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2022年12月

つれづれなるままに~ありがとうございました~

●知り合いより、遠藤豊吉先生の書かれたものを送ってもらった。
 遠藤先生とは、20代の頃多くの影響を受けた先生である。
 
 ★ ★ ★
 わたしが教師生活の第一歩をふみだした岳下村の中学校。ここから10キロ以上もはなれた安達太良の山懐に、戦後入植した人たちの開拓地があった。その開拓地から、わたしの受け持つ学級に一人の女の子がかよっていた。
 彼女は毎朝四時半に起き、朝食を作って食べ、父母が起きたらすぐ食べられるように配膳をととのえて家を出る。週に一度は近所の家から買ってほしいと頼まれた日用品、雑貨の類をはこぶため、大きなかごをせおって登校した。
 冬になると、下校のとちゅうで日が暮れる。開拓地の入り口まで父親が提灯をもってむかえてくれる。父親がふる提灯の明かりを見ると、疲れがいっぺんにふっ飛んでしまうんです、と彼女は言った。成績もよく、中学の3年間を無欠席でとおした。
 嫁にいって子どもも何人かでき、そしてその子も、もうずいぶん大きくなっていることだろう、と、わたしは二十何年か前を思い出している。きっと強い母親になっているだろう。わたしは彼女の今日を想像し、豊かな思いにひたるのである。
 ★ ★ ★

20代の頃、ある雑誌に「遠藤豊吉の場所」というのを書いたことがある。はじめて投稿した原稿。
 今読み返してみると、恥ずかしくてとても読み通せないものである。

 遠藤先生は、亡くなって25年が経っている。73歳であった。
 常に子供を前提にして、こうしてものごとを考えていく先生であった。
 
ひさしぶりに遠藤先生の書かれたものを読んだのである。

●ジャーナリストの田原総一朗氏(88)さんが、次のようなことを書かれているとヤフーニュースが明らかにしている。
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日本教職員組合が今年秋にインターネットで行った調査によると公立の小中学校の教員の実質的な労働時間は平均11時間超。4割以上が休憩時間0分と答えたという。こうした労働環境が子どもの教育に悪い影響を与え、ひいては教員不足につながっている。

 田原氏はこの流れを報じるNHKの記事を引用した上で「教職員が激務でなり手が不足している。経済、安全保障と同じように教育の問題もなんとかしなくてはならない」と、教員不足が日本の将来を左右する重大な問題であることを訴えた。
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 まったくその通り。
 この課題こそが、これからの日本の重大事態なのに、その声がまったく聞こえてこないのはどうしたことだろうか。
 学校が潰れかかっているのに。
 ため息が出てきてしまう。

●川本三郎という評論家がいる。
 その川本さんが、朝日新聞に寄稿されている文章(12/21)に胸を打たれた。「思い出して生きること」という表題。
 奥さんに先立たれて14年が過ぎた、と。
 
 読み進めながら、その文章のうまさに感動する。
 78歳になり、今まで筆一本の物書きと過ごしてこられた、その結果がこの文章には詰まっている。

 文章の最後に、入眠儀式のことを書かれている。

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 ベルイマン監督「野いちご」(57年)の主人公は、今の私と同じ78歳の老人だったが、最後、一日の旅のあと眠りにつくとき、若い頃のことを思い出しながら心を穏やかにした。
 78歳になるいま、私も入眠儀式として、亡き家内とともに猫たちと一緒に暮らしたあの穏やかな日々を思い出している。思い出は老いの身の宝物である。
 ★ ★ ★
   
 私は、とてもこんな心境にはなれない。
 若い頃のことを思い出せば、苦い思い出が浮き出てくる。
 そして今、75歳の身で、まだ走り続けている自分のことを思いながら苦笑いするだけなのである。

 今年は、さまざまな大変なことが一気に押し寄せた1年だった。
 来年こそは、穏やかな1年になることを願っている。
 このブログを読んでもらった皆様、ありがとうございました。

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死体を煮ている~ごんぎつねの場面で~

 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(石井光太著 文藝春秋)を読んでいる。
いろいろ考えさせる、衝撃的な本である。
 読みながら、戸惑っている。

 その箇所は次のこと。
序章の最初に紹介して事例である。
 「『ごんぎつね』の読めない小学生たち」。

 石井さんが都内の公立小学校から講演で呼ばれた折に、国語の授業見学をさせてもらったときのことである。小学校4年生のクラス。
子供たちの発言に耳を疑うような発言が飛び出した、と。

 授業で取り上げられたのは、ごんが兵十の母親の葬儀に出くわす場面。
 教科書はこうなっている。
 ★ ★ ★
 よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表の
 かまどで火をたいています。おおきななべの中では、何かぐずぐずに
 えていました。
 ★ ★ ★

 担任は、生徒たちを班に分けて「鍋で何を煮ているのか」などを話し合わせた、ということ。

 出てきた意見は、次のこと。

 「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
 「私たちの班の意見は違います。もう死んでいるお母さんを消毒しても意味がないです。それより、昔はお墓がなかったので、死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」
「昔もお墓はあったはずです。だって、うちのおばあちゃんのお墓はあるから。でも、昔は焼くところ(火葬場)がないから、お湯で溶かして骨にしてから、お墓に埋めなければならなかったんだと思います」
 「うちの班も同じです。死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたんだと思います」

 石井さんは、次のように書いている。

 「当初、私は生徒たちがふざけて答えているのだと思っていた。だが、8つの班のうち5つの班が、3,4人で話し合った結論として、『死体を煮る』と答えているのだ。みんな真剣な表情で、冗談めかした様子は微塵もない。この学校は1学年4クラスの、学力レベルとしてはごく普通の小学校だ」

 ★
 「おい!おい!」となる。
 ここに書かれていることへの違和感。
 最初「ほんとなのか?」と疑った。
 私が現役でいたときの15年前には、こうした発言を子供たちがすることはまずありえなかった。これは断言できる。
 
 問題は2つ。
 まず、1つ目は、ここでの担任の課題(発問)「鍋で何を煮ているのか?」はひどいものである。
 「ごんぎつね」では、こんなことを問うていくことではない。
 些末なこと。

 2つ目は、子供たちの発言。
 子供たちは勝手に想像して答えている。
 こんな答え方をさせてはならない。

 国語では、文脈を読み取っていくので、「ここでは○○と書かれているので、○○と思います」という発言をさせなくてはならない。
 書かれている文脈を根拠に答えていくのである。

 勝手に想像したことを発言させることは、国語の授業ではない。
 これでは、読解力はつかない。

 それにしても、その想像したことがあまりにも想定を超えている。
 これはなんとしたことか?
 どうしても、ほんとうなのかというのが疑念として残る。

 石井さんは、次のように答える。

 ★ ★ ★
 おそらく私にとって初めてのことなら、苦笑いして流していただろう。だが、似たような場面に出くわしたのは一度や二度ではなかった。
 ★ ★ ★

 石井さんは、この10数年ほど毎月、全国のいろんな教育機関を訪れ、実際に授業に参加させてもらったり、教員や保護者と語りあったりしている。そこで、たびたび同様なことを目撃していた、と。

 また、講演会が終わって、校長室でこの「ごんぎつね」についての校長の話が書かれている。30年以上の教員経験があり、国語を専門にしている校長。

 ★ ★ ★
 今日のケースは少々極端でしたが、最近は多かれ少なかれあのような意見が出るのは普通です。教員もそれをわかっているので、先ほどの授業でも班になって話し合わせたのでしょう。それでもああいう回答になってしまったようですが……。残念ながら、似たようなことは、私も他の学校でしばしば経験してきました。
 ★ ★ ★
 「おい、おい、おい!」と言うことになる。

 現場は大きく変わっているのだ、と。
 もしこのようなことが普通に起こっているとしたら、子供たちの中で大きな地殻変動が起こっていると、判断する。

 この原因を、石井さんは、国語力の低下だと考え、それを追及をした本がこの書なのである。
 
 私は戸惑っている。皆さんはどうだろうか。

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戦い終えて日が暮れて

 日本中を歓喜の渦に巻き込んだ日本サッカーの躍進は、もう何度もテレビで取り上げられている。
 クロアチアにはPKで負けてしまったが、今回の活躍はすばらしいものであった。
 
 今回のドイツ、スペインの逆転勝ちの筋道は、専門家の説明で分かってきた。
 
 前半を守備で耐えて、後半を攻撃型の堂安、三苫等を入れて勝負に出るという作戦だった、と。

 前半では、確かに1点しか取られていない。
 それで良しという作戦だったのである。

 今回のサッカーを見ながら、印象に残ったことが2つあった。

 1つ目は、やはり海外に出て行かねばならないということ。

 2つ目は、少年サッカーチームに夢を与えたこと。

 1つ目は、今回のチームは、ほとんどが海外組の選手で構成されている。
 選手たちが海外へ行くことにより、海外のチームでもまれていく。
 そのことが日本サッカーのレベルを確実に上げている。
 
 はっきりしたのは、野球でもサッカーでも陸上でも、世界で通用するようになるには、やはり海外へ行かねば強くならないということである。

 2つ目の夢のあること。
 マスコミでは、田中選手と三苫選手のことが話題になっている。
 2人とも川崎市の少年サッカーチーム「さぎぬまSC」からJ1川崎フロンターレの下部組織に入り、歩みを共にした。
 
 そのことで「僕たちも少年サッカーチームでがんばればあんな選手になれるんだ!」という夢を持たせている。
 これは夢にしか過ぎないが、こうして憧れをもてるというのはすごいことである。
子供の時に、夢中になる何かを持てることは、後々の人生に確実に生きてくるからである。
 ★
しかし、その夢は、あくまでも夢にしか過ぎない。

 確かな情報ではないが、野球でプロになる選手は、野球をやっている人の9万人に1人と。
 サッカーでプロになる選手は、サッカーをやっている選手の7万人に1人だとかつて聞いてことがある。真偽は、分からない。
 確かだとすると、途方もないことである。
 そうしてプロになったとしても成功するとは限らない。
 
 確かな数字では、野球では、2021年度の高校3年硬式野球部員は43968人で、ドラフト会議で支配下選手として指名されたのは30人だった、と。

 まあ、そこらあたりの野球チームやサッカーチームでやっている子供たちが、プロに這い上がっていくのはありえないと思った方がいい。
 身も蓋もない言い方だが、子供たちは「プロになりたい!」と夢を持つが親の方は冷静でなくてはならない。
 そんな冷静さをもたないで、親の方が夢中になってしまって、子供の人生を潰してしまうことが往々にしてあるからである。
 そんな親を何人も見てきた。
 「野球さえやっておけばいい」「サッカーさえやっておけばいい」
 こんな考えを子供に持たせてはならない。
 ★
 強くなるためには、海外へいかねばならないと書いた。
 日本の中で「お山の大将」になっているうちは、もうそれまでである。
 
 経営学者の楠木建さんは、次のように書いている。
 ★ ★ ★
 日本を代表する経営コンサルタントの大前研一さんから教わった名言に
 「人間が変わる方法は、時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変える、この3つしかない。もっとも意味がないのが『決意を新たにすること』だ」というのがあります。(『三位一体の経営』ダイヤモンド社)
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 要するに、自分の環境を変え、自分の時間を変えていくことである。
 海外へ行った選手たちは、これを行ったわけである。
 
 大前研一さんの言葉は極めて示唆的である。

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全員参加の授業が、こうしてつくられている!(2)

 
  全員参加の授業が、こうしてつくられている!(2)
               ~中学校の社会科授業~

 ぜひとも、くわしく知りたくなったので、山中先生に「もう少し教えてください」と連絡をした。
 すぐに連絡が返ってきた。
 このような授業をつくられたきっかけが書かれていた。

  「教職15年ぐらいで荒れた学校に勤務していた時に、授業を大き
  く変えなければだめだと実感しました。
   まずは、生徒を授業中イスに座らせるためにはどうすればいいか
  を考えました。生徒を全員参加させるためにはどうすればいいかを
  考えました。」

 そこで考え出されたことは次のこと。

 1 楽しくしたら、まずは授業に参加するだろう
 2 50分間は無理なので、10分間ぐらいは集中するだろう
 3 やんちゃな生徒も実はほめられたいのではないか
 4 やんちゃな生徒も認められたいのではないか
 5 ほめることと認めることを見える化するためにはどうすればいいか
 6 ほめられたことを見える化して、それがどんどんたまっていけば
  うれしいのではないか
 7 じっと座っていないのであれば、短い時間だけでも活動を取り入れ
  たらいいんじゃないか

 毎時間楽しくするという課題は、小学校の教師にとってはむずかしいことである。中学校の先生は、1教科を教えればいいので、教材研究ができれば
この工夫ができる。
「ほめる」「認める」の見える化はおもしろい。
やんちゃな生徒でも、ほめられたい、認められたいというのは当たり前のことである。
活動を入れるというのも、「味噌汁・ご飯」授業と合致する。


 山中先生が、その結果、考え出された授業が次のようなもの。

 1 説明を面白く分かりやすくなるようにした。
 
 2 教科書を使って探す、考えさせるような全員ができる課題を出すようにした。
 
 3 50分間の中で、1回は逆転現象が起きるような発問をした。社会科
   的な思考を促す発問。どうなると思う、どうしてかな、なぜだろうなど。

註 野中
  これはレベルが高い技量である。若い先生たちは、この技量を最初 は持てない。
 それでも、「教科書を使って探す、考えさせる課題」というのはいい。さまざまな資料を使って課題を考えさせるようにすると、学習遅進児は、ついていけない。

 4 10分間に1回課題を出して、机間巡視をしながら生徒がノートに書い た答えをチェックしていく、その時に、一人一人にシールをあげる。

 5 このシールは色分けをして、社会科の評価の4観点とリンクしている。
 
 6 社会的思考の問題は、金シールや銀シールなど評価を差別化している。こうすることで、勉強が苦手な生徒でも金シールをもらえるチャンスが生まれる。

 7 生徒はもらったシールを自分もシールカードに張り替えていく。

 8 宿題は、だれでもいつでもできる課題をプリントにしていく。
 
 9 家庭学習は、授業中に疑問を投げかけて調べ学習のヒントを与えている。
  最近では、「日本語を公用語として使っているパラオという国について調べよう」

 10 全員が参加できるように、社会科クイズを必ずする。「解体新書」を何年かかって書き上げたでしょうか。A 2年 B 4年 C 6年 など3択 で  す。
 11 宿題も自学ノートも提出すれば、シールをもらえる。努力によって金シ ールが何枚ももらえる。
 12 このシールカードを評価の材料にしている。

 
   これが「ほめる」「認める」の見える化である。
  このために、色分けのシールを使われている。
ここが工夫されていることになる。
「シールで生徒をつっている」「ごほうびをあげて生徒を引き付けるのはよくない」などの批判を受けたこともあり、そんな先生に
は、次のような質問をしてきたということである。
「先生の社会科授業では、生徒は全員参加しているのですよね」「その方法を具体的に教えてください」と。
具体的な授業を提案されている。そのための批判をするためには、代わりに具体的な授業を提案しなければならない。それが現場で生き
るということである。
  教育にとって、ベストの方法はない。つねに、ベターの方法である。目の前の生徒、しかも荒れている生徒たちを含めて全員参加させるため
には、どのような方法があるのか、その課題に対して考え出された方法である。
 

13 課題が難しければ、3分程度の交流をさせて仲間から教えてもらう時間
を設ける。

 14 ノートは左側にプリントを貼り、右側には板書をうつさせている。
 
 15 教科書中心の授業づくりだが、短い動画資料や写真資料を使う。

 16 フリータイムという自分の考えをどんどん言わせる時間を設けている.
3分程度。

 17 地名探しや色塗りなど誰でもできる課題を出す。

 18 プリントは、授業中は「ステップ1 」だけをやり、余裕がある生徒は「ステップ2」「3」「4」と進める。

 19 定期テストも教科書とノートと学習プリントからしか出題しない。こう することでテスト勉強がしやすくなる。

 20 1つの単元が終わると、「3問テスト」をする。前時の学習用語を確認 するテストである。私が問題を読み上げて、生徒はノートの上のほうに   答えを3つ書く。出題する前に「ダウトカード」をやっている。5 ~6  枚程度のカードに学習用語を書いている。そのカードを見せながら読み 上げさせる。中にはわざと間違ったカードが入っているので、その時は、 生徒は「ダウト」と叫ぶ。まあ、フラッシュカードみたいなもの。導入 を楽しくする、授業にテンポをつくる工夫。


さまざまな工夫がなされている。
全てが全員参加のための工夫である。
それに小刻みに課題が提出されていくので、生徒たちにとっては暇な時間がないわけである。
定期テストが、教科書とノートと学習プリントから出されるというのもとても分かりやすいことである。教科書をマスターしていれば
100点ということである。
「教えられたこと」から出題されるわけであるから、生徒たちは何を勉強すればいいかが分かるということになる。


 実際には、「社会科授業心得」や子供のノート、シールなどもっとくわしく載っているプリントが送られてきている。
ここで山中先生の授業を、特に紹介したいと思ったのはわけがある。

1 中学校の社会科の先生なのである。
 不遜な言い方だが、私が抱いていた中学校の先生たちに対する思いは、
「授業」にそんなに比重をかけられていないのではないかということ。
(そうではない先生たちもいっぱいいるのだが)
 部活や行事などへの比重が多いのではないかと思っていたわけである。
ところが、山中先生は、荒れた学校での経験から、このような授業を生み出されている。

2 小学校で、荒れた学校経験をしている先生たちはいっぱいいるのだが、 「子供が大変だ!」「親が大変だ!」と愚痴が並べられる。それはいい。
だが、1時間から6時間まである授業をどう変えていくかが工夫されている のかということになる。
 確かに教材研究の時間は、中学校よりもない。
 でも、世界で一番労働時間が多い、日本の中学校の先生がこうした工夫をされているというのは注目に値するはずである。

3 私が最初に注目したのは、繰り返しになるが、「味噌汁・ご飯」授業と実践が似ていることであった。どこが似ているのか。

①すべてが「日常授業」としてなされていること。
②全員参加の方法が取られていること。
③教科書を中心として扱われていること。
④授業の課題は、小刻みで、活動を加えながら、スピード・テンポ
 を大事にされていること。

 結局、「日常授業」をどのように改善していくかとなると、こうなっていくはずである。その具体化が示されている。

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