つれづれなるままに~誕生日を迎えました~
●最近頭を抱えることがいくつもあった。
親しい知り合いの方々が病気になったという連絡である。
さまざまな深刻な病気が伝えられる。
皆さん、もはや70代になっている。
コロナ禍の中での、この病気である。
連れ合いの、どちらかが、その病気になっている。
ショックであった。
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人には避け得ない3つの「真理」がある。
「そんなことを言うと、みんなから嫌な顔をされるよ!」と顰蹙をかうのだが、あえて書く(笑)。
1つ目は、人は老いるということ。
2つ目は、老いる過程で病気になるということ。
3つ目は、人は必ず死ぬということ。
当たり前すぎることである。
若いときには、こんなことは考えない。
50歳を過ぎたあたりから、様子が違ってくる。
日頃は考えないようにして過ごしている。
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3つの「真理」の中で、1つだけ抵抗できるものがある。
2つ目のこと(老いる過程での病気)。
歳をとっても、できるだけ病気を近づけないようにする。
その予防に努める(それでも、病気は起こるのだが……)。
60歳を過ぎたら、自前の健康法をもっておくことは必要である。
私の知り合い(80歳)は、朝4時前に起きて4時30分から散歩をする。それもただ歩くのではない。
早足で歩く。
それを日課にしている。
だから、元気。
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自分に言い聞かせている俳句がある。
浜までは海女も蓑着る時雨かな 瓢水
海女は海まで行けば濡れるのだから、雨が降って濡れてもかまうことはないじゃないか。そう思ってもよいところ。
だが、時雨が降ってくれば、我が身をかばい蓑を着る。
どうせ濡れるのだから濡れていこうとはならないわけである。
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この句についての逸話はこうらしい。
あるとき、瓢水の高名を慕って旅の僧が訪ねてきた。ところが、このとき、あいにく不在であった。どこへ行かれたかという旅僧の問いに家人は、風邪をこじらせ、その薬を買いに行ったと答えたらしい。
それを聞いて旅の僧は、半ばあざけるかのように、
「さすがの瓢水も命が惜しくなられたか」
と言い捨てて立ち去った。
帰ってきてこの話を聞いた瓢水、「浜までは……」の句を紙に認めると、まだ、遠くまで行っていまい、その僧に渡してほしいと使いを出した。
この句を見た僧は己が不明を恥じ、とって返し、瓢水にわびた。乞われるまま、その夜は、おそくまで語り合った、というのである。
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「どうせ~」という言葉を使わないようにしたい。
そう警告する句である。
「老いる」という初めての経験をしている。
その経験では、「どうせ」という言葉は禁句にしたいことである。
●8月26日、誕生日を迎えた。75歳。後期高齢者になった。
うれしくもなんともない(笑)。
娘夫婦が、誕生日のお祝いに大好きなお寿司の差し入れをしてくれた。
私はちょうど愛川町で2つの学校合同の研修会講座へ参加していて、早めに帰ってきたところである。
送ってもらった車の中で、「先生、何歳になられたのですか?」と問われて、「75歳だよ!」と答えると「えっ~~」と絶句された。
この歳になって、まだまだ元気に2時間立ちっぱなしで講演をしている姿にびっくりされたのだろう。
呼ばれれば「いいですよ!」と言って出かけるのだが、こんな歳になって、まだまだである。
国語の大御所野口芳宏先生は、86歳の今になっても、講演で方々に出かけておられる。
あるとき(もう80歳を過ぎておられた)、野口先生から電車の中で「野中先生、私は、もう行け、行け、だと思っているんだよ!」と言われたことがあった。
野口先生を支えているのは、「行け、行け」という、自分なりの励ましなんだと、思われた。
世の中にはすごい人がいるものである。
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