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2021年11月

「大谷翔平」という存在(2)

 冬は雪深く、実践練習がなかなかできない東北の地から大リーガーになり、二刀流という偉業を成し遂げた大谷翔平。
 マスコミはさまざまな報道をしている。

 今回の偉業は「すごい!」「コロナ禍でこんなうれしいできごとはない!」……ということで終わらせるにはもったいことだ、と思ってきた。

 私は、彼が語る「ことば」に注目した。
 注目した発言は、2つ。

 1つ目は、起こってくる事態への対処の言葉である。

 「良かったこと、悪かったこと、出てくることはとても幸せなことだと考えています」と。

 「良かったこと」だけを考えていない。
 「悪かったこと」を経験できる幸せを語っている。

 ここが普通の人とは、違う。
 普通の人は、「悪かったこと」が起これば不幸なことだと認識してしまう。そして、落ち込む。

 しかし、大谷は、「悪いこと」は1つ上のレベルで経験している証(あかし)である、と。
 チャレンジしている場所では、必ず「悪いこと」が起こるのであり、そのことで挑戦していく課題が見つかるのだと語っている。

これはすごい「ことば」である。

 2つ目は、自分がやったことへの評価についての言葉になる。

 「自分の評価は自分でしないと決めている」、と。
評価は、他人がするもの。自分ではしない、と。

 これもすごい。
 普通の人は、自分がすることへの評価を始終気にしている。
 自分がやる一挙手一投足を気にする。
 そして、「良かったら」舞い上がり、「悪かったら」落ち込む。

 大谷は、出てきた結果で、小さな変化を見逃さない。
 自分の評価をしないかわりに、自分の中の小さな変化に注目して、その課題をしっかり見つけようとしている。
 
(この2つについては、斎藤孝さんに教えてもらったことである)
 ★
 27歳の若者が、こういう境地に到達している。
私たちは、この若者から多くのことを学ぶ。

 大谷翔平のこれからも、茨の道が続いていくであろう。
 しかし、その道がどんなに困難であろうとも、自分の道を歩んでいくだろうことだけは確実である。
(終わり)
  

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「大谷翔平」という存在(1)

●大谷翔平がMVPに輝いた。
 満票だったということで、誰でもが認めた賞である。

 素人判断ながら、大谷は、野球の何かを大きく変えてしまったのではないかと思われる。
この27歳の若者が、アメリカに渡って、これほどまでの偉業を成し遂げている。

 私は、その原点は、高校時代にあるのではないかとずっと考えてきた。

 ★
 朝日新聞に、花巻東高校硬式野球部監督佐々木洋さんのインタビューが一面に掲載されている(2021/11/18)。
 
 この先生が、菊池雄星選手や大谷翔平選手を育てておられる。
 興味深く読んだ。

○「メジャーリーガーとして活躍する選手は高校生の頃から他の選手とはまったく違うのですか」という記者の問いかけに、佐々木先生は、次のように答えておられる。

◆「大谷を最初に見たときはびっくりしました。すごい速い球が投げられるわけじゃないんですけど、リーチが長くてとてもしなやかだった。ただ、すぐにメジャーリーガーになる姿を思い描けたわけではありません」

○「選手の才能をみるときのポイントはどこですか」

◆「身体能力は重要です。骨格は遺伝するので、親も観察します。更に重視するのは、親が子どもにどんな言葉をかけているか、他の親とどんなふうに接しているか。親の育て方や考え方で子どものマインドは変わり、伸びしろに差が出ると感じています」

 家族についての発言は注目すること。

また、佐々木監督は次のようにも答えられている。

◆「私が重視しているのは、考え方のインストールです。部員たちには目的と目標の違いを伝え、目標達成のための数値を明確にし、こと細かく設定させます。大谷や菊池はこのときに、すでに目標としてメジャー入りをあげていました。何をするにせよ生きていくには、この考え方が欠かせない」

 やはり、「目標達成シート」を教えたのは、佐々木監督だったということが分かる。
 私は何度も言っているが、この目標達成シートは、マンダラートと言って、今泉浩晃さんが考え出したもので、それをマネしたものである。
(このマンダラートに興味ある人は、『考具』加藤昌治著 CCCメディアハウスを参考にしてほしい)。
 
 このシートは、「考え方」を育てるものである。
 だから、大谷は、高校時代からメジャー入りを目指し、目標達成へむけて、この「考え方」を鍛えていったことが分かる。

 佐々木監督は、さらに続けて語っている。

◆「大谷のような身体や運動能力がある人間と、そうではない人間には必要な練習が違います。指導者は各選手に合わせた練習やアドバイスをしなければなりません。ときには野球に向いていない子どもに、他のスポーツや進路を勧めることもあります。これはあきらめではない。見極めなんです。子どもたちは高校を卒業した後、この競争社会で生き抜いていかないといけないのですから」
 
◆「私は渋沢栄一の『論語と算盤』が好きなんですが、野球選手にとって運動能力は算盤です。でも一生は使えない。だからこそ考え方や生き方といった論語の部分が大事です。社会は不平等だし、競争を強いられる。でも、勝負するフィールドは自分の発想で選べるし、変えられるのです」

○また、「大谷選手の活躍以外にもうれしいことがあったそうですね」という問いかけに、

◆「今春、野球部の卒業生が2浪して東京大学に合格しました。私は野球ではなく学力で生きていくべきだと伝えました。彼は東大という目標を掲げ、実現した。私は盆栽が趣味なのですが、指導者の仕事と似ています。盆栽は若木の時に枝に針金をつけて方向付けます。すると、かたちが整って価値を増して輝く。必要であれば針金を掛けたり、時には外したりする。器を変えれば、根が大きく張って、幹も太くなる。環境を整えて、子どもたちの意識を変えて意欲を促していくということです」
「子どもの才能を開花させるにはこうした強制が必要なタイミングがあります。その点で、最近の教育は自主性の重視に偏り過ぎているように思います」

 ◆
 「大谷翔平」という存在を生み出したのは、素質と家庭環境が土台にある。
 しかし、それだけでは「大谷翔平」は生み出されなかった。

 やはり、高校で佐々木監督と出会い、目標を実現する「考え方」を教わっているのがキッカケになっている。
 この出会いがなかったら、恐らく私たちは「大谷翔平」を見ることはできなかったであろう。
 
 佐々木監督は「指導者で才能が開花するというのはうそだと思います。大谷や菊池を私が育てたとは恐ろしくて言えません」と謙遜されている。

 しかし、きっかけだけは確かに与えられている。
佐々木監督から教わったマンダラートできちんと実現できる力を、大谷翔平はもっていたということになる。
(つづく)
 
 
 

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教師の仕事は、種まきの仕事である!

 伊勢原小学校での授業の続編である。
 私の授業を受けた児童が家に帰って、保護者に早速報告したということ。
 「とてもおもしろい先生で、国語がとっても楽しかった、また来て勉強を教えてほしい!」と。

 その児童は、初めての人とは話がうまくできず、緊張してしまうと保護者からも心配だと言われていた、ということである。
 ところが、家に帰るなり、その児童がとてもうれしそうに野中先生のことを話してくれて、驚きましたと、次の日に報告に見えたと、教頭先生から連絡があった。
 
 担任の先生からも、その子については連絡を受けて、気にして授業に入った次第だった。

 1時間の飛び込み授業。多分もう二度と会うこともない児童との、1時間だけの出会い。

 前の日に送ってもらった座席表で、すべての子供の名前を覚えて授業に向かう。
 とくに、緘黙児童などは要注意である。

 授業の中で、「Aくん、そうでしょう?」といきなり名前を呼ぶと、「えっ、どうして知っているの?」と。
 「顔に書いてあるじゃない!」と言うと、その子は手で顔をしきりにふく。
その様子がなんともおもしろい。

 私は、かつて次のようなことを『学級経営力を高める3・7・30の法則』(学事出版)の本に書いたことがある。
 少し長いが引用したい。
 
 ★ ★ ★
 (3)小林先生の話
 私が小学校の3年生のときであった。担任の先生がお休みで、代わりに隣のクラスの小林先生が来てくれた。
 「今日は、お話をします」
 と言って話をしてくれた。今でもそのときの小林先生の身振りを覚えているくらいに、とても興奮するおもしろい話であった。ずっとそのときのことが私の心に残っていた。
 教師になって、そのとき小林先生が話してくれたのは『アリババと40人の盗賊』という本の内容だったことがわかったのである。
 おそらく、この小林先生の1時間のお話がなかったら、私がこうして子どもたちにお話をするということはなかったのだとつくづく思う。小林先生は、たった1時間で、私に種をまいてくれたのである。

(4)名前を知らないその先生の思い出
 小学校2年生のとき、私は、クラスで選抜されてラジオの歌番組(予選会)に出演したことがあった(よく思い出せないが、そんなものだったと思う)。隣の佐賀大学の附属小学校に朝早く出かけていった。
 私たちは、附属小学校の中庭で朝の待ち時間を遊んでいると、そこへ見慣れない先生と子どもたちがやってきて、
 「私たちは、ずっと山の方の学校から来たんだけど、町の子どもたちの遊びがどんなものか仲間にいれてくれないか」
 という申し出があった。もちろん、私たちは、承諾して、一緒に遊んだのである。
 そのときの先生のことがずっと忘れられなかった。なんと素敵な先生だろうと子ども心に印象づけられたものであった。
 ものの15分か20分ぐらいを一緒に遊んだんだろうか。
 それだけである。しかし、教師になってからも、その先生のことが私の心に残り続けた。
 名前を知らない先生である。しかし、私の心にその先生は、確かに種をまいたのである。
 
(5)教師の仕事は種まきの仕事
 小学校のあるとき、確かに2人の先生が私の前をしなやかな印象を残して通り過ぎていった。しかも、ほんの短い時間である。
 そのことを考える。
 お話をしてくれた小林先生。私がまだその話しぶりを覚えているほどに真剣であった。適当な話でお茶を濁すことはなかった。このことから子どもと関わるときには、真剣でならないことを教えてくれたんだと思う。
 一緒に遊びに加わってくれた先生。2年生の私たちに対して、<町の子どもたち>という一目おいた対応をしてくれた。そのことがとてもうれしかった。
 <子どもと関わる>ということの大切な何かをこの2人の先生は、体験的に教えてくれている。だからこそ、私の心の中にいつまでも残り続けた。
 私たちの教師の仕事は、種まきの仕事である。その種がどんな芽を出すのか、どんな花を咲かすことになるのかをほとんど見ることはできないけれど、それでも、子どもたちは、きっとどこかで自分の花を咲かせてくれるだろうという未来にかける仕事である。
 ★ ★ ★

 ★
 教頭先生から連絡があった、I 君のこと。
彼は、授業後の感想で、次のように書いている。

 「きょうは詩についての授業をしてくれてありがとうございます。谷川しゅんたろうさんの詩にかくされているひみつとかいろんなことが分かりました。本当にありがとうございました。」

 教師の仕事は、その子の未来にかける仕事なのである。
 
 


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つれづれなるままに~母100歳の誕生日~

●寂聴さんが亡くなった。99歳。
 つい最近まで朝日新聞に連載で書かれていたので、いきなりの訃報である。

 かつてのかつて、尊敬する故E先生が私に語られたことがある。

 「瀬戸内晴美の『比叡』はすごいよ。この本はどんな世界の名著よりも
  抜きん出ているよ!」

 20代だった私は、早速その本を買った。
 だが、いずれ読もうと思いつつ、ずっと読まないままにそのまま書棚に眠っている。
 ★
 私が最も寂聴さんに注目したのは、「過去」の処理の仕方とでも言えようか。
月並みな言い方になるが、「マイナスをプラスに転換させていった、見事な生き方」だ、と。

 幼い一人娘を残して家を飛び出したことがすべての始まり。
 敗戦後、夫の教え子だった青年と恋に落ち、良き妻、良き母を捨て、幼い頃から憧れていた文学の世界へ飛び込んでいる。

 普通の人なら、このマイナスイメージは立ち直れないほどのダメージになる。
 もしネットがある、今の状態ならば大炎上になって非難されたことであろう。

 それでも寂聴さんは、したたかに生き抜いている。

 「なぜ書き続けるのか」と問われたことがある。
 「まだ、お母さんともしゃべれない幼い娘を捨てて文学の世界に飛び込んだんだから、書き続ける責任がある。私は幸せになっちゃいけないの」

 最後の最後まで書き続けた。
 ★
 私たちは、かつての失敗などを思い出しては暗い気持ちになり、暗澹とした生活を送っている。
 そこから立ち上がれない人たちも数多くいる。

 しかし、寂聴さんは、過去がどんなにひどく、悲惨なことであっても、生き続けることでプラスに転換することはあるんだよ、と教え続けている。

 「過去って、そのように考え、転換するんだよ!」と。
 ★
 寂聴さんが眠る墓は、長年住職を務めた天台寺にある。
 その墓碑には、愛や自由、平和を求めた強き女性作家の生涯を、端的に表す言葉を記すと寂聴さんは話していたという。
 「愛した 書いた 祈った 寂聴」と。合掌。
 
●武道家であり、思想家の内田樹さんが「撤退のために」(仮題)という本を編著で出される予定である。そのための寄稿依頼をブログに書かれていた。

 その中で注目する内容は、次のこと。

 ★ ★ ★
 僕の書き方がいささか悲観的過ぎる、日本の衰え方をいささか誇大に表現しているのではないかという疑念を持つ方がおられると思います。でも、日本の未来について楽観できる余地はほんとうにないのです。
 国力衰退の第一にして最大のファクターは「人口動態」です。わが国の総人口は2004年をピークとして、今後減り続け、21世紀の終わりには、明治四十年代の日露戦争前後の水準にまで減少することが予測されています。人口推移の図表を見ると、1900年から2000年までに増えたのと同じだけが2100年までに減るので、人口推移グラフはきれいな左右対称の山形をなしています。
 具体的に言うと、2100年の人口予測は高位推計で6470万人、中位推計で4771万人、低位推計では3770万人です。現在が1億2千600万人ですから、中位推計でも今から80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人。毎年県が一つずつなくなるというペースです。
 ★ ★ ★

 恐ろしい話である。
 「我々は生きていないからいいや!」という話になろうか。
 
 それでも、今生まれている赤ちゃんが80歳になる頃の話である。
 そうなると、話は違ってくるではないか。
今生まれてくる子供たち、孫たちの話である。

 これから80年間で7000万人が減る。
 想像もできないこと。

 会社などはもうなくなっているのだろう。
 働く人たちが限りなく少なくなる。
 高齢者ばかりの社会になる。
そんな日本が成り立つのだろうか。

 教育の世界はどうなるのだろうか。
 学校は統合、統合で減少する。
一体、公立の学校が存在できるのだろうか。

 もちろん、教員もどんどん少なくなる。
 子供がいなくなるからである。

…………
 想像できない事態が訪れる。

 こんな事態が80年後には訪れるのに、国はどうするのだろうか?

●母が100歳の誕生日を迎える。11月16日。
 現在は、佐賀で施設に入っている。
 このコロナ禍で2年間会っていないのだが、いよいよ100歳なのである。
 「100歳まで生きんば!」と目標にしていた。
 それが成し遂げられる。
なんとも目出度いことである。

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つれづれなるままに~飛躍とゲーム感覚~

最近とても気になる事件が立て続けに起きた。
 
 1つ目が、2021年10月19日に起きた山梨甲府の住宅殺人放火事件。
 2つ目は、つい先ほど10月31日に起きた京王線殺傷事件。

1つ目の山梨の住宅殺人放火事件は、つい最近の事件。
 19歳の少年。
 この少年は、この家の長女と同じ学校へ通っていて、少年は「長女に好意を寄せていたが、うまくいかず殺害しようとした」という趣旨の供述をしているという。
 
 犯行に及ぶまで計画的に準備を進めていたことが明らかになっている。
この少年は、高校では生徒会長まで務めたということが分かっている。

 2つ目の京王線殺傷事件。
 24歳の容疑者が、犯行後車内に座り、左手でたばこを吸い、右手にはナイフをもった映像が繰り返し流れていたのでご存じであろう。

 調べに対して、「6月頃に仕事を辞め、友人関係も薄れて死にたかった。誰でもいいから2人ぐらい殺して死刑になろうと思った」と供述している。
 ★
 19歳と24歳。若者である。
 私がもっとも注目したのは、「飛躍する」ということ。

 山梨の事件の犯人は、「長女に好意を寄せていて、それがダメになった」ことで長女の親2人を殺傷し、その後に放火まで起こしている。

 京王線の24歳は、仕事がうまくいかず、友人関係もうまくいかず、2人ぐらい殺して死刑になりたいということで事件を起こしている。

 驚くことは、山梨の19歳に起こったことも、京王線の24歳に起こったことも、ありふれた、誰にでも起こる(実際に起こってもいるであろう)ことで、残虐な事件につながっていることである。

 普通の人に起こる、ありふれたこと→人を殺す
一本線の、とてもシンプルな構図。

 ここには、ものすごい飛躍がある。

 どうしてこんな飛躍ができるのか。
 
 長女に好意を寄せて、ダメになるというのは失恋である。
 誰でもに起こる。
 それが殺してやろうと、しかもその親までも。
 この飛躍した発想を、どうして持てるのか。

 仕事がうまくいかず、友人関係もうまくいかない。辛いことだが、多くの人に起こっている事態。また、やり直していこうというのが普通のこと。
 それが、人を2人殺して死刑になりたいという飛躍した発想。
 どうしてこのような発想になるのか。 
 
 ★
 普通の人たちは、人を殺すことができない。
 人を殺せないように育っている。

 だから、アメリカで、イラクやアフガニスタンでの戦場に駆り出される兵士には、事前に訓練をするという。
 人を殺す訓練。
 ゲームのようなシュミレーションを使っての訓練だと言われている。

この2人は、どうしてこのように人を殺すことができたのか。

 宮台真司は、次のように書いている。

 ★ ★ ★
 われわれが人を殺さないのは、殺していけない理由に納得しているからではありません。殺してはいけない理由をちゃんと説明できる人なんてほとんどいませんから、もしそうなら大変なことになります。そうではなく、われわれが人を殺さないのは、殺せないように育っているからです。
 であるならば、殺せないように育つために必要な条件は何なのでしょうか。
それを明らかにするために、『脱社会化』という概念を提出しました。
 要は、『人を殺せるように育ってしまった人たち』あるいは『人を殺してはいけない理由に納得できないことが大きな問題を構成してしまうような人たち』。これらが『脱社会的存在』にあたります。
(『教育真論』発行ウェイツ 宮台真司編)
 ★ ★ ★

 2人は、小中時代は普通の、目立たない少年だったと報道は伝えている。
この2人が、どうして、どのような過程を経て、「脱社会的存在」になってしまったのか。
 闇のままである。
 

 もう1つ気になったのは、京王線での服部容疑者のこと。

 ジョーズに憧れていた、と。
 そこで勝負服にきめて、当日の犯行に至っている。

 ゲームの主人公になって犯行を行っている、と!

 私には、そのように受け取られた。
 ゲーム機でゲームをするように、実際に自分が主人公になって行っている。

 この事件と関連して思い出すのは、新著『やんちゃな子がいるクラスのまとめかた』(学陽書房)に書いたことである。

 学級崩壊をゲーム感覚で起こしている子供たちについてである。

この子供たちと、服部容疑者は似ている。
ともに、ゲーム感覚で事を起こしている。

 相手にされた方や先生は、もはや命がけなのだが、当事者たちは、軽いのである。ゲーム感覚。
 ゲームの主人公になって、その事態にのめり込んでいる。

 これを私たちはどのようにとらえるべきだろうか。

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「小刻み学習法」での授業

 「おしゃべり授業」をどのように克服していくのかは、大きな課題と考えている。
 「おしゃべり授業」とは、授業のほとんどを教師のおしゃべりで通され、時々発問がなされて、いつもの4,5人が発言し、大半が傍観者であるという授業。

   多分、コロナ禍では、ほとんどの先生がこの授業をされていたのではないか、と。
 ただ、多くの先生たちには、自分がこんな「おしゃべり授業」をしているとはほとんど意識されていない。
 そこが一番の問題なのだが……。

 私は、この克服のために「小刻み学習法」を開発している。
 ★
 なぜ、克服なのか?
 それは、この「おしゃべり授業」が学級崩壊の原因の1つになっていると考えているためである。
 この「おしゃべり授業」は、子供たちに「つまんない」「退屈」「あきらめ」「意欲なし」という気持ちを誘発する。

 今まで、子供たちは「授業とはそんなものだ!」と我慢してきたのである。 ところが、どっぷりと消費感覚に浸された一部の子供たちは、もはや我慢の限界になっている。
 「つまんねえ~」と学級崩壊を引き起こしている。
 ★
 神奈川県の伊勢原市立伊勢原小学校に呼んでもらった。
 4年生のクラスで、授業までさせてもらった。

 もちろん、授業は「小刻み学習法」で行う。
 いつもの国語の詩の授業。
 この授業が、「小刻み学習法」を提起するにはもってこいである。

 今までは、こんな飛び込み授業は、名人教師による模範授業(「ごちそう授業」)であるというのが通例であった。
 私のような普通の授業者が、そんなことはできない。
 ところが、下手な授業でも、テーマをもって授業をすればいいのだということに気づいたのである(笑)。

 だから、指導主事の先生たちにも、「もう口舌だけで伝えていく時代は終わっているのですよ。訴えたいことは、テーマがある授業をして伝えなければならないですよ。授業をしましょう!」と伝える。
 嫌みな言い方になる(笑)。苦い顔をされるのだが……。

 元気なクラスだった。
 私は、授業の事前に自己紹介として笑わせる時間を5分間だけ取る。
 子供たちの緊張を和らげるためである。

 ところが、このクラスはそんな自己紹介は必要ないほどに最初から和らいでいた。
 自己紹介で、何人かのやんちゃな子供たちをさらに誘発した恐れがあった(笑)。

 「じゅぎょう 楽しかったです。
 こわい話をしたときに、おむつみたいなものをはいてくるのに大笑いしました。おもしろかったです。ぜひまたきてください。そしたらこわい話をしてください。」


 「小刻み学習法」とは、要するに「インプット」と「アウトプット」を小刻みに繰り返していくだけの授業法である。
 そこに、全員参加とフォローを付け加えていく。
これだけ。
 実にシンプルな授業法になる。
 
 これを授業に取り入れるためには、慣れるまでちょっと苦労する。
 でも、慣れたら簡単。

 インプットは、教師の話。30秒を超えないようにする。
 そして、アウトプットをさせる。
 音読させたり、発表させたり、復唱したり、ペアで相談したり、そして書かせたり、……。さまざまなアウトプットがある。

 脳科学の法則では、次のようなことになる。

 「インプットしたら、その知識をアウトプットする。実際に、知識を『使う』ことで脳は『重要な情報』ととらえ、初めて長期記憶として保存し、現実にいかすことができます。これが脳科学の法則です」                   (『アウトプット大全』樺島紫苑著)
 長期記憶とは、要するに、学力のことである。
 ★
 楽しいクラスだった。授業をすることの楽しみは格別である。

「今度来るときには、こわい話をするからね」と。

 

 

 

 

 

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