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つれづれなるままに~コロナはどうなっていくのだろうか~

●パソコンが動かなくなった。
 メールが使えなくなり、もちろんネットも使えなくなった。
 5年目のパソコンである。

 もはやだめだと思い、ヨドバシカメラへ持ち込んだ。
 「新しいパソコンにデータを移し替えますので、新しいパソコンを買ってきてください!」と。
 その場で新しいパソコンを買い、持ち込んだ。

 「移し替えるのに1週間かかります!」と。

 それから訪問サポートに来てもらい、やっと7月6日に使えるようになった。
 13日間は、まったくパソコンが使えなかった。
 いろいろな人に迷惑をかけたことになる。

 考えてみると、やはりSNSの生活にどっぷりと浸かっているのである。
 これがないと、身動きできないほどになっている。
 考え込む。

●東京でコロナ感染者200人越えの4日間も続いている(7/12現在)。
 専門家は、すでに第2波が来ていると言い始めている。

 政府や小池知事などは、検査数が増えているから、感染者が増えているとさかんに言い始めている。
 もはや、どんなに感染者が増えても、緊急事態宣言は出せないという理由づけなのであろう。
 ★
 5月25日に緊急事態宣言が解除されたときには、誰でもがこれから感染者は少なくなり、やっと安心して街へ出かけられると思ったはずである。
 人数も少なくなっていたのである。

 私のこれからのコロナについては、多く増えることはないが、じわじわと引き続いていくと予測した(ブログにも書いている)。
 素人の予測であるので「当たるも八卦当たらぬも八卦」の予測である。
 その理由は、日本の場合、PCR検査の数があまりにも少なく、無症状の人たちの検査はもちろんしないし、少し具合が悪いという人でも検査ができないという現状で、その人たちが周りに感染を広げていくはずだというものであった。

 この予測がみごとに当たったのではないか。どうだろうか。

 確かに検査数は格段に増えている。
 しかし、「どこでも、だれでも、何度でも、無料で」という体制にはとてもなっていない。
 
完全に押さえ込んだ台湾、ニュージーランドなどの試みは徹底していたのである。

 東京が増えている。周りの都市圏も増えている。
 やはり、感染者が広がっている。
 それは、無症状の感染者が、周りに広げているのははっきりしている。

 夏の暑さがコロナを弱めると言われていたが、今のところまったく関係がない。

 これからどうなるのだろうか。
今までは、飛沫感染、接触感染を言っていたのに、最近は空気感染もありという報道がなされている。
 そうすると、イベントなどの開始は、とんでもないということではないだろうか。

●「うちは子供が3人いて、僕もけっこうご飯作っているんですが、恥を忍んで言わせていただくと、これはちょっと無理だな……と。料理を生業にしている自分でも、仕事をしながらひとりで三食きっちり作るのはしんどいです。」
 土井善晴さんとコウケンテツさんとの対談である(文藝春秋11月号「『一汁一菜』のススメ)。
 コウケンテツさんが冒頭の話をしている。

 やはり、そうなんだなと思ってしまう。
 コロナ禍で、仕事がテレワークになり、家に夫婦、子供たちが全部いるようになり、奥さんが3食全部つくるようになり、悲鳴を上げているという報道がなされていたわけである。

 料理家でもできないと言っているのだから、当たり前のことである。

 土井善晴さんは、一汁一菜のススメを『一汁一菜でよいという提案』(グラフフイック社)でされている。
 
 要するに、「味噌汁・ご飯」なのである。

「一汁三菜だとか、一日三十品目が理想だとか言われてきたけど、本当にそれが必要か?と。まずご飯炊いて、お味噌汁作って、あとは自分の食べたいもの、季節のものがちょっとあればええんちゃうの、ということなんです。」 
「日本人って結構、固定観念というか、手かせ足かせというか、食べるということにタガをはめられている。まずはそのタガを外すこと。何を食べるか、ということにとらわれないで、自由に考えて、今あるもんを食べるということ。なかったら食べんでもいい、くらい、気楽に考えてもらいたい。」

 私は、土井さんがこの本を出される前から、「味噌汁・ご飯」授業を提唱している。
 料理と授業とは同じようなところがある。
 土井さんの言われることは、頷くことばかりである。

 教師だって、小学校の場合、毎日5食(5時間)、6食(6時間)も授業をしているわけである。
 料理家だって、毎日3食作るのは無理だと言っている。 
 教師だって、毎日5,6食つくるのは無理なはずである。
 でも、それは仕事だからやっているだけで、実態は、すかすかの状態になっているのは明らか。

 日常授業が埋草みたいになっているし、雑務化になっているはずである。
 でも、それは教師たちに責任があるわけではない。
現状が、そうぜざるをえないほどに逼迫しているから。
 やることが多すぎるのである。
 
 かつて杉並区立和田中学校の民間人校長を務めた藤原和博さんが、こう述べたことがあった。
 ★ ★ ★ 
「一人の教員が教科を上手に教え、生活指導とすべての児童生徒に関わる事務手続きをし、防犯や防災に気をつけながら、一人一人のアレルギーをチェックし、AED(心肺蘇生用の医療機器)を使えるようにし、環境教育や情報教育に慣れ、福祉ボランティア教育と国際理解教育を教え、さらに食育にも消費者教育にも気を配り、尖閣列島や北方領土への意識をもり立てて日本人として誇りを持たせ、おまけにスポーツ指導や部活を担当しながら、要望が強くなりがちな保護者の声に応える……なんて、一人の人間のやることとして明らかに無理があります。」
 藤原さんが指摘したころ(2013年)よりも、いまではやることが増えています。小学校では外国語教育の拡大、小中高でのプログラミング教育の必修などが、その典型例です。
(『教師崩壊』妹尾昌俊著 PHP新書)
 ★ ★ ★
 この通り。 
 こんな中で、教師は、5食、6食の授業を毎日やっている。
うまくやれるわけはないではないか。

 でも、教師はどこかで「ごちそう授業」主義の固定観念のタガにはめ込まれていて、考えていることと実態が大きくかけはなれている。
 私が言う「ごちそう授業」主義とは、「教材研究をすればもっと良い授業がつくれる」「毎日おもしろい、楽しい授業をしたい」などの観念である。
 現実は、決してそんなことはできないのだが、多くの先生たちは、そんな観念をもっている。

授業も土井さんみたいに「一汁・一菜」でいいという発想をしなくては、この実態から抜け出ることはできないと、私は考えている。
 どうだろうか。

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