つれづれなるままに~母100歳の誕生日~
●寂聴さんが亡くなった。99歳。
つい最近まで朝日新聞に連載で書かれていたので、いきなりの訃報である。
かつてのかつて、尊敬する故E先生が私に語られたことがある。
「瀬戸内晴美の『比叡』はすごいよ。この本はどんな世界の名著よりも
抜きん出ているよ!」
20代だった私は、早速その本を買った。
だが、いずれ読もうと思いつつ、ずっと読まないままにそのまま書棚に眠っている。
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私が最も寂聴さんに注目したのは、「過去」の処理の仕方とでも言えようか。
月並みな言い方になるが、「マイナスをプラスに転換させていった、見事な生き方」だ、と。
幼い一人娘を残して家を飛び出したことがすべての始まり。
敗戦後、夫の教え子だった青年と恋に落ち、良き妻、良き母を捨て、幼い頃から憧れていた文学の世界へ飛び込んでいる。
普通の人なら、このマイナスイメージは立ち直れないほどのダメージになる。
もしネットがある、今の状態ならば大炎上になって非難されたことであろう。
それでも寂聴さんは、したたかに生き抜いている。
「なぜ書き続けるのか」と問われたことがある。
「まだ、お母さんともしゃべれない幼い娘を捨てて文学の世界に飛び込んだんだから、書き続ける責任がある。私は幸せになっちゃいけないの」
最後の最後まで書き続けた。
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私たちは、かつての失敗などを思い出しては暗い気持ちになり、暗澹とした生活を送っている。
そこから立ち上がれない人たちも数多くいる。
しかし、寂聴さんは、過去がどんなにひどく、悲惨なことであっても、生き続けることでプラスに転換することはあるんだよ、と教え続けている。
「過去って、そのように考え、転換するんだよ!」と。
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寂聴さんが眠る墓は、長年住職を務めた天台寺にある。
その墓碑には、愛や自由、平和を求めた強き女性作家の生涯を、端的に表す言葉を記すと寂聴さんは話していたという。
「愛した 書いた 祈った 寂聴」と。合掌。
●武道家であり、思想家の内田樹さんが「撤退のために」(仮題)という本を編著で出される予定である。そのための寄稿依頼をブログに書かれていた。
その中で注目する内容は、次のこと。
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僕の書き方がいささか悲観的過ぎる、日本の衰え方をいささか誇大に表現しているのではないかという疑念を持つ方がおられると思います。でも、日本の未来について楽観できる余地はほんとうにないのです。
国力衰退の第一にして最大のファクターは「人口動態」です。わが国の総人口は2004年をピークとして、今後減り続け、21世紀の終わりには、明治四十年代の日露戦争前後の水準にまで減少することが予測されています。人口推移の図表を見ると、1900年から2000年までに増えたのと同じだけが2100年までに減るので、人口推移グラフはきれいな左右対称の山形をなしています。
具体的に言うと、2100年の人口予測は高位推計で6470万人、中位推計で4771万人、低位推計では3770万人です。現在が1億2千600万人ですから、中位推計でも今から80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人。毎年県が一つずつなくなるというペースです。
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恐ろしい話である。
「我々は生きていないからいいや!」という話になろうか。
それでも、今生まれている赤ちゃんが80歳になる頃の話である。
そうなると、話は違ってくるではないか。
今生まれてくる子供たち、孫たちの話である。
これから80年間で7000万人が減る。
想像もできないこと。
会社などはもうなくなっているのだろう。
働く人たちが限りなく少なくなる。
高齢者ばかりの社会になる。
そんな日本が成り立つのだろうか。
教育の世界はどうなるのだろうか。
学校は統合、統合で減少する。
一体、公立の学校が存在できるのだろうか。
もちろん、教員もどんどん少なくなる。
子供がいなくなるからである。
…………
想像できない事態が訪れる。
こんな事態が80年後には訪れるのに、国はどうするのだろうか?
●母が100歳の誕生日を迎える。11月16日。
現在は、佐賀で施設に入っている。
このコロナ禍で2年間会っていないのだが、いよいよ100歳なのである。
「100歳まで生きんば!」と目標にしていた。
それが成し遂げられる。
なんとも目出度いことである。
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