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本への反響を考える(3)

客 今回の本で、第5章に「日常授業を改善する」を上げているね。
  この本の中では、ちょっと異質なところかな。

主 いやいや、これからの学校教育を考えていくときに、避けて通れない課題を書いたつもりなんだよ。

客 どういうことなんだい?

主 今まで子供たちは先生たちが行っている「つまんない授業」にそんなものだと思って我慢してきたんだよ(笑)。ところが、最近はその授
業に対して「反!」を突きつけるような子供が出てきている。「つまんねえ~」と学級崩壊を起こす子供がやんちゃな子供だけでなく、学
習塾ではトップの子供が起こし始めていることがあるんだよ。

客 だから「日常授業」が学級崩壊の原因の1つになっているという指摘なんだね。

主 多くの先生方はそのように受け止めてないんだけど、これから学校現場は、そこに大きな課題が突きつけられてくるはずだよ。
  でも、先生方は「日常授業」を何とか改善しようと試みていない。
  いつも通りやってスルーしていけばいいや、とね。

客 だから、あえて第5章にこの課題を書いたんだね。
  よく分かるけど、その「日常授業」の改善として「小刻み学習法」を提起してあるけど、ここはいろいろ異論があるところだろうね。

主 「日常授業」の改善と提起している割には、あまりにチャチな授業法じゃないか(笑)と思われているんじゃないか、と。
 
客 でも、先生たちは小学校だと毎日5,6時間授業をやるんだよ。どんなに優れた授業法でも、ややこしくて、難しかったら日常に耐えられ
なくて、結局やれないよね。シンプルだということが良いんじゃない。

主 この授業法は、どっかから持ってきたものではないよ。
  先生たちの「日常授業」とそれを受けている子供たちの現実から考えだしたものだよ。
  先生たちの多くがやっている「おしゃべり授業」の問題点を分析して、子供たちに表れている課題として5つを抽出して、その克服として
考えてきたものだよ。そして、私が、さまざまなところでその授業法で授業をして子供たちに受け入れられることを試してきたんだ。
  すべて帰納法で考えていったのだよ。

客 むずかしいことを言うね。帰納法というのはどういうことなんだよ。

主 簡単に言うと、目の前の子供たちの課題に対して、他から授業法をもってきて適用していくのじゃなくて(これは演繹法だね)、目の前の
子供たちの課題から、それをどうしていくかと考えていったということだよ。

客 そうそう、演繹と帰納ということに対して、オックスフォード大学の苅谷剛彦先生が『コロナ後の教育へ』(中公新書ラクレ)で徹底的に
日本の教育政策について批判しているね。

主 私も読んだよ。苅谷先生は、日本の教育政策について『追いついた近代消えた近代』(岩波書店)で詳細に分析されていて、そのまとめの
ような形で今回の本が出されているんだね。

客 あの分厚い本を読んだの?

主 昨年の夏に読んだよ。こんな認識がなかったから驚いたんだけどね。

客 苅谷先生が、『コロナ後の教育へ』で書かれていることは、日本の教育政策がどのように成立しているのかということと、それへの徹底し
た批判だね。

主 うん、そうだね。苅谷先生は、今日本の学習指導要領で導入しているア クティブ・ラーニングやカリキュラムマネジメントなどをエセ演
繹型として批判されている。
 「抽象的でまだ見ぬ理想を掲げるのだから、それを実現する手立てについても、目的・手段の関係は抽象的レベルにとどまる」と。
 結局具体化できないから、うまくいかない、とね。

客 でも、その苅谷先生の『コロナ後の教育へ』という本に対して、アクティブ・ラーニングなどの推進をしている人たちから批判がほとんど
 出ないね。私が、その批判を目にしていないということかもしれないけど。

主 そうだね。今まで行政の方針に距離を取ってきた先生たちだって、こぞってアクティブ・ラーニングには賛成していったんだから当然苅谷
 先生の論に対して批判があってもいいよね。

客 ここまで徹底した論を展開されているので、なかなか批判するのはむずかしいということかな?それとも無視しておけばいいやというとこ
  ろかな。

主 しかし、ここをきちんと考えないと、また同じ失敗をしていくことになるからね。

客 同じ失敗というのは?

主 アクティブ・ラーニングの追究1回戦は、30年前の新学力観の追究という形で失敗しているんだよ。総合が入ってきた時だね。失敗の形
 はゆとり教育の失敗という形で終わっているけど、実際は、新学力観と言って、ほとんどアクティブ・ラーニングと同じ考え方の失敗だった
  んだよ。

客 その時、あんたは現場で実践する立場じゃなかったのかな?

主 ほんとにめちゃくちゃだったね。
  詰め込み教育を止めようということで、漢字を覚えさせること、かけ算九九を覚えさせることなどを、子供が嫌がるなら無理して教えないで
  い  いとか、指導をしないで支援で行けとか、授業の最初は、教師が話すのではなく、子供の発言から始めなくてはならないとか、……。

 とにかく、今までの教え込みの指導をやっきになって否定しようとしたんだ。
  そのために、多くの低学力児を生み出したり、学力低下を招いたんだね。その後遺症は、今でも続いているよ。

客 それじゃあ、今回の学習指導要領は、アクティブ・ラーニング追究の2回戦ということになるんだね。
コロナ禍でほとんどやれてないと思うけどね。
  でも、あんただってアクティブ・ラーニングについては肯定していたんじゃなかったっけ?

主 そうだね。私は、高校、大学や私立の学校などでアクティブ・ラーニングは実践すべきであって、公立の小中は基礎・基本を徹底すること
 だと主張していたね。これはエリート教育なんだからね。

客 でも、苅谷先生の本を読んで考えが変わったということかな?

主 そう、根本的に考え直さなくてはならないと思ったよ。

客 小中の公立では、基礎基本を徹底することってどういうことなんだい?

主 基礎的な学力を保障していくということも大切なんだが、
  小中の子供たちに必要なのは、まず3つのことだと思っている。
  1つは、自分の考えをもつこと。
  2つは、その考えを言語化すること。
  3つは、その考えを相手に伝えること。

客 これを「全員参加」ということで、一人一人の子供たちに身に付けたいということなんだな。

主 全員参加というのは、単に全員に発言させたり、活動させたりするということだけではなく、考え方として上の3つを実践するということ
  なんだよ。

客 単に技術的なことだけではないんだね。

主 現在の子供たちは、授業で傍観者になっていることが多く、自分の考えをもつということができていないんだよ。まず、考えようとしてい
  ないもの。だから、全員参加をさせるということは、挙手指名発言だけではなく、どんどん強制的に指名していく授業を考えださなければ
  ならないのだよ。それでとにかく自分で意見を持つようにすることだね。

客 だから、「味噌汁・ご飯」授業でも、全員参加が目的に入っているんだね。でも、自分の考えを一人一人に持たせていくっていうのは難し
 いことだよね。

主 そうだよ。そういう機会をぜひとも作っていかねば、まず考えようとしないからね。だから、しょっちゅう一人一人に指名して、自分の考
  えを発表させなくてはならないんだ。

客 それから自分の考えを言語化するというのもむずかしいよね。語彙力がなければできないんじゃない。

主 そうそう、最後の勤務校では討論の授業をさせようとさまざまに取りくんだんだよ。でも、むずかしかったね。壁になるのは、子供たちの
  語彙力の問題だね。語彙力がないと言語化できないし、相手に伝える話し方ができないんだ。

客 だから、「小刻み学習法」では、授業の中で、15秒とか20秒のペア相談を入れるというのを盛んに取り入れているんだね。

主 繰り返し繰り返し行うことで、自分の今の語彙力で自分の考えをまとめていく機会をつくっていこうという試みだね。

客 そういうことが基礎・基本なんだ。

主 そうだよ。こんなことを基礎基本として行わないで、「さあ、アクティブ・ラーニングですよ」と言ったって、子供たちにとっては、雲を
  つかむようなものだよ。できっこないよ。
  先生はやろうとしても、一部のよくしゃべる子供たちだけの授業にしかならないはずだ。

客 それじゃあ、今多くの先生たちがやろうとするアクティブ・ラーニングというのは、一部の子供だけの話し合いのようなものなんだ。傍観
  者になっている子供たちは、結局おいて行かれるわけだね。

主 そういうことになるね。アクティブ・ラーニングの1回戦と同じような失敗をすることになるね。
1回戦の失敗の総括をまったく行っていないからこういうことになるんだ。
                                          (終わり)

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