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つれづれなるままに~どうして教職員のワクチン接種が始まらないのか~

●写本を始めたというのは、前回のブログで書いた。
 漱石の『三四郎』である。
 
 誰にも読まれない写本。
 家内に「写本を始めたよ!」と言うと、「よくもまあ……あきれた」と言葉にならない。
こんなことをやっている人などいるわけがないからである。

 でも、写本を始めると、これがおもしろい。
 「三四郎」は、大学4年のときに読んでいるはずだが、まったく覚えていない。

 「三四郎」の最初は、列車で向かいに座った女性から、宿を一緒にしてほしいと頼まれて、やむなく一緒するというところから始まる。

 この展開がおもしろい。
 次々に書いていると、先の方が気になる。
 10分しか書かないからである。

 ★
 こんな非生産的なことをどうして始めたのか。

 もちろん、書字の問題が出てきたことがきっかけであるが、もう1つ理由がある。

 それは、岸見一郎さんの『老いる勇気』(PHP)を読んだことからである。

 「定年後に新たな対人関係をうまく築けない理由の1つは、人の価値を『生産性』で見ることをやめられないからです。何かをできるかできないかで、人の価値を判断してしまうのです」

 「定年後の男性は、よく『自分から仕事を取ったら何も残らない』と嘆きます。することも、行くところもなく、あるのは『こんなはずではなかった』という憤りと、『このままではいけない』という焦りです」

 この指摘は言われるとおり。
 こんな人を数多く見てきたのである。

 私も、こういう生産性でものごとを考えているところがある。
 できるーできない、はやいー遅い、効率ー無駄 などなど。

 ★
 「定年後」を迎えたら、「生産性」でものごとを考えていく価値観をどれだけ捨てられるか、そこにかかっている。

 鶴瓶の家族に乾杯という番組を見ていたら、鶴瓶が、草取りをしている、ある女性に出会う。
 その人は、家の周りをずっと掘っていて、空き缶、釘、瓶などを探している。鶴瓶は、「ここ掘れ女」とネーミングをつけて呼ぶのだが、こんなことを趣味にしている人もいるのである。

 まさに「生産性」からは無縁の人。
 でも「良いじゃないか!」と。

 一見「無意味」、「無駄」と思われることでも、そこに自分なりの意味や興味を持てればいいわけである。

 写本に漱石の『三四郎』を選んで良かったのである。
 たった10分の写本に、わくわくしている。

 おそらく、全部写し取ってしまうまでには、1年はかかるであろう。
 おっと「いけない、いけない!」
 こんなことを考えるから「生産性」になるわけである。
 
●ワクチン接種が進んでいる。
 大学、企業での接種がもう始まろうとしている。

 不思議でならないのは、小中高の教職員、幼稚園の先生、保育園の先生などの接種が始まらないことである。
 この先生たちは、優先接種になるはず。

 内々で聞いたことだが、子供たちから感染した先生や、クラスターになった子供たちの事例がある。
 公にならないでひっそりと処理されている。
 おおげさになると、また休校騒ぎになるからであろう。

 文科省では、もうすでに検討されていると願っている。
大学や企業よりも早く行うことなのである。

 先生たちがワクチンをまとめて打つことができないなどの困難さがあるのは分かる。
 それでも、夏休みがある。
 7月に第1回のワクチン接種を行い、2回目を夏休みに行えば、その困難さは解消できるはずである。
 打つ人だって、校医がいるではないか。

 とにかく夏休みまでに終わることである。
 

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コメント

いつもお世話になります。
小牧市では、余剰ワクチンの優先順位の最後に「市内小中学校教職員」がリストアップされました。市内在住者だけでなく、市外在住者も対象になっています。先週から今週にかけて希望者に接種され、勤務校では9割近くの教職員が1回目の接種を終えました。
今のところワクチン接種の対象になっていない小学生に接するのですから、大切なことと思います。小牧市では、中高生への優先接種も発表されましたが、こちらは反対意見もあり、物議を呼んでいます。

投稿: 丹羽 敦 | 2021年6月17日 (木) 21時07分

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