« 2020年4月 | トップページ | 2020年6月 »

2020年5月

庭野三省先生からの書評です~『初任者指導の教科書』~

 庭野三省先生が日本教育新聞に『初任者指導の教科書』(明治図書)の書評を書いてもらえた。
 私たちの意図以上に読み込んでもらって、大きな問題提起をしてもらっている。
 ありがとうございました。

 ★ ★ ★
 新型コロナウイルスの影響で多くの学校が休校になり、学校現場は戸惑っているに違いない。だからこそ初任者の指導者だけでなく、初任者自らもこのような本を読み、学校再開後の指導に思いをはせていただきたい。
 いや、この本は初任者だけに活用される本ではない。若手、中堅、管理職も手にして、もう一度、教師の在り方について見直しを迫る高著である。
 著者の一人である野中氏は、指導の先生と初任者の間に「すれちがい」が起きていると指摘する。この「すれちがい」とは、学級づくりよりも授業づくりを優先する現状の初任者指導である。この「すれちがい」を修正するには、おそらく国レベルで初任者研修の在り方まで修正しなければならないだろう。だから初任者指導を担当されている文科省の関係者も読んでいただきたい一冊でもある。
 「群れ」の状態から「仲間」意識のある集団に変えていくには、学級づくりの研修が欠かせない。また、この取り組みが、今後の初等教育の命運を握っていることに思いを向けなくてはならない。
 まだ休業の所やようやく再開した学校もあるだろうが、子どもたちの前で「機嫌よく振る舞える」ようにするためにも、ヒントになる情報が満載の本である。校内研修の見直しをも求める一冊である。
        (庭野 三省・新潟県十日町市教育委員会教育委員)

| | コメント (0)

つれづれなるままに~木村花が亡くなった!~

 悲しいできごとだった。
 24日昼食を食べながら、テレビに目をやっていると、いきなりのニュース。
 「えっ、花じゃない!花だよ!」と。

 女子プロレスラーの木村花が亡くなった。
 22歳。
 2016年にデビューしていた。

 「どういう関係ですか?」ということになる。
 木村花のお母さんK(彼女も女子プロレスラーだった。今は引退している)のW小学校での6年担任である。

私が東京のプロレス会場に、Kの試合を見に行ったとき、おばあちゃんに連れられて、花も来ていた。

 3人でリングの真ん前に座り込み、応援をした。
 花はまだ4、5歳の頃。

 この頃から花は、活発で、しゃきしゃきの女の子。
 母親Kの試合に、盛んに「K がんばれ!」と檄を飛ばした。
 
 その花が、亡くなったのである。
 大きく報道されていて、少しずつ状況が分かってくる。
 ★
 木村花のWikipediaでは、次のように書かれている(5月23日に書かれている)。
★ ★ ★
 5月23日未明、連絡が取れないことを不審に思った母のKが江東区の自宅を訪ねたところ、心肺停止の状態で倒れているのを発見。
 午前3時過ぎに救急搬送されたが、死亡が確認された。
 ……
 以前からテラスハウス出演時の言動などをめぐり、SNS上で誹謗中傷を受けていたとされており、……
★ ★ ★
 このニュースは、海外でも大きく報道されている。
 
 状況はまだはっきりしないが、テラスハウスのファンなどから毎日数百もの中傷ツイートを送られていたということである。

 花は、これにやられたのであろう。
 
 どんな人も、毎日数百の中傷ツイートをされたら、参ってしまうのは明らかである。

 この中傷ツイートは、あらゆるところで起こっている。
 これをやっている人たちは、このツイートをすることで、小さな満足を得ているのだろうか。

 しかし、この小さな刃が、こうしてある場合には人を死に追いやってしまうのである。
 だが、この刃が、いずれ自分に向かってくるということを知らなくてはならない。
 
 人は、公平にできている。
 人の一生は、でこぼこの人生だが、一生をトータルに眺めてみると、公平にできているのだと、哲学者の森信三先生が書かれていたことがある。
 
 人を中傷して、それで満足している人たちは、いずれその刃が自分に向いてくることを知らなくてはならない。
 そのように、この世は、できているのである。

 無念である。その無念さをどうしていいか、その怒りを収められない。

| | コメント (0)

ある保護者の方のコメントに反応して(2)

ある保護者の方のコメントのつづきです。
 学級崩壊について、以下のように書かれています。

 「 学級崩壊を考える時、真面目に授業を受けたい子どもの存在を忘れないでください。」

 まさに、言われるとおりです。
 学級崩壊になっているクラスでも、全員がそれに加担しているわけではなく、きちんと真面目に授業を受けようとする子供も確かにいます。
 担任は、絶対に忘れてはいけないことです。

 ★
 中村健一先生の学級崩壊の本についてのコメントを、保護者の方は出されていますので、学級崩壊についても書いておきたいと思います。

 これで悩んでいる保護者の方も多いのです。
 それというのも、学級崩壊は、もう全国的に、日常的なこととして広がっているからです。
 安全な地域などはありません。
 数多く起こっているのは、関東圏、関西圏の都市圏ですが、今は地方にも広がっています。

 新しい学習指導要領の実施が、今年度から始まっています。
 コロナ問題で、今はそれどころではないのですが、アクティブ・ラーニングといって、対話的な学習を数多く始めようという試みです。

 私は、今学校現場が抱えている問題は、それどころではないと考えています。
 学校の最大の問題は、学級崩壊をどうしていくか、なのです。

 学校は、これについての対処法を持っておりません。
 やっていることは、対症療法だけです。

 だから、保護者の子供さんの学年の先生が、学級崩壊で休職に入るという事例は、どこの学校でも日常茶飯事として起こっています。

 ある講演会で、私の講座に参加した保護者の方がおられました。
 講座が終わって、その保護者の方2名が相談に見えました。
 
「野中先生、私の子供たちの学校は、ほとんど全部のクラスが学級崩壊になっています。私たちがこれからどうしたらいいのか相談にのっていただけませんか?」と。

 学校のほとんどのクラスが学級崩壊になっているというのは、驚くことで今まで聞いたこともない事例でした。
 でも、実際に、こんな学校もあるのです。

 2月のことでした。
 
 私は、保護者の方たちが集まって(PTA組織はもう使いものにならないだろうから)、代表者が、教育長に会って掛け合う必要があると伝えました。
 「私たちの学校をどうしてくれるのか?」と。   

 もう1つは、学級崩壊で学力の補完ができていないだろうから、家庭で何とかしないといけないとも伝えました。

何の相談にもならなかったのでないかと思われましたが、驚くことが起こっているのだとびっくりした事例です。
 ★
 もう1つ、ある知り合いの先生のクラス(この知り合いの先生も同学年でした)で起こったことです。
 その6年のクラスは、異動してきた、ベテランの先生が担任をされました。

 問題は、始業式の次の日から起こりました。2日目のことです。
 ある1人の男の子が、筆箱を落としました。
 それを合図に、7,8人の子供が次々に筆箱を落とし始めました。
 先生はびっくりして、何をしているのだと叱ったというのですね。
 しかし、その子供たちは、それに対して嘲笑で返してきたというのです。

 それから、そのクラスは学級崩壊が始まりました。
 
 知り合いの先生が調べてみると、ボスの男の子が、「あいつ気にくわないから辞めさせようぜ!」となり、「明日オレが筆箱落とすから、その合図でみんなも落とせよ。何か言ったらみんなで笑おうぜ!」となったらしいのです。

 その打ち合わせがあったのは、始業式があって、まだその担任がどのような先生なのかも分かっていない段階なのです。
 とにかく第一印象で、「あの担任気にくわない!辞めさせようぜ!」となったらしいのです。
その学年は、ずっと荒れてきた学年で、担任の先生も辞めたりした事例が今までもあったらしいのです。

 そのベテランの男の先生は、何とか周りの先生たちの助けもあって、1年間を凌いだということ。 

 さらに調べていくと、そのクラスでは、学級崩壊を起こしている子供たちのバックに保護者2,3人もついていて、けしかけていたということも分かったのでした。

こういう事例もあるのです。
 こんなクラスでは、どんなに力量がある先生が担任をしても、やってはいけません。
 影響力のある子供が、「このクラス壊そうぜ!」と考えたら、担任はどうにも対処できないのです。
 ★
 学級崩壊ついて、聞いた事例を紹介しました。ちょっと極端な事例だったかもしれません。
 でも、確実にこの事例のような場合を氷山の一角として数多くの学級崩壊が広がっています。
 
 もちろん、この事例を紹介したところで保護者の方がどうにかできるということではありません。
ただ、ぜひとも学校が今どのようになっているのかを知ってほしいと思ったからです。

 保護者の方がどうにもできないと言いましたが、教師の方も、どうにもできない事例が起こっているのです。

 クラスに1人の影響力のある子供がいたり、影響力のある保護者がいたりして、担任が嫌われて、潰してやろうと身構えられたら、もうどうにもならない段階になり、学級崩壊をします。

 どうにもならないのは、教師としての力量がある先生でも、どうにもならないことなのです。
 ほとんど全部の教師が、いつ何時、こういう事態にあうか分からないのが今の学校のリアルなのです。

 ただ、多くの教師たちが、こういう認識には至っていません。
 それがさらに深刻なことだと、私は思っているのです。
 ★
 学級崩壊の本を書かれた中村健一先生も、こういう困難校をいくつも経てきて、あのような本を書かれています。

 私も、学級崩壊にならない処方箋を何冊かの本にしてきました。
 しかし、その処方箋も、所詮限界があります。

 影響力のある子供や、保護者が、学級崩壊を起こしてやろうと意図すれば、もはやどうにもならないからです。

 アメリカをはじめ、諸外国は、他の子供の学習を邪魔する、こういう子供は、退学です。
 法律で学校や教師たちを守っています。
 学校や教師たちが、何度指導をしても聞かない場合は、そういう子供たちを退学にする権限が与えられています。

 日本には、そういう法律はありません。
 
 だから、そういう子供たちはやりたい放題です。
 教師は命がけで学級崩壊に対していきますが、子供たちはゲーム感覚です。

 「先生たちだって問題があるではないか!」と言われそうです。
 確かに、問題がある場合も多いのです。
 それは認めます。
 人間的に未熟である、指導力に問題がある、……。
 もちろん、教師もまた人間ですから、問題はあります。

 しかし、現実は、教師がどうするかという段階を越えている場合が多々あるのです。
 ★
 保護者の方には、学級崩壊の現実をお知らせして、不快な思いになられたと思われます。
 ただ、この事態をお知らせしたのは、ほとんどの保護者や世間の人たちは、この現実を知られていないので、あえて書きました。

 もし保護者の方の学年で、学級崩壊が続いていくとするなら、せめて担任に「がんばってください。」という一声をかけてもらえばありがたいのです。 その一声で、担任は休職や辞職をしないですむかもしれないのです。

| | コメント (2)

ある保護者の方からのコメントに反応して(1)

 ある保護者の方からコメントをもらいました。
  次の内容です。
 ★ ★ ★

はじめまして コロナ休校中、我が子の通う学校からは、十分な学習支援が受けられませんでした。

登校日の2時間の間に約40人の保護者が宿題と宿題の答えを取りに行ったのみです。今までに登校日は2回のみです。宿題といっても、我が子の学校は、ほとんどの教科がワークブックで授業が進められるので、何ページまでという指示のみです。先生とは、挨拶のみ交わしました。

その後、電話も手紙もありません。

ゴールデンウィークあけに、先生の指示で、半分ほど、保護者が丸をつけた課題を休校になって初めて提出しました。提出課題か返却されるのは、再開後です。

これで、いいのでしょうか?

我が子の学年は学級崩壊をし、先生が休職されました。

また、再発するのではないかと心配です。

学級崩壊を考える時、真面目に授業を受けたい子どもの存在を忘れないでください。

学級崩壊の登場人物は、先生と加害児童と加害児童の保護者だけではありません。


 ★ ★ ★
 1つは、学校休校中の家庭学習について書いてあります。
 家庭学習を取りに行くのは、2回のみ。
 保護者が丸を付けて提出というような形式らしいのです。
 これでいいのか、という問いかけです。
 
 これだけ長い休みなのです。
 もう少しきめ細かいサポートができなかったのかと、私なら思います。

 日本全国のさまざまな学校で、今回、この種の家庭学習の宿題を出したのでしょう。

 保護者の方に、その内実をお知らせすると、こうなります。

 多分、どのような学習課題を出すか、どのようにして出すかと学校で検討され、全校一斉に「こうしましょう!」と出されたのが、その課題です。
 一人一人の教師が、それぞれ勝手にやらないように学校で統一されているのだと思われます。

 「オンライン授業をしよう!」と若い先生たちで話し合いをして、いざ校長のところへもっていくと、校長は、教育委員会へ問い合わせて、「だめだ!」となります。
 私の知り合いの先生の学校は、実際にそうでした。

 教育委員会も管理職も、そのオンライン授業で何かトラブルが出てきたときに、その対応に苦慮するので、余計なことをやらないようにとなったのだろうと予測できます。
 だから、公立の学校では、5%ぐらいしか実施していません。
 
 だが、オンライン授業をしても、満足な状態になったかというと、前回のブログで書きました女医さんのお子さんの状態になる子もいるのです。
 これは、私立の学校の場合です。
 
 公立でこのようなことをやったら、満足な状態になることはないと思われます。
 家庭にパソコンがない場合も多々あるはずです(東京では8万人の子供がパソコンなどないという報道がありました)。
 ★
 保護者の方が満足するような家庭学習を学校が、今回行えたのかと言えば、それはほとんどあり得なかったと、私は率直に思います。

 それは、学校が今までこのような学校休校を予測して準備する取り組みをまったくやっていなかったからです。
 オンラインでどうしていくかなどほとんど考えていませんでした。

 学校は、子供たちが学校へ来てから、どうするかだけの発想しかありませんでした。

 だから、学校の問題、個々の先生たちの問題だと言えないと私は思います。 国の文科省だって、右往左往しているのです。
 その下にいる教育委員会や学校が、満足にやれるはずはありません。

明治以来の学校制度の中で、学校はこういう経験をもったことがありません。だから、大混乱をしてしまったのです。
 ★
 今回、ある保護者の方のように多くの保護者が、学校からの対応は、これでいいのかと問題を感じられたことでしょう。
 
 3月の休校のときには、保護者の多くの方は、学校へ託児所と公園を期待されていました。
 私は、そのように感じました。

 しかし、4月からの休校では、「勉強はこのままでいいのか?」「我が子は勉強がおくれるのではないか?」と学習のことが問題になりました。

 保護者の方の危惧感はよく分かります。
 私はもう現場を離れて長くなるのですが、現場の先生たちも、どうしていいのか右往左往している様子が手に取るように分かりました。

 知り合いの先生の学校では、先生たちがどんどん落ち込んでいくと知らせてくれました。
 先生たちも、どうしていいか分からなかったのです。
 ★
 ある保護者の方のコメントに対して一言だけ言っておきたいことをこうして書きました。何の解決にもなりませんが、現状をお伝えしました。
 もう一つ、学級崩壊について書いてありますが、それは次回に書きます。
(つづき)

| | コメント (0)

つれづれなるままに~ちょこちょこ時間で成り立っている~

●「5分草取り」を毎日やっている。
 何にでもこうして名付ける(笑)。
ネーミングは大切である。

 庭の草取り。
 決して広い庭でもないが、まとめて草取りをしようと思うと大変。

 そこで毎日5分間だけちょこちょこと草取りをする。
 続けているときれいになってくる。
 5分だから負担もない。
 ★
 今までやってきた仕事や家事などについて、まとまった時間で行うという発想はない。
 ちょこちょこ時間を繰り返す。

 こういう発想になったのは、次の本を読んだことになる。
 
『ありきたりの毎日を黄金に変える言葉』(ジョン・C・マクスウェル 斎藤孝監訳 講談社)の中に、「最も価値ある教訓」がある。

 ★ ★ ★
 米国の教育者であり、作家でもあるジョン・アーキンスは、14歳の時に人生で最も価値ある教訓を学びました。習っているピアノの先生が、彼にこう尋ねたのです。
 「あなたは週に何回、どのくらいの時間練習するの?」彼は、毎日1回、1時間強は練習するようにしていると答えました。すると、先生が言いました。
「それじゃ、だめだわ。大人になると、時間というのはまとめて長く取れなくなるものなの。たった数分でも、時間が取れたらいつでも練習しなさい。5分か10分でもいいから、学校へ行く前や昼食後や、日常の雑用の合間にね。練習を一日の全体に広げていけば、音楽はあなたの一部になるわ」
 彼女のアドバイスは、見事に役立ちました。アーキンスは、ニューヨークフィルハーモニックで演奏するピアニストになり、後にジュリアード音楽院の校長、またメトロポリタン・オペラ・アソシエーションの演出家としても活躍したのです。そのコロンビア大学で文学を教え、45冊の本を執筆しました。最も有名な作品『トロイのヘレン――憧れる魂』は、コロンビア大学へ通勤している時に書かれたものです。
 ★ ★ ★

 ★
 このアドバイスは、私にも、とても役立った。
 私の取り柄は、「続ける」というのが得意なことなのである。

 今もこうして立ってパソコンを打っている。
 もう5年以上になるのではないか。

 それまではコタツでパソコンを打っていたのだが、両肩が五十肩になってしまって、その原因がパソコンにあることが分かったのである。

 それ以来、こうして立ってパソコンを打つことにしている。
 棚に段ボールを置いて、そこにパソコンを備え付けた。
 
 立ってパソコンを打っていると、長時間がなくなる。
 ちょこちょこと他のことをしながら、その合間でパソコンを打つということになる。
 最近の『教師1年目の教科書』『初任者指導の教科書』の2冊の本も、ちょこちょこと書き繋いできて仕上げたものなのである。
 立って書いた原稿である。

 私の日常は、このちょこちょこ時間で成り立っている。
 何かまとまってしようとは思わない。
 そんな発想はない。ちょこちょこである。
 でも、退屈をするということがないことだけは確かである。

●70歳になって始めたことが、けん玉と数独である(笑)。
 認知症予防になるということらしい。

 けん玉は、なかなか上達しない。
 飛行機の5級は、まあまあ。
 ふりけんの4級は、まだまだ。
 今は、3級の日本一周に挑戦している。
 遅々とした歩みだが、これも隙間時間にちょこちょこと練習している。

 数独は、朝日新聞の土曜日の数独クイズに毎週応募している。
 難易度が3か4は、何とかできるようになる。
 だが、難易度が5は歯が立たない。まったくできない。
奥が深いわけである。

 数独は、みごとに「守破離」の技術上達が試される。
 今は、「守」の段階。
 基本技術が、3つほどで何とかなる。
 今は、「破離」を目指さない。
 じっくりと「守」の技術をマスターする段階である。
  

 

 

| | コメント (0)

授業内容を理解させる大変さと言ったら手術の比じゃない!~読書欄の投稿から~

 次のような記事に目が止まる。
 朝日新聞の読書欄である。
 整形外科医の女医さんで、Kさんである。

 ★ ★ ★
  オンライン授業に小3の息子は

 高1のややしっかり者の娘と、小3の息子を育てている。新型コロナウイルスの影響で学校は休校中だが、息子が通う私立小学校は、3月からオンライン授業を導入。試行錯誤もあったが最近は配信も安定してきた。朝の会は双方向で話もでき、楽しいようだ。
 だが、やんちゃな息子が一人で漢字の書き順すらマスターできるわけもなく、結局、自分で何一つ課題に手をつけないまま私の帰宅を待っている。
 そして、帰宅後に手とり足とりご機嫌とりをしながらの課題タイムが始まる。今まで知らなかったが、授業内容を理解させる大変さと言ったら手術の比じゃない。学校で先生の声に耳を傾け、友達と意見交換しつつ学ぶことが何より大切だと思い知らされている。
 医師として、まだまだ気を緩められないことはわかる。学校再開が一番だが、長期戦を見据え、全ての子供がオンラインでも学べる環境作りも喫緊の課題であると痛感している。
 ★ ★ ★

 この女医さんは、オンライン授業の必要性を強調されている。
 
 私立の学校は、オンライン授業を盛んに行っているが、公立の学校の実施率は5%だということである。
 公立は、今まで何の準備をしてこなかったので、いざオンラインと言ってもすぐにできるわけではない。
 ましてや子供たちの方にも、その環境が整っているわけでもない。
 どだい無理なのである。

 必要性を感じている先生たちは多くて、いざやろうとしたら、教育委員会や校長からストップがかかる。
 もし問題が出てきたら、その責任がふりかかってくるからであろう。

 読書欄の女医さんの投稿で、小3の息子のことが出ている。
 オンライン授業では、まったく話にならない状態である。

 このような現状もあることをオンライン授業をやっている先生たちは理解しておかなくてはならない。
 だが、オンライン授業はどんどんやった方がいい、と私は思う。
 新しい試みは、失敗もあるが、可能性が開けることもある。
 
 それでも、限界もあることも知っておかなくてはならない。
 そのことがこの投稿でよく分かる。
 
 今回のコロナ問題で、改めて分かったことがある。
 それは、学校の存在意味ではないだろうか。
 保護者は、はっきりと分かったのだと思われる。
 学校の集団がどんな機能を持っているのかについてである。
 子供たちが共に勉強するということが、一人ひとりの子供たちにどのような影響を与え、それが学びを促進していく機能につながること、を。

 先生たちも、改めてこの集団による「学び」の機能を考え直さなくてはならないのだ、と。
 ★
 コロナ後の学校再開で起こることはどんなことだろうか。

 ①休校の間に自立して学んできた一部の子供たちがいる。
  これから違った学び方ができるのではないか。
 ②休校の間に自立できなくて、ほとんどゲームやスマホに明け暮れて
  きたその他大勢の子供たちがいる。
  学校の習慣に戻していくには、多くの時間がかかる。
 ③その一部は、ゲーム脳の状態になっていて、落ち着かなくて、集中
  できない子供たちである。この子供たちと関係をつけていくのは、
  困難を極める。
④学力差が更に大きくなっている。
  今までも、学力の格差はあったのである。それが、更に広がる恐れがあ  る。
 
 しかし、マイナスのことばかりはないのではないか。
 子供たちの多くが、3ヶ月間の休校状態で、暇で暇で、つまんない生活をしている。
 みんなで過ごす時間に飢えている。
 だから、その時間ができてくることによって、子供たちは生き生きしてくる場合も予想されるのである。
 ここに期待したいものである。

| | コメント (0)

つれづれなるままに~老人会へ入ってもらえませんか~

●無人島に、1つの音楽の曲を持って行くとすると、どんな曲を持って行きますか、と聞かれたことがある。

 これは決まっている。
 大好きな曲。

 ショパンの夜想曲(第2番変ホ長調)。
 夜想曲はどれもいいのだが、その中でもこの1曲。
 ショパンが大好きな人にとっては、「ああっ、あれね!」という曲。

 こんなことを言うと笑われてしまう。
 いつもカラオケでは、演歌の「別れの一本杉」とか石原裕次郎の曲を歌っているので、似合わないということ。
 「持って行くのは、演歌でしょう!」と(笑)。

 ピアノ曲が大好きである。
 とくに、ルービンシュタインの弾く曲がいい。

 いつの日か、私が亡くなる日には午前中に、この曲を3回聴いて、午後に息を引き取りたいと願っている(笑)。

●『学校の「当たり前」をやめてはいけない!』(諏訪哲二著 現代書館)を読んだ。
 諏訪さんの論理展開を追うのは大変である。だから、2回読んだ。

 この本は、千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長が書かれて、ベストセラーになった『学校の「当たり前をやめた」ーー生徒も教師も変わる!公立名門中学校の改革』という本への批判を中心に書かれている。

 完璧に批判されていると、私には思えた。
 工藤校長による反批判はなかなかむずかしいのではないか。
 そのくらい徹底的にやられている。

 諏訪さんは、ブロ教師の会の理論的指導者として活躍されてきて、論争の修羅場を何回もくぐられてきた人でもある。 


 諏訪さんは、学校の「当たり前」の必要さを強調している。

 ★ ★ ★
 ……、学校には変えられない要素が残っており、理屈抜きに子ども個体を個人として育成する要素を持っている。教育行政はこの個体が個人に成長するという人間の教育のリアリティが理解できないので、単純に最初から子どもを個人として遇することによって、彼らを「主体的」「対話的」な学びに向かわせることができると勘違いしている。しかし、まず知識は詰め込まねばならず、それがないかぎり、子どもは「学び」に向かうことができない。知識を教え込まれることと、自ら主体的に学ぶこととは対立しているのではなく、お互いに支え合っているのである。また、知識を学ぶことがまず最初で、自ら主体的に学ぶことがその次の段階というわけでもない。大枠としてはそのとおりで学校もそういう順序で展開されるが、実際には相互に順序も入り混じって展開されている。旧いやり方も新しいやり方もともに生きているし、子ども一人ひとりによって「知」の受容の質の差がある。旧いやり方には旧いやり方の必然性がある。時代遅れの近代的でないものがすべて消えていくわけではない。理屈で学校全体を変えようとする考えは、危険な方法である。だから工藤氏の言う学校の「当たり前」は消滅すべきものなのではなく、これからも形を変えたりしてずっと生き続けるものもある。 
 ★ ★ ★
 ここだけを読むとむずかしい。
 だが、全体を通して読むと、よく理解できる。

 たとえば、学校では、最初にクラスのルールを決め、授業規律を決め、…というように子供たちが最初に身に付けるべき、学校の「当たり前」を実践している。
 こんな必要はないのだと、主張する先生もいる。
 なぜ、こんなことが必要なのか、諏訪さんは、明確に書いている。
 
 ぜひとも読んでほしい一冊である。

●コロナ後の経済の状態がどうなるのか。
 測りしれない大不況が襲ってくることを予感させる。

 エコノミストの水野和夫さんは、次のように言われている(朝日新聞20.5.9)。

 「新型コロナウィルスは16世紀以来世界に広がってきた、グローバル資本主義というシステムを終焉させる役割を果たすことになるでしょう。」と。

 そして、次のようにも言われている。
 「安倍晋三首相は、コロナ前のグローバル資本主義や成長路線に戻せると思っているように見受けられます。しかし、日本経済の最大の問題は供給過剰にあります。空き家が増えているのに新築住宅を建て続け、食品や衣服もつくりすぎてロスが出ている。もう無理な経済成長よりも、ムダをなくして、労働時間を減らすほうを優先すべきです。」と。

●「老人会に入ってもらえませんか?」と言われた。
 自治会では、70歳を過ぎたら、老人会への誘いが来る。
 「すみません、まだちょっと忙しい仕事をしているものですので…」と答えたら、憤然として「みんな忙しいのです!」と反論された。

 暇な人が老人会に入っているのだと受け取れる発言だったのだ。
 申し訳ない。

 ただ、佐賀の義弟が老人会の会計をやっているので、「集まって何をやっているの?」と聞いたら、「まず最初に亡くなった方の黙祷をしてから、あとは飲み会になる」と。「それだけ!」なの?「だいたいそれだけ!」と。
 要するに、集まって飲み会をやっているだけなのである。
 ★
 団塊の世代である私は、学生の頃から群れて集まって、いつも飲み会をやっていた。団塊の世代は、多いので、いつも群れていた。

 教師になっても、いつも群れて飲み会をやっていた記憶がある。

 退職をしてから群れるのを止めにするようになった。
 忘年会も新年会も、そして同窓会なども、ほとんど止めにしてしまった。

 画家の堀文子さんが「群れない、慣れない、頼らない」と言っていることに感化された。

 群れるのは確かに楽しい。
でも、もう残された人生はそんなにないのだから、これからはまた違う人生を歩んでいかなきゃという感じである。

| | コメント (0)

『崩壊学級を救う33の方法&つぶす13の方法』(中村健一 梶川高彦編著 黎明書房)を読む!

『崩壊学級を救う33の方法&つぶす13の方法』(中村健一 梶川高彦編著 黎明書房)を読んだ。

 「はじめに」で中村健一先生が書かれている。

「本書は、巷に出回っている『崩壊学級立て直し本』ではありません。とにかく、崩壊学級担任の救出を第一に考えます。」

 このテーマで成り立っている本である。
 一気に読む。

 実際に崩壊を経験した先生方も書かれている。
 さまざまな場面が浮かび上がる。

 第1章は、中村先生が書かれている。
 中村先生の主張は、明快である。

 ①学級崩壊の原因は、影響力のある、たった一人の子供や保護者に
  よって起こる。どんな先生でも起こる。
 ②学級崩壊は、運の悪い宝くじに当たったようなもの。
 ③担任交代せずに崩壊学級を立て直した例は、0件。成功率は、
  0%。
 ④学級崩壊して辞めていったり、病休に入っていった教師はたくさん
  いる。初任者や若手、他校でエースと言われたベテランで力がある
  教師も、何人もいた。
 ⑤崩壊学級担任が打つ手は、すべて逆効果。
 ⑥学級崩壊を起こした子供たちや保護者のために、力を使う必要は
  ない。
 ⑦崩壊学級担任は、自分の守ることを第一に考えて、全力を尽くす
  べき。家族を守るために、全力を尽くすべき。
 ⑧学級崩壊は、担任のせいではない。子供たちのせい。保護者の
  せい。社会のせい。
 ⑨絶対に辞めない。辞めたくなったら、休職する。
 ★
 おそらく、崩壊を経験した先生たちは、心にくすんできた心が温かくなるのではないか。

 今まで教育界では、学級崩壊に対して「それはアナタの教師としての志や力量の無さから起こるの!」と思われたきたのである。

それを中村先生はひっくり返している。
 崩壊をした先生を慰めるためだけに書かれているのではない。

 この提起は、今まで教育界で信じられてきた常識をひっくり返している。
 
その証拠に、どんなに授業力のある、すぐれた教師でも、学級崩壊は起こる。
 だから、授業の技量を上げるということだけでは、もはや学級崩壊は対応できないのである。
 そのことを早く分からなければならない。

 ★
 それでは、学級崩壊は、どうにもできないことなのか。
 そんなことはない。
 そうならないための予防策はある。
 
 また、崩れかけている学級(完全に学級崩壊になっていない)を立て直す方法だってあるのである。
 そういう学級を、いくつも見てきた。

 中村先生だって、明治図書から出版されている「ブラック」シリーズで、その手立てを明らかにされてきている。

 このシリーズは、評判を呼んで、今でも売れ続けている。
 
 ★
 コロナ後の学校は、今までにも増して学級崩壊を抱え込むことになる。
 ますます困難校が増えていく。

 その先生たちに、この本は温かい支援のメッセージを送るであろう。

| | コメント (3)

« 2020年4月 | トップページ | 2020年6月 »