つれづれなるままに~残暑はまだ厳しい~
●政府のコロナ対策の分科会で、尾身会長は、次のように述べたという。
「尾身氏は、大学、高校ではオンライン授業をなるべく実施する一方、小学校については対面授業を実施するよう求め、「休校する必要はない」と指摘した。教育現場では大人から子どもへ感染が広がることが多いとして、教職員がなるべく早くワクチン接種を受けることを求めた。」
教職員のワクチン接種が、進んでいないところがある。
私の地元の横浜では、8月5日頃に1回目を終え、2回目は8月の下旬に打つということを聞いている。
8月いっぱいに終わらせようということになる。
ところが、隣のY市は、まだ進んでいないということ。
自治体によって大きな違いがある。
どうしてこういうことになるのだろうか。
教職員は、当然優先接種として夏休みいっぱいに終えなければならないはずである。
このデルタ株は、今までのコロナよりも計り知れないほどの感染力をもっている。
だから、夏休み明けは、当然子供同士の感染、教師から子供、子供から教師への感染が広がるはずである。
この事態を少しでも抑えるためには、まず教職員がワクチン接種をするというのは前提ではないか。(8/26)
●親しい友人の高橋定雄さんが、通信に次のようなことを書かれていた。
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runner通信。
月刊誌ランナーズを読み始めてから29年目。3年契約にしている。10月から更新しないことにした。3年前から走れない。膝の痛みは治りそうにない。
走ることは卒業し、後輩の走る方のために応援したり支えたりすることに徹したいと思う。走友会の会長もそうだが、他のことでも裏方に回ることにする。
株式会社アールビーズ社に改めて感謝したい。
先輩の野中信行さんの言葉を身に沁みて感じている。
走りには始めがあり終わりがある。人生にも上りと下りがある。下りをどのように降りてくるかが問題である。含蓄がある。
★
膝の痛みで3年前から走れなくなっていた定雄さんが、いよいよ走ることから卒業するという宣言である。ずっとライフワークとして走り続けたい思いでいっぱいだったはずだから、まことに残念なことである。
私のことを書かれてあるが、いつも「始め」や「上り」より、「終わり」や「下り」が大変である。
時として人は、ここでつまずく。
しかし、定雄さんは、いつもフェイスブックに「下り」の生き方を提示されている。みごとである。
励まされる。
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8月26日、私の誕生日である。
74歳になる。
まさにこの歳になって、本などを出しているなんて予想だにしなかったこと。
人生は、どんなに転んでいくか分からないものである。
●漱石の『三四郎』の写本を始めたとブログでも書いておいた。
毎日10分間。
続けている。
A4ノート2冊が終わった。3冊目に入った。
私の唯一の長所は、「続けること」が得意なこと(笑)。
今では、10分間でノート1ページ書けるようになっている。
書きながら漱石の文体が、私の中に入ってくる。
とにかく情景描写や心象描写がすばらしい。
日本の小説の有り様を指し示した文豪。まだ残り続ける意味が少し分かる気がする。
●高田郁の『あきない世傳 金と銀』11 風待ち篇(角川春樹事務所)を読む。
ずっと愛読している時代小説である。
小説のおもしろさを堪能させてくれる。
繰り返し2回読んだ。
この人の文章の巧みさは、現代では、比べる人がいないのではないかと思わせてくれるものである。
とくに、情景描写がうまい。うっとりするほどである。
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