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玄輝先生の感想です!

 山形の鈴木玄輝先生が、今回の『初任者指導の教科書』(明治図書)を読まれた感想を、自分の初任時代を振り返りながら、フェイスブックに書かれていた。ありがとうございました。

★ ★ ★
 以前、新卒、若手の先生方に対する指導の在り方について、同僚の先生方と話したことがある。

「若い先生に技術やノウハウを次々に投下する」指導もありうるけれど、「若い先生が何に困っているかを言えるようにする」、「最大限丁寧に子ども対応、そして授業をしている姿を見せる」ことが、より大切ではないか、と。

自分自身、思い返してみると、新卒初任者として赴任した一年目は、教師人生で一番苦しかった。

まず、現場での「5W1H」がまったくわからない。「いつ」、「何を」、「誰が」、「どこで」、「なぜ」、「どのように」。
持ってきたコップを職員室のどこに置くのか。
出勤簿はいつ押せばよいのか。
教材選びは学級単独でするのか、学年単位で揃えるのか。
仕事中はスーツがよいのか、ジャージでもよいのか。
お昼はどのようにするのか、出前ならどういうシステムか。
他にも様々…。

学校といえば「学級づくり」と「授業」だと思い、現場にやってきたものの、それ以前にやるべきこと、確かめておくことは山ほどあり、肝心の学級づくり、授業づくりに到達できない日々が続いた。周りの先生方もパタパタしていて忙しそうだし、聞こうに聞けない。いざ聞いてみても、深いところまでじっくり教えてもらう余裕はない。「現場とは、こんなにも時間に追い立てられるところなのだ」ということを痛感した、一年目の始まりだった。

そして迎えた学級開き。
精一杯の準備はしたものの、3日目あたりから、子どもたちは次々に探りを入れてきた。

「前の先生はこうだったよ。」
「あぁ、そう、じゃあそうしよう。」

「先生、給食の残りはどうするんですか。」
「食べたい人がじゃんけんして。」

そうこうしているうちに、トラブルも続発する。
授業中の立ち歩き、教室から出ていく子ども、隣の席同士のケンカ、物隠し、物壊し…。
「教室で起こることは担任の責任だ」と自分に言い聞かせながら、その場その場で厳しく指導するものの、子どもたちの心は離れていくばかり。学級も授業も半ば崩壊し、それでも歯をくいしばって学校には行った。

当時、校内には初任研担当、校外にも拠点校指導担当の教員が配置されていた。しかし、校内の担当は特別支援担当も兼ねており、そちらの方がより大変で、自分に関われる余裕はなかったようだ。拠点校担当の教員は、週に1回、授業を見たり、給食を食べたりしていた。その教員が繰り返し言ったのは、「学級がまとまらないのは、授業がつまらないからだよ。」ということ。教室を出ていってしまう子がいると、別室で個別に授業をし、「ほら、彼もこんなに集中してがんばってたよ。」と、授業づくりが個別対応になるということを毎回強調されていた。

頭では分からなくもない。でも、現状の苦しみにどう向き合い、乗り越えていけばよいのか、の答え、いや、ヒントにはまったくなっていない。そう感じながらも、拠点校担当教員の毎回の指導の中身は、授業づくりや教材解釈、そしてたまに子どもを惹き付けるミニゲームの紹介だった。一番苦しかった学級づくりや個別対応については、何の指導もなかった。それはそうだ。「学級づくり=授業づくり」という捉え方をされていたから。

こうして過ぎていった過酷な一年目の記憶は、今も脳裏にはっきり残っている。
当時の学年団の先生方の支え、様々ありながらも見守ってくださった保護者、そして様々ありながらも最終的には担任についてきてくれた子どもたちの存在があったから、自分は今も教職を続けている。
また、野中先生の教えに学び、「土台としての学級づくり」の重要性を学生時代に学んでいたから、「次は確かな学級づくりを」と思えたのも大きかった。

いずれにしても、苦しかった一年目。
今、振り返ると、自分自身の思いと、初任者指導担当の思いとのズレは歴然としている。それがいいか悪いかという話ではなく、少なくとも、初任者育成に資したか、という点では大いに課題が残ったと思う。
その後、学年団の先生方に自ら教えを乞い、野中先生の学級づくりを徹底的に追試し、「二度と一年目の轍を踏まない」決意で、(自分で言うのも変だが)がんばった。自分自身に実感として「学級づくりの土台ができた」と感じられたのは、5年目の頃だった。

最初に述べた、「若い先生に技術やノウハウを次々に投下する」指導もありうるけれど、「若い先生が何に困っているかを言えるようにする」、「最大限丁寧に子ども対応、そして授業をしている姿を見せる」ことが、より大切ではないか、ということ。
初任者指導でまず大切なのは、初任者に明確なゴールを示し、波長を合わせながら、じっくりじっくり育てていく覚悟を、指導する側が持つことではないだろうか。指導する側は、それなりの経験、力量がある。しかし、初任者が求めるのは、それらを投下されることではなく、自分自身のニーズ、困り感に沿うように示してもらえることではないか。

野中先生の新著『初任者指導の教科書』を拝読し、自分自身の一年目を振り返りながら、「じゃあ自分は初任者にどう指導する?」と自問自答し、「初任者は何に困るのか」を学びながら、これからの中堅世代以上は、初任者の人生を背負っているのだ、という思いを新たにした(誇張ではなく)。

本書は、これまで野中先生が提唱されてきた「3・7・30」、「縦糸・横糸」、「土台としての学級づくり」、「味噌汁・ご飯の授業づくり」などの主張を踏まえ、指導者が初任者にどのように向き合うか、が丁寧に描かれている。
特に、初任者がどこで悩むか、何が分からないか、指導者側の視点の「外側」について詳述している。とりわけ重要なのは、初任者が「授業」以前に「学級づくり」でつまずくこと。また、初任者は「厳しい時代」に一年目を過ごしていること。これらを踏まえ、自分自身の視点や感覚を一旦脇に置いておき、真摯に初任者に向き合う必要性を痛感した。

初任者指導の在り方が旧態依然ではいけない。その前に、教師自身が旧態依然ではいけない。常に自己更新し、変わり続けている姿を示せること。これからの初任者指導の肝は、そこにあるように感じた。
これからも、愚直に学び続けていこう。
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