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2020年9月

叱りは夕立のごとく!~子供たちとの関わりをどうするか~

 現在、初任者研修の録画どりのパワーポイントを作成している。
 
 初任者の先生たちの今の悩みは、子供たちとの「関係づくり」なのであろう。
 子供たちと、どのように関わったらいいのかということになる。

 まず第1に、「叱ること」についての悩みがある。
 
 「叱れない」というのは、教師としては続けられないと思った方がいい。

 学校教育法第11条にも、次のように書いて「叱る」(懲戒という言葉だが)ということを定めている。
 
 「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」
 
 教育上「叱る」(懲戒)必要があるので、このように法律で定めているのである。
 
 「叱らない」というのは、1学期の当初は、あったかもしれないが、通用するはずがない。
 私は、「仲良し友だち先生」と言って、やってはいけない先生として主張している。
 
 それでも今は、「しょっちゅう叱っています。」というのが多いのではないだろうか。
 
 ただ、叱ることにも、原則がある。

 ①叱るのは、原則として全体に行う。個々の子供には努めて優しくする。

 ②叱りは、夕立の如く行う。
だらだらといつまでも叱らない。
どこで終わったらいいか分からないで、だらだらなる先生は、自分から終了宣言をしたらいい。「終わりっ!」と。

 ③叱り中毒にはならない。
  叱るときは、脳にドーパミンが出てくるという。
  快楽物質。
  だから、叱ることは快楽なのである。しょっちゅう叱っている先生は、  中毒になる。止められなくなる。

 学級崩壊の調査をしたときに、崩壊になっている先生たちのほとんどが、
「しょっちゅう叱っている」という特徴があった。
 これは、もう叱り中毒になってしまっているのである。
 早速改めなくてはならない。

 第2に、発達障害、愛着障害などの子供たちへの対応の悩み。
 どういう対応をしたらいいか、悩みは深い。

 この子供たちにもしょっちゅう叱っているという先生方は多いのである。
 ところが、かえって反発されて、ますます関係がうまくいかなくなっている。
 
 確かに、この子供たちが「うるせえ~」「めんどくせえ~」「うぜえ~」と言い返してきたら、ついつい叱りたくなるのは、気持ち的によく分かる。
 でも、絶対にその土俵に乗ってはいけない。
 
 彼らの反応は、「エ音」が多い。
 最後が「え~~」になる。
 このエ音は、コミュニケーションを遮断する言葉なので、この言葉が返ってきたら、「おまえとは関係をもちたくない!」と言っているのに他ならない。
 だから、それに反応して叱っていったら、ますます関係は悪くなる。ひどい反発が返ってくる。

 こんな場合はどうするか。
 このブログで何度も書いたことがあるが、また繰り返したい。

 何か問題があったときは、まず最初の言葉かけがある。
 
 子供たちとの「関係づくり」には、「言葉」と「表情」しかない。
 その「言葉」になる。

 「包み込み話法」と言っている。
 その子供たちを、どのようにクラスに包み込んでいくのかを考えての話法である。

 ①「ど」のつく言葉で問いかける。
どうしたの? どれどれ? どうですか?

 「Aさんは今どんな調子なの?」とAさんの「事実」を問いかけるのである。

 ②「そ」のつく言葉で返していく。
  ここで、「めんどくせ~」「うるせえ~」などという言葉が返ってきたら、  「そ」のつく言葉で返していくのである。

そうなの? そうなんだ! そうか! そうだよね。

Aさんの「事実」を確認するのである。

 この事態は、ここで収めていく。
 言い返したり、叱っていたりしたら、ますます事態はこじれていく。

 ただ、「包み込み話法」は、これで終わりではない。

 その子たちには、他の場面で、フォロー(ほめたり、認めたり、励ましたりなど)をしなければならない。

 どういうようにフォローするのか。
 3つのことをやれば良い。

 ア 短い言葉で行為をほめる
   SWIM話法ぐらいは日常的に使えるようになってほしい。

S…すごい、すばらしい、さすが、その調子
W…わかる
I…いいね
 M…みごとだね

 イ 名前をつけて特定化する
  「すてきだね、奈々子さん」「ばっちりだよ、一郎君」……

 ウ 達成や成長を伝える
  「できるようになったね」「やったじゃない」…… 

 どうだろうか。
 このように、その子供たちを包み込んでいくのである。

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つれづれなるままに~また横浜へ戻ってきたい~

●子供の幸福度をはかるユニセフ〓国連児童基金の調査結果が出ている。
 日本は、先進国や新興国など38カ国中、20位だった。

 この幸福度調査は、7年前の2013年に31カ国を対象に調査している。このときは、日本は全体の6位であった。
 だから、幸福度は、落ちたということになる。

 体の健康(子供の肥満の割合や死亡率など)の分野では1位となる。
 
学問などの能力をはかる「スキル」では、学問的な習熟度は高いものの社会的な適応力で上位の国におとり、27位。

 一方精神的な幸福度は、37位と沈んでいる。 
 これは、15歳時点での生活の満足度の調査結果や若者の自殺率などから算出した結果である。
 ほとんど最下位になっている。

 上位はどんな国なのか。
 1位がオランダ、2位がデンマーク、3位はノルウェー、そしてスイス、フィンランドと上位を北欧、ヨーロッパ諸国が占めている。

 この調査は、調査項目の少なさが気になるところであるが、日本はますます貧困化しているので、そのしわ寄せが子供たちに行っているのは間違いがないのだろう。

●「また横浜へ戻ってきたい!」
 そう言って、水戸へ行かれた。
 娘さんの家の近くのリハビリ施設に入院し、リハビリに励むそうである。
 91歳なのである。
 隣の家の庭木の剪定をされていて、知り合いになった。
 大変元気だったが、熱中症になられてから、不調続きになった。
 やはり、寝たきりになるとどうしても歩くのがうまくいかなくなる。
 そこで、水戸の病院に行かれたのである。
 
また、横浜に戻ってきたいという言葉を投げかけられたと、隣人に教えてもらった。
どんなに歳をとっても、こういう心構えで生きるのだと教えてもらう。
 ★
 瓢水(ひょうすい)という俳人がいる。
 播磨の豪商だったらしいが、瓢水の風流によって産を失い、晩年はむしろ貧しかったらしい。
 生涯、無欲、無我の人で、逸話に富んでいる。
 その俳人に、次の句がある。

  浜までは海女(あま)も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな 

 海女は、海まで行けば濡れるのだから、雨が降って濡れたってかまうことはないはず。そう思ってもよいところ、時雨が降ってくれば、我が身をかばい蓑を着る。
 決して、どうせ濡れるのだから、濡れていこうとはならない。
 ★
 この句については逸話がある。
 あるとき、瓢水の高名を慕って旅の僧が訪ねてきた。
 ところが、あいにくの不在。どこへ行かれたかという旅僧の問いに家人が「風邪をこじらせ、その薬を買いに行った」と。
 それを聞いた旅僧は、半ば嘲るかのように、
「さすがの瓢水も命が惜しくなられたか」
 と言い捨てて立ち去った。
 返ってきてこの話を聞いた瓢水は、「浜までは……」の句を紙にしたためると、まだ遠くまでは行っていまい、その僧に渡してきてほしいと使いを出した。
 この句を見た旅僧は己の不明を恥じ、とって返し、瓢水にわびた。
 ★
 瓢水にとっては、薬を買いにいったが、別に命が惜しくなったわけではない。もういい年だが、いよいよとなるまでは、しっかり生きたい。どうせこの年だからと病をほったらかしにしないで、治る努力をするのは恥ずかしいことではないのである。

 そう考えると、この<浜>は、<死>を暗示するように思われる。
 人間はいずれ死ぬ。どうせ死ぬのだから、よく生きる努力など空しいのではないかと考えがちである。
 瓢水は、この考えをたしなめている。
 最後の最後まで、生きる努力をする。
 そのようにこの句は問いかけている。
 ★
 「退職したのだから、あとは余生!」「長生きしたら、周りに迷惑をかけるからあとはテキトウに生きるよ!」「もうこんな年になったんだから、あとはもういいよ!」という言葉を、何度も聞かされてきた。

 瓢水は、このような人生をたしなめる。
 そして、冒頭にあげた91歳の方もまた、決して「テキトウ」な人生を生きていない。
 最後の最後まで生きる努力をされている。 
   
この瓢水の句は、先日亡くなった外山滋比古さんの本から教えてもらったものである。

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