つれづれなるままに~老人会へ入ってもらえませんか~
●無人島に、1つの音楽の曲を持って行くとすると、どんな曲を持って行きますか、と聞かれたことがある。
これは決まっている。
大好きな曲。
ショパンの夜想曲(第2番変ホ長調)。
夜想曲はどれもいいのだが、その中でもこの1曲。
ショパンが大好きな人にとっては、「ああっ、あれね!」という曲。
こんなことを言うと笑われてしまう。
いつもカラオケでは、演歌の「別れの一本杉」とか石原裕次郎の曲を歌っているので、似合わないということ。
「持って行くのは、演歌でしょう!」と(笑)。
ピアノ曲が大好きである。
とくに、ルービンシュタインの弾く曲がいい。
いつの日か、私が亡くなる日には午前中に、この曲を3回聴いて、午後に息を引き取りたいと願っている(笑)。
●『学校の「当たり前」をやめてはいけない!』(諏訪哲二著 現代書館)を読んだ。
諏訪さんの論理展開を追うのは大変である。だから、2回読んだ。
この本は、千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長が書かれて、ベストセラーになった『学校の「当たり前をやめた」ーー生徒も教師も変わる!公立名門中学校の改革』という本への批判を中心に書かれている。
完璧に批判されていると、私には思えた。
工藤校長による反批判はなかなかむずかしいのではないか。
そのくらい徹底的にやられている。
諏訪さんは、ブロ教師の会の理論的指導者として活躍されてきて、論争の修羅場を何回もくぐられてきた人でもある。
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諏訪さんは、学校の「当たり前」の必要さを強調している。
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……、学校には変えられない要素が残っており、理屈抜きに子ども個体を個人として育成する要素を持っている。教育行政はこの個体が個人に成長するという人間の教育のリアリティが理解できないので、単純に最初から子どもを個人として遇することによって、彼らを「主体的」「対話的」な学びに向かわせることができると勘違いしている。しかし、まず知識は詰め込まねばならず、それがないかぎり、子どもは「学び」に向かうことができない。知識を教え込まれることと、自ら主体的に学ぶこととは対立しているのではなく、お互いに支え合っているのである。また、知識を学ぶことがまず最初で、自ら主体的に学ぶことがその次の段階というわけでもない。大枠としてはそのとおりで学校もそういう順序で展開されるが、実際には相互に順序も入り混じって展開されている。旧いやり方も新しいやり方もともに生きているし、子ども一人ひとりによって「知」の受容の質の差がある。旧いやり方には旧いやり方の必然性がある。時代遅れの近代的でないものがすべて消えていくわけではない。理屈で学校全体を変えようとする考えは、危険な方法である。だから工藤氏の言う学校の「当たり前」は消滅すべきものなのではなく、これからも形を変えたりしてずっと生き続けるものもある。
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ここだけを読むとむずかしい。
だが、全体を通して読むと、よく理解できる。
たとえば、学校では、最初にクラスのルールを決め、授業規律を決め、…というように子供たちが最初に身に付けるべき、学校の「当たり前」を実践している。
こんな必要はないのだと、主張する先生もいる。
なぜ、こんなことが必要なのか、諏訪さんは、明確に書いている。
ぜひとも読んでほしい一冊である。
●コロナ後の経済の状態がどうなるのか。
測りしれない大不況が襲ってくることを予感させる。
エコノミストの水野和夫さんは、次のように言われている(朝日新聞20.5.9)。
「新型コロナウィルスは16世紀以来世界に広がってきた、グローバル資本主義というシステムを終焉させる役割を果たすことになるでしょう。」と。
そして、次のようにも言われている。
「安倍晋三首相は、コロナ前のグローバル資本主義や成長路線に戻せると思っているように見受けられます。しかし、日本経済の最大の問題は供給過剰にあります。空き家が増えているのに新築住宅を建て続け、食品や衣服もつくりすぎてロスが出ている。もう無理な経済成長よりも、ムダをなくして、労働時間を減らすほうを優先すべきです。」と。
●「老人会に入ってもらえませんか?」と言われた。
自治会では、70歳を過ぎたら、老人会への誘いが来る。
「すみません、まだちょっと忙しい仕事をしているものですので…」と答えたら、憤然として「みんな忙しいのです!」と反論された。
暇な人が老人会に入っているのだと受け取れる発言だったのだ。
申し訳ない。
ただ、佐賀の義弟が老人会の会計をやっているので、「集まって何をやっているの?」と聞いたら、「まず最初に亡くなった方の黙祷をしてから、あとは飲み会になる」と。「それだけ!」なの?「だいたいそれだけ!」と。
要するに、集まって飲み会をやっているだけなのである。
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団塊の世代である私は、学生の頃から群れて集まって、いつも飲み会をやっていた。団塊の世代は、多いので、いつも群れていた。
教師になっても、いつも群れて飲み会をやっていた記憶がある。
退職をしてから群れるのを止めにするようになった。
忘年会も新年会も、そして同窓会なども、ほとんど止めにしてしまった。
画家の堀文子さんが「群れない、慣れない、頼らない」と言っていることに感化された。
群れるのは確かに楽しい。
でも、もう残された人生はそんなにないのだから、これからはまた違う人生を歩んでいかなきゃという感じである。
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