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2021年2月

日本人に決定的に欠けていること

 五輪組織委・有識者懇談会メンバーのデービット・アトキンソン氏の話は、深くうなずけることであった(朝日新聞2/23日朝刊)。
 氏は、組織委で大会コンセプトを作っているときに、一番難しいかったのは、日本人が考える「日本」がほとんど理想論だったことだと、言われている。

 「多様性と調和」というコンセプトについて、会議では「日本は世界一寛容な国」という人がいた、と。
 日本はどんな文化でも取り入れて、日本は多神教で海外は一神教だとか。

 ところが氏は、日本は、寛容な面はたくさんあるが、夫婦別姓も認めないし、移民にはかなり厳しいし、難民は受け入れない。寛容と言えるのかと、会議では議論になった、と。
日本人は思い込みや俗説が多い。専門家に確認しない、検証しない、厳しく言えば、プロ意識が低い面があることは共通している、と。

 そして、氏は、次のように指摘される。

「日本の決定的な問題は、クリティカルシンキング(批判的思考法)が充分にできていないこと。これは、仮説を立てて、ロジックを分解し、データで検証し、結論を出すもの。
 大学の問題が大きい。クリティカルシンキングができるようになるのは大学生の年齢。人間というものは勝手な思い込みをする生き物なので、それをなくす大学教育が発達した。
 大学の4年間、先生とのやりとりで、思い込みで発言したら、根拠はなんですか?評価に客観性はありますか?と聞いて答えさせる。日本の大学はそれが十分できていない。」

 ★
 こんなデービット氏の意見を聞きながら、苅谷剛彦氏の『コロナ後の教育へ』(中公新書ラクレ)を思い出した。
 苅谷氏は、今オックスフォード大学教授。
 このデービット氏も、オックスフォード大で日本学を学んでおられるのである。
 
 この『コロナ後の教育へ』という本は、日本の教育政策を根底から批判したもので別に考えたいものである。

 この本で、苅谷氏は、オックスフォード大学の教育について書いているところがある。

 「……The Oxford Tutorial  という本がある。オックスフォード大学で実際に行われているチュートリアルと呼ばれる教授・学習法についての一種の解説書だ。ここでは、チュートリアルという具体的な教育実践が、学生たちに批判的思考力を付けさせていることを、具体から抽象して論じている。長年にわたって続けてきた教育方法が、どのような成果をあげてきたか。それら現実(現場)の経験〓実績から、抽象度を上げることで、そこで何が行われてきたか、そこにどんな意味があるかが論じられる。」

 チュートリアルとは、どのような教授・学習法なのか?

「ちなみに、チュートリアルとは、教師による徹底した押し付け型の教育だ。読む文献もエッセイの課題も教師が決める。そして毎週十数冊の文献を学生に読ませ、教師が与えた課題に答えるための十数ページのエッセイを書かせる。そのうえで、週1回1時間、教師が学生にエッセイに見られる弱点を指摘し、学生がそれをディフェンスする。学生の側からみれば、チュートリアルの時間を除きほとんどの学習は無言で行われる。大量の文献を読むことも大部のエッセイを書くこともなく、自分の意見を自由に述べるだけの授業とは大局的な学習だ。見た目だけでは、パッシブな学習である。それでも、それが批判的思考力を鍛えるうえで有効なことを教師も学生も知っている。つまり帰納的に理解している。だから、どんな時代が来ようと、それを変える必要はないと判断される(読む文献やエッセイの課題は変わっていくが)。」

 苅谷氏は、オックスフォード大学の学習法が、アクティブ・ラーニングとは対極にある学習法であることを指摘されている。
 
 日本の大学教育では、とてもできることではないと思われる。
 しかし、オックスフォード大学では、こうして学生たちに批判的思考力を身に付けさせている。
 実際に、それを身に付けたデービット氏は、日本の致命的な問題を、その批判的思考法なのだと指摘されている。
どうだろうか?

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つれづれなるままに~高田郁さんの小説を読む~

●東北地方の地震は、規模的には阪神淡路大震災と同じだったという報道である。
 私が住んでいるところでも、震度4であった。
 震度3まではいつものことだが、さすがに震度4になると、その揺れ方が大変である。
 一瞬、直下が来たのではないかと身構える。

 今回の地震は、規模的には大きかったのだが、1人も死者を出さなかったのは、たいしたものである。もちろん、時間が夜の11時7分だったということも幸いした。もし日中に起こっていたら、もっと災害は大きくなったであろう。

 それにしても、3.11を経験した宮城、福島の人たちは、たいしたもの。地震への備えも防備もできている。

●長崎の中学校の山中先生が、フェイスブックに次のように書かれている。

 ★ ★ ★
市内の中学校での研究テーマのほとんどが「学力向上」に関するものです。しかし,現状を見ると学級経営がうまくいっていない学校が多いのではないかと密かに思っています。小さいトラブルが多発している,長期欠席生徒が多い,授業中騒がしい,臨時の学年集会がちょくちょく開かれるなどの原因は学級集団づくりにあると思うのです。これらすべて学級担任の責任ではありません。副担任の責任もあります。学校全体の責任でもあります。授業は公開できますが,学級経営は公開することが難しいです。学級は公開しても,その哲学や技術などは見えません。そこで,全職員で学級経営について学ぶことが大切だと思うのです。校内の研究テーマを学力向上に固執しないで,学級経営に重きを置いたほうが現実的です。学級が安心できる,安定している場所であれば,学力も向上すると考えているのです。現在,研究主任として来年度のテーマを考えていますが,「よりより生徒集団づくりを目指して」などのような学級経営に関するテーマにしようと目論んでいます。
 ★ ★ ★

 ちょっと驚いたのは、中学校で学級経営が大きなテーマになること。
 
 本来ならば、小学校でこの学級経営に正面から向き合わなければならない時代にきているのに、学級経営を中学校で問題にされているのである。

 中学校は、教科ごとに先生が替わっていくために、なかなか学級経営というテーマになりにくいのではないだろうかと考えてきた。
 しかし、それでも担任が学級をつくるわけである。
 その学級経営が問われる。
 ★
 今では学級経営は、ほとんど担任の個人的な思いでやられている。
 学級経営の考え方が、先生によって異なるからである。

 それは、学級経営が「学級における担任の全ての仕事」に関わるということから、その違いが生まれる。

 3,40年前は、学級で授業さえやっておけば学級は成り立っていた。
 1年の中で、大きな学校行事をこなしながら、学年行事を進めて、その合間に授業をしていくという流れで学校はほとんど成り立っていた。

 しかし、この20年の間に、もはや授業だけでは子供たちに対応できない時代になってきたのである。
 学級経営が問われる時代になったのだと考えている。
 ★
 私は、学級経営を次のように考えている。
 ①関係づくり(縦糸・横糸)
 ②学級づくり(仕組みづくり、ルールづくりなど)
 ③学習指導(日常授業、全員参加など)
 ④生活指導(いじめ指導など)
 ⑤連携・協力(危機対応、保護者対応など)
 ⑥環境整備(教室設営、行事対応など)

 3,40年前までは、③だけが強調されていた。
 今では、もう「ごちそう授業」を追究する時代ではなく、「日常授業」をどれだけ豊かにしていくかが問われる時代になっている。そのように主張してきた。
 授業の重みがなくなったわけではなく、向けるべき視点が変わってきたのである。
 
 18年前に最初の本(『困難な時代を生き抜く教師の仕事術』学事出版)を出したときには、②の「学級づくり」の必要性を強調した。それは今でもそうである。
 しかし、今では学級経営全体が問われている。
 とくに、①関係づくりの視点をきちんともたなければ、もはや今どきの子供たちに対応できなくなっている。
 
そうしなければ、学級崩壊が多発し、学校崩壊になっていく時代に対応できない。私はそう考えている。

●『あきない世傳 金と銀 十』(高田郁著 角川春樹事務所)を読んでいる。
 このシリーズを愛読している。
 高田さんの小説は「みおつくし料理帖」から愛読している。

 この十作目もおもしろかった。
 二度読み返している。こんなことはなかなかない。

 高田さんの特徴は、情景描写のうまさである。

 たとえば、書き出しは次のようになる。

 ★ ★ ★
 薄縹(うすはなだ)の空に、仄かな鴇色が朝焼けの名残を留める。
 辺りに麗らかな陽射しが溢れるまで、今少し、刻があった。
 如月、晦日。
 初午に針供養、涅槃会も過ぎて、浅草広小路へと続く表通りには、何処となく長閑な気配が漂う。時折、ちょんちょん、と聞こえる音、あれは花売りの老女が鋏を鳴らす音だった。
 ★ ★ ★

江戸時代の、その情景が浮かび上がってくる。
 うまいなあ、と。

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開墾した農園に子供たち招待~「下りの走り」ということ~

 親しい知り合いの投稿が、読者のコーナーに載った。
 「えっ~~」とびっくり。
 朝日新聞。2021年の1月1日。

 ★ ★ ★
  開墾した農園に子供たち招待

                   小学校非常勤教員 高橋定雄
                   (神奈川 69)

 偶然にも近所で開墾できる土地を借りられることになった。畑と田んぼの候補地計2千平方メートル。元々田んぼだったという湿地は35年間、放置されたまま。原野に近い。
 日当たりが悪いため、大きな梅の木を2本切り倒し、枝を払って整理した。周りの竹林や森林も伐採して日当たりを改善し、湿地帯から田んぼに戻す準備をしている。
 私は秋田県の農家の長男として育ち、52年前に横浜市へ出てきた。小学校教員をしながら、市民菜園を20年間続け、退職後は本格的に農業従事者になりたいと思っていた。
 今年は借りた自分の土地を開墾し、一から農業に従事できる記念の年だ。地域の小学校の父親によるボランティア組織「おやじの会」も仲間に入れたいし、子供たちのサツマイモ畑も作ろう。
 昔ながらの脱穀機や風を起こして籾とゴミなどを分けるもみすりなど、伝統的な器具を使い、いくつかの手を通して稲作りに挑戦しよう。近隣の小学生に農業の出前授業もしたい。そうだ、いっそ「さだお農園」に小学生を招待しようか。夢は膨らむ。

 ★ ★ ★

 「定雄さん」と呼んでいる。
 その定雄さんと知り合いになったのは、横浜教職員走友会でのこと。
 私も40歳から50歳までの10年間を、市民ランナーとして過ごしたのである。1年に1回ずつ10回のフルマラソンを走った。
 定雄さんは、サブスリーランナーであった。
 サブスリーとは、フルマラソンで3時間を切るランナーのことであるが、市民ランナーの2万人に1人ぐらいだと言われている。
 副校長や校長時代もずっと走り続けた。
 朝起きて走り、学校へも走って行くのである。
 校長時代には、学校の子供たちを各地の駅伝大会に連れて行って、活躍をさせている。学校を陸上学校にしている。

 しかし、数年前に急に膝が痛くなり、走れなくなった。膝の難しい病気である。
 走りすぎたのである。
 現役ランナーのときは、月に600キロ、700キロを走っていたのである。ちょっとしたプロのランナーと同じである。

 走れないと悩んでいると思いきや、なんと、こうして「さだお農園」を開墾している。したたかな人である。
 校長を退職後も、初任者指導をしたり、困っている先生の手助けに駆けつけたり、林間学校などの手伝いをしたり、学校の農園の手伝いをしたり、……と大忙しなのである。その合間に、こうして農園を切り開いている。
 ★
 ものごとには、「行き」と「帰り」がある。
 往路と帰路。
 マラソンでも、往路と復路があるのと同じ。
 人生がまさしくそうである。

 私たち走友会も、「上りの走り」と「下りの走り」という言い方をしていた。上りの走りは、記録や距離を目指した走りをすること。
 下りの走りとは、もうそういうことを目指せなくなったときの走りである。

 実際に、定雄さんみたいに走れなくなることもある。
 私は、50歳でぷっつりとレースに出ることを止めた。
 残された60歳までの10年間、教師の仕事に専念したいと思ったからである。学校現場は、荒れてきて学級崩壊が増えていた。これから大変なことになるなあという思いがしたからである。

 この定雄さんの投稿を見て、「なるほどなあ、こういう『下りの走り』があったんだ!」と。
実際に走ることだけが「下りの走り」ではない。

 そう考えると、誰でもが「下りの走り」をすることになる。
 その人の真価は、この「下りの走り」で決まってくる。
 そのためには、「上りの走り」をどのようにやったかにかかってくるのであろう。

 ★
 私は、走友会の会合や練習会にはもう顔を出すことはないが、まだまだ実際に走っている。まだ、ランナーなのである。
 家の中を30分走る(笑)。4:30からのジョギング。
 熊みたいに同じ所をぐるぐる走る。
 ちゃんとしたコースも設定している(笑)。
 私の家は豪邸であるから(?)。
 
 定雄さんの「下りの走り」は、私たちを励ましてくれる。
 何にでも、どこにでも、やろうと思えば、生き方はついてくる。
 考え方次第なのだ。
           

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つれづれなるままに~『教師1年目の教科書』が5版になりました~

●以下のニュースが出てきた。

 小学校教員の競争率、過去最低 19年度採用試験、2.7倍

小学校の教員採用試験の競争率
 都道府県教育委員会などが2019年度に実施した公立小学校の教員採用試験で、競争率の全国平均は2.7倍と過去最低だったことが2日、文部科学省の調査で分かった。バブル景気の影響で民間就職が好調だった1991年度を下回った。2倍を切ったのは、採用試験を合同で行った広島県・広島市を一つと数えて計12自治体となり、前年度より2増えた。

 1倍台の都道府県は、山形、福島、富山、山梨、山口、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎の各県と、北九州市、合同で採用している広島県と広島市の13自治体。

 中学校と高校も、採用倍率の前年度を下回り、それぞれ5.0倍と6.1倍になっている。

 ★
 学校が「ブラック学校」になっている情報は、もう明らかになり、その内容が伝わっているのである。
 仕事量は、世界一。その過酷さは、半端ではない。
 
 働き方改革は期待させたが、このコロナ禍で吹っ飛んでしまった。

 こんなところを学生が希望しないのである。
 それが採用倍率になっている。

 35人学級になったことは明るいニュース。
 5,6年の教科担任制も明るいニュース。
 だが、教科担任制は、実践試行校ではあまりうまく行っていないとも聞いている。

 しかし、この程度で仕事量は変わりはしない。
 文科省もがんばっているが、もっと抜本的に何とかしないと、どんどん教師になる人がいなくなっていく。

 また、非常勤の先生たちの不足も深刻である。
 担任の先生が病気になったり、不足したりした場合、それを補う先生がいないのである。

 こうして学校は、足元から崩れ去っていっている。
採用が極端に少なくなったとき、どうなるのだろうか。
 
 とにかく、早く早く先生たちの過酷な状況が改められる抜本的な改革を提起しなければどうにもならなくなるのではないか。
 
●『教師1年目の教科書』(学陽書房)が5版になる。
 売れている。ありがたいことである。
 口コミで広がっている。
 買っていただいた方、ありがとうございます。
 
 これは、初任者用に出版されたものだが、私は決してそう思っていない。
 これは、3年目までに身に付けておく若い先生のための基礎・基本の本である。
 もちろん、野中が考えている基礎・基本である。
 しかし、こんな発想で出されている本はないのではないだろうか。

 これを身に付けなければ、それ以上に力をつけていくことはむずかしい。
 これがほとんどの先生は我流になってしまっている。
 
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●土曜日は、6:30からの寅さんの映画を見る。
 これは以前にも書いたことだが、毎週この映画を楽しみにしている。

 見始めは、単なるお笑いの、ワンパターンの映画としてしか思っていなかった。それでも、ずっと土曜日ごとに見ていると、そうはいかないことが分かってきた。
 ここには、寅さんを通しての、山田洋次監督の人間に対する思いが込められている。

 甥の満男が小さい頃から大学生にまで成長していく過程で、寅さんと接近する。
 「おじさん、人間は何で生きているの?」など、誰も口にしなくなったこんな原初的な問いかけをするわけである。
 それに寅さんは、うまいこと答えていくわけである。

この映画を見て、「ああっ、1週間が終わったなあ!」という感じになる。

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