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つれづれなるままに~子供たちに身に付けさせたいこと~

●フェイスブックに、知り合いのY先生(中学校の先生)が書かれていた。

★ ★ ★
 今日は,市内のA中学校で行われた研究発表大会に参加しました。研究主題は「主体的な活動から学力向上を目指す生徒の育成」でした。
主体的な活動の具体例や主体的に学ぶ生徒の具体的な姿が見られると期待して参加しました。

道徳授業は,「いのちの大切さ」を扱ったものでした。
①教科書を読み,
②主人公が「死」が無関係ではないと思った理由を問い,
③「いのち」からイメージするものを班で膨らまさせ,
④名前に込められた願いを考えさせ,
⑤将来の自分の子供にどんな名前をつけるか考えさせる。
という流れでした。

この流れがよくわかりませんでした。生徒の思考はスムーズに流れたのでしょうか。
これで,ねらいである「いのちの大切さを知り,前向きに生きていこうとする心情を深める」ことができたのでしょうか。

どの部分が,主体的な活動なのでしょうか。
主体的に学ぶような工夫がどこにあるのでしょうか。

2年間の研究での一応のゴールがこの授業なのでしょうか。

まずは,授業づくりの基礎基本をしっかりと身につけ,授業の基礎力を高める必要があるのではないかと思いました。
 ★ ★ ★
また、次の日に、以下のように書かれている。

 ★ ★ ★
 昨日の研究発表に参加して,普通の学校現場で2年間の研究を重ね,その成果を発表をすることは難しいことだと再認識しました。研究に多くの時間をとられてしまい,日常授業に支障が出てるのではないかと思います。研究主題にとらわれすぎて,日常授業に専念できない教師もいたことででしょう。
これでは,本末転倒です。日常授業がきちんとできる教師を育成していかなければ,学力向上も望めないと思うのです。
全員参加の授業ができない教師や指導技術もほとんど知らない教師に,生徒が主体的に学ぶような授業ができるわけがありません。もっと教師の基礎力を固める必要があります。
 ★ ★ ★
 
 うなずきながら、読ませてもらった。
 まさに、現実の学校の公開発表は、このようになっている。
 50年以上前から同じような発表形式である。

 終わった先生たちは、「ああっ、終わった!」という感激があっただろうし、一人ひとりの先生には学びもあったにちがいない。
 だが、明日からまた日頃の「日常授業」に戻っていく。研究授業とは関係ない授業である。
 ★
 研究授業について、私は今の現状を否定的に数多く書いてきている。
やられている研究授業と毎日やっている「日常授業」との関係がほとんどなく、ショー的に今の研究授業が展開されていることが問題である、と。

 要は、1つの公立学校で何かの研究をするというのが一番の問題である。
1回や2回の授業で仮説の検証などができるはずはない。

 しかし、私は研究授業そのものについて否定してきたことはない。
 若手の先生が、精一杯教材研究をして、その授業に取り組むことはおおいに力をつけることになる。
 
 でも、これから学校全体で、研究授業をする場合は、いかに「日常授業」を変えていくかという視点で取り組んでいくことである。
 こうしなければ、絶対に何も変わらない。
 そして、研究ではなく、研修をするのである。
 
 ★
 Y先生が重要な点を指摘されている。

「全員参加の授業ができない教師や指導技術もほとんど知らない教師に,生徒が主体的に学ぶような授業ができるわけがありません。」

 Y先生の学校では、今年度は、研究テーマが「全員参加の授業づくり」だったと聞いている。
 まさに、最適なテーマである。

 このY先生の記事のコメントで、他の先生が「その基礎力を、若手の先生たちは、どこで身に付けるのでしょうか?」と書かれていた。
 まさに、問題はここである。

 この基礎力がないままに、今求められている「話し合い」や「討論の授業」を行っている若手の先生の授業をよく見ることがある。
 まったく授業が成立していない。

 全員の子供たちをどのように授業に巻き込んでいくのかという試みがないままに、形だけを身に付けようとする。
 だから、無残な授業になる。
 ★
 私は、義務教育の段階では、子供たち一人ひとりに次のことを身に付けさせることがもっとも必要なことだと考えている。

 ①課題に対して自分の答えをもつ。
 ②自分の考えを言語化する。
 ③それを他者に伝えられる。

 これを一人ひとりに身に付けさせるのである。
 全員参加の授業と主張する理由がここにある。

 それから、この土台の上に、話し合いや討論の段階がくるはずである。
 ★
 ところが、これをやらないで、課題を与えて、「さあ、話し合いをしましょう!」とやっている授業があまりにも多すぎる。
 今求められているアクティブ・ラーニングを追究しているつもりである。

 一部の子供の話し合いや討論でしかない。
 ほとんどの子供が、自分の答えを持たないままに「さあ、話し合いましょう」とやるから、こういう無残な授業になる。
 
「見栄えの良さ」ばかりを追究するからである。
 ★
 だが、これが現実である。
 このことを克服して行くには、今までのやり方を変える以外にないのである。

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