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つれづれなるままに~私の最初の本がくっきりとした境目になった~

●I 先生が、フェイスブックで次のようなことを書かれていた。
★ ★ ★
 学校における「仕事術」が「生き残りのための仕事術」になったのは野中信行さんの最初の本出版がくっきりとした境目であると思う。
野中さんの本は2004年刊行。
あれから18年になる。ただただ生き残るための仕事術本がこれほど流布することになると、野中さんも予期していなかったに違いない。
★ ★ ★

 I 先生の記憶違いがあるのだろうか。
 
 私の最初の本は、『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)である。
 I 先生は、この本を指しておられるのであろう。

 「生き残り」という言葉は、私は一度も使ったことがない。
 「生き抜く」なのである。I先生の記憶違いであろう。

 この本の初版本は、2003年12月20日の刊行であるから、これも記憶違いであろう。
 あれからもう19年になる。
 ★
 「生き残り」と「生き抜く」は、単なる言葉の違いではない。

 「生き残り」には、他の人はダメでも、自分が生き残るというイメージがつきまとう。
 しかし、私が使った「生き抜く」は、周りの先生たちと共に生き抜いていくのだという意味を込めていた。

 この本を出した頃、私は横浜市で有名な困難校で、さまざまな闘いをしていたときである。
 私一人で闘えるはずはなかった。
 先生たちと共に闘った。
 
 2年間で、あれほどの困難校を、普通の学校へと回復させた。
 共に「生き抜いた」のである
 ★
 私がこの本を出したのは、周りに起こっている学級崩壊に危機感を感じて何とかしないといけないという気持ちからであった。
 これは大変なことになるのだという強い危機感があった。
 55歳の時である。
 
 私のクラスは何とかなっていたので、あと5年がんばれば第2の人生に移って行けたわけであったが、そういう気持ちを塞いで、あの本を出したわけである。
 
 19年前は、「学級づくり」や「学級経営」の必要を訴える人や本は、ほとんどなかった。
 
 上越教育大学の赤坂真二先生だけが学級経営を提起されていた(その時は小学校の教師だったが……)。
 行政の研修会でも、そんな会は皆無であった。
 ただ、「授業、授業」だけの会があるだけ。 

 そこに私が「学級づくりが必要だ!」という仕事術の本を出したわけである。大きな、大きな反響があった。

 19年経って、もはや学級経営も学級づくりも、当たり前にセミナーや本になっている。
 その必要感が、多くの先生たちに認識されてきたのである。

 「授業」の対応だけでは、もはや現場では対応できなくなっているのである。 

 私の本が、くっきりとした境目になったとI 先生は言われている。
 それは確かなことだろうと思われる。
 
 だが、現実の学校現場が、19年前の当時よりうまくいっているのかと言われたら、そんなことはない。
 さらに悪化している。
このコロナ禍でまた更に悪化している。
 ほんとに心配になる。
 
 改めて『困難な現場を生き抜く!やんちゃな子がいるクラスのまとめかた』(学陽書房)を出したのは、その危機感の表れであった。 

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