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2019年8月

つれづれなるままに~誕生日を迎えた~

●あのソフトバンクの孫正義氏がこう言っている。

 

【もはや先進国ではない】「日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」と。世界競争力ランキングは30位、平均賃金はOECD35カ国中18位、相対的貧困率は38カ国中27位、教育の公的支出は43カ国中40位、年金の所得代替率は50カ国中41位など、現実を直視せよ。 

 

 いつのまにか、日本は、こんなことになっている。

 

●横浜のT小学校からメンター研修に来てほしいと言われて訪問した。
 横浜は、27日から学校が始まり、8月いっぱいは午前中授業である。

 

 4時間目に、いつもの国語の授業をさせてもらう。
 5年生の教室での授業。

 

 楽しかった!
 最近、ほんとに授業を楽しむということが実感としてよく分かる。
 今頃になって、こんなことが分かってどうするのか、と思うのだが、実感である。

 何度もブログに書いていることだが、指導主事の先生たちに言うことは、
「もう口先だけの提案は、先生たちには入らないよ。黙って聞いているだけ。
 訴えたいテーマを、授業で示していくことだよ。これをやらないと、もはや指導主事としての意味はなくなってしまうよ」と。

 

 「嫌なことを言われる!」と、思われていたはずである。
 ほとんどの教育委員会では、「授業はやらないでほしい」と言われているらしい。教育委員会の看板を背負って、授業をするわけであるので、まずい授業だったらどうにもならないというわけであろう。
 ★
 私の義兄は、10年以上体育の指導主事をした。
 学校訪問の時には、体育主任に「私が授業をして、それから研究会にするから授業をするクラスを決めておくように!」と伝えたという。
 ことごとく、授業をして、研究会にしたのである。

 

 10年以上、この方式で県内を回った。
 当然、先生たちは影響を受ける。
 義兄の体育の方法が県内では広まり、ことごとく体育は、「T派(義兄方式)」になっていったと聞いている。
 前回の体育の学習指導要領を作成した1人でもある。
 
 やろうと思えばやれるのである。
 ただ、素晴らしい「ごちそう授業」をやろうとしたら、そんなものはできない。
 テーマをもって授業をするのである。
 ★
 私の言うのを受けて、授業を始めた指導主事がいる。
 北海道のA教育委員会のO指導主事。教育次長でもある。
 道徳の授業をあちこちの学校でやっているという。

 

 多くの先生たちが参観にみえるという。
 当然、この先生たちは影響を受ける。
 「できるじゃないか!」ということである。

 

 このA教育委員会の各学校は、学力などもレベルアップし、周りも羨むほどのレベルになっていると、聞いている。
 
まず、1人から始めるのである。
 その意気込みは、必ず周りに波及する。

 

●自治会の組長になり、「ゴミ捨て場の片付けなどもやってもらえばありがたいです」と言われて、最近になって、ゴミ捨て場の片付けを始めた。 
 
 そうすると、その近くに、1本の立葵がある。
 何度も通っていたのに、この立葵には気づかなかった。

 

 国道16号線のフェンスのところに、1本だけ堂々と花を咲かせている。
 誰が植えたわけでもなく、どこかからタネが飛んできたのだろうが、歩道と車道の割れ目からのびあがって花をつけている。

 

 そばをいつも車が行き交う。誰も目にすることはない。
 でも、堂々と花を咲かせて、夏の間ずっと元気に咲き続けた(私が水をあげることもあったが)。
 最悪の環境の中で、こうして元気に生きている。

 

 俳句に、次のような句がある。

 

 「立葵おのもおのもの空を持つ」(吉本和子)
 「ああっ、この立葵は自分の空をもって生きているんだ!」と思ったものだった。
 ちなみに、この吉本和子さんは、思想家吉本隆明さんの奥さんである。

 

●誕生日を迎える。72歳になった。
 ずいぶん歳をとったものだが、心の中は「まだ若い!」と思っているところがあり、鏡を見て、愕然とする繰り返しである(笑)。

 

 72歳の年齢に合う人間的なレベルになっているのであろうか。
 ふと、そう問いかけてみて、頭を抱えるほどである。

 

 歳をとればとるほど、自分が理性で抑えてきた自分の「ダメな部分」が露出してくるような感じになる。
「ああっ、だめだなあ~~」と。
 こんなとき、私のバイブルを読み直す。
 カーネギーの『道は開ける』。
 この本は、何度読んだことだろうか。

 

 
 

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さらに低学力児が増えていく恐れがある!

 今年は、5人の先生たちと「算数学力向上メソッド」の共同研究を行っている。
 先日、その先生たちとお会いして、さまざまな話を聞かせてもらった。
 今、1年生を担任している初任の先生のクラスでのこと。

 「うちのクラスでは、子供たちの算数好きが多くて、隣の先生たちが『あなたのクラスでは算数が好きになるにはどんなことをやっているの』と聞かれるのですよ。」と。

 初任の先生なのである。
 そのクラスで算数好きが多くなっている。
 それは、「算数学力向上メソッド」を使っているということになるはずである。
 ★
 朝日新聞の私の視点(2019.8.30)に、「低学年で置いてきぼり 危惧」というコラムが書かれていた(遠山真学塾 小笠直人さん)。

 小笠さんは、新しい教科書(新学習指導要領にもとづいたもの)を調べられたということ。

 ★ ★ ★
 1年生の2学期で習う「たしざん」は、今よりも計算問題などが減ったかわりに、文章問題や言葉で説明を求めるといった思考力を問う問題が9題から11題と増えている。とりわけ、説明問題は2題から4題へ倍増していて、確実に難しくなっている。また、2年生の始めにまなぶ「たし算の筆算」は、計算問題などが減ったが、思考力を問う問題が13題から19題と大幅に増えて、さらに難しくなっている。
 ★ ★ ★

 私はまだ新しい教科書を見ていないので、くわしい内容は分からないが、数学的思考力を試す文章問題などが増えているのであろう。

 小笠さんは、その問題点を次のように指摘されている。

 ★ ★ ★
 そもそも、言葉を獲得中の小学校低学年の子どもたちにしてみれば、考えを言葉で説明する問題はハードルが高い。まして、何らかの学びに困難のある子どもにしてみれば、より大変なのは明白だ。新指導要領になると、増加したこれらの問題によって、小1で苦手意識を抱き、小2で本格的についていけなくなり、算数で「落ちこぼれにされる」子どもが大幅に増えるのではないか。
 ★ ★ ★

 まさに、指摘通りになるであろう。

 ★ ★ ★
 ……単元ごとの設問数は今の教科書とほとんど変わらず、授業時間もそのままだ。授業以外の業務が多すぎて教員がアクティブ・ラーニングへの理解を深められないという指摘もある。つまり、子どもの負担だけ増して、フォローする仕組みが何一つ整わないまま、新たな算数の授業が始まることになる。
 ★ ★ ★

 この指摘も、まさにその通りになるであろう。
 先生たちは、アクティブ・ラーニングでどんな算数授業をすればいいか、分かっていないので(分かっていても、実際にどんな授業にしていけばいいかイメージできない)、結局教科書通りで進める以外にないわけである。

 アクティブ・ラーニングの算数授業といって、公開の研究授業を見に行っても、1問を「ああの、こうの」と練り上げていく問題解決学習を見ても、それを自分のクラスで日常的に進めることができない。

 だって、提案している先生だって、研究授業だからやっているので、日頃もそんな授業をしているわけではないはずである。
 時間数が算数の場合、足りないのである。
 普通に指導書通りやっても、30時間ほど不足するのであるから。
 

 小笠さんは、最後に次のように指摘される。

 ★ ★ ★
 このままだと、障害の有無に関係なく、算数が苦手な子どもたちが、低学年から置いてきぼりを食らう。学びに憧れをもって小学校に入ったのに、早くも算数で打ち砕かれてしまう。
 それを防ぐには、問題を絞り、少人数のグループ学習で複数の教員と一緒に学びあいながら、子どもたちの言葉を引き出していける安心感のある授業が必要だ。
 ★ ★ ★

 前半部分は、その通りであろう。
 ところが、後半部分は、まったく違う。
 
 こんなことをやっても、低学力児を救っていくことはできない。
 今だって、少人数学習をやっているところは、数多いのである。
 それでも、ほとんど成果を上げていない。

今でも、学校は、低学力児はそのまま放置されて、算数嫌いをつくっている。
 それが、来年の新しい学習指導要領では、その低学力児がさらに増えていく恐れがある。かなりの算数嫌いをつくっていく。
 
 どうするのか。
 待ったなしの手立てが求められる。

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中堅の先生たちが、危うくなっている!?

 40歳の先生の話を聞いた。
 その先生は、今年度研究主任の仕事を引き受けることになった。
 ところが、なかなか研究の中身や、研究の方向を出せない。
 
 それだけではない。
 その先生は、高学年を受け持っているが、うまくいっていない。
 荒れてしまっている。
 すべてがうまくいかないで、すったもんだを繰り返している。
 こんな状況である。

 40歳というのは、学校ではもう中心メンバーで、学校の中核を担っていることになっている。
 
 自分では若い、若いと思ってきたけれども、いつのまにか気づいたら、学校の中では、上の方になっている。
 
 でも、その先生たちが、中核を担えない。

 学校は、一気に若返りを図っている。
 20代の先生たちがどんどん採用されてくる。
 今までは、50代の先生が何人もいたが、それが一気に退職されていく。 今、地方でそんな現象が起こっているという。
 ★
 30代、40代の先生たちが、学校の中心になっている。
 何が起こっているのか。
学校全体が、荒れていっている。

 クラスがざわざわして落ち着かない。
 ときどき、先生のどなり声が聞こえてくる。

 授業だけは、何とか成立していくが、とにかく教室が落ち着かない。
 こんな状況が、あちこちの教室に波及していく。

 10年前に、私が「これから学級崩壊というより、学級崩壊予備軍のクラスがどんどん増えていくことになる」と予想していたが、それが現実になっている。

 学級崩壊予備軍というのは、授業は何とか成立していくが、クラスにまとまりがなく、いつもトラブルばかりで、それで1年間が過ぎていくクラスである。

 その40歳の先生に戻ろう。
 その先生は、大変真面目な先生である。
 学級通信も、大変マメに発行したりして、がんばってきたのである。

 ところが、肝心の学級経営となると、うまくいかない。
 
 ここからは私の予測である。
 学校現場は、今初任者だけは特別扱いをするが、2年目からはもう普通の先生としての扱いをする。
 パソコンが得意と分かれば、学校の仕事がどんどん振り当てられていく。
 
 とにかく、その学校の仕事を毎日真面目にこなしていく。
 こんなことを何年も続けていくと、いつのまにか、自分は教師としての力量がつき、教師として何者かになったような感覚になる。

 そして、更に主幹教諭、研究主任、教務主任というような肩書きがつくと、ますます自分は何者であるのだという自信を深めていく。

 学級のこと、授業のことは、いい加減で済ましている。
 いつも学校の仕事が終わって、最後にちょっと授業準備をするだけ。
 その準備をしないで、そのまま教室へ行き、そのまま授業をするということもしばしば。
 そんなことにも慣れてしまっている。

 学級はそれなりに何とかなっている。
 そのつもりでいる。

 自己流だが、何とか成立させてきている。
 ところが、学級経営も授業も、自分の感覚の中では、すでに雑務のようになっている。

 こんなことをしてきて、40歳を過ぎるのである。
 ★
 こんな先生たちを、数多く見てきた。
 学校の仕事を数多く、真面目にこなしてきたのである。
 学校の中心で仕事をしてきて、学校に貢献してきたのである。

 ただ、1つだけ、肝心の学級経営や授業については手を抜いてきた。
 意図的ではなく、学校の仕事に追われて、自然とそうなってしまったのである。

 でも、いつまでもそんなことは続かない。
 ある異動の年に、その学校で一番大変な学年を、学年主任としてもたされる。

 今までの学校の調子でやっていこうとする。
 でも、まったく反応が違う。

 呆然となる。今までの自分のやり方が通じない。
 授業も、まったく乗ってこない。
 6月頃には、どうにも学級が荒れてしまって、授業も成立しないようになる。
 精神的に参ってしまい、病院に行くと、鬱病と診断される。
 休職を余儀なくされる。
 ★
 こんな状況が、各地の学校で起こっている。
 私は、こんな先生に同情的である。
 決して、さぼってきたわけではなく、頑張ってきたのである。

 ただ、その頑張り方が、的を外していたわけである。

 このブログで、教師の力量を向上させる「守破離」の方法を明らかにしてきた。

 教師になって、3年ぐらいで「基礎・基本」を身に付けなくてはならない。
 これが、「守」の段階。
 マネして、マネして、身に付けていくときである。
 この基礎・基本が身に付いていなければ、次の「破」も「離」もありえない。
 力量が伸びないのは、ここに原因がある。

 次に、「破」の段階。
 今まで身に付けた「基礎・基本」をもとに、さまざまな実践を知る時期である。時間をつくって、さまざまなセミナーや研究会、研修会などに足を運んで、今までの「基礎・基本」とは違う実践を取り込んでいくことである。
 
 ここまで10年ぐらいはかかる。
 私は、「モノマネ」の時代と言っている。

 それから「離」の段階がくる。
 「守」や「破」で身に付けたことを、自分の中に取り込み、取捨選択して、
自分にしかできない「教師像」をつくりあげていく。
 「自分づくり」の時代である。
 ★
 しかし、現実には、「守」の段階から自己流で通して、もはや「離」の段階を呼び込もうとする。

 それでも、若い頃は若さに任せて、それなりに何とかなる。
 だが、それは続かない。
 必ず、上にあげたような先生になってしまう。

 最初から自己流で、ずっと自己流である。「離、離、離」のおじさん、おばさんになる。
 きちんとした段階を踏んで、成長していないので、どこかでしっぺ返しにあう。

 ただ、教育界は、「基礎・基本」である本が少ないのである。
 そのために、私は、『教師1年目の教科書』(学陽書房)を書いた。
 ぜひ、参考にしてもらいたい。
 
 中堅やベテランになって、「守」も「破」も身に付けてきていない先生は、もはや絶望的かと言うと、そんなことはない。

 今からやり直すのである。
 今まで身に付けてきた自己流のやり方を、とりあえず捨てて、学び直すのである。遅いことはない。

 参考になる本はある。

 『授業の腕をあげる法則』(向山洋一著 明治図書)
 『学級経営10の原理・100の原則』(堀裕嗣著 学事出版)
 『一斉授業10の原理・100の原則』(堀裕嗣著 学事出版)
 

  
  

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つれづれなるままに~郷里へ帰ってきました~

●8月12日から16日まで、郷里の佐賀へ帰っていた。
 母が健在である。98歳。今年は元気で、盛んに話しかけてきた。

 施設に入っていて、恵まれた環境の中で過ごしていた。ありがたいことである。
 今年の佐賀も、暑かった。日中は、37、38℃。
 
 私の場合、老後は、郷里の佐賀で過ごそうという選択肢もあったが、何よりも夏の暑さだけは耐えられない。もうこの暑さは、20年前から続いている。

 それに比べれば、横浜の暑さは、たいしたことはない。
 私が、こちらへ来た49年前は、夏の時期、4,5回扇風機を使えばよいぐらいであった。

 ところが、ところが、昨年の夏からはクーラーがなければ夜寝られない。今年もそうだった。
 暑さに弱いので、この時期を過ごすのは大変である。

 早く秋の到来を待っている。

●瀧本哲史さんが亡くなった。
 投資家で、実業家。京都大学の客員教授をされていて、学生達には人気講座であったと聞いている。

 47歳。
 あまりにも若いので、言葉がない。

 京都明日の教室で、瀧本さんの講演を聞いた。
 早口での講演だったが、その存在感はすごいものがあった。
 『僕は君たちに武器を配りたい』という本で、刺激的な登場をされたが、太く、短く、ばさっと生きられたのだ、と。合掌。

●7月に行った神奈川県大和市の初任者研修の感想が送られてきた。
 これらの感想を読んでいると、「ああっ、やっと初任の先生たちの教室のでの悩みや苦しみに届いているんだな」という感慨を深める。

 20年以上、初任者指導の仕事をしてきて、初任者がどこでつまずき、どこで失敗し、何に困ってしまうのか、…理解できるようになっている。

 「野中先生にこれまでの自分のクラスを見られているようでした」「まさに今の自分でした」という感想が多くあるのである。

 ところが、ところが、現在の初任者指導は、私が辿り着いたところとは、まったく違うところでなされている。

 初任者は、まずどこで戸惑うのか、何に困るのか、子供との関係づくりをどうしたらいいのか、教師と過ごしていくというのは、どうすることか、などなど教えなければいけないことがある。
 大学は、こういう基礎・基本さえも教えていない。

 初任者指導の方法論をもたないで、安易な授業指導ばかりで初任者を追い込んでいっている。
この現実は深刻である。

 だから、クラスが荒れてくると、その具体的な手立てを差し伸べることがほとんどできない。
 相変わらず、「つまんない授業をしているからだ!」「もっと教材研究をしなさい!」としか指導できないわけである。

 数多くの初任者が、1年間で辞めていく。ほとんどが学級崩壊なのである。
 それを起こさせない指導を、どうすればいいのか。
 待ったなしの現実がある。

●親しい知り合いの先生から重要な情報をもらった。
 昨年からY大学の野球部の事務局に関わっておられるらしい。
 学生たちと多く話す機会があるということ。

 それによると教育系の学生の半分以上が6月には企業内定を受けている。
 教員志望は、ほんの数名。

 まさに、企業が、教員志望の学生に取り入って、青田買いをしている実態が明らかである。

 このことで文科省が、大変な危機感を持っていると聞いている。
 深刻な事態ではないか。
 
  

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アンケートに感動する!

 先生たちのアンケートを送ってもらった。
 北海道の2つの学校で授業をし、講演をしたときのアンケートである。
 2つの学校とも、周辺の学校の先生たちが集まってこられていて、その中には中学校の先生たちも数多くおられた。

 アンケートは、だいたいに悪く書かないものである。
「授業は子どもたちが大変活発に活動していて、楽しく拝見しました。
 そのあとの講演でも、とても参考になる話を聞き、これからの授業に生かしていきたいです。」
 このような感想になる。
 
 この感想は、子供たちに何かの感想を求めると、「おもしろかった!楽しかった!」と言うのと同じである。
 要するに求められたから、何か書かなくてはならないので、とりあえず何か書いたことにしようとしたわけである。

 たいして心を動かすことはなかったのである。
 
 普通、アンケートが送られてきたら、さっと読み飛ばしていくことが多いのだが、今回のアンケートはちがった。

 内容が極めて具体的である。
 そして、私が授業に込めたテーマを、うまく受け止めておられる。
 これには感激した。
 ★  
授業に込めたテーマは、以下の2つ。

 ①授業のスタンスを整える。
  全員参加、スピード・テンポ、フォロー(ほめたり、認めたりする)で
  授業を展開すること。
 
 ②授業を「小刻み活動法」でつくる。
  インプットとアウトプットを小刻みに繰り返していくこと。

 「日常授業」に、この2つを入れていく。
 そうすれば、子供たちが授業に集中する。
 
 日頃のスカスカになっている「日常授業」を克服することができるという提案である。
 ★
 アンケートには、次のようなことが書かれていた。

 「教具も特になく、児童が指導したものも鉛筆とノートのみ。それでも子どもたちの目がきらきら楽しそうで意欲にあふれた授業でした。とても刺激になり、少しでも自分の授業に生かせそうなポイントを探していました。インプットとアウトプットの比率も、どうしてもインプットが多くなりがちで、このような講演会や研修会に臨むことで学び続け、磨き続けたいと改めて感じました。~小・教諭~」 

「声の抑揚、思考、相談・発表のテンポなど今までに見たことがないような授業でした。1つ1つのフォロー(ほめる)がていねいで、大げさなくらいにしていて、見ているだけで楽しそうになるような授業で、まねしたいことの1つでした。~小・教諭~」

「1時間の中で、子どもの動きをしっかりと見ていて、小さなことでもほめてあげる。その結果、だんだんと意欲も高まり、目が輝いてくるのがはっきりとわかりました。授業では一部を隠すことで子どもが自然と考えるようになり、先生が工夫がたくさんありました。
 講演では、自分が今まで研究してきたことが正しいのだと確信しました。とにかく、日常授業に本気で取り組む、愛をもって子どもと接することで、子どもも、教員も、「学校が楽しくなる」と気づきました。~中・教諭~」

 何か、大変な「ごちそう授業」が展開されたような感想である(笑)。
 でも、内実は違う。
 
 この授業は、黒板に詩を書いて、それを子供たちが写していくことを基本にしたシンプルなもの。
教具はとくになく、鉛筆とノートの授業。
 
 しかし、①と②のテーマを入れれば、子供たちは集中するということがはっきり分かる。
 参観された先生方も、そのように受け止めておられる。
 ★
 前回も告知したのであるが、この日にどんな授業をしたのかまとめた文書がある。必要な方はブログのコメントに申し込んでいただきたい。
 メールで送ります。

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