学級崩壊の現在(4)~先生たちが遅れている~
学級崩壊の最初は、「クラスにいる超やんちゃな子供に追われる」ことから始まっている、と書いた。
そして、その子供たちを「叱りつけるだけ」を繰り返して、反発され、崩壊を招いている、と書いた。
もはや、このレベルでは対応できなくなっている。
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1冊目の学級崩壊について書いた本を出した頃は、補助につく先生たちの余裕があったのである。
私が所属していた学校では、崩壊したクラスに、専科をしていた先生をT・Tに付けて凌いだことがあった。
そういうことができた。
ところが、今では、その補助の先生がいなくなっている。
どうしても担任一人で何とかしなくてはならない状況が広がっている。
これで、崩壊を招いている事態がある。
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今、年若き友人と2人で「学級崩壊を追究しよう」と研究を始めている。
学級崩壊の実態調査も、その一環である。
その友人が、最近次のようなことがあったと報告してくれた。
5年生のあるクラスに自習監督にいった時のこと。
次のようなことを行ったという報告である。
①「テストの机の形にします。」
②「机の上が筆記用具だけになった列から配ります。」
→5,6人の反発児が、指示に指示に反応しないので配らない。
→しかし、周りの子の声かけで、すぐ直す(1人以外)。
→1人だけやめず、黙って折り紙を折る。
*さて、こんなときに、どのような対処をされるだろうか?
ほとんどが、その1人を叱りつける対応を取るのではないだろうか。
③「テストを始めてください。終わったら、テストを机にいったんしまって、読書をしてください。」
*指示の鉄則は、「みんなを先、個々は後」である。
だから、ここで、みんなに指示を出しているのは、鉄則通りなのである。
④折り紙児に声をかける。「テストやりますよ。」
→いやだ。
→でも、他の子のために、机だけはテストの形にします。
→いやだ、めんどくさい。
→そうですか。…(周りの子に)○○さんだけテストの形にしてないけど、カンニングではないから、許してあげてな。
→折り紙児のもとを離れる。
⑤すると、机を折り紙児自らテストの形にしたので、再度、テストを渡しにいく。
→無事、テスト実施できた。
*叱りつけることをまったくやっていない。これは見事である。
そして、テストは渡していないところも、見事。
折り紙児に主導権を与えていない。
折り紙児が折れて、テストの形にしていくわけである。
厳然と縦糸を張っている。しかし、それ以上に踏み込んでいない。
友人は、次のように書いている。
「かつて私は、②から③にあっさり移行できませんでした。
全体のテスト実施を遅らせて、折り紙児一人をしつこく指導したでしょう。 そして、折り紙児はここぞとばかり、反抗したでしょう。
(愛着障害の傾向のある女の子です。その場で執着しているモノと切り離 すのは、とても難しいし、私への反発自体が注目行動と捉えることもでき そうです。)」
そうなのである。
崩壊をしていく先生たちは、②から③にあっさり移行できないのである。
ここを乗り越えることが、大きなハードルになる。
もう1つ、ここで「いやだ、めんどくさい」という答えに、「そうですか」と応えている。
これも見事なことである。
だが、なかなかできない。
「めんどくさい」「うるさい」「きえろ」「死ね」などの言葉が、発せられる。
それに対して、「そんなことを先生に言うことではないだろう!」と、その子供の土俵に乗っていく。
これをやってはいけない。絶対に、その子の土俵に乗らない。
こういうときには、「そ」の付く言葉で切り抜ける。
「そうですか」「そうなんだ」「そう」「そう思ったんだ」……
「そ」のつく言葉は、子供たちに「安心感」を与えるものらしい。
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この年若い友人は、このような対応をどこから学んでいったのか。
「超やんちゃへの対応として、ABA(応用行動分析)の視点はとても大事だなと、最近感じるようになりました。
何より、ABAを活用した家庭育児書がかなり多く、出版され、売れているようです。言葉かけ、関係づくりについて、学校の先生は「下手だなぁ」「知らないなぁ」勉強熱心な保護者から思われているのかもしれません。教育専門職としての専門性を、私たちは今後どうやって確立していくべきか、考えさせられます。」
そして、友人は、次の本から学んだと教えてくれた。
『魔法の言葉かけ』(講談社)
『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる子育て法108』(ぽぷら社)
先生たちの方が、現実的に必要な対応法が遅れている。
『魔法の言葉かけ』を読んでみて、しみじみそう感じた。
この本を読んでみて、ABAという療育法は、発達障害の子供への対応法というより、むしろ教師の授業法の参考にした方が良いと、考える。 (完)
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コメント
鳥取の荒木です。今年もよろしくお願いします。
<学級崩壊の現在>シリーズ、何度も読ませていただきました。鳥取でも担任を一人でするのは大変になってきたと感じています。若手もベテランも学級経営に苦しんでいます。(大げさな表現ですが…)私が現役で担任していた頃とは、様相や環境が大きく変わってしまいました。教師はこういう子どもたちを育てていきたいという夢や目標、信念をもっているのですが、目の前の現実(子ども、保護者、仕事、学校等々)に対して余裕がまったくなく、毎日が怒涛のように流れていくのを何とか歯を食いしばって頑張っているという状態ではないでしょうか。疲弊し、病気になり休職したり退職したりする先生が増えていくのはある意味必然かなとも思います。野中先生がおっしゃる通り、教師は本来魅力的な仕事です。子どもも教師も笑顔で、上機嫌で過ごせる時間が増えたらこんなに幸せなことはありません。このブログを読ませていただきながら、模索していきたいと考えています。
投稿: 荒木千彰 | 2020年1月17日 (金) 18時37分
荒木先生、いつもコメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。 先生が言われるとおりに、教師の仕事は魅力的な仕事のはずです。それが、苦しい雑務の仕事に成り下がっている現実です。これをどのように回復していくのか。それが求められます。ぜひともこれからの先生たちに期待したいです。ありがとうございました。
投稿: 野中信行 | 2020年1月20日 (月) 10時28分