前回のブログで学級崩壊について書いた。
そのことで若い先生から、それに対抗できることについてもっとくわしい話を聞かせてほしいという要望を聞いた。
書いてみて、何か自慢話みたいで、うまく書けたとは思えなかったので、ボツにしようとした。
だが、待てよと思い、前回のブログで紹介した若手の先生にだけ、これを送ったら、すぐに返信がきて、「何度も読みました。少し心が勇み足になっていました…。読めて、良かったです。ありがとうございます。」ということだった。
それではと思い直して、ブログに載せることにする。
以下のことになる(少し付け加えている)。
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今学校現場は、学校全体でまとまっていくということが取れなくなっているではないか。
この10年で大きく様変わりしたのは、このことだと思っている。
私は、現場を離れて12年も経っているので、その状況をうまくつかめていないのだが、強く変わったことを感じている。
神戸市の東須磨小事件は、驚きだった。
あの4人組は、学校の中心で、学校をまとめていく立場の先生たちだったはずである。
それが、あのように若い先生をいじめのターゲットにして、自分の快感を得ている。「面白ければ良かった!」と言っている。
これは、繰り返しになるが、氷山の一角である。
日本全国のさまざまな学校で、あの種のいじめ(程度の差はあるが)が教師間で行われていることを、明らかにしている。現在では、パワハラという言い方をしている。
本来ならば、子供たちのために先生方がまとまっていかねばならないのだが、そういうことにはなっていかない。
お互いに足の引っ張り合いをしている。
★
ある初任者の先生から相談をされたことがある。
「私のクラスは、とても落ち着いていて大丈夫なんですが、隣の学年主任の先生のクラスが荒れていて、大変なんです。どのように助けを出したらいいでしょうか?」
学年2クラスで、初任のクラスは落ち着いていて、隣の学年主任のクラスが荒れているという。まったく逆のケースである。
私が伝えたのは、次のようなこと。
「先生ができることは特別にないですよ。助けを出したい気持ちは分かるけど、やらない方がいい。そのクラスのことは、管理職が何とかします。それよりも、隣のクラスからの影響を受けるから、とにかく自分のクラスに一生懸命エネルギーを注いだ方がいい。」と。
学年主任が、荒れている初任のクラスを助けるのは、当たり前である。
ところが、その逆はしない方がいい。
初任者は、助ける方法が分かっていないし、そんな余裕はないはずである。
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このことは、若い先生方にも言えることである。
「学校を何とかしたい!」という前進的考え方で、学校を変えようと発想する。
極めて好ましい発想である。だが、これはきわめて危険。
今、学校には、守旧派がいて、今までの「前例踏襲」を守り抜く先生がいる。学校の中心を担っている先生方に多い。
もちろん、良いことは「前例踏襲」でいいはずである。
ところが、大きな問題点があることでも、守旧派は、今まで通りを守り抜こうとする。
それが自分たちには、快いことであり、それは自分たちがつくりあげてきたことだという自負があるからである。
さまざまな議論が行われて、いいところで決まっていけばいい。
しかし、後腐れが残る。
「あいつ、何年も教師していないのに、なまいきだ。潰してやろうや。
これから邪魔になるから。」
えてして、守旧派は、こう考えていきがちだ。
ここに若手の先生が抗していくことは、なかなかむずかしい。
だから、若手の先生が、学校の問題について何からのアクションをしようとするときには、とりあえず3人の先生の賛同を得ておいてほしい。
策略を巡らしておかなければならない。
そして、6人の賛同者がいてくれたら、いずれ動き出す(「6人の法則」というらしい)。
提案したことが、通らなかったとしても、めげずにやっていけば、そのうちに道は開けてくる。
★
私が、最後の勤務校に赴任して、この荒れた学校を建て直さなくてはならないと考えたときには、ある策略をもっていた(今でこそ言えることだが…<笑>)。
条件がそろっていた。
①その学校は3年学校(3年しか居られない)で、私が赴任したときには、ほとんどの教師たちが異動していて、残っているのは数人しかいなかった。
②私は、もう50歳をとっくに過ぎていて一番の歳であり、校長と同年配であった。
③新しくきた先生たちが多数派で、私と行動をともにしてくれる先生も数人いた。優秀な若手も何人もいた。
この条件が揃っていなければ、とても改革なんかできなかったはずである。
鉄則があった。
①校長と闘わないこと。
②自分の力量をひけらかすようなことをしないで(そんな力量もなかったが)、みんなと同じような普通の教師として過ごす。
③まず、高学年から落ち着かせていくこと。
①については、管理職には恵まれた。
管理職は、私たちの改革に、十分なサポートをしてくれた。
もし私と管理職が言い争う事態があったら、もちろん、改革は無理であった。管理職のサポートがなければ、無理である。
②も大事なことで、自分こそが学級崩壊立て直し人みたいな存在になることは、決して学校にとってはいいことではない。全体でやりとげていくというチーム感覚ができなければ、うまくいかない。
③は、荒れた学校を建て直していくための第1の原則である。
上の学年から立て直していく。それは、下の学年の子供たちは、上の学年のマネをするので、下からの立て直しは原則に合わない。
私は最初5年生の担任であった。高学年の4人の先生とも、一致した行動が取れて、2年間で落ち着いた学校へ生まれ変わっていった。
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昔話をして、うまくいったことの自慢話をしているととらえられる恐れがある(笑)。
どうしてこんなことを書いているかというと、これほどに学校改革はむずかしいのだと伝えたいわけである。
最後の勤務校では、たまたま条件や、先生たちに恵まれていたからできたのである。
何か1つでも不足していたら、むずかしかったはずである。
反面、これほど改革はむずかしいので止めた方がいいとも取れるようにも受け取れる。
そのように受け取らないでほしい。
まず、自分の周りに訴え、学年を巻き込み、少しずつ力を拡大していく。
その方向は必ず出てくる。
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これから学校は、学級崩壊がたたみ込んで起こり、先生たちを苦難の道へ追い込んでいく。
対抗する方策はある。
今、古い価値観が総雪崩状態になっていて、新しい価値観が求められている。
古い価値観の中から、何を残し、何を捨てるのかが真剣に問われている。
その中で、少数であるが若手の先生が、この状況を切り開いていくために立ち上がっていくはずである。私にパワポのファイルを送ってくれた若手の先生も、その一人である。
ぜひがんばってほしいとエールを送りたい。
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