食を作って食べ、父母が起きたらすぐ食べられるように配膳をととのえて家を出る。週に一度は近所の家から買ってほしいと頼まれた日用品、雑貨の類をはこぶため、大きなかごをせおって登校した。
冬になると、下校のとちゅうで日が暮れる。開拓地の入り口まで父親が提灯をもってむかえてくれる。父親がふる提灯の明かりを見ると、疲れがいっぺんにふっ飛んでしまうんです、と彼女は言った。成績もよく、中学の3年間を無欠席でとおした。
嫁にいって子どもも何人かでき、そしてその子も、もうずいぶん大きくなっていることだろう、と、わたしは二十何年か前を思い出している。きっと強い母親になっているだろう。わたしは彼女の今日を想像し、豊かな思いにひたるのである。
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20代の頃、ある雑誌に「遠藤豊吉の場所」というのを書いたことがある。はじめて投稿した原稿。
今読み返してみると、恥ずかしくてとても読み通せないものである。
遠藤先生は、亡くなって25年が経っている。73歳であった。
常に子供を前提にして、こうしてものごとを考えていく先生であった。
ひさしぶりに遠藤先生の書かれたものを読んだのである。
●ジャーナリストの田原総一朗氏(88)さんが、次のようなことを書かれているとヤフーニュースが明らかにしている。
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日本教職員組合が今年秋にインターネットで行った調査によると公立の小中学校の教員の実質的な労働時間は平均11時間超。4割以上が休憩時間0分と答えたという。こうした労働環境が子どもの教育に悪い影響を与え、ひいては教員不足につながっている。
田原氏はこの流れを報じるNHKの記事を引用した上で「教職員が激務でなり手が不足している。経済、安全保障と同じように教育の問題もなんとかしなくてはならない」と、教員不足が日本の将来を左右する重大な問題であることを訴えた。
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まったくその通り。
この課題こそが、これからの日本の重大事態なのに、その声がまったく聞こえてこないのはどうしたことだろうか。
学校が潰れかかっているのに。
ため息が出てきてしまう。
●川本三郎という評論家がいる。
その川本さんが、朝日新聞に寄稿されている文章(12/21)に胸を打たれた。「思い出して生きること」という表題。
奥さんに先立たれて14年が過ぎた、と。
読み進めながら、その文章のうまさに感動する。
78歳になり、今まで筆一本の物書きと過ごしてこられた、その結果がこの文章には詰まっている。
文章の最後に、入眠儀式のことを書かれている。
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ベルイマン監督「野いちご」(57年)の主人公は、今の私と同じ78歳の老人だったが、最後、一日の旅のあと眠りにつくとき、若い頃のことを思い出しながら心を穏やかにした。
78歳になるいま、私も入眠儀式として、亡き家内とともに猫たちと一緒に暮らしたあの穏やかな日々を思い出している。思い出は老いの身の宝物である。
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私は、とてもこんな心境にはなれない。
若い頃のことを思い出せば、苦い思い出が浮き出てくる。
そして今、75歳の身で、まだ走り続けている自分のことを思いながら苦笑いするだけなのである。
今年は、さまざまな大変なことが一気に押し寄せた1年だった。
来年こそは、穏やかな1年になることを願っている。
このブログを読んでもらった皆様、ありがとうございました。
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コメント
野中先生
今年も先生のブログや通信からいろいろなことを学びました。
教員生活も残り3か月です。
4月からどうなるか分かりませんが,私を必要とする場所でがんばろうと思います。
来年もどうぞよろしくお願いします。
投稿: 山中太 | 2022年12月29日 (木) 18時07分
山中先生、コメントありがとうございました。
あと3ヶ月なんですね。私も15年前の今頃を思い出しました。
6年生を受け持っていたのですよ。
その子供たちを卒業させることで精一杯だったことを思い出しています。
山中先生の第2の人生に、期待しております。
投稿: 野中信行 | 2022年12月31日 (土) 09時45分