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2020年8月

危難への対処法とは?

知り合いの先生から相談を受けた。
思わぬ事態になって、どうしていくか悩んでいるということ。

 人生での危難は誰でも、必ず何度か訪れる。
その場合の対処法は知っておかなくてはならない。
  おろおろして、落ち込んでしまったりしてはならない。

<対処法>
 1 まず状況を私見を踏まえずきちんと分析し、その結果起こり
える最悪の事態を箇条書きに書き出す。

2 起こりえる最悪の事態を予測したら、やむをえない場合には
その結果に従う覚悟を決める。

3 これを転機として、最悪の事態を少しでも好転させるように
冷静に対処していく。自分の時間とエネルギーを集中させる
こと。

 「神は対処できない課題は与えない」と言われる。
 試練なのである。
 この対処法は、「道は開ける」の著者のカーネギーに学んだ。

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つれづれなるままに~73歳の誕生日を迎えました~

●家に閉じこもりながら、今年はさまざまな本を読むことができた。
 一番の収穫は、『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店 苅谷剛彦著)である。
 大変な分厚さ。
 それでも、今オックスフォード大学にいる苅谷さんが、日本の教育政策がどのような変遷を経て、今日のかたちになっているかを追究した労作である。

 私にとっても、初めて知ることばかりで、読後感は複雑(?)である。
 簡単に、この本をまとめることはできない。

この中で特に印象に残ったのは、次のような言葉。
 ちょっと長くなるが勘弁してほしい。

「教育政策の言説においては、このような空回りがすでに20年以上も続いているというのが筆者の見立てである。」

 「……たしかに、これらは、『上からの教育改革』を印象づける。だが、本章での検討を踏まえれば、それは、(エセ)演繹型思考を通じての『上意下達』による教育改革の実施過程にほかならない。たとえば、学習指導要領で『主体的・対話的で深い学び』と言い換えられた『アクティブ・ラーニング』は、もともと外来のactive lerrningという教育用語を理想的な学び方として、抽象的なレベルで輸入した概念である。それをもとに、それより抽象度を下げた日本語で説明しようとする言説が、先に引用した学習指導要領「解説」部分であった。だが、それを言い換えた『主体的・対話的で深い学び』という日本語も、依然として抽象度の高いレベルでの理解・解釈にとどまる。漠然と、児童生徒が進んで何かを調べたり、それをもとに話しあったり、あるいはそこでの議論の結果を発表する、といった、外形的に見て『受け身』ではない学習を想定しているイメージは伝わる。だが、そこで実際に児童生徒たちの頭のなかで何が行われているのか、外から積極的に見える学習への参加と、そのようには見えない学習とのちがいはどこにあるか。前者では、主体(性)の育成が行われ、後者では行われていないとしてよいのか。それを判断するのは誰で、その判断力はどのようにして育成されるのか。このようなことは、手本となるような授業実践を研究することで、どの教師にも育成可能なのか。教育学の研究は、そのような学習のメカニズムやその成果について、評価できるレベルにまで研究が進んでいるのか。不明な点を挙げればきりがない。……」

「とりわけ、すでに多忙を極める教員たちが、このような学習にどれだけ準備と、学習成果についてのフィードバックができるかについては、学校や教員の現状をとらえて、そこからどのような問題があるか、障害はどこにあるかを(帰納的に)に考えてみればすぐにわかるはずである。」

「それが失敗に終わっても、原因がわからないままである。1990年代以後に実施されてきた教育改革と同様に、実行を阻む原因も解明されないままだろう。」

 これくらいでいいだろう。
 「アクティブ・ラーニングが最後の砦だ!」と、教育の実践家たちはこぞってそれらの実践になだれ込んでいったが、苅谷先生のこれらの言葉にどう反応するのだろうか。

 そんなことを考えた夏であった。

●8月26日に誕生日を迎えました。
 朝早く娘から誕生祝いのメールが届き、そして知り合いの方から電話で誕生日お祝いの歌(電話口でハッピバースデーを歌ってくれる)をいただいた。
 うれしいことです。
 73歳になりました。
 いつのまにか、こんな歳になっています。

 毎日ほとんど家にいるだけの生活ですが、「暇だなあ!」という時間はありません。
 決まり切った生活ですが、毎日同じ生活を繰り返し続けています。
 飽きることはありません。
 「繰り返し」が人生の本質だと思っていますので、それにならっています。

 今日は、改めてカーネギーの「道を開ける」の第1章を読み直しました。

 「過去と未来を鉄の扉で閉ざせ。今日一日の区切りで生きよう。」

 一冊の小さい手帳に、朝今日やるべきことを書き出します。
 それを一つ一つやり終えて、消していく作業をやります。
 それが、私の一日です。

 最近読んだ本で、『ぜんぶすてれば』(DISCOVER)という中野善壽さんの本が良かったのです。
 中野さんは、元寺田倉庫代表取締役社長兼CEOという方。
 伊勢丹、鈴屋などを歴任した方で、現在75歳。
 伝説的な人らしく、出版の依頼が数多く、断り続けて今回は題名に惹かれて引き受けたという本。

 中野さんは、次のように書かれています。

 ★ ★ ★
 …………
 ずいぶんせっかちですね、と笑われそうですが、僕はそう思わない。
 なぜって、明日死ぬかもしれないから。
 「明日がある」という希望は持つべきだけれど、
 本当に明日が来ると信じてはいけない。
 僕は75年以上を生きてきたから、
 「明日が来ること」が絶対でないのだとわかります。

 今日できることは、今日のうちやる。今すぐやる。
 「何から先にやればいいか」なんて考えなくていい。
 思いついた順に、なんでもすぐやれば、後悔することはありません。
 ★ ★ ★

 まさに、この通り。
 「今日できることは、今日のうちやる。今すぐやる。」
 
 私の信条にぴったり。
 「今日一日の区切りで生きよう」ということである。 

 今日も、両手ぶり体操をしながら、上空を飛ぶ飛行機を追い(横浜の空は、10分に1機は飛ぶんです。これが楽しい。)、また、紫蘇(勝手に生えてきた無農薬の紫蘇)を摘んで、紫蘇焼酎を造りました。これがおいしいのです。いろいろ試しましたが焼酎は、れんと(黒糖焼酎)が一番。
いや、いや、決して暇ではない。毎日何かやることがあるのです(笑)。 これから夕食はささやかな誕生会。今年は、女房と2人だけ。
 紫蘇焼酎を飲んで楽しみます。

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毎日、机を消毒することは止めましょう!

 日本中の学校で、感染対策として教室の机を毎日消毒するという作業を先生たちはやってきたはずです。
 これはものすごく負担になったと聞いています。
 毎日ですから。
 「働き方改革」だといいながら、先生たちに押し寄せる仕事の量ははんぱではないわけです。
 それも、こういうコロナ感染の状況だからというのが言い訳になっています。
 ★
 このことについて、国立病院機構仙台医療センター・ウィルスセンター長 西村秀一先生は、次のように言われている。

 https://digital.asahi.com/articles/DA3S14597410.html?_requesturl=articles%2FDA3S14597410.html&pn=2

 ★ ★ ★
 多くの学校では毎日のように先生たちが机を消毒してきました。メディアや専門家が「接触感染」のリスクを強調してきたためでしょう。しかしウィルスは細菌と異なり、感染者の体外に排出されると時間が経てば死にます。新型コロナも、ある研究でプラスチック面で長く生きるとされていますが、データをよく見ると1時間で生きているウィルス数が10分の1程度に減っていました。
 仮に感染者が校内にいても、机に付着する数は極めて少なく、時間経過でウィルスが死ぬことも考えると、こうした負担を続けるほどの意味はありません。文部科学省も8月、過度な消毒は不要とマニュアルを改訂しました。私は手洗いも毎回せっけんで30秒も行う必要はなく、ウィルスは流水で十分落とせると考えています。
 このように学校で続いている感染対策の中には、科学的な根拠はあるように見えても、一つ一つ突き詰めると確固とした根拠のないものが多くあります。
 ★ ★ ★

 「なあんだ、そんなことなのか!」と。
 こういう先生たちの負担は、即刻止めるべきです。

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つれづれなるままに~繰り返し話法ということ~

●知り合いのお母さんで99歳になる女性の方がおられる(私の母親と同じ)。
 俳句をずっとつくってこられた方で、脳梗塞になられて、言葉も不自由になられていたが、リハビリで会話ができるまでになられた。

 知り合いが、電話をすると、元気な声がかえってきて、
「今はコロナで不自由な生活だと言われているが、戦争中に比べればたいしたことがない。住む家もあり、食べ物もあり、クーラーもきいていて涼しい。」と言われた、と。

 これから編み物をしたいと言われていると言う。

 コロナ禍で、訪ねていくことができないもどかしさの中で、お母さんはこうして元気だというのである。

 戦争を経験した方たちは、元気なのである。

 私も励まされる。
 今の不遇さに、文句の一つも言いたいのだが、それを言っても始まらない。
 
 困難さは、切り開いていくものである。しみじみそう考える。

●女子大の教師をしていると、学生から結婚のことについてよく訊ねられる。「どういう人が夫としてふさわしいのでしょう。」と。

 内田樹さんのブログを見ていると、小津安二郎監督の映画について、小津安二郎断想として10回シリーズで書かれている。
 10年ほど前に書かれたものらしい。

http://blog.tatsuru.com/

 上の問いかけも、小津安二郎断想(6)に書かれていること。

 小津安二郎監督は、今では世界の小津と言われている人なのである。
 人間心理の機微をみごとに描き出している映画ばかり。
 その中で「東京物語」は、私が見た映画(それほど見ていないが)の中では最高の映画。
 
 山田洋次監督が、この映画を真似てほとんど同じ映画をつくっている。
『東京家族』。2013年。
 私は、この映画も二度見たものである。

 『おはよう』も印象的な映画。

 最後の駅の場面。
 ひそかに惹かれ合っている平一郎(佐田啓二)と節子(久我美子)が出会っている場面。
 内田さんは、書いている。

 ★ ★ ★
 彼らは、「いつだって翻訳のことかお天気の話ばっかりして、肝心なことは一つも言わない」カップルである。映画の最後に駅で出会うときも、ふたりは相変わらずお天気の話に終始する。しかし、この美しいほど無意味なリフレインに小津安二郎は日本映画史上もっとも純度の高い愛情表現を仮託したのである。
 ★ ★ ★

 私は、この映画で、心に落ちたことがある。
 無意味なリフレインこそが、コミュニケーションの最たるものなのだ、と。

 そこで、ネーミングをつけた。
 「繰り返し話法」と。

 「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者のことばに対して、あなたならどう答えますか、という問いがある、と『「聴く」ことの力』(阪急コミュケーションズ 鷲田清一著)に書かれている。

 5つの選択肢がある。

 ①「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
 ②「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。
 ③「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。
 ④「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。
 ⑤「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す。

 結果は、精神科医を除く医師と医学生のほとんどが①を、看護師と看護学生の多くが③を選んだそうだ。
 精神科医の多くが選んだのは⑤である。

 これは、一見何の答えにもなっていないように見えるが、実はこれは回答ではなく、「患者の言葉を確かに受け止めましたという応答」なのだ、と鷲田さんは紹介している。
 
 これも「繰り返し話法」なのである。

 「夫婦が長続きするためには、繰り返し話法を使うのですよ。」
 「どんなことですか?」
 「何か話しかけられたら、『そうだね』って!」
 「今日寒いね!って言われたら、『そうだね!寒いね』って!夫婦で無意  味なリフレインを繰り返して会話をしていくのです!」

 何度も離婚の危機があった、ある夫婦は、いつも次のような会話をしていた。
 「今日寒いね」
 「何を言っているんだ!冬なんだから寒いのは当たり前だろう!」と。
 
ほんとのことなのだが、最悪の答え方である。
 夫婦での本音は、相手をとても傷つけるものだから、できるだけ控えなければならない。
 ★
 子供たちとの間でも、問題があるときには、この「繰り返し話法」は効果がある。
 高学年の女子たちのトラブルでは、彼らへの対応で、この「繰り返し話法」がずいぶん効果を上げた。
 そんなことを思い出す。

 ★
 そう、そう、冒頭の問いかけ。
 「どういう人が夫としてふさわしいのでしょう。」

 内田樹さんは、次のように書いている。

「この問いに私はいつもこう答えている。『男なんて、結婚してしまえば、みんな同じだよ』
 男の成熟度は『社会』において(つまり男が背広を着ているときには)際立つが、家に戻って服を脱いで下着姿になってしまうと、『できる男』も『できない男』も言うことやることにさしたる差はない。結婚した後、女性が見せつけられるのは男なら誰でも違いのないところ、端的に言えば男のいちばん無防備で、幼児的な部分ばかりである。だから『結婚してしまえば、みんな同じ』なのである。」

 小津安二郎監督の『彼岸花』についての断想である。

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つれづれなるままに~外山滋比古さんが亡くなられた~

●英文学者の外山滋比古さんが亡くなった。
 96歳であったので、ずいぶんの長生きであった。
「思考の整理学」という本では、東大でベストセラーになるというほどに多くの本を出された。つい最近まで出されていた。
 私は決して外山さんの本を数多く読んだ方ではないが、私が常に持ち続けている本がある。
 『りんごも人生もキズがあるほど甘くなる』(幻冬舎)である。

 「第1話 キズをのり越える努力が、人を大きくする」のところで、次のように書かれている。

 ★ ★ ★
 青森へいった帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。
 こちらが、
「キズのあるりんごの方が甘いんですよね」と言うと、おばあさんが、
「東京の人のようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています。」
という意味のことを土地のことばで言った。うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。
 ★ ★ ★
 私もリンゴ好きで一年中毎日朝リンゴを食しているので、よく分かる。
 確かに、キズがあるリンゴは甘いのである。

 続けて外山さんは、次のように続ける。
★ ★ ★
 試験を受ければかならず合格、落ちるということを知らない秀才がいるものだ。他方では落ちてばかりいる凡才がいる。もちろん、秀才の方がえらくなるけれども、落第ばかりしていた人が、のちになって、たいへんな力を発揮、かっての秀才を追い抜くことも、ときどき起こる。若いときに失敗をくりかえすような人は、はじめはパッとしない。しかし、いろいろな経験を重ねているうちに、実力があらわれる。」
★ ★ ★

 私もさまざまなキズをもって、今を迎えているが、失敗やキズは、ときには人生を豊かにしてくれると外山さんに励まされた気がした。

 ★
 また、第6話には、「教師と生徒の車間距離」というところがある。
 教師にとって身につまされることが書かれている。

 ★ ★ ★
 T先生は評判の小学校の先生だった。小うるさい親たちも、先生には心酔しているみたいだった。同僚からも羨ましがられるほどだったが、実は、ひとつ悩みがある。
 小学生のひとり息子が、どうもパッとしない。勉強もふるわない。
 あんなりっぱな先生で、よその子はうまく育てるのに、肝心のわが子がどうしてうまく育てられないのだろう。そんな噂をする親たちもいた。T先生は、つらい思いで、そんな噂を耳にして心を重くしたのである。
 ★ ★ ★ 

 確かに、確かに。
 教師は、自分の子供に対してはうまく育てられないと言われ続けてきたことでもある。

 外山さんは、次のように続けておられる。

 ★ ★ ★
 先生が悪いのではない。こどもがいけないのでもない。親と子がすこし近すぎたのである。T先生はおそらく自覚していないが、学校で教える子供より、ずっと近い関係でわが子に接していた。親子の距離が小さすぎると、子は親の圧力で小さくなる。ストレスを受けて自由を失い、成長することができない。
 学校での生徒と先生の距離を保てれば、家庭でも、よりよき父親となり得ただろう。
 人と人は近ければ近いほどよいなどということはない。近いものは、近いものに、よい影響を及ぼすことができない。フランスの哲学者がそう言っているが、真理をつくことばである。
 ★ ★ ★

 このT先生は、わが子への関係づくりで失敗していたのである。
 しかし、このことは、親の多くに言えることでもある。

 今は、「友達親子」と言って、親が子供に限りなく近づいている。
 それが良いことだと思っている。

 私が知っているある親子も、そうだった。
 子供に自分のことを「○○ちゃん」と呼ばせている母親であった。
 それがなんとも心地よい関係だというように。

 その子は、とても優秀で、体育もバリバリの子供だった。
 しかし、中学校でつまずき、高校は中退してしまうという結果になった。
 親子が近すぎて、距離が保てず、親としての役割を子供に示すことができなかったわけである。

 ★
 もう1つ、初任者指導で初任者の先生に訴えることがある。
 外山さんの次の言葉を引用する。

 ★ ★ ★
 学校出たての新人教師はハリキっている。こどもの前で「キミたちといっしょになって勉強しよう。先生ではなく兄貴だと思ってくれ」などとイキがるかもしれない。こどもとの年齢差が小さすぎる。教師として致命的ハンディである。それに輪をかけるように年齢差を縮めるようなことを言ったりするのはものがわかっていないのである。もののわからない人が人の子を導くことは難しい。
 若い教師が若ぶるのは悲しむべき誤り。逆のことを考えるべきだ。若く見られてはいけない。服装なども、すこし地味に、きちんとしたものにする。
 昔、田舎の医師が、若いくせに金縁のメガネをかけ、上等な洋服を着こんで患者に、この先生、かなりの年輩かと錯覚させるような工夫をした。のんきな先生よりよほど人間を知っていたのである。
 ★ ★ ★

 これもまた真理。
 だが、若い先生たちは、若いことは、「致命的ハンディである」と思ってはいない。むしろ、良いことだと思っている。

 学校の先生たちも、初任の先生たちが来ると、「学校にとって良いことだ!」と思っている。
 
 初任の先生たちも、子供たちに盛んに近づき、友達みたいに付き合っている。
 それが良いことだと思っている。

 だが、その結果、学級崩壊になっていくことは数限りなくある。

 私は「仲良し友達先生には絶対なってはいけない!」と強く訴え続けている。

 縦糸を張ることで、子供たちとの距離を保ちつつ、横糸張りで、しっかり心を近づける。
 この「関係づくり」が原点なのである。

 ★
 外山さんには、このような大切なことをわかりやすく教えてもらえた。
 感謝している。
ありがとうございました。

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荒れていた学年が落ち着いてきた!

 荒れていた学年が落ち着いてきたと、報告があった。
 今年度年若いS先生と2人で、「学級崩壊についてとことん突き詰めましょう!」ということでコラボで追究している。
 そのS先生、今年度は、6年の学年主任をしている。
 教師経験7年目なのである。企業経験があって、教師になっている。
 
 といっても、担任ではなく、6年専属の学年主任ということ。
 学年3クラス。担任は若い先生たちばかり。
 
 その学年、5年生の時には、荒れていて、なんとかしてほしいという校長の要望で抜擢されたということではないか。
 
 S先生は、フェイスブックに次のような報告をしている。

★ ★ ★
横浜の小学校は、今日から夏休み。
今年度は六年生の学年主任をしている。

昨年度、学級崩壊もあった苦しい学年。
それでも、今年度のスタートは悪くない。

主任として、第一に心掛けたのは、
教室ではなく職員室内のコミュニケーション。

「悪いことを決して子どものせいにしない」
「振り返るべきは自分たちの指導」
と、4月の最初に、学年団で共有した。

様々な日々の教室トラブルを、
子どものせいにするのは簡単。
(子どもを何とかして変えないと…、
とか言えば教師らしく格好もつく)

でも、他者のせいにしている地点で、
即時の改善を放棄しているのとほぼ同義。

他者を変えるには時間が必要だ。

すぐ変えられるのは、自分。
自分の弱いところを見つめるエネルギーさえ、
厭わなければ、私たちは毎日生まれ変われる。

すぐさま、変えられるのは自分たちだけ。
だから、今日の教室でうまくいかないことが
あれば、明日の自分たちの指導をどう変えるか、
学年団でそこを話し合っていきたい、
それしか無い、と4月1日に強調したのだ。

「自分も完璧にはできないし、時には
大いに愚痴も言い合おう。」と添えつつ。

・・・

常に自己責任というような感じで、
暗く重たいことを言う学年主任の
ような気がして、4月頭に、これから
一緒に働く同僚に言うには勇気の要る
言葉だった。

でも、おかげで、職員室が「子どもの悪口大会」
になるのを避けることができた。むしろ、
子どもたちの活躍、良いところ、少し笑える
面白いことがよく話題にのぼった。

こじれたトラブルは、まず教員個々の
解釈を挟まず、時系列で事実のみを確認
していった。そして、指導がなぜうまく
通らないのか、明日どうアプローチするか
(思春期の子にはときに変化球も必要)
あれこれ案を出し合った。

確かな事実把握のもと、
冷静に知恵を出し合えば、
別のアプローチを試す勇気さえもてば、
大抵のトラブルは翌日に、それ以外も
翌々日にはすべて解決した。

そして、トラブル件数自体が、
だんだんと減ってきた。
集団が落ち着いたのだ。

そしてそして、いつのまにか、
他学年の先生からも六年生の頑張りを
褒める声がどんどん届くようになった。

・・・

小さい反省点は色々あるものの、

「悪いことを決して子どものせいにしない」
「振り返るべきは自分たちの指導」

この
大きな方向性は間違っていなかった、と
振り返りながら、さっき風呂掃除していた。

そして、
スポンジで、風呂床をこすりながら、
ハッと気づいた。

前職の二つの原点(企業理念の大元)の一つ、
「脚下照顧に基づく現状否認の実行」って、
こういうことなのかもしれないな。

何にもできない社員だったけど、
きっと何か受け継いでいるものが
あるのかもしれない。

ふと、何だか、嬉しくなった。
 ★ ★ ★

 私への報告では、以下のもの。

「ただ、嬉しいことに、6年生の子どもたちの
様子は良くなってきています。トラブルは昨年度に
比べて激減し、授業を抜け出してしまう子が、
一人もいない状態が継続しています。
(昨年度は、男女数名居ました。)

なぜ、うまくいっているか、要因は複合的と
思われますが、考えつくまま挙げます。」

 ということでいろいろな要因を報告されている。

 ★
 なぜ、うまく行ったのか?
 野中の分析では、次のようになる。

1 学年の先生たちの気持ちを1つにした!
 「悪いことを決して子どものせいにしない」
「振り返るべきは自分たちの指導」という基本方針でまとまったこと。
 これは素晴らしいことではないか。
 むずかしい言葉で言えば、「メタ認知」を機能させるということ。

 今は、学年会さえ開かれないという学校が多い中で、きちんと学年団の気持ちをこうしてまとめ、共有していることは最高である。

2 「学級づくり」を先行させた!
 決して「授業、授業」と突っ込んでいない。まず、ここで成功している。
報告では、次のようになっている。

◯出会いの2週間で「学級づくり」先行
  →どのクラスもミニレクを多く実施、授業より学活
  →担任と児童の間に信頼関係ができた

3 「時間」をきちんと意識している!
 荒れる学校、学年、学級で必ず出てくる現象は、「スピード感がなくなる!」ということ。だらだらしてくる。
 私が、荒れる学校で教務主任をしたときには、まず全体が日課表に従って、きちんと時間を守って生活できるようにすることを徹底したことがある。
 この学年でも、学年全体で、時間を意識した取り組みをやっている。
すべての活動、授業でも、とんとんとスピード・テンポをつけることが大切である。

報告では、次のようになっている。
 ◯授業時間、下校時刻の厳守
 →6年生3クラスは下校がまとまって早かった

4 学習で成功事例を導き出している!
 子供たちが「できるようになった!」「前よりもずいぶんうまくなった!」という事例を作り出す必要である。しかも、短期間でそういう事例を導き出せればいい。
 私は、漢字、発言、音読で行っていた。
 4,5,6,7月の4ヶ月間で、どれかが伸びていくのをつくるのである。そして、子供と一緒の保護者個人面談で、「これが素晴らしく伸びました!」
 と保護者に報告する。今なら、絶対算数も付け加えるだろう。
「事実」を作って、それを保護者に伝えるのである。
 この学年では、漢字をその実践にあてている。
 漢字学習は、短期間で成果が見えてくるものである。

 ◯成功事例;「青天井型」テスト
 →漢字50問テストの欄外に、新出漢字を使った他の
 熟語を書いても良いことにする。(1点加点)
 低位の子から受験児(クラスの3分の1程度)まで、とても
 意欲的に。3年目教員の学級平均点が95点超。(加点除く)
 一番多い子は、欄外に165個熟語を書いてきた。
 ※土井正博『クラス全員が熱心に取り組む! 漢字指導法』参考
 

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つれづれなるままに~コロナ禍はどうなっていくのだろうか~

●東京都のコロナ感染状況が、7月31日には460人台になったと報じている(31日14:00段階)。

 500人には行くなと思っていたが、早々とその段階に行っている。
 
 どうなっていくんだと、誰でもが戸惑っているはずである。

 これは決して東京だけの問題ではなく、大都市圏での感染が確実に広がっている。
それに加えて、これからGO TO トラベルで、地方にコロナがばらまかれる。
 
 もう一度非常事態宣言を出す状況になっていくことは確かであろう。
 でも、もう二度と政府は出さない。
 経済の落ち込みが、もはやどうにもできない状況になるだろうから。

 とするならば、どんな手があるのだろうか。
 おそらく、個々にはさまざまな手立てが打たれるであろうが、もはや決定的な手立てはありえないだろう。

 最初の段階で、コロナ対策が大きく失敗している。
 PCR検査を大々的に行い、市中感染を徹底的に抑えこまなければならなかったはずである。
 台湾も、ニュージーランドも、韓国も、それで成果をあげたはず。

 それを日本は、オリンピック、医療崩壊、政府の思惑などが絡んでやらなかったつけがここできている。

 やっと東京の世田谷区が「いつでも、誰でも、何度でも」やれるとPCR体制を整えようとしている。

 今からでも徹底的に無料でPCR検査をやって、市中感染を抑え込む以外に手はないのではないか。どうだろうか。
 マスク配布などに資金をつぎ込まないで、ここに資金をつぎ込めばいいのだ。
 素人判断だが、そう思えてならない。


●今回のコロナ対策に対して、スウェーデンだけは他国と違った対策を取っていたことは、周知のことであろう。その結果が出ている。
http://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/%e5%91%bd%e3%82%82%e7%b5%8c%e6%b8%88%e3%82%82%e6%95%91%e3%81%88%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%8c%e6%98%8e%e3%82%89%e3%81%8b%e3%81%ab%e2%80%a6%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%80%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%81%97%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%b9%e3%82%a6%e3%82%a7%e3%83%bc%e3%83%87%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%88%a6%e7%95%a5/ar-BB16Hdhv?ocid=st2
 ★ ★ ★
スウェーデンが行った特異な新型コロナウイルス戦略は、経済的な成果に結び付かなかったことが、データによって示された。その上、隣接する北欧諸国よりも致命的な大流行を引き起こすことになった。
スウェーデン政府は正式な都市封鎖の発令はせず、その代わり、体調が悪い時には自宅で過ごし、公共の場では社会距離を保つよう国民に推奨した。
だがスウェーデンにおける新型コロナウイルスによる死亡率は、世界で最も高い水準となっている。またロイター通信によると、スウェーデン中央銀行は7月、2020年の同国のGDPは前年比で4.5%減少するとの予測を発表した。
国際経済を調査・研究するピーターソン研究所のジェイコブ・キルケゴールは、スウェーデンはそのリスクの高い戦略によって、経済的には「文字通り、何も得られなかった」とニューヨークタイムズに語った。

スウェーデンが行った特異な新型コロナ対策の戦略には、経済的な効果はなかったことが、データによって示された。その上、隣接する北欧諸国よりもはるかに致命的な感染症の大流行を引き起こすことになった。
 ★ ★ ★
やはり、集団免疫の試みは失敗してしまったようである。

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