つれづれなるままに~初任者研修がありました~
●サンデーモーニングという番組で、オリンピックの意義について話題にしていた。
何のためにオリンピックを開くのか。
それが分からなくなっているのである。
もうすでに世界の70%以上がオリンピックを開くことについて否定的である。
日本でも、7割の人が中止か延期をアンケートしている。
聖火リレーが始まったが、盛り上がらない。
意義が分からないのである。
復興五輪というテーマはもうすでになくなっている。
また、人類がコロナ禍を克服した証として開くという意義も、世界は変種株に犯されている現状では克服も何もないではないか。
日本もまたこれから変種株の第4波が襲ってくることが現実味をおびえているではないか。
このままでオリンピックを開くというなら、日本の国民体育大会に外国選手が参加するということぐらいでしかない。
それをやろうということである。
私は最初から中止を早めに決断すればいいと考えていたが、そうならない状況で進んでいきそうである。
●3月26日に、神奈川県海老名市の初任者研修会に行く。
昨年も、この26日に開催された。
ほとんどが中止になる中での決断であった。
教育長は、この初任研は「不要不急の研修ではない!」と言われている。
ぜひとも必要なのだ、と。
しかも、赴任前研修として行われている。
私の話を初任者に聞かせて、始まるまでに10日間の準備期間があるわけである。その準備の時間を取ろうという試み。
私も初任者に「今日話をすることは、ほとんどが初めて聞くことです。今日の話を聞いて、あと10日間で心の準備を含めて準備をしてください!」と話し始めた。
初任者にとって(とくに担任をする初任者にとって)、いくつかのハードルがある。
初任者は、そのハードルがハードルだと意識しないままに進めてしまう。
そこで失敗をしてしまう。
その失敗を避けさせなければならない。
もちろん、きちんと実践できなければどうにもならない課題だが、まずそのハードルを意識させることが大きな課題である。
そこが最初の初任者研修の意義だと、私は感じている。
●以前のブログでも話題にしたのだが、教師も子供たちも、互いにマスクをして授業をしていることについてである。
もう1年間ずっと、こういうことになっている。
何が問題なのか。
子供たちと「関係づくり」をするとき、教師は、「ことば」と「表情」しかない。
ことばに表情を伴って、子供たちにことばを届ける。
これがマスクで共に覆われているので、子供たちは教師がどんな表情でしゃべっているのか分からない、教師も子供たちがどんな表情で受け取っているか分からないのである。
だから、ことばだけが教室空間を浮遊しているのではないか。
その結果、「関係づくり」がうまくいかなくなっている。
子供たちとの関係がうまくつくれないので、学級がまとまらない。
ただ、コロナ禍が終わったとしても、クラスの半数ぐらいはずっとマスクを付け続けるのではないだろうか。
私は、そのように予想している。
もう子供たちは、マスクを付けている方が安心感が増すと思っているのではないだろうか。
教師にとっては、困った事態である。
以前にも増してむずかしい「関係づくり」が強いられる。
どうしたものか、と思っていた。
ふと思ったのだが、経営コンサルタントの神田昌典さんから毎日このような動画を送られてくる。
この動画を見ながら、このように手を動かしたらどうだろうか、と思ったのである。
youtu.be/nhVRZEEfwfQ
神田さんはマスクをしていない。
でも、このように言葉を発すると同時に、さまざまな手の動きを付け加えられる。
このように表情の替わりに、この手の動作を付け加えて、言葉を発していったらどうだろうか、と思ったわけである。
確実に、ただ突っ立ったままで「ことば」を発するよりも、より子供たちへ言葉は伝わっていくのではないだろうか。
どうだろうか。
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