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2019年7月

初任者指導教員研修へ行きました!

 先週は二度初任者指導の先生たちの研修へ行った。
 千葉柏市、神奈川横須賀市である。

 最近、方々から指導教員と初任者のトラブルが聞こえてくる。
 うまく行っていない。

 指導教員がいるために、かえって初任者がうまくいかなくなるという事例である。
 これには、まいってしまう。
指導教員が、初任者を育てるよりも、潰してしまっているのである。
 ★
 問題の基因となっているのは、指導教員に初任者をどのように育てていくかという方針がないためである。

 ただ、参観する授業の問題点を数多く指摘するだけで過ごしている。
うまくいくはずはない。

 初任者は、授業は下手である。当たり前のこと。
 だから、誰にでも、その問題点は簡単に指摘できる。

 しかし、指摘された初任者は、すぐに問題点を克服できない。
 これも当たり前のこと。

 ここが分かっていない。
 ★
 さまざまな失敗例を見聞きする。

 1つは、初任者の授業を見ていて、周りの子供たちに「みんな分かるか?」と話して、時に「そこはダメだ!替わりなさい!」とやってしまう。
 そのことで初任者の担任としての威厳はがた落ちになってしまうのである。

 こういうことをやってしまう。

 2つ目は、やたらと指導案を書かせることである。
 指導教員は、授業さえきちんとやらせればクラスはうまくいくという考え方のもとにやたらと指導案を書かせる。
 初任者は、書けと言われたら断るわけにはいかない。

 このことで初任者3人のクラスを学級崩壊に陥らせたという事例を知っている。
 クラスが始まった時期に、その日の授業の指導案(略案)を授業の分だけ書かせるという愚挙は、考えただけでも恐ろしいことである。

 初任者は、指導書を見ながら、1枚の略案を書くのに、恐らく1時間以上をかけるであろう。それが次の日の授業の分だけ書かねばならない。
 これは恐ろしい。
 他のクラスの準備がほとんどできないで、指導案づくりだけに追われる。
 その結果が1学期の間の学級崩壊である。

 その後、初任者の2人は、休職を繰り返して、辞めていったのではないかと予測される。
 2人の人生を狂わしてしまったのである。
 ★
 授業の指導をしておけば、それでいいという考え方がほとんどである。
 昔ながらの方法である。

 私も初任者指導で、1、2年目はほとんどを授業の指導だけ行って失敗した経験がある。
 初任者指導は、一日そのクラスにいて、授業を見て過ごすということになるので、どうしても授業の指導になりがちである。
 
 これではダメだと思って、3年目は、最初「学級づくり」を優先して、それから授業の指導をするという経緯をとった。
 これがうまくいったのである。
 初任者は、2人ともみごとなクラスをつくりあげたのである。 
 その時の記録を、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(明治図書)として本にしている。

 初任者が何とか1年目を切り抜けていける。
 それを側面的に支援をする。
励まして、励まして、1年目をとにかく終えていく。
2年目は、見通しができていくのであるから。
 
 それが初任者指導の役割である。
 何かしゃかりきになって、「教えてやる」と高ぶった気持ちになると、必ず指導を誤る。

 順調に初任者が育っていってくれることを願うばかりである。

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クラスが荒れてくると、必ずスピード感がなくなる!

 「6月から学級が荒れて困っています。」
 「すでに初任の先生が鬱病になり、休職を取りました。」
 …………
 このような話を各地で聞いた。
 現場は、大変である。
 ★
 クラスが荒れてくると、必ず起こってくることがある。

 そのクラスに、「スピード感」がなくなること。

 だらだら、もたもたし始める。

 これは、荒れているクラスに共通した特徴である。
 ★
 初任者の先生の場合、周りの先生たちが、入れ替わり立ち替わり、そのクラスに入り、さまざまな助言をする。

 うなずくことばかり。

 でも、あまりにも数多くの助言で、かえって初任者は混乱する。
 何を、どのようにしたらいいのか、混乱してしまうのである。
 ★
 とりあえず、しなくてはならないことは、何だと思われるだろうか。

 「あなたの授業がつまんないから、子供たちが荒れるんです。もっと授業を楽しくしなきゃあ。教材研究をするんです!」

指導する先生たちは、このような助言をする。

 クラスが荒れるのは、「授業が楽しいか、おもしろいか」ですべて決まると思っているのである。
 指導する先生たちだって、つまんない授業をしていたはずである。
 そのはずなのに、こういう指導になる。
 
 初任者も、そのように判断する。
 それしか、判断する尺度はないから。
 今まで大学でそのように教えられてきている。
 
 初任者は、そのように指導されて必死に教材研究をしようとする。
毎日残って、9時、10時まで。
 
 と言っても、指導書を丹念に読んだり、ネットで調べたり、指導案をつくったり、…そんなことをする。
 それしか、教材研究の方法を知らないのである。

でも、クラスはよくならない。
 へとへとになって、「自分は教師に向いていないんだ」と考えるようになる。
 ★
 「授業が楽しいか、楽しくないか」がクラスを荒れさせたりしない。
  その失敗は、単に「やり方」を間違っただけである。

 学級が荒れるのは、その学級なりの原因がある。
 だが、ほとんどの原因は、以下の3つ。
 
 ①子供たちとの「関係づくり」のやり方
 ②「学級づくり」のやり方
 ③授業のテンポの無さ
 
 ほとんどが、この3つのやり方を間違ったのである。
 
 授業での問題があるとすれば、「スピード・テンポ」がなくなることからくる問題である。
 だらだらとした授業。空白のある授業。担任のおしゃべりばかりの授業。
 こんな授業をしょっちゅうやっている。
 ★
 どうしたらいいか。

 まず、クラスに「スピード感」を回復させなくてはならない。

 何をするか。
 以下のことをする。

 まず「スピードのない活動」を止める。

 ①すべての活動の「始め」と「終わり」をきちんと守る。
 ②学校で決められた日課表をきちんと守る。
 ③休み時間に食い込む授業は絶対にしない。
 ④だらだらとした「朝の会」をやめる。
 ⑤授業はすぐ始める。
 ⑥だらだらとした「終わりの会」をやめる。

 そして、「空白の時間」をつくらない活動や授業をするのである。
 
 授業は、スピード・テンポを考える。
 とんとんとんとテンポ良く進んでいく授業にすることである。  
 ★
 これらについては、『必ずクラスを立て直す教師の回復術!』(学陽書房 拙著)にくわしく書いている。参考にしてほしい。

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つれづれなるままに②~おじいちゃんとは思えないぐらい元気でした~

●7月15日から北海道の網走へ行く。
 久しぶりの女満別空港である。
 
 16日に、網走小学校で授業をし、講座を持つことになっている。 
 
 網走小へ行って、すぐに図書委員会の全校集会を見せてもらう。
これがすごかった。
 こんな集会を初めて見る。
 
 図書委員会の子供たちの提案もすぐれたものであったが、それに呼応する全校の子供たちの反応がすごかった。
 驚くばかり。こんな子供たちの姿を初めて見る。
 
 その後、各先生たちの授業を見る。
 8年前に見た先生たちの授業と比べてみれば、変化がある。
 その変化の1つは、「おしゃべり授業」がほとんどなくなっていることである。
先生たちの授業力が上がっている。

そして、5時間目、わたしの国語の授業。いつもの谷川俊太郎さんの詩の授業をする。
 この授業が、「味噌汁・ご飯」授業として最適な提案ができるからである。

 50名ほどの先生たちが参加されていて、教室はぎっしり。
だが、4年2組の子供たちは、すばらしい反応を見せる。
 最後に、子供たちが書いてくれた感想である。
 
 ★ ★ ★
 ふつうの授業じゃなくて、みんなが参加できておもしろくて楽しくできた。野中先生の話し方が上手だった。
★ ★ ★
 「みんなが参加できて…」に反応している。
 全員参加の授業をしたのである。

 ★ ★ ★
 「野中先生の進めるテンポが早くてやりやすかった。
 ★ ★ ★
 「ゆっくり丁寧な」進め方ではない。
 テンポが速いことを受け入れている。
 「スピード・テンポが必要」と提案していることを、この子供は受け入れてくれている。

 そして、こんな感想も混じっていた。

 ★ ★ ★
 とても面白くておじいちゃんとは思えないくらい元気でした。
 いっしょにじゅぎょうができて、とてもうれしかったです。
 ★ ★ ★
 授業をしている私が、この子供から介護されている気分になる(笑)。

●17日は、北見市立緑小学校へ行く。
 道教委の学校力向上に関わる実践指定校である。
 この学校には、8年前に初めて訪問し、今度で3度目の訪問になった。
 ほとんどの先生たちも、異動されていて、新しく出会う先生たちになる。

 ここでも5年生のクラスで授業をし、「日常授業」で強調することを訴える。
 こんな感想を書いている子供がいた。
★ ★ ★
 とても楽しかったです。すごく分かりやすかったです。かんしゃしかないです。ありがとうございました。
 ★ ★ ★
 
 夜の懇親会では、この学校の研究部の3人の先生たちも出席されていて、これからの方向を熱く語る。
 がんばってほしいと願うばかりである。

●18日は、北見市立美山小学校へ行く。
 この学校にも二度目の訪問である。
 この学校も、学校力向上の実践指定校である。

授業を見せてもらいながら、すぐれた授業者が何人もおられることが分かる。
 また、若手の先生たちが元気である。
これからの、この学校の可能性を感じる。

 この学校でも、4年生のクラスで授業をし、講座をもつ。
 ここでも、こんな感想を書いている子供がいた。

 ★ ★ ★
 とてもなぞときみたいで楽しかったし、詩はこういうものだとわかりました。そうぞうするのも楽しかったです。またやりたいです。
 ★ ★ ★

 また、こんな注目する感想も入っていた。

 ★ ★ ★
 (わるぐちではありません)
 ・なんかうるさくなった。(いつもの5ばいぐらい)
 ・しずかにべんきょうしたい。
・書くのが速い。
 ・きりかえがすごい。はやい。
 ・○○にようしゃない。
 ・みんなだいばくしょうしていた。
 ・字が大きい。
 ★ ★ ★
 私の授業は、確かに笑いに包まれて、にぎやかになった。
 この子は、静かに勉強をしたいのである。
 もちろん、こんな子もいる。
 「わるぐちではありません」と断っているところなどは、私への配慮をしている。

 「○○にようしゃない」というのはわかりにくいであろう。
 実際には、○○には名前が書いてある。
 教室へ行き、「そうだろう、○○君」と言うと、「どうしてぼくの名前を知っているの?」「顔に書いてあるよ!」と言うと、盛んに顔をふく仕草をする。

 事前に先生から、やんちゃな○○君について教えてもらっていたのである。
 その○○君にたいして、「机の上の服をしまいなさい」と厳しく指摘したりしたのを「ようしゃない」と書いたのであろう。

 その○○君、授業が終わって帰っていると、追いかけてきて、「どうして僕のことを知っていたの?」とまとわりついてきた。
 授業には、とても集中して乗りまくったのである。
 なんともかわいい子供であった。
 
●女満別空港を19:00に出て、羽田へ20:50に着く。
 関東は相変わらず梅雨空で、雨模様。
さて、明日から7月の第4週になる。
 今週は、初任者指導の先生たちへの講座が2つ。

※講座で配付した「毎日の『日常授業』をどのように改善していくか?」という文書(最後に、詩の授業の詳しい展開案をつけている)16ページ がほしい方は、コメント欄に連絡してほしい(非公開)。パソコンの容量を確認してお願いします。

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つれづれなるままに①~提案は、授業で行う~

●7月9日の神奈川県大和市での初任者研修を皮切りに、忙しい日々を送っている。
 7月に多くの講座が詰まってしまった。

 大和市の初任者研修は、3回目。
 この時期、3学期制の学校は、通信票の時期にもなる。

 まだ、通信票を書いていると言う初任の先生たちが数多くいた。
 「これは困った!」。

 彼らは初めて通信票を書いている。
 多分、満足に睡眠もとっていないであろう。
 初任者研修どころではないのではないか。

 それでも何とか90分の講座を終える。
 初任者も、がんばって聞いてくれたのである。

 すぐに夏休みが始まる。
 ほっと一息つけるはずである。
 2学期からの健闘を祈る思いである。

●7月12,13日と宮城県の仙台へ行く。
 仙台市立南中山小学校校長の千葉校長から呼ばれたのである。

 そこで、5年生に授業をし、そして先生たちに「なぜ、こんな授業をするのか」の話をする。
 テーマは、「日常授業」の改善についてになる。

 「味噌汁・ご飯」授業を提案してから、授業についての提案は、基本的に授業をすることにしている。

 もう口舌での提案は、現場の先生たちには入らない。
 どんなにすぐれた提案でも、もう口舌だけではだめだ。
 「このテーマを提案しています。それを授業で示してみます。うまく行くかどうかは結果ですが、『味噌汁・ご飯』授業は、70点でいいですので、それを提案して、何をテーマにしているか考えてほしい。」
という提案になる。

 「ごちそう授業」を提案するのではない。
 現役時代は凡庸な授業者だった私が、そんなことはできない(決して謙遜して言っているわけではない<笑>)。
 ★
 時代は大きく転換している。
 そのことをうまく言葉化することはできないが、もう民間のセミナーや講座では人が集まらなくなっている。
集まるのは、一部の熱心な先生たちだけ。

 多くの教師たちは、ぼろぼろに疲弊し、目の前のことだけを求めるだけ。
 自宅と学校を往復し、それだけで精一杯。
 仕事は、担任している学級を成立させるだけで精一杯。
 それ以上にセミナーなどに出かけ、勉強しようという気持ちは起きない。 だから、本も読まないし、読めない。

 このような先生たちが、現在日本の教師たちの多数派を占めている。
 リアルな現実である。

 このような先生たちに訴えることができることは、毎日の授業をどうするかである。
 しかも、「こんな授業です!」と提案する。
 ここでならば、揺り動かすことができる。

 私の親しい知り合いのO先生は、指導主事(教育次長)である。
 授業をして、現場を回っている。
私と志を共有している。

 授業をすれば、多くの先生たちが集まってくる、と。
 当たり前である。
 指導主事が、授業で示していくのであるから、そこに共鳴し、学ぼうとする先生たちは、必ずいる。
 
 山口県の福山憲市先生は、毎日授業をして、学校を回っている。
 この迫力は、大変なことではないだろうか(私でも、福山先生の授業をぜひとも見てみたいと願っているのであるから)。
 ★
 13日(土)午後は、南中山小学校で、「学級づくり」、「授業づくり」講座を設ける。3時間の講座。
 集まってこられた先生たちの手応えはすごいものがあった。

 終わってから、何人もの先生たちから相談を受けた。
 極めて具体的な相談である。
  (つづく)

 
 
 
 
  

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みごとな回答だった!

 相談者がいて、回答者がいる。
 たまたま覗いた回答欄だったが、みごとな回答だった。
 こんな回答を、今まで見たことがないほどのものだった。
 それを紹介しておきたい。

 朝日新聞の「be」(2019.7.6)の「悩みのるつぼ」に載っていたものである。

 相談者は、女性40代。回答は、評論家の岡田斗司夫さん。
 「少年野球の監督の指導がパワハラ」という相談

 ★ ★ ★
 40代の母親です。子どもの野球に悩まされています。
 小学校区には2つ野球チームがあり、うちの子は強い方に所属しています。本人の強い希望で入団しました。
 監督は、勝つことのみに重きを置き、罵声、パワハラがひどいです。お気に入りの子、試合で活躍した子以外には目もくれず、子どもたちはチームを勝たせるための駒のよう。週に5~6日、炎天下でも長時間の練習があります。
 指導されている内容も親もよく見聞きするよう言われ、練習を毎回見に行くのが当たり前になっています。私は仕事もあって、それをしないので、親子ともにハブられています。中には問題を感じている保護者もいますが、監督は王様状態で、子どもに返ってくるので誰も何も言えない状態です。
 うちの子は、野球や友だちが好きなので絶対にやめたくないし、他のチームに移るのも嫌だと言います。ですが、野球ばかりに時間と体力が取られ、子どもの他の可能性も潰されるのが気がかりです。家族との時間もありません。また、チームの人間関係を見ていると、私自身が厭世的になって、このチームの野球をやっているうちの子どもまで嫌になることがあります。
 子どものために自己犠牲を払えない自分がダメなのかと責めたりもします。どう乗り越えていけば良いのでしょうか?
 ★ ★ ★

 きわめて真っ当な相談である。
 この種の悩みは、よく聞いたことがある。

 回答者の岡田さんは、次のように回答する。

 ★ ★ ★
 最初にお断りしますが、私はスポーツ嫌いです。野球もサッカーも見ませんし、五輪も興味ゼロ。来年の今頃は退屈していると思います。たぶんあなと同様に「体育会的な指導が苦手」です。
 でも、そんな私から見てもパワハラ的な指導には一定の効果があると思います。
 パワハラとは、人間関係や仕事関係の上下差を利用して、相手をいじめることのようです。その意味で少年野球監督のやっていることは「パワハラ的」に見えるかも知れません。しかし息子が自分で選んだチームで、いまも「やめたくない」と言っているのなら、その監督の指導はパワハラそのもの、つまり「いじめが目的」ではないようです。
 「強いチーム」には、だいたいパワハラっぽい指導者がいます。いっけんお気に入りやエコヒイキに見えるのも、すべて「試合に勝つ」ための実力主義という場合もあります。
 最近の教育現場では「競争」よりも「仲良し」が強調されるそうです。チームスポーツのような実力主義は、その意味でタテマエの多い学校よりも早い段階で「大人の社会」を息子に体験させているのでしょう。
 と、ここまで書きましたが、「親も参加を強制」は別問題です。それは子供の弱みにつけ込んで、家庭まで操ろうとする、まさにパワハラだからです。あなたが、自分の好みを超えて、そこまで付き合う必要はありません。
 もし息子が「ママが来てくれないとレギュラーに選んでもらえない」と泣きついてきたら、こう返してください。
「それはあなたの実力が足りないから。同じ実力ならゴマすり親のいる子を優先するかもしれない。でもあなたの実力が抜きんでていれば、本当に勝ちたい監督ならば絶対にあなたを選ぶはず。親のチカラではなく、自分の実力で勝負しなさい」
 たぶん、同世代の子供の大部分は「実力主義」という恐ろしい荒波を経験せずに、いずれ社会に参加します。それに比べてスポーツを真剣にやる子供たちは、いやがおうでも早めに「大人の社会」を経験せざるを得ません。ひょっとしたら息子はこの後、うちひしがれて帰ってくるかも知れない。その時まで、あなたは「息子の趣味・生きがいに無関心なダメ母」を演じてみてはいかかがでしょうか?
 長いスパンで見れば、そういう無関心な態度のほうが「今は野球にすべてを賭けたい息子」のタメになる気がします。
 ★ ★ ★

 この回答に賛否はある。
 しかし、このような冷静な判断はなかなかできないであろう。
おそらく、この保護者も、こういう判断があったのかと違う目をもたらされたことであろう。
 

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今、日本全国で起こっていること

 私のところへさまざまな相談が寄せられる。
 この6,7月に数多くなる。

 ブログでコメントされた童神先生のクラスも大変である。
 また、ブログにコメントされた先生の学校でも、学級指導が一番うまい先生のクラスでも学級崩壊が起こっているということ。

 多分、日本全国のあらゆる学校の、いくつかのクラスが、こんな事態になっている恐れがある。

 一体、何が起こっているのか?

 私が見聞きしている事態は、クラスにいる発達障害、愛着障害の子供たち関係の事態である。
 
 崩壊していくパターンは、いつも決まっている。
 だいたい次のようなカタチをとる。

 ①最初、2,3人のやんちゃな子供が目立っている。
  この中に、発達障害児、愛着障害児がいる。
 
 ②そのやんちゃな子供たちが、だんだんルール破りや、もめごとを多く起こしていく。

 ③担任は、今までは優しく接していたが、だんだんしょっちゅう叱っている状態になる。

④2,3人のやんちゃは、反発する。
  「うるせ~」「死ね」「消えろ~」などと暴言を吐く。
  担任と険悪な関係になる。

 ⑤2,3人の子供たちと行動を共にする子供が出てきて、6月頃には7,8人になる。

⑥クラスが毎日騒がしくなり、あちこちでもめ事が頻発する。その収拾に追われる。
  保護者からも毎日苦情の電話が入る。

⑦もはや、授業がまともに行えなくなる。

 ★
 その原因は、はっきりしている。

 ア 「生徒できない」子供たちにクラスをかき乱される。
   ほとんどが発達障害、愛着障害の子供たちによる。

 イ 「生徒」しない子供たちにクラスを崩壊させられる。

 「生徒」できない、しないというのは、学習の姿勢を取れないことを言う。
 
 アの原因がほとんどである。
 童神先生のクラスも、アである。

 イの原因は、高学年に多い。
 担任が、自分に合わないと判断すれば、クラスを壊しにかかる。
 また、これには担任にも原因がある場合がある。
 あまりにも強権的に振る舞うことによって、子供たちの反発を招いている。
 
 ★
 もう担任の先生だけでは、限界がある。
 周りの子供たちの授業の邪魔をしている「生徒できない」子供たちの相手をしながら、他の子供たち向けに授業をするという二段構えが、どれほどの大変さがあるか、もうはっきりしている。

 管理職が、きちんと対応すべきである。
 
 ①空きの教師を教室にはりつかせて、その子供の相手をさせる必要がある。  あまりにもひどいと教室から引きはなさなくてはならない。
 ②保護者に伝え、授業の邪魔をする場合は、教室から引き離すことをきち  んと話し、これからの対応を話し合う。

 だが、こうしたことをきちんとできる心ある管理職ばかりではない。
 担任の先生たちの孤軍奮闘になっている。
 ★
 こういう事態に対して、今までの私の提案は、次のことになる。

  ①まず「学級づくり」を優先すべきである。最初に取り組むことは、
   学級づくりである。

  ②「学級づくり」は、1ヶ月が勝負になる。
   そのために、「「3・7・30の法則」で学級をつくっていく。

  ③1週間で学級の仕組みをつくり、早く子供たちが自分たちで学級
   を動かしていけるようにする。
  
④授業は、いかに「日常授業」の質を上げていくかの視点で取り
   組んでいく。

 ④は唐突に思えるかもしれない。
 しかし、「味噌汁・ご飯」授業の提起を知っている方は分かってもらえるはずである。

 高学年の子供の中で、「生徒しない」子供がいると指摘した。
 最近、びっくりする2,3の事例を耳にしている。

 学習塾では、とびきりに優秀な子供が、学級崩壊の中心にいるという事例である。
 
 学力上位層の子供たちが、「先生、授業がつまんないです。もう少し私たちが意欲的になるような授業をしてください!」という要求を礼儀正しく、正当に突きつけたら、どうするのだろうか。
 しかも、それを保護者が全面的にバックアップしたとしたら、それに対抗できる教師はどれくらいいるだろうか、ということになる。
 私の知り合いの教師の授業参観では、指導書を持ち込んで、それを見ながら参観をしていた保護者がいたということを聞いている。
 
 そういう現実が、少しずつ起こってきている。
 
 リアルな現実では、これが最も困難な事態になる。
 今、多くの先生たちが、授業準備ができないために、スカスカの授業をしている。
 それしかできないのである。

 だが、これらの事態を続けることはできない。
 このことは、深く認識すべきこと。
 これから、教師として続けていけるかどうかの問題として認識すべきである。 

この意味で、「日常授業」の質を上げていくという提案をしている。
 
 「働き方改革」のメインは、このテーマであることは明らかである。
 これから会議や研究会を少なくし、行事も精選していくという方向が出てくるし、現在でも取り組んでいるはずである。
 もちろん、必要なことである。

 だが、働き方改革は、それで済んでしまうことではない。
 大切なことは、学校を成り立たせている本務(「日常授業」)の質をどれだけ豊かにできるかどうかにかかっている。
 
 これから、これが問われてくる。

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パワーポイントを使うことの問題点

 今でも講演に呼んでもらえる。
 そのときに提案するのは、パワーポイントになる。

 ふとしたことで教えてもらって、見よう見まねで習い覚えたものである。 今では、ほとんどの人がパワポでの提案である。

 パワポを使い出して、強くこれは便利だなと思ったことがある(だが、この便利さには、落とし穴があるのだが)。
 
事前に訴えたいことをファイルに書いておくことができる。
 話だけで講演をしていたときには、何を話すかを何度も確認をしなければならなかった。
 だが、このパワポは、事前に話したいことを書いておかれる。
 忘れることがない。
だから、何でもかんでも詰め込んで書いておく。
そして、それを読み上げていくことが講演になる。

 どこででも行われているパワポの講演は、だいたいこうなっている。
 ファイルの効果などは工夫されているが、とにかくいろんなものを詰め込む。

 私は、最初から、その詰め込むということだけは止めていた。
 しかし、次のことはやっていて、他の人から注意されたことがある。

  箇条書きに読み上げていく箇条書きスタイル。

 これをやっていくと、次のような問題点が出てくる。

 ①ずばり結論が書かれていないので、何を言いたいのか分からない。
  前置きや背景説明などと言いたいことがごちゃごちゃになる。
 ②必然的に文字が小さくなる。
 ③プレゼンターが言っていることと、聞いている人の見ているところが
  一致しなくなる。
 ★
 パワポの使い方のスタンスを間違っていたことになる。
 
 第1の間違いは、プレゼンテーションの主役は、ファイルだと勘違いをしていたこと。

 主役は、プレゼンターなのである。
 逆に考えていたことになる。
 
 第2の間違いは、プレゼンテーションを情報伝達の目的として考えていたところがある。
だから、情報を詰め込んだのである。

 パワポは、1項目⑴ファイルにしなければ、聞き手の集中が途切れてしまう。
 
 3つ目の問題は、ファイルを配付資料として使っていたこと。
 もちろん、ダイジェスト版にしていたのであるが、確かにすべての講演の配付資料として使っていたことになる。
配付資料としてパワポのファイルを使うと、聞く人たちがファイルに目がいって、話を聞いてもらえなくなる。
 配付資料とパワポは別々にしなければならなかったのである。
 ★
 7月は数多く講座がある。
 その準備に今は追われている。

 今回の7月からパワポの使い方を改めたい。
 と言っても、たいしたことはないのであるが(笑)……。

 今回、このパワポについて教えてもらったのは、以下の本である。
 これからパワポで提案をされる方は、ぜひとも読んでおかなくてはならない本である。

 『東大式 伝わるパワーポイントスライドの作り方』(西川 元一著 秀和システム)
  

 
 
 
  

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