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2019年6月

つれづれなるままに~夫婦円満になる極意~

●作家の田辺聖子さんが亡くなった。91歳。
 もう十分に生き抜いて、亡くなられたのだと思われる。

 朝日の天声人語の中で、次のことが書かれている。
 ★ ★ ★
 夫を見送った翌年に刊行した随想集『人生は、だましだまし』にこんな一節がある。
「夫婦円満に至る究極の言葉はただ一つ、『そやな』である。夫からでも妻からでもよい。これで按配よく回る」
★ ★ ★

 私が言っている「夫婦長続きする3条件」の1つでもあるので、ちょっと印象的であった。
 ★
 相手の言葉に「そうだね!」という一言がなかなか言えない。
 反対に、否定言葉を投げかけることがよくある。

 ある夫婦は、このことで何度も離婚の危機に陥る。
 
 「今日は寒かったね!」という妻の一言に、「寒いのは当たり前だろ~。冬なんだから!」と返してしまう。
 一言「そうだね!」と言えばいいものを。

●知り合いの先生から、「先日、文科省のIさんから聞いた話です」と。
 Iさんというのは、今般の学習指導要領作成を中心になってまとめた人だと聞いている。
 その話というのは、以下のこと。

「企業をはじめあらゆる人手不足に陥っているところが
 教育学部の学生を青田買いに走っているのだと。
 だから教員採用試験の倍率が下がるのだそう。
 試験前に早めに内定をだすのだ、と。」

 新潟や北海道が、採用率が1.2。
 東京は、1.8.。……。

 軒並みに、このような状態になっているのは、その原因に青田買いがあるのだ、と。

 長時間労働、ブラック学校、学級崩壊、…。
 暗い話題ばかりをばらまいているところへ進んでいく学生は、確かにいないだろうなと推測できる。
 
 だが、このことは深刻な状況を招いていくのだと考えなければならない。
 安閑としてはならない。
 文科省は、深刻に受け止めているとIさんは語っていた、と。
 
 当たり前である。
 教師になる学生がいなくなる。現場の先生たちは、これから鬱病や病気でばたばた倒れていく。
 
 学校から先生たちがいなくなる。不足してくるのは目に見えている。
 学校の存立そのものが危うくなる事態なのである。

●佐伯泰英の時代小説を読む。
 吉原裏同心抄(六)。
 
 佐伯さんの時代小説を読み出してから、どのくらい経っただろうか。
 読み繋いできたのは、『居眠り磐音』シリーズ、『酔いどれ小籐次』シリーズ、『鎌倉河岸捕物控』シリーズ、そして今回の『吉原裏同心抄』シリーズである。

 佐伯さんも、76歳になられたのだろうか。
 とにかく、付き合って読んでいこうと思っている。

●定年を迎え、あれほど忙しい生活をしていた人たちが、ぽっかりとした時間を迎える。

 私もまた、定年後、もう11年目を迎えている。
 講演の仕事はまだまだあるのだが、家にいる時間が長くなっている。

 「家にいるとき、一日、何をしているんですか?」
と聞かれた。
 
 反対に相手に、「今どうしているのですか?」と聞くと、
「私なんかずっと暇で、テレビに漬かっているか、ついついパチンコに行ったりするんですよ。」と。
 あれほど忙しい生活をしていた人も、仕事がなくなると、こうなるのだと改めて思ってしまう。何か全て終わってしまっている感じである。

 人生の午前中が終わって、もうとっくに人生の午後しかも夜を迎えているのに、安逸な生活をされているのだと、ちょっと残念な気持ちになる。 
 でも、どんな人生もあるのだから、批評することはない。
 
 私の場合はどうだろう。
 果たせなかった課題が残っている。それにケリをつけねばならぬ。
 片付けねばならぬ本、書類、家具などうずたかく積もっている。
 支えてくれた女房への感謝を形にする時間が必要。
 もし女房が先に行ったならば、私は一人で自活せねばならぬ。その準備をきちんとしておかねば……。
 やることは山ほどにある。暇な時間などない。

 人生は一度限りだというのを忘れないように。
 もう二度とこの時間はないのだから。

●高齢ドライバーの問題がマスコミで盛んに取り上げられている。
 何とかしなければならないのは、当然のことである。

 しかし、高齢ドライバーだけが事故を起こしているわけではない。
 これは、マスコミが騒いでいるから、そう感じるだけである。

 75歳以上の高齢ドライバーの運転免許保有比率は、6.8%。
 これだけなのである。

 事故も、75歳以上の事故と、25~29歳の事故と変わらない。
 高齢ドライバーだけが事故を起こしているようなマスコミ報道を、そのまま信じてはいけないわけである。
 
 だが、高齢ドライバー問題はそのままでいいというわけではないが、きちんと現実は知っておかなくてはならない。
(ちなみに、私は免許は持っていない<笑>)

 
 
 
 
 

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童神先生のコメントに付け加えて~担任は解決できない~

 童神先生のことについて、親しい校長先生から以下のような内容のメールをいただきました。

★ ★ ★
 ブログの童神先生の事例、同様なケースで苦しんでいる先生が多いです。
 大抵、担任がもたなくなり、学級崩壊です。病休にという感じです。酷いときは退職。

 私も2回、この類いの子どもを担任しました。
 
一人は、保護者と何度も話をしました。父親ともさしで。でも、医療に繋がりませんでした。
 
翌年からずっと学級は大変でした。私の後を担任した先生は、一年どうにか耐えて、転勤していきました。
 私は、授業の邪魔をするし、友だちに手を出したり勝手なことをするので、引っ張り出していました。
 ただ、その子との関係性を作ってからでないと強制的なことはできません。
 難しいですね。

 校長の立場で言わせてもらえば、こういう事例は、担任には解決できません。
 小学校は、校長がリーダーシップをとって、保護者対応をし、他の子どもの学習を第一に進められる環境を作る必要があります。

 ただし、多分そういう保護者は一筋縄ではいかないですから、専門の先生、教育委員会、福祉関係の機関、地域の民生委員、学校運営協議員他あらゆるところと連携して対応しかないです。

 以前つかえたN校長は、他の子に手を出したり邪魔をするなら教室から出すこと、けがをさせたら警察を呼ぶこと、を保護者に伝えるというスタンスで望まれました。
 勿論、そうならないためにも子どものことを考え医療にかかるように、専門機関にかかるように、保護者に話をされていました。

 全校体制で校長を中心に児童のアセスと同時に保護者のアセスをし、早急に対応が必要ですね。
 ただ、ケースによっては難しいというのが正直なところです。

 問題は、保護者です。
 そこが大きな壁になるのです。この手の事例が、教育現場の大きな課題です。深刻な課題です。これを解決しないと学級経営も学校経営も何もできません。

 アメリカのようにゼロトレランス?のような仕組みを導入すべきだと思います。
 多分、学校、校長でもどうにもならないケースがあると思います。
★ ★ ★

 かなり厳しい内容が書かれています。
 今のところ、ゼロ・トレランス的な対応を教育委員会が行っているところは、大阪市だと聞いています。
 実状は分かりません。

 とにかく、このままでいいわけはないのです。
 具体的に動いていく以外にありません。

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今日一日の区切りで生きよう!

 ブログには、さまざまな相談が寄せられる。
 もちろん、ほとんどは公開はしない。

 相談をされる方は、ほとんどが子供たちとの関係や、他の先生たちとの人間関係の悩みである。

その相談に、時として「この本を読んでほしい!」と薦める本がある。

 私の生涯の書物として、常に傍らに置いている本である。

 『道は開ける』『人を動かす』(創元社 カーネギー著 文庫本)

 この2つの中で、とりあえず『道は開ける』を薦める。

 ★
 世界的な名著である。
 だから、読んだことがある人もいると思われる。

 私は何回も読んでいる。
 この本は、1948年にアメリカで出版されている。私が生まれてから1年後の本。
 もう70年以上前の本。

 内容は、まったく古くさくなっていない。
 何度読んでも新鮮である。

 それだけ人は進歩していないとも言えるかもしれない。
 ★
 本を読まない人は多い。
 だが、この本だけは読んだ方がいい。

 『道は開ける』という本は、悩みに関することが書いてある。

 その第1章「悩みに関する基本事項」の第1は、「今日、一日の区切りで生きよ」で始まる。
 要するに、カーネギーは、悩みを解決するには、まずここから始めなければならないと考えているのである。

 サー・ウィリアム・オスラー博士が、エール大学で学生たちに語ったことが紹介されている。

 ★ ★ ★
 君たち一人一人は、この豪華客船よりもはるかに素晴らしい有機体であり、ずっと長い航海をするはずです。考えていただきたいのは、この航海を安全確実なものにするために、『一日の区切りで』生きることによって自分自身を調節することを学べということです。ブリッジに立って、とにかく大きな防水壁が作動している状態を見るといい。ボタンを押してみなさい。そうすれば、諸君の生活のあらゆる部分で鉄の扉が過去ー息絶えた昨日ーを閉め出していく音が聞こえるでしょう。またもう一つのボタンを押して鉄のカーテンを動かし、未来ーまだ生まれていない明日ーを閉め出すのです。そうしてこそ、諸君は今日一日安泰です。過去と縁を切ることです。息絶えた過去など、死者の手に委ねましょう……愚か者たちを不名誉な死へと導いた昨日など閉め出すべきです……明日の重荷に昨日の重荷を加えて、それを今日背負うとしたら、どんな強い人でもつまずいてしまうでしょう。過去と同様、未来もきっぱりと閉め出しなさい。未来とは今日のことです……明日など存在しないのです……人が救われるのは今日という日なのです。エネルギーの消耗、心痛、神経衰弱は、未来のことを気遣う人に歩調を合わせて、つきまといます……そこで、前と後ろの大防水壁をぴたりと閉ざし、『今日一日の区切りで生きる』習慣を身につけるように心がけるべきでしょう。
 ★ ★ ★

 カーネギーは、このオスラー博士の言葉から、この項を次のようにまとめている。
「では、悩みについて胆に銘じておくべき第一点を述べよう。あなたが自分の生活から悩みを閉め出してしまいたいのなら、サー・ウィリアム・オスラーを見習うことだ。」と。


 過去と未来を鉄の扉で閉ざせ、今日一日の区切りで生きよう。

 
 

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童神先生からの相談事~学級をかき乱して困っています~

 童神先生から次のような相談事が入りました。
これは、あらゆるクラスで、今問題になっていることでもあるのです。
 
★ ★ ★
 野中先生、ブログに取り上げていただきありがとうございます。実は今、以前ほどじゃありませんが、かなり参ってきています。前回も少し書いたのですが、どう見ても特別支援対象の男子児童がおり(保護者が病院受診自体を拒否しているようです)、その子が他の子にちょっかいを出すなど、学級をかき乱して困っています。注意されると逆切れする、放っておけば好き勝手なことをする。また被害妄想が強く、自分の行動は棚に上げ「誰々が俺の悪口を言っている」などと私に訴えてくることもあり、言動がちょっと普通ではありません。管理職には既に報告しており、校内体制を作ろうという話にはなったのですが、そうこうしているうちに、この子一人に学級の秩序が破壊されてしまいそうです。こういう子をヘルパーも付けずに普通学級に置くこと自体、間違っていると思うのですが、親の理解が得られないままでも、何らかの手立てを講じることはできないものでしょうか。
 ★ ★ ★

 この子供については、すぐにでも対応を取らなければなりません。
 管理職に相談しているということですが、すぐに動いてもらえるようにしなくてはなりません。
 これは、すでに担任ができる域を越えています。

いつまでもこのままにしていると、学級自体が不穏な状態になっていく恐れがあります。
 また、このままにしておくと、被害にあった児童の保護者から連絡があるはずです。

 だから、校長に「この子が他の子供の学習の邪魔をして、クラス全体の学習が思うようにできません。何とか対応をお願いします。」と強く言うことです。
 
 この子供は、発達障害か愛着障害である可能性があります。
 ★
 ただ、クラスにいるわけですから、その対応はきちんと考えていかねばなりません。
 どうしていくのかです。
私はこのことについては、専門ではありません。
 私が知り得た範囲で伝えます。
 
 この領域については、現場の教師たちは、きちんと研修がなされていません。そのために、間違った対応をしています。


(1)まず厳しく叱ることをやめること
 広汎性発達障害(PDD)傾向にある子供は、常に不安感があり、そのために他への攻撃をしたりします。
 叱責や注意などに対しては、反発や攻撃を返してきます。
 童神先生のクラスの子供が逆ギレしたり、被害妄想が強いというのはまさにこの状態です。

 その子に対して厳しく注意したり、叱ったりすると逆効果になります。
 止めなくてはいけません。

(2)安心感をもたせる
 それでは、ほっておけばいいかというとそれでは事態は改善しませんね。
 その子は、そこで動き回ってしまうわけですから、それに対処しなければいけないわけです。
 その子が何とかクラスの中で落ち着いて行動できるように導いていかねばなりません。
 
 そのためのキーワードは、「安心感」。
 この安心感を持てるようにすることです。

 脳科学者の平山諭先生は、ここで「セロトニン」という脳内で情報を伝えるホルモンの仲間を紹介されています(『満足脳にしてあげればだれでもが育つ』ほうずき書籍)。
 このセロトニンは、優しくされると分泌されるもの。
 安心感をもたらすものです。

 このセロトニンを分泌させるためには、何をするか。
 平山先生は、5つのスキルがあると言われています。

 ①見つめる
 ②ほほ笑む
 ③話しかける
 ④ほめる
 ⑤触る

①見つめる
 やさしく見つめると安心感を与えることができる。

②ほほ笑む
 ほほ笑むことが上手な人は攻撃されない。口をできるだけ横に開き、歯が少し見えるぐらいがいい。笑うとは異なる。笑うと人に警戒心をもつ子供はバカにされたと思い、対抗して攻撃の姿勢を取る。

③話しかける
 相手の言葉を待つだけでなく、こちらから相手に話しかけることが大事。 名前を呼んだり、質問をしたり、言動に対して、「そうだね」「わかるよ」「大丈夫だよ」「それでいいんだよ」「そうそう」など安心感をもたらす言葉が効果的である。

④ほめる
 ほめることに関しては、平山先生は以下のように記されている。 

★ ★ ★
 否定や言い返しもできるだけ避けたい。それぞれの人の脳には歴史があるので、その歴史(事実)を尊重するところから始めたい。臨床的な教育が事実から出発するのはそのためだ。《そ》が付く言葉は有効である。「そーなの」「そうなんだ」「そうか」「そうだよね」などは、相手の心を傷つけない。事実を認める言葉だからだ。《ど》が付く言葉もいい。導入段階で使える。「どうですか」「どうしたの」「どれどれ」(はなしてごらん)「どうぞ」「どういたしまして」などだ。
 ほめることは『成功体験』の積み重ねにつながる。ほめられたことは一般に繰り返そうとするからだ。ほめ方には5種類ある。

 1 短いフレーズで元気よくほめる。
  「すてき」「ばっちり」「すごい」など。
 2 名前を付けて特定化してあげる。
  「すてきですね、菜々子さん」「ばっちりだよ、一郎君」など。
 3 成長や達成を実感できるようにほめる。
  「できるようになってきたね」「やったじゃない」など。
 4 にっこりほほ笑んで事実を話題にする。
  「(ノートに)書いてる、書いてる」「(ノートに)消してる、消してる」「いい顔、いい顔」など。かまっている感じが出て満足度は高まる。2回繰り返すとリズミカル(音楽)になるので脳は喜び効果的だ。
5 期待効果を狙ってほめる。
  「(集団から離脱している場合)中に入ってくれたらうれしいな」「(教  科書を出していない場合)出してくれたら、先生、チョーうれしい」など。
  ★ ★ ★

⑤触る
 手をつないで口を閉じる人はそうはいない。握手が基本。握手だけでなく、肩を軽くタップする。ハイタッチをするなど。


(3)まず、ここから始めよう
 「セロトニン」に注目したいのです。
 その子に安心感をもたせるためです。
 
 そこで、まず、ここから始めましょう。

 ①いけない行動を取っていたら、「それは止めなさい」と指摘して、
  こうしようと行動をうながす。強い言葉で叱らない。

 ②「うるさい!」「消えろ!」「ウゼェ~」などと応えてきたら、
  「そう!」「そうなんだ」「そうか!」などの「そ」の付く言葉で
  返す。ほほ笑むことができたら尚良い。
  まともに叱り言葉で返さない。

 ③ちょっとでもまともな行動を取っていたら、褒め言葉で返す。
  
 
 童神先生、どうでしょうか。できるところからがんばってください。
 とにかく管理職に早く対応をお願いすることが先です。

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ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力~

 担任をずっと続けているうちに、必ず2,3度はクラスが荒れる経験をする。
 私も37年間の教師生活(担任)の中で、1、2度クラスが荒れる経験をしたことがある。
 
 学級崩壊という事態までは免れたが、もう1つでも悪い事態が入り込めば、きっとそうなっていたであろうと思ったことがある(でも、この経験がなかったら、本を書くということはなかったであろう)。

 こんな時には、ただただ「凌いでいく」以外にない。
 さまざまな手をうとうとするが、うまくいかない。
 かえって事態を悪くする場合がある。

 

 私の場合は、「凌いだ」のである。
 ★
 この「凌ぐ」ということが、書物になっていることを最近知った。
 違う言葉で表現されているのだが、…。

 

 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生<ははきぎほうせい>著 朝日新聞出版)。

 

 帚木蓬生は、団塊世代の小説家。しかも精神科医でもある。
 その人が、まったく別領域の本を書いている。

 

このネガティブ・ケイパビリティは、元は英国の詩人ジョン・キーツがシェイクスピアの文学的特質として発明した言葉らしい。

 

 「シェイクスピアが桁外れに有していたものーそれがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。」

 

 なんだか分かったような、分からないような、「能力」。
 帚木さんも、そのあたりは分かっていて、このように書いている。

 

「私たちは『能力』といえば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。/ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。」

 

「私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。むしろそのほうが、わかりやすかったり処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。/だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作行為も、随分楽になりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています。」

 

 考えてみれば、多くの人たちが、何かに耐えたり、我慢したり、そういう経験をあまりしたことがないのではないだろうか。
 だから、その「ふんばる力」や「我慢する力」が分からない。
 
 でも、私たちの人生では、決定不能な、解決できそうでない、宙ぶらりんの事態に遭遇したとき、焦らずあわてず、その状態にじっと耐え抜いていく、そんなことがきっと必要になる。
 ★
 ただ帚木さんは、次のようにいって、注意を促している。

 

「<問題>を性急に措定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻をあわせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえるのがネガティブ・ケイパビリティだとしても、実践するのは容易ではありません。」
と書いて、
「なぜなら、人間の脳には「『分かろう』とする生物としての方向性が備わっているからです。」と。

 

 確かに、目の前に、わけのわからない、不可思議な、嫌なものが放置されていると、脳は落ち着かず、当面している事態に、とりあえず意味づけをし、何とか「分かろう」とする。それが自然だからである。

 

 だが、ネガティブ・ケイパビリティは、それを拒否する「ふんばり力」なのである。
 ★
 この力を身に付けることは、簡単なことではない。
 
 まず、このような力があることを知ること。
 そして、人生のどこかで必ずこのような解決できそうでない事態が来るので、そこで試してみるのである。凌ぐのである。

 

 一度凌いだ経験をもてば、二度目ははるかにふんばれるようになる。

 

 必ず何とかなる。
 自分が解決できない課題は、ぜったいに自分に降りかかってくることはないからである。

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