« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »

2022年2月

2回目の「オンライン教師1年目の教室」を開催します!

 1回目の「オンライン教師1年目の教室」講座を終えました。
 当初、どれだけの先生たちが参加してくれるのかと案じていました。
 ほとんど宣伝する方法を持たないからでした。

 それでもさまざまな知り合いの先生たちに連絡し、助けてもらいました。
 ありがとうございました。
 おかげさまで、最終的には59名の参加者がありました。
 当初の30名限定から2倍の参加者です。

 2回目は、すでに次のことで告知いたしました。

 ★ ★ ★
1回目の開催には、多くの先生が参加いただき、ありがとうございました。
今度は2回目の開催です。
今度の2回目は、より重要なテーマで開催します。
 
「勝負の1週間!1週間をどう乗り切るか!」

学期始まって1週間が最も大事な時間だと、私たちは考えています。
この1週間で学級の基盤ができあがります。
ここでどの程度に基盤づくりができるかどうかで、これからの1ヶ月そして1年間がが決まります。
それをぜひとも知ってほしいと願っております。

1 対象者 70名限定
①2022年度初任者
②初任者と一緒に学級経営を学び直したい先生
③初任者指導を担当する先生

2 参加費 1回ごとに チケットを購入してください。
 1000円

3 期日 1学期の期間
◎2月から7月まで月1回の講座(8月は2学期へ向けて必要なら開きます)

・2月(2月19日<土>)知ってほしい!初任の先生がよく失敗する事例その対処法 (終了しました)
3月(3月12日<土>)勝負の1週間!1週間をどう乗り切るか
・4月(4月16日<土>)クラスの軌道チェック (仮)最初の授業づくり①
・5月(5月14日<土>)1ヶ月を振り返る これからの方針(仮)
・6月(6月18日<土>)毎日の授業をどう乗り切っていくか②(仮)
・7月(7月23日<土>)1学期を振り返る 2学期へ向けて(仮)

4 時間帯
○土曜日
・20:00~21:00 野中の講座
5分休憩
・21:05~21:30 秦の講座(初任者指導の現場から)
・21:30~22:00 初任者の質問タイム(30分を予定)

5 講座講師紹介
◎野中信行 
元横浜市小学校教員 初任者指導アドバイザー
○横浜市で37年間担任として過ごす。退職後、3年間初任者指導に当たる。現在は、7,8の教育委員会と連携して初任者指導を担当している。
○初任者関係の著書に、新卒教師時代を生き抜くシリーズとして『新卒教師時代を生き抜く心得術60』『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』『新卒教師時代を生き抜く授業術』(共著)<明治図書>『教師1年目の教科書』<学陽書房>
○初任者指導教師向けに『初任者指導の教科書』<共著、明治図書>
○現役時代を含めて、25年以上初任者指導を務めている。

◎秦安彦 
元大和市小学校校長 H30年度神奈川県小学校長会調査研究部長
○大和市で37年間勤務。退職後の2年間を含め、9年間初任者指導にあたる。現在は拠点校指導員として4名の初任者指導を担当。
○初任者関係の著作に、新卒教師時代を生き抜くシリーズ『2W仕事術〜初めて教壇に立つ先生のための日々の心構え』<明治図書>
 ★ ★ ★

 

1 申し込みは次のところからお願いします。

http://ptix.at/XDYX3o

 

| | コメント (0)

つれづれなるままに~私の最初の本がくっきりとした境目になった~

●I 先生が、フェイスブックで次のようなことを書かれていた。
★ ★ ★
 学校における「仕事術」が「生き残りのための仕事術」になったのは野中信行さんの最初の本出版がくっきりとした境目であると思う。
野中さんの本は2004年刊行。
あれから18年になる。ただただ生き残るための仕事術本がこれほど流布することになると、野中さんも予期していなかったに違いない。
★ ★ ★

 I 先生の記憶違いがあるのだろうか。
 
 私の最初の本は、『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)である。
 I 先生は、この本を指しておられるのであろう。

 「生き残り」という言葉は、私は一度も使ったことがない。
 「生き抜く」なのである。I先生の記憶違いであろう。

 この本の初版本は、2003年12月20日の刊行であるから、これも記憶違いであろう。
 あれからもう19年になる。
 ★
 「生き残り」と「生き抜く」は、単なる言葉の違いではない。

 「生き残り」には、他の人はダメでも、自分が生き残るというイメージがつきまとう。
 しかし、私が使った「生き抜く」は、周りの先生たちと共に生き抜いていくのだという意味を込めていた。

 この本を出した頃、私は横浜市で有名な困難校で、さまざまな闘いをしていたときである。
 私一人で闘えるはずはなかった。
 先生たちと共に闘った。
 
 2年間で、あれほどの困難校を、普通の学校へと回復させた。
 共に「生き抜いた」のである
 ★
 私がこの本を出したのは、周りに起こっている学級崩壊に危機感を感じて何とかしないといけないという気持ちからであった。
 これは大変なことになるのだという強い危機感があった。
 55歳の時である。
 
 私のクラスは何とかなっていたので、あと5年がんばれば第2の人生に移って行けたわけであったが、そういう気持ちを塞いで、あの本を出したわけである。
 
 19年前は、「学級づくり」や「学級経営」の必要を訴える人や本は、ほとんどなかった。
 
 上越教育大学の赤坂真二先生だけが学級経営を提起されていた(その時は小学校の教師だったが……)。
 行政の研修会でも、そんな会は皆無であった。
 ただ、「授業、授業」だけの会があるだけ。 

 そこに私が「学級づくりが必要だ!」という仕事術の本を出したわけである。大きな、大きな反響があった。

 19年経って、もはや学級経営も学級づくりも、当たり前にセミナーや本になっている。
 その必要感が、多くの先生たちに認識されてきたのである。

 「授業」の対応だけでは、もはや現場では対応できなくなっているのである。 

 私の本が、くっきりとした境目になったとI 先生は言われている。
 それは確かなことだろうと思われる。
 
 だが、現実の学校現場が、19年前の当時よりうまくいっているのかと言われたら、そんなことはない。
 さらに悪化している。
このコロナ禍でまた更に悪化している。
 ほんとに心配になる。
 
 改めて『困難な現場を生き抜く!やんちゃな子がいるクラスのまとめかた』(学陽書房)を出したのは、その危機感の表れであった。 

| | コメント (0)

申し込みが50名に到達しました!

 「教師1年目の教室」への申し込みが、2/5日時点で50名になりました。
 予想外の申し込みで驚いています。
 さまざまな知り合いの先生たちの尽力により、これだけの参加者になりました。ありがとうございました。

 とりあえず50名の参加者で締め切りさせてもらいました。
 ただ、初任者の会ですので、これから申し込む初任者の方には、門戸を開こうということで、初任者だけは受け付けることにしました。
 よろしくお願いします。

| | コメント (0)

つれづれなるままに~知っているだけで、できていなかった~

●『教師1年目の教科書』(学事出版)が6版になった。
 うれしいことである。
 
 この本は、「守破離」という学習法の「守」の時期に身に付ける基礎・基本を入れ込んだものである。
 3年で、この本の8割程度を身に付けてほしいと願っている。

 前回のブログでは、「守破離」ということで友田真先生の学級通信の本を紹介した。
 
 教師の世界では、「守破離」で勉強しようとしても、「守」で学ぶべき基礎・基本がなかなかない。
 だから、サークルや組織に所属しなければ、最初から自己流になってしまう。
 
 実は、私も20代の時期は、その自己流であった。
 法則化運動が始まり、30代になって初めて基礎・基本を学び直したのである。
 「守」の時期に、基礎・基本を学ばなければ、いつまで経っても技量が上達することがない。
 
 だから、ベテランになっても、初任者レベルの授業しかしていない先生たちは数多い。
 
 これは、「守破離」の勉強法で学ばないで、最初から「離離離」でやっている。つまり、自己流なのである。
 
 精神科医の樺島紫苑氏は、そのような人を「りりりのおじさん」と言っている。
 次のように書かれている。
 「まず、何かを始めようと思ったとき、誰かに習うわけでもなく、入門書を読むわけでもなく、自分流でスタートする。そして、自分流で試行錯誤をし、自分流のスタイルを確立したつもりになっている。
 しかし、全く基本がなっていないので、上達もしないし、やっていてもおもしろくない。長く続けられずに、中途半端なところでやめてしまう、そんな、『りりりのおじさん』が多いのです。いきなり『離』から入ると、早々に学びから『離』れて、脱落してしまうという悲惨な結果になるのです」(『ムダにならない勉強法』サンマーク出版)

 もうベテランの先生は遅いかもしれない(ごめんなさい)。どうだろう?
 自己流が邪魔するからである。
 それでも、挑戦する先生はいるかもしれない。

 だが、中堅の先生は、これから「守」の基礎・基本を学び直し、「破」の時期に行くことである。

 「守」を身に付けるには、どうするばいいか?
 困ったことに、これがない。
 
 だからこそ、『教師1年目の教科書』を書いたのである。

●朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)

 でも、僕は知っているだけで、できていなかった 山本昌

 50歳まで投げ続けた元中日ドラゴンズ投手は入団5年目、修行で米国に出される。戦力外扱いかと腐っていたら、派遣先の球団職員が「上から投げろ」「球は前で放せ」と頻繁に声をかけてくれる。知ってますよと言いかけたが、体全体の動きがそれらを軸に組み替えていなかった。「知る」のほうとうの意味をわかっていなかった。本紙「ひと」欄(1月21日朝刊)から。

  
●しもやけに悩んできた。ここ数年のことである。
 皮膚科を受診すると、血行障害だ、と。薬をもらう。

 今年はとくに寒いので、両足の指先がしもやけになっている。
 薬を塗っているけれども、一向に良くならない。
 
 そこで一計。
 血行障害なんだから、足の指先を動かしてみよう、と。
 とにかく、いろいろと動かして血流を良くしてみようと思ったわけである。 朝、昼、夜と動かしてみる。
 
 そうしたら、1日で痒みがとれ、2日で腫れもひいてきた。
 びっくりした。
 「なんだ!こういうことだったんだ!」と。
 ★
 そこで思い出したこと。
 
 経営コンサルタントの神田昌典さんから学んだことがある。

 ある期待する変化を起こしていくには、2つの重要なことがある。

 ①「ひとつ」を探し当てる。
ボーリングのピン10本を倒すためには、真ん中の1本を当てなければならない。望む変化を達成するためには、そのセンターピンの「ひとつ」を探さなければならない。
突破すべき、その「ひとつ」とは何か?

②毎日の儀式
  そのセンターピンのひとつを倒すために、毎日少しずつ行うべき小さな  行動とは?

 卑近な例で申し訳ないが、しもやけが治ってきたのには、この①と②を試みたからである。

自分がぶつかっているハードル(壁)を突破するには、これをやればいいのである。
 ぶつかっている壁を突破すべき「ひとつ」を探すこと。
 そして、それを倒すために行う小さな儀式を続けること。

| | コメント (0)

« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »