初任者指導教員研修へ行きました!
先週は二度初任者指導の先生たちの研修へ行った。
千葉柏市、神奈川横須賀市である。
最近、方々から指導教員と初任者のトラブルが聞こえてくる。
うまく行っていない。
指導教員がいるために、かえって初任者がうまくいかなくなるという事例である。
これには、まいってしまう。
指導教員が、初任者を育てるよりも、潰してしまっているのである。
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問題の基因となっているのは、指導教員に初任者をどのように育てていくかという方針がないためである。
ただ、参観する授業の問題点を数多く指摘するだけで過ごしている。
うまくいくはずはない。
初任者は、授業は下手である。当たり前のこと。
だから、誰にでも、その問題点は簡単に指摘できる。
しかし、指摘された初任者は、すぐに問題点を克服できない。
これも当たり前のこと。
ここが分かっていない。
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さまざまな失敗例を見聞きする。
1つは、初任者の授業を見ていて、周りの子供たちに「みんな分かるか?」と話して、時に「そこはダメだ!替わりなさい!」とやってしまう。
そのことで初任者の担任としての威厳はがた落ちになってしまうのである。
こういうことをやってしまう。
2つ目は、やたらと指導案を書かせることである。
指導教員は、授業さえきちんとやらせればクラスはうまくいくという考え方のもとにやたらと指導案を書かせる。
初任者は、書けと言われたら断るわけにはいかない。
このことで初任者3人のクラスを学級崩壊に陥らせたという事例を知っている。
クラスが始まった時期に、その日の授業の指導案(略案)を授業の分だけ書かせるという愚挙は、考えただけでも恐ろしいことである。
初任者は、指導書を見ながら、1枚の略案を書くのに、恐らく1時間以上をかけるであろう。それが次の日の授業の分だけ書かねばならない。
これは恐ろしい。
他のクラスの準備がほとんどできないで、指導案づくりだけに追われる。
その結果が1学期の間の学級崩壊である。
その後、初任者の2人は、休職を繰り返して、辞めていったのではないかと予測される。
2人の人生を狂わしてしまったのである。
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授業の指導をしておけば、それでいいという考え方がほとんどである。
昔ながらの方法である。
私も初任者指導で、1、2年目はほとんどを授業の指導だけ行って失敗した経験がある。
初任者指導は、一日そのクラスにいて、授業を見て過ごすということになるので、どうしても授業の指導になりがちである。
これではダメだと思って、3年目は、最初「学級づくり」を優先して、それから授業の指導をするという経緯をとった。
これがうまくいったのである。
初任者は、2人ともみごとなクラスをつくりあげたのである。
その時の記録を、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(明治図書)として本にしている。
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初任者が何とか1年目を切り抜けていける。
それを側面的に支援をする。
励まして、励まして、1年目をとにかく終えていく。
2年目は、見通しができていくのであるから。
それが初任者指導の役割である。
何かしゃかりきになって、「教えてやる」と高ぶった気持ちになると、必ず指導を誤る。
順調に初任者が育っていってくれることを願うばかりである。
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