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つれづれなるままに~また横浜へ戻ってきたい~

●子供の幸福度をはかるユニセフ〓国連児童基金の調査結果が出ている。
 日本は、先進国や新興国など38カ国中、20位だった。

 この幸福度調査は、7年前の2013年に31カ国を対象に調査している。このときは、日本は全体の6位であった。
 だから、幸福度は、落ちたということになる。

 体の健康(子供の肥満の割合や死亡率など)の分野では1位となる。
 
学問などの能力をはかる「スキル」では、学問的な習熟度は高いものの社会的な適応力で上位の国におとり、27位。

 一方精神的な幸福度は、37位と沈んでいる。 
 これは、15歳時点での生活の満足度の調査結果や若者の自殺率などから算出した結果である。
 ほとんど最下位になっている。

 上位はどんな国なのか。
 1位がオランダ、2位がデンマーク、3位はノルウェー、そしてスイス、フィンランドと上位を北欧、ヨーロッパ諸国が占めている。

 この調査は、調査項目の少なさが気になるところであるが、日本はますます貧困化しているので、そのしわ寄せが子供たちに行っているのは間違いがないのだろう。

●「また横浜へ戻ってきたい!」
 そう言って、水戸へ行かれた。
 娘さんの家の近くのリハビリ施設に入院し、リハビリに励むそうである。
 91歳なのである。
 隣の家の庭木の剪定をされていて、知り合いになった。
 大変元気だったが、熱中症になられてから、不調続きになった。
 やはり、寝たきりになるとどうしても歩くのがうまくいかなくなる。
 そこで、水戸の病院に行かれたのである。
 
また、横浜に戻ってきたいという言葉を投げかけられたと、隣人に教えてもらった。
どんなに歳をとっても、こういう心構えで生きるのだと教えてもらう。
 ★
 瓢水(ひょうすい)という俳人がいる。
 播磨の豪商だったらしいが、瓢水の風流によって産を失い、晩年はむしろ貧しかったらしい。
 生涯、無欲、無我の人で、逸話に富んでいる。
 その俳人に、次の句がある。

  浜までは海女(あま)も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな 

 海女は、海まで行けば濡れるのだから、雨が降って濡れたってかまうことはないはず。そう思ってもよいところ、時雨が降ってくれば、我が身をかばい蓑を着る。
 決して、どうせ濡れるのだから、濡れていこうとはならない。
 ★
 この句については逸話がある。
 あるとき、瓢水の高名を慕って旅の僧が訪ねてきた。
 ところが、あいにくの不在。どこへ行かれたかという旅僧の問いに家人が「風邪をこじらせ、その薬を買いに行った」と。
 それを聞いた旅僧は、半ば嘲るかのように、
「さすがの瓢水も命が惜しくなられたか」
 と言い捨てて立ち去った。
 返ってきてこの話を聞いた瓢水は、「浜までは……」の句を紙にしたためると、まだ遠くまでは行っていまい、その僧に渡してきてほしいと使いを出した。
 この句を見た旅僧は己の不明を恥じ、とって返し、瓢水にわびた。
 ★
 瓢水にとっては、薬を買いにいったが、別に命が惜しくなったわけではない。もういい年だが、いよいよとなるまでは、しっかり生きたい。どうせこの年だからと病をほったらかしにしないで、治る努力をするのは恥ずかしいことではないのである。

 そう考えると、この<浜>は、<死>を暗示するように思われる。
 人間はいずれ死ぬ。どうせ死ぬのだから、よく生きる努力など空しいのではないかと考えがちである。
 瓢水は、この考えをたしなめている。
 最後の最後まで、生きる努力をする。
 そのようにこの句は問いかけている。
 ★
 「退職したのだから、あとは余生!」「長生きしたら、周りに迷惑をかけるからあとはテキトウに生きるよ!」「もうこんな年になったんだから、あとはもういいよ!」という言葉を、何度も聞かされてきた。

 瓢水は、このような人生をたしなめる。
 そして、冒頭にあげた91歳の方もまた、決して「テキトウ」な人生を生きていない。
 最後の最後まで生きる努力をされている。 
   
この瓢水の句は、先日亡くなった外山滋比古さんの本から教えてもらったものである。

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