つれづれなるままに~知っているだけで、できていなかった~
●『教師1年目の教科書』(学事出版)が6版になった。
うれしいことである。
この本は、「守破離」という学習法の「守」の時期に身に付ける基礎・基本を入れ込んだものである。
3年で、この本の8割程度を身に付けてほしいと願っている。
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前回のブログでは、「守破離」ということで友田真先生の学級通信の本を紹介した。
教師の世界では、「守破離」で勉強しようとしても、「守」で学ぶべき基礎・基本がなかなかない。
だから、サークルや組織に所属しなければ、最初から自己流になってしまう。
実は、私も20代の時期は、その自己流であった。
法則化運動が始まり、30代になって初めて基礎・基本を学び直したのである。
「守」の時期に、基礎・基本を学ばなければ、いつまで経っても技量が上達することがない。
だから、ベテランになっても、初任者レベルの授業しかしていない先生たちは数多い。
これは、「守破離」の勉強法で学ばないで、最初から「離離離」でやっている。つまり、自己流なのである。
精神科医の樺島紫苑氏は、そのような人を「りりりのおじさん」と言っている。
次のように書かれている。
「まず、何かを始めようと思ったとき、誰かに習うわけでもなく、入門書を読むわけでもなく、自分流でスタートする。そして、自分流で試行錯誤をし、自分流のスタイルを確立したつもりになっている。
しかし、全く基本がなっていないので、上達もしないし、やっていてもおもしろくない。長く続けられずに、中途半端なところでやめてしまう、そんな、『りりりのおじさん』が多いのです。いきなり『離』から入ると、早々に学びから『離』れて、脱落してしまうという悲惨な結果になるのです」(『ムダにならない勉強法』サンマーク出版)
もうベテランの先生は遅いかもしれない(ごめんなさい)。どうだろう?
自己流が邪魔するからである。
それでも、挑戦する先生はいるかもしれない。
だが、中堅の先生は、これから「守」の基礎・基本を学び直し、「破」の時期に行くことである。
「守」を身に付けるには、どうするばいいか?
困ったことに、これがない。
だからこそ、『教師1年目の教科書』を書いたのである。
●朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)
でも、僕は知っているだけで、できていなかった 山本昌
50歳まで投げ続けた元中日ドラゴンズ投手は入団5年目、修行で米国に出される。戦力外扱いかと腐っていたら、派遣先の球団職員が「上から投げろ」「球は前で放せ」と頻繁に声をかけてくれる。知ってますよと言いかけたが、体全体の動きがそれらを軸に組み替えていなかった。「知る」のほうとうの意味をわかっていなかった。本紙「ひと」欄(1月21日朝刊)から。
●しもやけに悩んできた。ここ数年のことである。
皮膚科を受診すると、血行障害だ、と。薬をもらう。
今年はとくに寒いので、両足の指先がしもやけになっている。
薬を塗っているけれども、一向に良くならない。
そこで一計。
血行障害なんだから、足の指先を動かしてみよう、と。
とにかく、いろいろと動かして血流を良くしてみようと思ったわけである。 朝、昼、夜と動かしてみる。
そうしたら、1日で痒みがとれ、2日で腫れもひいてきた。
びっくりした。
「なんだ!こういうことだったんだ!」と。
★
そこで思い出したこと。
経営コンサルタントの神田昌典さんから学んだことがある。
ある期待する変化を起こしていくには、2つの重要なことがある。
①「ひとつ」を探し当てる。
ボーリングのピン10本を倒すためには、真ん中の1本を当てなければならない。望む変化を達成するためには、そのセンターピンの「ひとつ」を探さなければならない。
突破すべき、その「ひとつ」とは何か?
②毎日の儀式
そのセンターピンのひとつを倒すために、毎日少しずつ行うべき小さな 行動とは?
卑近な例で申し訳ないが、しもやけが治ってきたのには、この①と②を試みたからである。
自分がぶつかっているハードル(壁)を突破するには、これをやればいいのである。
ぶつかっている壁を突破すべき「ひとつ」を探すこと。
そして、それを倒すために行う小さな儀式を続けること。
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