こんな事例がある。
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担任が4人もいない。病休と退職。
教務、教頭が担任。
校長が教頭の仕事をしつつ、クラスから逃げ出す子どもを追いかけるが、複数のクラスから複数人数いるため対応不可能。
そんななか4学級が崩壊。
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学級崩壊どころではなく、学校崩壊状態である。
どうにもならない。地方都市でこういう状況が進んでいる。
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8月22日に神奈川県藤沢市に研修講座に行った。
3時間の講座である。
私も大変であるが、聞く先生たちも大変(笑)。
講座を第1、第2、第3に分けて、間で10分休憩とすることにした。
テーマが「学級を軌道に乗せる学級経営の基礎基本」。
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第1講座は、「今、多くの先生たちが悩んでいること」。
冒頭の事例などを2,3紹介する。
なぜ、今学校がこのようになっていっているのか?
私なりの答えを紹介する。
「子供たちが変わっているのだ!」と。
こんなことは、今までも盛んに言われてきたことだし、珍しいことではない。
また、「子供は変わっていない、変わったのは周りの社会だし、親たちだ!」と言われ続けてきた。
私は端的に「子供たちが変わっている」と指摘する。
どのように変わっているのか?
「善悪の価値観から快・不快の価値観へ変わっている」と。
30年、40年前は、「善悪の価値観」を持っている子供たちが多数派であった。
「やって良いこと、悪いこと」が分かっていた。
それで行動ができた。
もちろん、学校は今でも「善悪の価値観」で成立している。当たり前である。
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この価値観が変わり始めたのが、1980年代の中頃だろうか。
「おやっ」と思う子供が出てきた。
私は37年間担任として生活してきたので、子供たちの変容がどのあたりから起こったのかよく分かっている。
今では、「快・不快」の価値観で行動する子供たちが、学級で必ずいる。
いわゆるやんちゃと言われる子供たち。一部の子供たちである。
この子供たちが、学級崩壊などの中心になる。
行動の基準を、「快・不快」においている。
彼らにとっては、学級で行う学習などが一々不快に感じる。
「うざぃ」「めんどくさい」「つまんない」と発する。
思うようにならないからである。
当然である。学校で行うことはおもしろく、楽しいことはほとんどない。
つまんなくても、毎日我慢してやらなければできないし、分からない。
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どうしてこんな子供たちが登場してきたのだろうか。
家庭が変容したのである。
親たちもやはり変わったのである。
だから、子供は、その中で育てられるのであるから、当然変わってくる。
そこで「快・不快」の価値観を身に付ける。
この価値観は、幼児のものでもある。
だから、「快・不快」は、「幼時がえり」をしていることになる。
どうして、どのように身に付けるのか?
長年考え続けてきたが、「消費感覚」というものではないかと思いついた。
今では、子供たちは、金さえあれば、自分の欲しいものはコンビニに行けばすぐ手に入る。お菓子を食べたければすぐ買えるし、マンガを読みたければすぐ買える。消費社会なのだ。
このように自分の欲しいものはすぐに手に入れる「消費感覚」を身に付けてきたのである。
我慢することもないし、親にねだれば、だいたいが手に入るのである。
忙しい親たちは、お金をあげて、子供たちに自分で消費させる方法を身に付けさせてきたことになる(こんな親たちばかりではないが)。
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今どきの子供たちが「快・不快」の価値観で行動するというのは、いじめによく表れている。
これほどいじめをやってはいけないとキャンペーンがなされるが、一向に減らない。増えている。
もはや善悪の価値観だけで、問題の子供たちに対応しようとしても空振りに終わることは明らかなことである。
それでいて、善悪の価値観をなくしたら、もはや学校は成り立たない。
そのジレンマが突きつけられる。
生徒指導(児童指導)を大きく変えなければならないのは明らかだが、それをどうしていくのか戸惑うばかりになっていくであろう。
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