つれづれなるままに~外山滋比古さんが亡くなられた~
●英文学者の外山滋比古さんが亡くなった。
96歳であったので、ずいぶんの長生きであった。
「思考の整理学」という本では、東大でベストセラーになるというほどに多くの本を出された。つい最近まで出されていた。
私は決して外山さんの本を数多く読んだ方ではないが、私が常に持ち続けている本がある。
『りんごも人生もキズがあるほど甘くなる』(幻冬舎)である。
「第1話 キズをのり越える努力が、人を大きくする」のところで、次のように書かれている。
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青森へいった帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。
こちらが、
「キズのあるりんごの方が甘いんですよね」と言うと、おばあさんが、
「東京の人のようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています。」
という意味のことを土地のことばで言った。うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。
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私もリンゴ好きで一年中毎日朝リンゴを食しているので、よく分かる。
確かに、キズがあるリンゴは甘いのである。
続けて外山さんは、次のように続ける。
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試験を受ければかならず合格、落ちるということを知らない秀才がいるものだ。他方では落ちてばかりいる凡才がいる。もちろん、秀才の方がえらくなるけれども、落第ばかりしていた人が、のちになって、たいへんな力を発揮、かっての秀才を追い抜くことも、ときどき起こる。若いときに失敗をくりかえすような人は、はじめはパッとしない。しかし、いろいろな経験を重ねているうちに、実力があらわれる。」
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私もさまざまなキズをもって、今を迎えているが、失敗やキズは、ときには人生を豊かにしてくれると外山さんに励まされた気がした。
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また、第6話には、「教師と生徒の車間距離」というところがある。
教師にとって身につまされることが書かれている。
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T先生は評判の小学校の先生だった。小うるさい親たちも、先生には心酔しているみたいだった。同僚からも羨ましがられるほどだったが、実は、ひとつ悩みがある。
小学生のひとり息子が、どうもパッとしない。勉強もふるわない。
あんなりっぱな先生で、よその子はうまく育てるのに、肝心のわが子がどうしてうまく育てられないのだろう。そんな噂をする親たちもいた。T先生は、つらい思いで、そんな噂を耳にして心を重くしたのである。
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確かに、確かに。
教師は、自分の子供に対してはうまく育てられないと言われ続けてきたことでもある。
外山さんは、次のように続けておられる。
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先生が悪いのではない。こどもがいけないのでもない。親と子がすこし近すぎたのである。T先生はおそらく自覚していないが、学校で教える子供より、ずっと近い関係でわが子に接していた。親子の距離が小さすぎると、子は親の圧力で小さくなる。ストレスを受けて自由を失い、成長することができない。
学校での生徒と先生の距離を保てれば、家庭でも、よりよき父親となり得ただろう。
人と人は近ければ近いほどよいなどということはない。近いものは、近いものに、よい影響を及ぼすことができない。フランスの哲学者がそう言っているが、真理をつくことばである。
★ ★ ★
このT先生は、わが子への関係づくりで失敗していたのである。
しかし、このことは、親の多くに言えることでもある。
今は、「友達親子」と言って、親が子供に限りなく近づいている。
それが良いことだと思っている。
私が知っているある親子も、そうだった。
子供に自分のことを「○○ちゃん」と呼ばせている母親であった。
それがなんとも心地よい関係だというように。
その子は、とても優秀で、体育もバリバリの子供だった。
しかし、中学校でつまずき、高校は中退してしまうという結果になった。
親子が近すぎて、距離が保てず、親としての役割を子供に示すことができなかったわけである。
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もう1つ、初任者指導で初任者の先生に訴えることがある。
外山さんの次の言葉を引用する。
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学校出たての新人教師はハリキっている。こどもの前で「キミたちといっしょになって勉強しよう。先生ではなく兄貴だと思ってくれ」などとイキがるかもしれない。こどもとの年齢差が小さすぎる。教師として致命的ハンディである。それに輪をかけるように年齢差を縮めるようなことを言ったりするのはものがわかっていないのである。もののわからない人が人の子を導くことは難しい。
若い教師が若ぶるのは悲しむべき誤り。逆のことを考えるべきだ。若く見られてはいけない。服装なども、すこし地味に、きちんとしたものにする。
昔、田舎の医師が、若いくせに金縁のメガネをかけ、上等な洋服を着こんで患者に、この先生、かなりの年輩かと錯覚させるような工夫をした。のんきな先生よりよほど人間を知っていたのである。
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これもまた真理。
だが、若い先生たちは、若いことは、「致命的ハンディである」と思ってはいない。むしろ、良いことだと思っている。
学校の先生たちも、初任の先生たちが来ると、「学校にとって良いことだ!」と思っている。
初任の先生たちも、子供たちに盛んに近づき、友達みたいに付き合っている。
それが良いことだと思っている。
だが、その結果、学級崩壊になっていくことは数限りなくある。
私は「仲良し友達先生には絶対なってはいけない!」と強く訴え続けている。
縦糸を張ることで、子供たちとの距離を保ちつつ、横糸張りで、しっかり心を近づける。
この「関係づくり」が原点なのである。
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外山さんには、このような大切なことをわかりやすく教えてもらえた。
感謝している。
ありがとうございました。
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