つれづれなるままに~夫婦円満になる極意~
●作家の田辺聖子さんが亡くなった。91歳。
もう十分に生き抜いて、亡くなられたのだと思われる。
朝日の天声人語の中で、次のことが書かれている。
★ ★ ★
夫を見送った翌年に刊行した随想集『人生は、だましだまし』にこんな一節がある。
「夫婦円満に至る究極の言葉はただ一つ、『そやな』である。夫からでも妻からでもよい。これで按配よく回る」
★ ★ ★
私が言っている「夫婦長続きする3条件」の1つでもあるので、ちょっと印象的であった。
★
相手の言葉に「そうだね!」という一言がなかなか言えない。
反対に、否定言葉を投げかけることがよくある。
ある夫婦は、このことで何度も離婚の危機に陥る。
「今日は寒かったね!」という妻の一言に、「寒いのは当たり前だろ~。冬なんだから!」と返してしまう。
一言「そうだね!」と言えばいいものを。
●知り合いの先生から、「先日、文科省のIさんから聞いた話です」と。
Iさんというのは、今般の学習指導要領作成を中心になってまとめた人だと聞いている。
その話というのは、以下のこと。
「企業をはじめあらゆる人手不足に陥っているところが
教育学部の学生を青田買いに走っているのだと。
だから教員採用試験の倍率が下がるのだそう。
試験前に早めに内定をだすのだ、と。」
新潟や北海道が、採用率が1.2。
東京は、1.8.。……。
軒並みに、このような状態になっているのは、その原因に青田買いがあるのだ、と。
長時間労働、ブラック学校、学級崩壊、…。
暗い話題ばかりをばらまいているところへ進んでいく学生は、確かにいないだろうなと推測できる。
だが、このことは深刻な状況を招いていくのだと考えなければならない。
安閑としてはならない。
文科省は、深刻に受け止めているとIさんは語っていた、と。
当たり前である。
教師になる学生がいなくなる。現場の先生たちは、これから鬱病や病気でばたばた倒れていく。
学校から先生たちがいなくなる。不足してくるのは目に見えている。
学校の存立そのものが危うくなる事態なのである。
●佐伯泰英の時代小説を読む。
吉原裏同心抄(六)。
佐伯さんの時代小説を読み出してから、どのくらい経っただろうか。
読み繋いできたのは、『居眠り磐音』シリーズ、『酔いどれ小籐次』シリーズ、『鎌倉河岸捕物控』シリーズ、そして今回の『吉原裏同心抄』シリーズである。
佐伯さんも、76歳になられたのだろうか。
とにかく、付き合って読んでいこうと思っている。
●定年を迎え、あれほど忙しい生活をしていた人たちが、ぽっかりとした時間を迎える。
私もまた、定年後、もう11年目を迎えている。
講演の仕事はまだまだあるのだが、家にいる時間が長くなっている。
「家にいるとき、一日、何をしているんですか?」
と聞かれた。
反対に相手に、「今どうしているのですか?」と聞くと、
「私なんかずっと暇で、テレビに漬かっているか、ついついパチンコに行ったりするんですよ。」と。
あれほど忙しい生活をしていた人も、仕事がなくなると、こうなるのだと改めて思ってしまう。何か全て終わってしまっている感じである。
人生の午前中が終わって、もうとっくに人生の午後しかも夜を迎えているのに、安逸な生活をされているのだと、ちょっと残念な気持ちになる。
でも、どんな人生もあるのだから、批評することはない。
私の場合はどうだろう。
果たせなかった課題が残っている。それにケリをつけねばならぬ。
片付けねばならぬ本、書類、家具などうずたかく積もっている。
支えてくれた女房への感謝を形にする時間が必要。
もし女房が先に行ったならば、私は一人で自活せねばならぬ。その準備をきちんとしておかねば……。
やることは山ほどにある。暇な時間などない。
人生は一度限りだというのを忘れないように。
もう二度とこの時間はないのだから。
●高齢ドライバーの問題がマスコミで盛んに取り上げられている。
何とかしなければならないのは、当然のことである。
しかし、高齢ドライバーだけが事故を起こしているわけではない。
これは、マスコミが騒いでいるから、そう感じるだけである。
75歳以上の高齢ドライバーの運転免許保有比率は、6.8%。
これだけなのである。
事故も、75歳以上の事故と、25~29歳の事故と変わらない。
高齢ドライバーだけが事故を起こしているようなマスコミ報道を、そのまま信じてはいけないわけである。
だが、高齢ドライバー問題はそのままでいいというわけではないが、きちんと現実は知っておかなくてはならない。
(ちなみに、私は免許は持っていない<笑>)
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