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2022年11月

全員参加の授業をこうしてつくられている!(1)

  全員参加の授業をこうしてつくられている!(1)
                ~中学校の社会科の授業~

 松森先生の本で全員参加授業について取り上げておられる。
 重要なテーマである。
 それについて、以前(2020.6.24,7.6)に2回に分けて山中太先生の社会科の授業を紹介しておいた。
 ぜひもう一度紹介しておきたいという気持ちになった。

 山中先生は、中学の社会科の先生。
 かつて荒れた学校に勤務されていたときに授業を大きく変えなければならないということになった、と。
 そこで考え出された授業が、全員参加の授業であった。
 これは、小学校の先生たちにもおおいに参考になるものである。
 かつてのブログの記事を少し変更しながら、もう一度紹介しておきたい。


「えっ、これは『味噌汁・ご飯』授業が目指してきた授業じゃないか!」
 というのが最初の感想。

 長崎の山中太先生のFB(旧フェイスブック)である。
 中学校の社会科の先生である。
 知り合い。
 一度、福岡で講座をもったときに長崎から駆けつけてこられて、お会いしたことがある。

 こんな授業を示されている。

 ★ ★ ★
 全員参加の授業づくりを行っています。勉強が苦手な生徒も楽しく参加できるような工夫を取り入れています。例えばこんなことです。

 ①授業を10分の5セットとして考えて,いろいろな課題を与えて,その都度一人一人を評価しています。
 ②誰でもできる課題を与えます。(地名探し,色塗り作業,気づきを書く)
 ③苦手な生徒でも高い評価がもらえるような課題を出します。(知識よりも発想力,想像力を評価します。いわゆる逆転現象を起こす課題です)
 ④授業のテンポが鈍ったらクイズを出題します。
 ⑤課題が早く終わった生徒はステップアップ課題に取りくむようにしています。

 
 社会科の授業が終わる頃,「えっ,もう終わり?」という声が聞こえてきます。ゲームに慣れきっている生徒を授業に乗せるために,いろいろな工夫が必要だと思います。とにかく50分間だまってイスに座らせ,じっと教師の説明を聞かせ,ひたすらドリルを解かせるなんて授業をしている教師は,まだいるのでしょうか。
★ ★ ★
 どんな授業になるのか。
 別のところで、初任者に見せた授業の内容を公開されている。
★ ★ ★
 単元は「乾燥帯の特色」。
 モンゴルのステッでの暮らしを学ぶというもの。

 ①地図帳でモンゴルの位置を確認させる。
 ②ステップの写真を見せて気づきを発表させる。
 ③ゲルという移動式の住居の特徴を教える。
 ④ゲルを組み立てるためにはどれぐらいの時間がかかるかクイズを解かせ  る。
 ⑤どうして移動式の住居なのかを考えさせる。
 ⑥夏は山の上→秋は草原→冬は丘に囲まれた低地という遊牧の流れを知る。
 ⑦どうして冬は,丘に囲まれた低地に住むのかを考えさせる。
 ⑧現在のゲルの写真を見る(ソーラーパネル,パラボラアンテナ,オート  バイがあること)
 ⑨どうして遊牧にオートバイが必要なのかを考えさせる。
 ⑩遊牧の生活の変化を理解させる。
 ⑪確認テスト

という流れでした。

いくつもの小さな課題に取り組ませ,その都度,個々の生徒をフォローしていくのが,私の授業の流れです。
意識していることは,テンポです。テンポ授業を進めて生徒をのせてしまうのです。

初任者の感想です。
「疾走感があるのに,すべての生徒が授業についてきているのに驚きました。」

 ★ ★ ★

 私は、「小刻み学習法」と名付けていることである。
 これが、具体的に、こうして、しかも中学校の授業で実現されている。
 何とも感激する提案である。(つづく)

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つれづれなるままに~さらにまた生きてゆくべし~

●結婚49年目になるという親しい知り合いからメール連絡がきた。
 その中に、歌人 斉藤史さんの歌が引用されていた。

さらにまた生きてゆくべしまだ知らぬ自分に会えるたのしみがある

 この「自分」に連れ合いの名前を入れて楽しむという。
 なんとも素敵なことではないか!

●玄関の前でいつも楽しませてくれるテッセンが、この時期に1つだけみご とに花を開いている。

 ほんとうは、春咲きのテッセンだが、珍しいことである。
 調べて見ると、四季咲きもあると。

 冷たい雨に出会い、それでもがんばって咲いている。
 その一生懸命さに感激する。

 朝玄関を急いで開けて、テッセンを見る。
 まだがんばっている。
 毎日そのテッセンに「頑張って咲いてよ!とてもきれいだよ!」と声かけしている。
 
 「植物も会話をしている」と明らかにしたのは、NHKでの放映である。
 屋久島に行ったときも、屋久杉に耳をあてるとかすかな音がしている。
 「屋久杉たちも、地中でお互いに励ましながら、数千年生きているのだ!」と改めて想像している。

●数独への挑戦をもう数年続けていることになる。
 金曜日と土曜日、新聞紙上に掲載される数独に挑戦している。

 続けてきた分かったことは、基本の解き方が分かっていれば、第4段階の問題までは解けること。
 第5段階の難解問題は、二股解きをやればいいこと。
 
 「基本解き」と「二股解き」の2つができれば、全部の問題が解けるのである。
 このことがやっと分かったのである。
 やはり、基礎・基本ができなければ何でもだめなんだなあとしみじみと感じる。

●NKHの連ドラ「舞い上がれ」で主人公の初フライトが今日。
 仲間たちが、そのフライトのショックで沈んでいた。

 思い出したことがあった。
 私もカリフォルニアの日本人学校(補習校)へ行ったとき、セスナ機に乗せてもらったことである。
 
 サンノゼからサンフランシスコへ向けての飛行。
 副操縦席に座らせてもらった。
 
 途中、機長から「先生、操縦しますか?」と聞かれて、つい「はい!」と返事をしていた。
 こんな機会はもう二度とない。断る理由もない。
 
 「上へあげるには操縦桿を上へ、下へ下がるには下へ それでいいのです」と言われる。
 そう言われても、車の免許もない私が操縦しているのである。
 ふらふらしているのがよく分かる。

サンフランシスコまで行って、引き返してくる。
15分ばかりの操縦。
無我夢中である。

そんなことを思い出した。
よく「はい」と返事したものだと今更ながら思い出している。

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どんな子供も見捨てない~全員参加の授業をつくりあげる~

 松森先生の『発問・指示テクニック』(明治図書)の本で、全員参加の授業を目指されていることを前回のブログで書いた。

 この全員参加の授業は、今まで何人もの先生たちが主張されてきている。
 だが、学校現場の多くの先生たちは、ほとんど実現されていない。
 
 実現されていないというより、そもそも、そういう考え方をもっていない。

 前回も書いたが、ほとんどの先生が「挙手指名型授業」をされている。
 当然指名されない傍観者が出てくる。
 「どんな意見でもいいから発言するように!」と何度も声かけされるが、挙手するのはいつもの子供たちである。

 私は、どんどん指名すればいい、と助言するが、そうならない。
 先生たちは、何か指名すれば、だめなことをやっているという思いがある。
 指名すれば、「主体的」という主眼から外れていくということであろう。
 
 ★
 私は、持論として義務教育段階で子供たちにぜひとも身に付けさせていかねばならないことが2つあると考えてきた。

 1つ目は、知識・技能の習得。

 2つ目は、他に伝える言葉を持つこと。

 1つ目は、詰め込み教育ということで否定されて、「無理をして習得させなくてもいい」という風潮が学校現場に広がっている。
 だが、子供たちが「考える」ためには、そのための知識・技能が必要なことは当たり前のことである。知識・技能が貧弱では、「考える」ことさえできない。

 2つ目は、説明が必要であろう。
 
 義務教育段階は、一人一人の子供たちに次のことを身に付ける必要がある。

 ①課題に対して自分で考える。
 ②考えたことを言語化する。
 ③それを他に伝える。

 他者に自分の思いや考えを伝える作法を身に付けなければ、順調な社会生活を送れない。
 だから、他者に自分の思いや考えを伝えるためには、上にあげた①②③を身に付けなくてはならない。
 これは、義務教育が果たさなくてはならない大切な課題だと、私は思ってきた。

 ところが、挙手指名型授業ばかりやっていたら、もう①の段階から落ちこぼれていく。傍観者になり、考えなくなっていく。

 これを防いでいくのは、全員参加授業である。
 挙手指名もありだが、どんどん指名して発言の機会をつくってあげなくてはならない。とにかく発言の量を多くすること。
 指名をすることを繰り返していけば、傍観者たちも考えざるをえなくなる。
 
 もちろん、ペアで話し合ったり、グループで話し合うということも大切である。また、ノートに書くなども発言の1つになる。
 松森先生が強調されている「学習量」になる。

 大切なのは、全員参加授業では、こういうハウツーだけでなく、きちんとした「考え方」を持っておくということである。
 その「考え方」は、「どんな子供も見捨てない」ということになる。

 私たちは、今まで「味噌汁・ご飯」授業という提案をしてきた。
 この提案の目的は、次の3点。

①日常性を追求すること。
②基礎的な学力保障があること。
③全員参加であること。

 目的の中に「全員参加であること」をはっきり明示している。 
このことは、「味噌汁・ご飯」授業が、「どんな子供も見捨てない」という考え方をはっきり表明していることになるわけである。

 「どんな子供も見捨てない」という考え方を表明していても、そのためのノウハウを持っていなければ、表明倒れになる。

 そこで実際に私たちは何をしているか。
 たとえば、私たちは、算数でクラスにいる低学力児(テストでいつも50点)を引き上げて、60,70,80点にしている実践を行っている。
 もちろん、クラスの平均点は90点以上になる。

 その実践で、算数に自信をもち、意欲的になる子供たちを数多く育てている。
 何にもできなくて、いつも給食の配膳台の下にこもって過ごしていた発達障害の子供が、私たちの算数指導に出会い、「自分は算数だけは自信がある!」と言うまでに成長する事例が出てきている。

 また、算数専科での「味噌汁・ご飯」授業を受けた子供で、「学校は嫌いだけど、算数授業は楽しかった!」という感想を書く子供がいたという事例も出てきた。

私たちが提案している「算数学力向上メソッド」の結果である。

 全員参加の授業は、クラスの子供たち一人一人のための授業である。
ぜひとも「挙手指名授業」を乗り越えて、全員参加授業を展開していくべきだと考えている。どうだろうか。
 

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授業のスキルアップができていない!

山中太先生が、旧フェイスブックで次のように書かれていました。

 ★ ★ ★
 いろいろな授業を参観してきて,一番感じることは,授業のスキルアップができていないことです。研究授業や公開授業をしてきたはずですが,それが日常授業にいかされていないと思うのです。おそらく,正しく批判し,批判されてこなったからではないでしょうか。退職を前に公的研修会や研究授業の限界を感じています。的外れの意見でしょうか。
★ ★ ★

 的外れではないです。
 私もその通りだと思っています。

 私は、今までの日本の授業研究は、「ごちそう授業」をつくることで成り立ってきたと考えています。

 「ごちそう授業」とは、精一杯の教材研究をし、指導法研究をし、さまざまな準備をして臨む授業です。
 主に研究授業で追究されてきました。
 それはそれで大切なことで、私も必要なことだと思ってきました。

 問題は、これっきりで終わりになるところです。
 明日からは、いつもの「日常授業」に切り替えて、「おしゃべり授業」を繰り返していきます。
 「ごちそう授業」とは、打ち上げ花火みたいなもので、それっきりです。
それをやれば、「授業研究はおわり!」となるわけです。

 そうならないようにと言うことは簡単なことですが、そうなりません。
 授業研究とは、「ごちそう授業」をつくればいいと、そこで完結するのです。重点研究などの考え方がそのようになってしまっています。

 本来は、「ごちそう授業」の追究は、「日常授業」の豊かさにつながらなければならなかったのですが、多くの先生たちにとってはそうなりませんでした。
 山中先生は、そのことを指摘されているのだと思います。

 これは、授業研究そのもののとらえ方が、大きくずれてとらえられていたためだと、私は考えています。

 そこで私たちは、「味噌汁・ご飯」授業という発想で提案しました。
 「日常授業」にターゲットを絞り、その授業をどれほど豊かにしていくのかを主なテーマにしました。
 授業研究のあり方をとらえ直そうということです。

 その提案を受けて、北広島市立大曲小は、学校ぐるみで研究を深化させてくれました。
 その研究の様子は、『学力向上プロジェクト』(明治図書)にまとめられています。画期的な提案です。
 ★
 冒頭の山中先生の提案の通り、多くの先生たちの授業のスキルアップに公的研修会や研究授業が結びついていなかったことが、はっきりしてきたのです。
 私たちは大きく「考え方」を変えなければならないのです。

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『小学校社会科 子どもの思考をゆさぶる発問・指示テクニック』(明治図書)のお勧め

 「社会科は、人気がない教科です。『教えにくい』などの理由で、教師にとって教えることが苦手な教科に選ばれるという不名誉な事実もあります」
 と、この本『小学校社会科 子どもの思考をゆさぶる発問・指示テクニック』の著者松森靖行先生は、「はじめに」で書かれている。
 
 私も現役の頃は、確かに一番社会科が苦手であった。
 現役最後の6年生担任の時、ある女の子たちから「社会の歴史は何のために勉強するのか分からないのですが……」と問われたことがあった。
 恥ずかしいことに、それに私はうまく答えられなかったことを思い出す。
今から考えても冷や汗ものである。

 松森先生は、これらの問いかけに果敢に挑戦されている。
 学ぶところが数多い本であった。

 先のブログで書いたことである。
 ★ ★ ★
 経営コンサルタントの神田昌典さんから学んだことがある。
 神田さんは、「想像もできなかったほどの変化を起こすためには、2つの重要なことがある」と。

 1 センターピン
ボーリングのピンを倒すには、真ん中の1本を当てなければ全部を倒すことはできない。
あなたが望む変化を達成するためには、突破すべき重要な「ひとつ」を見つけなければならない。

2 毎日の儀式を行う
センターピンを倒すために、毎日少しずつ行うべき小さな行動を考えなければならない。

 まず「センターピン」を倒すための「ひとつ」を見つけ、そしてその「ひとつ」を毎日少しずつ行わなければならない。
 これが大きな変化を起こしていく。
 ★ ★ ★

 松森先生は、社会科で「子供たちに社会科好きを増やしていく」ための「センターピン」を2つ上げられている。

 1つは、発問・指示。

 2つ目は、全員参加授業。

 発問・指示は、今まで授業研究の中で大切なこととして言われ続けてきた歴史がある。
 だが、こうして具体的に提起されるとなるほどと感心してしまう。

 問題は、「全員参加授業」の方である。
 私は退職してから2000人以上の先生の授業を見てきたが、8割以上の先生たちが「挙手指名型授業」をされていた。
 挙手している子供だけが指名されて授業が進んでいく授業である。
 全員参加の授業になっていない。
 大半が傍観者になっているのである。

 松森先生は、全員参加の授業を次のように指摘されている。
 ★ ★ ★
 「全員参加」とは「学習量」を保障することです。「学習量」は、ノートに何かを書く、問題を解くことばかりではありません。「なぜなんだろう」「どちらなんだろう」という教師のゆさぶりに対して考えたり、友達と対話をしたり、○か×か手で表現したり、そして、じっくりと友達の考えを聞いていたりすることも「学習量」の確保、「全員参加」になります。「全員参加」の状態にし、「学習量」を確保するためにすることが、「発問」・「指示」の開発になります。
 ★ ★ ★ 
 ここにセンターピンへの答えがはっきりと表明されている。

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つれづれなるままに~皆既月食の日~

●その日、朝からワクワクしていた。
 11月8日 皆既月食の日。
 ニュースでは、442年ぶりの皆既食で、天王星食を伴っているという。

 442年ぶりとは、いつの時代なのだと急いで調べる。
 1580年 安土桃山時代。
 信長や秀吉も、この皆既食を見たのではないかとマスコミは騒いでいる。

 6時頃から月はかけ始め、7時16分にはすべてかける。
 赤黒い感じになる。
 「冥土のみやげにしなければなあ!」と言いつつ、しばし感激。

 それから分かったこと。
 ・442年前は、天王星食ではなく土星食であったこと。
・次の322年後もまた土星食であること。
 ・ちなみに土星の発見は、1610年。442年前には発見されて
いなかったわけである。
天王星も、その発見は1781年ということだから、関係なかった
のである。

●夏目漱石の「三四郎」の写本をまた再開している。
 母が亡くなってから、8ヶ月ほど休んでいたことになる。

 筆圧がおぼつかなくなって始めたわけである。
 始めた日は、2021年6月8日。
 
 ページを調べて見ると、304ページ中もう7割程度(A4のノート8冊分)終わっている。あと3割なのである。ここで終わってしまうのも惜しいのでまた再開したわけである。

 一日に10分。
 9冊目のノートになる。
 
 一日の中で、この10分を生み出していくのは、家に籠もっている私でさえ大変である。
 時間はあるのだが、続けていくことそのものが大変である。

10分の重さをひしひしと感じている。

●Sさんへメールを送る。
 本の紹介である。
 10年に一冊出るか出ないかと言われている本。
 と言っても、私たちとは関係がない投資家の本になる。
 
 今回、そんな本を読んでみた。
 なんか、とんでもない本なんだなと思ったが、よく分からない(笑)。
 専門用語が続々と出てきて、一々理解するのに手間がかかる。

 そこで、Sさんへこの本を紹介して読んでもらいたいと思ったわけである。
(ここでその本を紹介しないのは、とても勧められないからである<笑>)
 
 Sさんは、現在投資家である。
 以前は教師をやっていて、「味噌汁・ご飯」授業研究会の中心メンバーでもあった。
 その教師を辞めて、投資家へ転進された。
 いろんな生き方があるものである。
 こんな生き方もめずらしいのではないか。

 そのSさん。今では人気の投資家で、瞬く間に9冊の本を出している。 

そのSさんの教師時代。
 やはり、おおいに違っていた。
 福沢諭吉が現代で生きていて、教師をやっていたら、Sさんみたいな生き方をするのではないかと思ったものである。
 そのたくましさ、したたかさ、軽やかさは別格であった。

もうこんな教師を見ることができなくなっている。
 残念なことである。

 

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また増え始めている

 文科省から令和3年度の暴力行為、いじめ、不登校などの発生件数の調査結果が発表されている。

 この結果に今までずっと注目してきた。
 それは、学校現場で、実際に何が起こっているのかが端的に分かるからである。

 マスコミでは、「暴力行為も、いじめも、不登校も過去最多!」と記事が出ていた。
 それでも、あまり注目されることがなかった。
 
 実際に、文科省の調査結果に当たってみる(クリックしてください)。
Photo_20221101103201
 暴力行為の発生件数については、中学校や高校は、ほとんど変化がなく、むしろ減少している結果である。
 
 問題の小学校は、平成26年から右肩上がりに上昇している。
 一旦令和2年度は下がっているが、これは学校がコロナ禍で休校になったりした結果である。
 令和3年度はまた上昇カーブに戻っている。

 都道府県ごとに調べて見ると、ベスト5は次のようになっている。

第1位 新潟県  13.5(1000人当たりの発生件数)
第2位 鳥取県  13.2
第3位 青森県  11.6
第4位 岐阜県  10.7
  高知県  10.7

 はっきりと地方化の傾向が読み取れる。
かつては暴力行為は、都市圏での傾向であったが、今は地方に広がっている。 
  このことは何を意味しているか。
  私は、学級崩壊の広がりととらえている。
  学校が荒れて行っているのである。

  次にいじめはどうなっているのか(クリックしてください)。
 Photo_20221101103901
 これも暴力行為と同じように小学校は、平成26年度から右肩上がりに上昇している。暴力行為と相似系だ。一旦令和2年が減少しているのも、暴力行為と同じである。
 
 学級崩壊が広がると、いじめも増えるという結果であろう。
 いじめの発生件数の学年は、統計によると次の学年の順番である。

 小2→小1→小3→小4→小5→小6→中1→中2→中3→高1→高2→高3
 小2がトップで、あとは学年順に少なくなっている。
 数年前までは、中学校がトップを占めていたのだが、今は小学校の低学年化している。
 最近は、小2のクラスが学級崩壊するという事例を数多く見聞きするのだが、いじめが関係しているのかどうか、なのである。

 コロナ禍が大きく影響しているというマスコミの発表である。
 そんなことはない。
 コロナが始まる前の平成26年度からの上昇である。
 
 だから、コロナの影響ではなく、学校現場に広がっている本質的な問題なのである。
私は、これから学校現場は学級崩壊に対する方策を持たなければ、もうやっていけない時代がやってくると警告をしている。
 それがはっきり統計に表れているのである。

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