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神戸市立東須磨小学校の事件を受けて(2)~その鏡に何が映っているか~

 今回の暴行事件で、大きく注目したのは、こういう無軌道な犯罪まがいの事件が、学校現場で公然と起こっていることについてである。
 
 これは、決して特異な事件として見てはならない。
 この事件は、多くの学校現場の状況を「鏡」として映し出しているのではないか。その「鏡」に、何が写っているのか、それが重要であると思われたからである。

 私が注目したのは、他の教職員の対応であると書いた。
 校長に告発してもダメだということは分かりきっていたが、教育委員会に告発してよかったはずである。
 もし、被害者の親が委員会に通告しなければ、事態はどうなっていたのだろうか。
 
 被害者は、学校へ行かないという選択をしたから良かった。もし、無理をしてこのまま続けていたら、自殺などの更に不幸な事態を招いていた恐れがある。
 ★
 他の教師たちに何が起こっていたのか。
 校長や4人組の強権的な独裁体制で、学校では、ほとんどが「沈黙」を強いられていたはずである。

 その沈黙が、あるべき、まともな支援を(密かに委員会に通告することなど)決定的になくさせていっている。
 ここまで来ると、おそらく学校現場に広がっている事態ではないか。どうだろうか。
 
 今回の極端な事例は、極端であるということで、強烈に現場に広がる「沈黙」の有り様を、「鏡」としてあぶり出した、と考えている。

ただでさえ「自閉」的である学校現場が、この「沈黙」でさらにさまざまな働きを削ぎ落としていっている。
 
たとえば、子供についてのちょっとした情報交換、職員同士の個人的なちょっとした情報交換、……さまざまなことが削ぎ落とされていく。
 
 それだけではない。大切な人間的同僚性(困っている周りの先生を助ける)もまた失っていっている。
 これが、ほんとうは一番深刻なことである。

 ★
 職員室へ行けば、誰もが無口で、ただただ黙々とパソコンに向き合っている。
 隣の先生とも、何のコミュニケーションもない。
 
 夕方、職員室を訪れた、ある新聞記者は、そこここにほたるが止まっているように見えたと語っていたことがある。

 仕事があるから仕方がない、ということになる。

 教師一人ひとりが孤立し、学年を越えて話をするということが限りなくなくなっている。ばらばらである。

 この状態を、4人組につけこまれている。
 というより、この学校の独裁体制が、結果的にこのばらばら体制をつくってきた、とも受け取れる。

 繰り返しになるが、今回の東須磨小事件は、現在の学校現場の有り様を、「鏡」の形で映し出したのではないか。
 私には、そのように思えてならない。

 神戸市の久本市長は、今回の事件を受けて、総合教育会議を17日に開くと発表している。
市長は、「教育現場や教育委員会の組織風土に大きな問題があると考えざるを得ない。組織風土改革に向けた取り組みをどのように行うのか、端緒となるような議論をしたい」と述べた、と(10/10神戸新聞)

 私は、なかなかの見識であると考えた。がんばってほしいものである。
                     (つづく)
 *10/16のNHK朝のニュースで、他の教師も被害を受けたことが報道されていた。やっと他の教師たちも被害を明らかにし始めている。

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