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2021年6月

大変な本が出版された!~横藤雅人著『元気な学校づくりの秘訣』(さくら社)~

 私は、37年間13人の校長のもとで担任生活をしてきた。
ほとんどの校長が、管理職としての仕事をやっていない、と今更ながら思い出している。

   校長としての学校運営のビジョンは提起されている。
 これはすべての校長が行う。

 だが、そのビジョンをいかに具体化するという筋道がほとんどない。
 そのビジョンは、単に掲げるだけのもの。

 おそらく、「具体化する」という方法論を知らなかったのであろう。
 いや、知らないというより、具体化するという気もなかったのではないか。
 ほとんどが名誉職として校長になっているに過ぎないから。

 だから、今ではもう名誉職どころではなく、「苦情処理係」になることしかできなくなっている。

 時代は大きく変わっている。
  
私は、管理職になることはなかったが、今更ながら管理職の重要さを身にしみて感じている。
 ★
 ここに画期的な本が出た。

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 『元気な学校づくりの秘訣』(横藤雅人著 さくら社)。
 この本では、ビジョンだけでなく、その実現の筋道を明らかにしている。
 ほとんどの人が、こんな本を初めて読むことになるであろう。

 私は、メールで横藤先生に「もっと早く出してほしかった!」と伝えたところである。

 そういえば、横藤先生が校長として最後の勤務校になった大曲小学校のことを思い出す。

 私が最初に大曲小を訪れたとき、3人の子供が校長室で勉強をしていた。
教室では、他の子供の邪魔をして担任だけではやっていけない子供だということだった。
 大変な困難校だったわけである。
 

 それが、3年間で様変わりしていた。
 廊下で会う子供たちが、立ち止まって挨拶をしてくれるのである。
 体育館での集会を見たが、整然としたその有り様に驚いたものである。
 「こんなに変わるんだ!」と(その変化の様子は、『学力向上プロジェクト』<明治図書>を参照してほしい)。

 本書は、その秘訣を明らかにしてくれている。
あの3年間で、横藤先生は、校長としてこうした取り組みをしていたのである。
 それが十分納得できる。
 この本は、これから学校を運営していく管理職、ミドルリーダーの先生たちのバイブルになるはずである。

この本の画期的なことは、次のことになる。

①学級経営の方法論であった縦糸、横糸を、学校経営に応用したこと
 である。

②しかも、学校づくりの方法論を、縦糸・横糸それぞれにチェック項目に
 して提示されている。この視点で取り組めば良いのだということが分か
 ってくるようになっている。 

③ミドルリーダーたちは、この観点から学年経営の視点を考えればいい
 わけである。

④第3章 「ドキュメント・学校づくり」では、実際に取り組んでもらった
 管理職の実践が収められている。貴重な実践である。コロナ禍の事態がな
 かったら、もっと実践は進んでいったと考えられる。

⑤何よりも校長としての現在の勤務校(瀬戸ソラン小学校)での実践が、
 これから提起されてくることを予感させる。期待したい。

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「おしゃべり授業」を何とかしなくてはならない!

 「味噌汁・ご飯」授業研究会の会長の秦安彦先生が、フェイスブックに次のようなことを書かれている。

 ★ ★ ★
●課題はもっと手前にある。
◆◆一刻も早く「おしゃべり授業」をやめよう。。。
先生ばかりがしゃべりまくる授業。先生が説明を延々と続ける授業。私はこれを「おしゃべり授業」と呼んでいます。
これまで、経験の浅い先生方の授業を1000時間以上は参観したと思いますが、実にその9割以上が「おしゃべり授業」であったと記憶しています。最近はベテランの先生方にも「おしゃべり授業」が広がっているようにも感じます。
どうすれば、「おしゃべり授業」を脱出することができるのでしょうか。
初任の先生方にもっともよく伝わったのが、
「説明しない授業を(自分で)工夫せよ」
ということでした。
例えば、教科書に書いてあることは先生が説明するのはなく、子供に自力で読み取らせるようにするということです。
たったこれだけのことでも、説明は少なくできます。
そのためには、子供に自力で読み取らせるための条件を考えねばなりません。
・字面が読める。→正確に音読できる。
・書かれていることの意味の大体がわかる。→文意や要点を読み取れる。
・図やグラフが読める。→データを読みその意味がわかる。
例えばこのようなことです。
繰り返し読ませることの重要性に気付くかもしれません。
自力で読ませて、その後、大切なところに気付いたかを教師は確かめればよいわけです。自分で気付かないことも、誰かが気付けば学級全体で共有できるでしょう。
「おしゃべり授業」を続ける先生は、子供が自力でできるようにしなければならないことをほとんど説明してしまうのです。
まるで説明するのが先生の仕事と勘違いされているように見えてしまいます。
向山洋一先生は「向山型で算数を得意にする法則」(明治図書)の「はしがき」に、つぎのように書かれています。
「・・・授業中, 30秒以上説明するなど問題外です。説明を丁寧にすればするほど,子どもはわからなくなります。・・・」
「あれっ」と思われた方も多いかもしれません。
まだまだ、現場では
「丁寧に説明することがわかることにつながる」
「わかるように丁寧に説明することが最も大切」
と勘違いされている先生が多いように私は感じます。
私が考える、日常授業最大の問題点です。
 ★ ★ ★

 アクティブ・ラーニングの時代に「おしゃべり授業」でもないだろうと、思われるだろうが、現実はそうではない。

 7,8割の先生たちが、この「おしゃべり授業」をしていると、私も見ている。
 もちろん、日頃の「日常授業」でのことである。

 「おしゃべり授業」とは、授業の大半を教師のおしゃべりで通し、ときどき発問をして、いつもの特定の子に指名をするというもの。
 大半の子供が傍観者になっている。

 退職後、6年間ぐらいで2000人以上の先生の授業を見てきた。
 分かったことは、数多くの先生たちがこの「おしゃべり授業」をしていること。

 現役の頃には、とても気づかなかった。
 研究授業を見ることでは、分からなかったのである。 

 考えてみると、日頃先生たちの「日常授業」を見ることがなかったからである。
 ★
 なぜ、日頃の授業が「おしゃべり授業」になるのか。

 「日頃を乗り切る、手軽な授業法」だからである。

 日頃は、まともな教材研究などできない。
 だから、赤刷りの指導書を斜め読みしながら指導していかざるをえない。
 習慣的に身に付けた手軽な授業法である。
 慣れてきたら、ほとんど教材研究をしないでも授業ができる。
 
 ひょっとしたら、私も現役の頃、やっていたかもしれないのである(汗)。
 自覚症状がない。
だから、多くの先生たちも無意識的にやられているはずである。

 今までは、この「おしゃべり授業」で何とかやれてきたのである。
 今も大半の先生たちは、そうしているはず。
だって、準備する時間がないのであるから。
 私は、先生たちに同情する。

 だが、これからはそうはいかない。
 それは、学級崩壊の原因の1つが、この「おしゃべり授業」にあることが分かってきたからである。

 今までは我慢していた子供たちの数人が、反旗を翻している。
 「つまんねえ~」「おもろしろくねえ~」と。

 でも、先生たちの多くは、自分のクラスの荒れが、自分の「日常授業」に原因があることを気づいていない(あくまでも私は原因の1つと考えているが……)。

 問題は、そこなのである。

 アクティブ・ラーニングを導入すれば、これが何とかなるのか。
 とんでもない。
 こんな状態の中で、そんなことをしたらますます荒れはひどくなる。

 授業法を変えなくてはならない。
 問題を、帰納的に考えていく。
 つまり、「おしゃべり授業」の問題を1つひとつ拾い上げ、それを克服する授業法を考えていくことなのである。

 それを私は、「小刻み学習法」と提起している。

 7月に本を出す(7月9日の発売)。
 『困難な現場を生き抜く!やんちゃな子がいるクラスのまとめかた』(学陽書房)である。

 この本には、「小刻み学習法」についてくわしく書いている。
 ぜひ読んでほしいと願っている。


 
 

 
 

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つれづれなるままに~どうして教職員のワクチン接種が始まらないのか~

●写本を始めたというのは、前回のブログで書いた。
 漱石の『三四郎』である。
 
 誰にも読まれない写本。
 家内に「写本を始めたよ!」と言うと、「よくもまあ……あきれた」と言葉にならない。
こんなことをやっている人などいるわけがないからである。

 でも、写本を始めると、これがおもしろい。
 「三四郎」は、大学4年のときに読んでいるはずだが、まったく覚えていない。

 「三四郎」の最初は、列車で向かいに座った女性から、宿を一緒にしてほしいと頼まれて、やむなく一緒するというところから始まる。

 この展開がおもしろい。
 次々に書いていると、先の方が気になる。
 10分しか書かないからである。

 ★
 こんな非生産的なことをどうして始めたのか。

 もちろん、書字の問題が出てきたことがきっかけであるが、もう1つ理由がある。

 それは、岸見一郎さんの『老いる勇気』(PHP)を読んだことからである。

 「定年後に新たな対人関係をうまく築けない理由の1つは、人の価値を『生産性』で見ることをやめられないからです。何かをできるかできないかで、人の価値を判断してしまうのです」

 「定年後の男性は、よく『自分から仕事を取ったら何も残らない』と嘆きます。することも、行くところもなく、あるのは『こんなはずではなかった』という憤りと、『このままではいけない』という焦りです」

 この指摘は言われるとおり。
 こんな人を数多く見てきたのである。

 私も、こういう生産性でものごとを考えているところがある。
 できるーできない、はやいー遅い、効率ー無駄 などなど。

 ★
 「定年後」を迎えたら、「生産性」でものごとを考えていく価値観をどれだけ捨てられるか、そこにかかっている。

 鶴瓶の家族に乾杯という番組を見ていたら、鶴瓶が、草取りをしている、ある女性に出会う。
 その人は、家の周りをずっと掘っていて、空き缶、釘、瓶などを探している。鶴瓶は、「ここ掘れ女」とネーミングをつけて呼ぶのだが、こんなことを趣味にしている人もいるのである。

 まさに「生産性」からは無縁の人。
 でも「良いじゃないか!」と。

 一見「無意味」、「無駄」と思われることでも、そこに自分なりの意味や興味を持てればいいわけである。

 写本に漱石の『三四郎』を選んで良かったのである。
 たった10分の写本に、わくわくしている。

 おそらく、全部写し取ってしまうまでには、1年はかかるであろう。
 おっと「いけない、いけない!」
 こんなことを考えるから「生産性」になるわけである。
 
●ワクチン接種が進んでいる。
 大学、企業での接種がもう始まろうとしている。

 不思議でならないのは、小中高の教職員、幼稚園の先生、保育園の先生などの接種が始まらないことである。
 この先生たちは、優先接種になるはず。

 内々で聞いたことだが、子供たちから感染した先生や、クラスターになった子供たちの事例がある。
 公にならないでひっそりと処理されている。
 おおげさになると、また休校騒ぎになるからであろう。

 文科省では、もうすでに検討されていると願っている。
大学や企業よりも早く行うことなのである。

 先生たちがワクチンをまとめて打つことができないなどの困難さがあるのは分かる。
 それでも、夏休みがある。
 7月に第1回のワクチン接種を行い、2回目を夏休みに行えば、その困難さは解消できるはずである。
 打つ人だって、校医がいるではないか。

 とにかく夏休みまでに終わることである。
 

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つれづれなるままに~写本をしてみよう、と~

●コロナの第4波が収束し始めている。
 ただし、沖縄を除いてだが……。
 
 この4波は、イギリス株の感染であった。
 とするなら、次回の第5波は、インド株の流行になる。

 状況は、イギリス株が入ってくる状況とほとんど同じである。

 この5波が、オリンピックと重なったり、終わってからの流行となると大変である。

 ワクチン予約が、やっと取れる。
 ほんとに、やっと、やっとである。
 横浜で始まった大規模での予約を、やっと取れる。
 それでも6月21日が第1回目、7月19日が2回目になる。

 電話が大変であった。ほとんど不可能。
 毎回NTTが間に入って、「おかけになった電話は現在大変混んでいて……」となるか、「ツーツー……」と話し中の電子音が繰り返されるだけ。

 だから、電話だけで予約を取っている高齢者は、ほとんど1日中電話をしているはずである。
 それでもなかなかむずかしい。
 私の親しい知り合いは、まだ夫婦とも取れていないと電話がかかってきた。
 
 地方は着々と済んでいるという情報が伝わっているが、都市部は大変。

 原因は、横浜など計画的に進めないで、全部高齢者に丸投げした結果である。
 いくら人数が多いと言っても、時間はあったはずなのである。

 私の場合は、途中からネットに変更して、やっと予約完了。

 現在、企業や大学などが接種を始めると言っている。
 まだ予約ができない高齢者はたくさんいると思われるので、ずいぶんおかしなことである。
 

●昨年の夏、自然発生的にプランターに生えてきた青じそを焼酎にして飲んだところ、元気に夏を過ごすことができた。
 これは良いということで、今年はもっとプランターを増やして青じそを育て、焼酎をつくっている。
 
 無農薬の青じそ。焼酎は、黒糖焼酎れんと。
 青じそ30枚程度をよく洗い、焼酎につけこんでいくだけなのだが、これがおいしい。
 今回は、青じそがいっぱいにできるので、青じそジュースまでつくっている。これもなかなかの味。

 今年の夏も、この焼酎とジュースで過ごしたい。

●文章を書くのをほとんどパソコンで済ましている。
この結果、漢字を忘れ、言葉を忘れ、……さまざまな問題が出ている。

 最近、手書きをしようとすると手に力が入らない。
 これは、困ったことになった。

 そこで、毎日手書きをしようと思いつく。
写本をしてみよう、と。
 早速A4版のノートを買い込んでくる。2冊も。
 思ったらすぐ行動に移せるのが、私の良いところである(笑)。

 そして、若い頃買いためていた漱石全集を引っ張り出してきた。
 漱石は、大学4年の時にほとんど読んでいる。
 もう一度読んでみよう、いや写してみよう、と。
 
 まず、「三四郎」から写し始めよう。
 それから「道草」にしよう、と。

 一日に10分。
 気が遠くなること。
 一体どのくらいの時間がかかるのだろうか。

 とりあえず問題は、一日の中で、いつやるかなのである。
 
一体続くのかどうか。
 これはダメだと思ったら、さっさと退却するのも、私の良いところである(笑)。

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『策略 ブラック学級崩壊サバイバル術』(明治図書)~最前線の闘い~

  新しい学級崩壊で、注目すべき2つがある。
1つ目は、学級のやんちゃな子供たちが、ゲーム感覚で学級を壊しにかかるもの。
 2つ目は、「静かなる学級崩壊」と呼ばれているもの。

 「静かなる学級崩壊」は、学級崩壊にはカウントされない。
 とりあえず授業だけは成り立つからである。
 しかし、学級ではしょっちゅうもめ事が起こり、担任はその仲裁に忙殺される。
 学級も、「群れ」のまま「集団」になれないで1年間を過ごしていく。
 私は、学級崩壊予備軍と呼んできた。
 ★
 問題は、ゲーム感覚で学級を壊しにかかる学級崩壊なのである。
 
 中村健一先生が『策略 ブラック学級崩壊サバイバル術』(明治図書)を出された。
 今まで出されていたブラックシリーズの到達点のような本である。
Cover

 この本では、困難校での、ゲーム感覚での学級崩壊に対して担任はどうすべきかを中心に書かれている。

 最前線での闘いである。
 あえて私は、そう言い切りたい。
 これから学校現場が抱え込んでいくリアルな「現実」は、ここに集約されてくるのだと考えているからである。

★ ★ ★
 学級崩壊は、教師にとっては、死活問題。
 生活が、人生が、かかっている。まさに命がけ。
 
と、書いた。子どもたちにとっては、どうだろう?

 学級崩壊は、子どもたちにとっては、ゲームでしかない。

のである。

 …………

 担任を辞めさせることができるかどうか?のゲームなのだから、たちが悪い。

担任を辞めさせれば、友達の中でステータスが上がる。いや、学校全体でも「先生を辞めさせたすごいヤツだ」と、一目置かれる。困難校というのは、そういう所だ。
 ★ ★ ★

 恐らく多くの先生方は、こんなことを聞くと、このすさまじさに恐れおののくことであろう。

 困難校で、こういう学級崩壊がでてきている。
 新しい学級崩壊と、私は呼んでいる。
 私の現役時代には、とうてい予測できなかった事態である。
 ★
 中村先生の立ち位置は、はっきりしている。
ちょっと長い引用になるが、勘弁してほしい。
★ ★ ★
 映画「パラサイト 半地下の家族」を見た。
 2020年アカデミー賞で、最高賞である作品賞を受賞した。ご覧になられた方も多いだろう。最近、テレビでもやってたな。
 「半地下」に住む家族が「1階」に上がって失敗する話だ。いや、上流階級の「2階」かな。その結果、父親、結局「地下」に追いやられてしまう。

 私は、この映画を見て思った。

 困難校の教師は、「半地下」に住んでいるようなものだ。
 
 と。
 普通の学校の教師は、「1階」に住んでいる。だから、「2階」を目指す。さらに良いクラス、さらに良い授業を目指して、上にのぼっていくイメージだ。

 たとえば、「アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)」である。たとえば、「クラス会議」である。

 普通の学校なら、こういう「高尚」な実践を追求できる。
 しかし、困難校の教師は違う。困難校の教師は、「半地下」で上手くいったからといって、「1階」に上がってはダメ。もちろん、「2階」に上がるなんて、厳禁だ。
 「1階」レベルのことを要求すると、子どもたちは反抗的になる。そして、学級は壊れていく。

 困難校の教師は、「半地下」でうまくいっていることに満足するべきである。
 
 「半地下」には「半地下」の生き方があるのだ。
 さらに、困難校で学級崩壊しそうになったら、次のことを悟るべきだ。
 
 困難校の教師がうまくいかなかったら、「地下」に潜るしかない。 

 「地下に潜る」とは、教師の理想のレベルをさらに落とすことである。
 理想のレベルを「底辺」まで落として、子どもたちに要求しない。とにかく、ぶつからずに、戦わずに済むようにする。私は、こうやって生き抜いてきた。
 ★ ★ ★

 よく読んでほしい。
 中村先生は、教育界で、初めてこんな提起をされている。

 今までは、クラスでうまくいかなかったら、もっと教材研究をするとか、もっと本を読んで勉強をするとか、セミナーに参加するとか、……とにかく「2階」へ上がろうとしてきた。

 しかし、中村先生は違う。
 「地下へ潜ろう」と提起されるわけである。
 ベクトルの向け方がまるっきり違う。

 ここに最前線の闘いがある。

 恐らくこれからこのような闘いを強いられる教師たちが多く出てくる。
 それだけ困難校が増えていくからである。
 ぜひとも読んでいただきたい。

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