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2019年5月

童神先生からの久しぶりのコメントです!

 童神先生から、ひさしぶり(ほんとにひさしぶり)にコメントが載った。
 あれからどうしているのかと何度も思ったものである。
 このブログを読んでいる先生たちからも、「童神先生はどうしているの?」と何回も言われたものである。

 童神先生は、以下のように書かれている。
 
★ ★ ★
 野中先生、こんばんは。三年ほど前、初めての学級担任で苦労し、こちらに「死にたい」とまで書いてしまった者です。

 今年、久しぶりに学級担任(3年生)を受け持っております。今回は、クラスに明らかに特別支援対象の児童(親が受診自体を拒否しています)がおり、苦労している部分もあるのですが、それでも学級全体としては、秩序を失わずに一日を回せています。

 今回は、先生の記事にあるように、始業式の日に学級のルールを(一時間使って)伝え、それを繰り返し指導してきました。

 五月、上記の支援対象の児童と連休明けの影響から落ち着かない時期もありましたが、今度は「目標達成法」を取り入れたことで、改善の気配が見られます。

(なお、この児童については入学時から問題になるほど難しい子なので、現在学校としての対応を検討しています。)

 ルール作りの大切さ、今まさに実感しているところです。三年前、学級経営が上手くいかず「死にたい」とまで思った私が言うのですから、間違いありません(笑)。

 特にキャリアの浅い方が、「自分は教師に向いていない」と悩む気持ち、痛いほどわかります。しかし、そうではないということを強く言いたい。ただ「方法を知らないから」上手くいかない、それだけのことです。

 もう思い出したくない過去ではありますが(苦笑)、以前の私と同じ思いをなさっている方に、少しでも参考としていただければ幸いです。

 最後に。野中先生は、文字通り私の「命の恩人」です。いつかセミナー等で直接お会いして、お礼が言えたらと思っています。

★ ★ ★

 うれしかった。良かった。
童神先生は書いている。

「ルール作りの大切さ、今まさに実感しているところです。三年前、学級経営が上手くいかず「死にたい」とまで思った私が言うのですから、間違いありません(笑)。特にキャリアの浅い方が、「自分は教師に向いていない」と悩む気持ち、痛いほどわかります。しかし、そうではないということを強く言いたい。ただ「方法を知らないから」上手くいかない、それだけのことです。

 もう思い出したくない過去ではありますが(苦笑)、以前の私と同じ思いをなさっている方に、少しでも参考としていただければ幸いです。」

その中で、「ただ『方法を知らないから』上手くいかない、それだけのことです。」と指摘しているところは、私が初任者にいつも強調するところである。

童神先生のこれからにぜひとも期待したい。

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世界最高の学級経営

 知り合いの先生から言われた。
「野中先生、この本を読みましたか?この本の内容は、ほとんど野中先生が今まで主張されてきたことと同じですよ。ぜひ読んでみてください。」と。Photo

 その本を見ると、『世界最高の学級経営』(東洋館出版社)という本。
 アメリカのハリーウォン/ローズマリー・ウォン著。
 稲垣みどりさんが翻訳されている。

 全世界で400万部売り上げたベストセラー待望の邦訳。
 教育書世界NO.1

 いやいや、大変な本らしい。
 ★
 早速アマゾンに頼んで読んでみた。

 冒頭で、早速書かれている。

「マイアミ大学のダグラス・ブルックス教授は、様々な教師の学級開きをビデオに収めました。ダグラスはその録画を見て、成果の上がらない教師の学級開きに共通点があることに気づきました。その教師たちは、新年度の初日から授業を始めたり、何か楽しい活動をするための時間に充てたりしていたのです。その結果、1年間子どものあとを追いかけまわすことになってしまいました。」

「成果を上げる教師は、クラスを組織立て、まとめる時間に充てていました。そうすることで子どもたちに、学校で上手に生活し、学習する方法を理解させていたのです。この発見を、教授は『学級開き』という論文にまとめました。」

「1年間の終わりに子どもがどれだけ学びを達成できるかは、新年度の最初の1週間に、教師が『どれだけきちんとクラスをまとめられるか』にかかっているのです。」

「成果を上げる教師は、最初の1週間でクラスをまとめます。」

 1週間がポイントであると書かれている。

 私は、「クラスの仕組みづくりは、まず1週間で行う」と主張し、「1週間のシナリオ」を提起している。
 同じ主張である。
授業を早く行うということではなく、それを行う基盤をまず1週間で整えるのである。
 ★
 この本の中で一番重要視されて主張されていることは、次のことである。

 「学級経営は、教師が手順をうまく教えられるかどうか次第」
 それは、次のようにまとめられている。
「教室で起こる問題のほとんどは、子どもが手順を守っていないこと
  が原因です。」

 「1 教師が教室での行動原則についてあらかじめ決めていない。
  2 手順に従うことを、子どもが教わっていない。
  3 教師が手順を使って学級経営を行うことに時間をかけていない。」
  
 その通りである。
 この手順を、私は今まで「3・7・30の法則」で提起してきている。
 

 まさに主張されていることは、私の主張と同じこと。
 ちょっと驚くことである。

 それでもアメリカと日本の教育事情は違っている。

 https://ameblo.jp/gtobara/entry-10472293935.html

一番の違いは、アメリカは、「ゼロ・トレランス」によって教室が守られていることである。

 授業を妨害するなどの行為があった場合、指導が効かない時は、退学などの処置がとられる。
 もちろん、義務教育の段階においてもである。
 
 1970年代のアメリカは、今の日本のように学校が荒れまくっていた。
 そこでクリントン大統領が、全米で「ゼロ・トレランス」という法律を制定し、学校や教師たちに権限をもたせるようにしたのである。

 これで一気に学校は平定され、落ち着いたと聞いている。

 しかし、日本はそんな法律がないために、子供たちの「やりたい放題」にはどうにも対処できない事態はどこででも起こっている。

 日本では、どうしても教室での「ルールづくり」が必要になる。
 私は、そのために「目標達成法」を提起している。
 そこは、アメリカと違うところであろう。
 ★
 この本を読んで、はっきり確認できることは、次のこと。

 まずクラスは、「学級づくり」(この本では学級経営と言っている)
 を優先し、その基盤の上に授業を乗せていくこと。

私の主張が、この本によって明らかにされたことはうれしいことであった。
  
アメリカの教師が、1970年代の荒れた時代を乗り越えて、このような学級経営の本を出している。
 日本の教師たちがこれから何をしなければならないかを暗示しているのだと、そう思えてならない。


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つれづれなるままに~団塊の世代の人たちが亡くなっていく~

●同世代の団塊の人たちが亡くなっていく。
 先日は、小説家の橋本治さんが亡くなり、また、文芸評論家の加藤典洋さんが亡くなった。
 死が身近にあるのだと、しみじみと感じる。

 加藤さんの書かれたものは、若い頃から今までほとんど読んできている。
 加藤さんと一緒に歩いてきたような感じである。
 先日も『9条入門』(創元社)を買ったばかりであった。
これが最後の書になる。

 ひとまずのあとがきに次のように記されている。

 「私の信じていることがあります。それは、歴史をいったん非専門家
  の目で振り返ることは、人間が未来をまっさらに構想する作業なの
  ではないかということです。その結果、無数の混乱が整理され、多
  くの謎が解けます。」

 これが最後の言葉になっている。
 
 それにしても残念。加藤さんのこれからにはとても期待していたのである。
また、一人大事な人を失った。合掌。

●知り合いの先生から連絡があった。
 文科省大臣が中教審に諮問を出したという。
 「新しい時代の初等中等教育の在り方について」である。

 来年度から新しい学習指導要領の実施が始まるのに、今頃なんだろうと文科省のホームページをのぞく。
★ ★ ★
 新時代に対応した義務教育の在り方についてです。具体的には、以下の事項などについてご検討をお願いします。

 ○義務教育、とりわけ小学校において、基礎的読解力などの基盤的な学力  の確実な定着に向けた方策
○義務教育9年間を見通した児童生徒の発達段階に応じた学級担任制と教  科担任制の在り方や、習熟度別指導の在り方など今後の指導体制の在り  方
○教科担任制の導入や先端技術の活用など多様な指導形態・方法を踏まえ  た、年間授業時数や標準的な授業時間などの在り方を含む教育課程の在  り方
○特定分野に得意な才能を持つ者や障害のある者を含む解く栘綱配慮を要  する児童誠意と「日常授業」対する指導及び支援の在り方など、児童生  徒一人一人の能力、適性などに応じた指導の在り方
★ ★ ★

 文科省は、次期10年後の学習指導要領を意識しているのか(?)と思わせる内容である。
 それぞれの内容は、今とりわけ小学校の現場で問題視されていることが取り上げられている。

 上げてみると、次のようなもの。
 
 ①基礎的読解力などの基盤的学力の定着がなされていない問題。
 ②学級崩壊などに関わる学級担任の問題。
 ③全国的に行われている習熟度別指導が効果を上げていない問題。
 ④発達障害児などへの対応の問題。

 これはこれから検討するような問題ではない。
 いますぐ緊急に問題対応をしなければならない、待ったなしの課題なのである。
 遅れに遅れている。
 今すでに、学校現場は、これらに振り回されている。

 ①の問題。
 これは、新井紀子さんが提起された『AIvs教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)に影響を受けたのではないかと推測される。

 新井さんが行った中高校生への読解力調査(「リーディングスキルテスト」<RST>)によれば、「中高校生の多くが教科書に書かれているような文章すら読めていない」という実態を明らかにしたのである。

 この実態は、小学校からの読解力指導の問題があると判断したのではないだろうか。

 全国学力テストをやっているのに、今まで、このような問題は大きな問題として取り上げられていない。
 
 そうするならば、全国学力テストそのものがおかしいということになろう。
 本来の子供たちの実態を調査するものになっていない。
改めて、全国学力テストは、何を調査しているのかと問題視されなければならない。

いっそのこと、新井さんのRSTの調査を行ったらどうだろうか。


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つれづれなるままに~必ず何とかなる!~

●朝日新聞「折々のことば」鷲田清一(2019.4.22)

 声出すことと、堂々としてることは、何があっても絶対にできるんですよ (里崎智也)

 ロッテ球団の元捕手は、キャッチャーとして一番大事なことは何かと同じ捕手の後輩に訊かれ、こう答えた。調子が悪くてもこれはタダでできる。成績よりも、こいつに任せておけば大丈夫という信頼を得るのが先だと。新しい職場で早く結果をと焦る人たちに贈りたい言葉。日本放送のラジオ番組「高嶋ひでたけと里崎智也 サタデーバッテリートーク」(2月9日放送)から。
 ★
 4月が終わりかけて、5月になろうとしている。
 担任をしている初任の先生が、へとへとになっているであろう。

 こんなときでも、できることを里崎さんは、このように語っている。
 
 私は、「縦糸を張る」初級篇として、「KSFの原則」を提起している。

 ①K…毅然とする
 ②S…叱る
 ③F…フォローを出す

 里崎さんとほとんど同じ提起になる。

●連休中に、何度かお菓子屋さんを尋ねた。
 
 このお店の柏餅とお赤飯は、最高である。
 口コミで伝わってきた。
 娘から「ねえねえ、あのお店のヨモギが入っている柏餅は絶品だって!買いに行くといいよ」と。
 お赤飯も「あそこのお赤飯を食べたら他のお赤飯は食べられないよ」と近所の人に聞いた。
 ★
 早速買いに行ったわけである。
 小さなお菓子屋さん。年配の2人がやっておられる。
 昔からあるお店である。

 このお店があるT商店街は、全部潰れてしまった。
 商店街そのものが消滅してしまったのである。

 ところが、この店だけが残っている。 
 ★
 日本全国の商店街がシャッター街になったのは、もういつのことなのか。
 店舗法の規制撤廃で、郊外に大型店が出店し、ほとんどのお客さんをその店に奪われて、潰れてしまった。

 T商店街が潰れていく様を間近で見てきた。
 ほとんどの店が、何の工夫もしないで、ただお客さんが来るのを待っているだけの商売だった。
 お客は当然安いところへ集まる。
 潰れていくのは必然的であった。
 40年前は、寿司屋と酒屋は安定した商売と言われていたが、あっという間になくなっていった。 

 なぜ、そのお菓子屋さんだけが生き残ったのか。
 工夫をしたのである。
味で勝負してやると身構えたはずである。

 そのお店に柏餅やお赤飯を買いに行くと、次から次へとお客さんが連なってくる。
 これはすごい。
 口コミでおいしいことが伝わっている。
 ★
 「お客さんが来るのを待っているだけ」の商売がもう完全にダメになって、
さてさて、これからなのである。

 どうしても学校はどうだろうと考えてしまう。
 公教育なので、潰れることはない。
 だが、学校も「お客さん(子供)が来るのを待っているだけ」の商売ではないのか。内実はもう潰れてしまっているではないのか?
 そんなことを思ってみたのである。
 
●大津の事件は、痛ましいことであった。
 ほんとに言葉がない。

 かつて横浜でも、車の衝突で信号待ちしていた看護師さんたち3人が巻き込まれて亡くなってしまったことがある。

 私はそれ以来、信号待ちのときは、道路すれすれで待つことはしなくなった。
 ぶつかってこられても避けることができる位置関係を取って信号待ちをするようになった。
 そうすることを始めて気づいたことは、私以外の人は、だれもそんなことをしている人はいないことであった。

 信号が青に変わったら、すぐに飛び出していこうと身構える位置で信号待ちをしている。
 あれでは、ぶつかってこられたら、絶対に避けることができない。

 車は、人間が運転しているのだという事実を忘れ去っているとしか思えない。
 これだけ高齢者の車事故が多いのだ。考えなければならない。
 
●横須賀教育委員会の初任者指導へ行く。
 80名の初任の先生。
 会場びっしりである。

 10連休を経てきて、日頃の睡眠不足を解消できたのか、初任の先生は元気。
ただ、この時期、不安定になっているクラスもあるはずである。

 なぜ、クラスが不安定になるのか。
 その原因は何か。
 そういうところから講座を始める。

 最後に、クラスが不安定になってきたら、一人で悩まないで、必ず周りに相談していくことを強調する。

 そして、困ったときの合い言葉を伝える。

 「必ず何とかなる!」と。

 人には、解決できない課題は降りかからない。
 必ずジダバタすれば、解決できる課題であるから、この言葉を合い言葉にがんばってほしいと伝える。


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勝負は、アウトプットなのです!

 「算数学力向上メソッド」を差し上げますとブログで通知した。
 多くの先生方から連絡を受け、送付させてもらった。

 その中で、N先生からは、送った算数の1単元目を実践され、早速次のようなメールを受け取った。
 
 「あのメソッドに基づき授業を行った結果、かけ算のテストは……クラスの子どもたちの平均はなんと89点を超え、感銘を受けています!
引き続き時計の単元もがんばります。」

 うれしいことである。
 1単元目で、今までにない結果を上げられている。
 全体が低学力である学校らしく、このような平均結果だけでもびっくりされたということである。
 ★
 今までの、何人もの先生たちの実践結果にもとづけば、こういうことが結果が出てくることは可能なことである。
 なぜ可能になるのか。
 
 理由は2つ。

 1つ目は、繰り返し効果。
 1時間目が終わったら、宿題①を出す。その宿題①の左側の問題は、授業で練習した問題と同じ。
 次の日、2時間目の算数の最初5分間は、復習テスト①を行う。
 その問題は、宿題①の左側の問題とまったく同じ。

 子供たちは、授業で練習し、宿題で練習し、また復習テストで練習する。
 同じ問題を3回繰り返すわけである。
 そのために、確実に理解が定着する。

 この「繰り返し効果」は大きい。

 2つ目は、脳科学で実証されていること。
 ドイツの心理学者エビングハウスの記憶実験によれば、記憶した20分後には42%が忘れ、1時間後に56%忘れ、1日後には74%が忘れるという。
 エビングハウスの忘却曲線と言われている。

 それを防ぐ方法は、何度も「復習」をする以外にない。

 1回だけの学習では、忘れ去られて、長期記憶にならないわけである。
 
だから、あれほど丁寧に授業で理解させたという自信があっても、実際には、限界があることが分かってきたのである。

 ところが、「算数学力向上メソッド」では、今日の勉強の問題を、しかも同じ問題を3回も繰り返し練習する。
 必然的に定着(長期記憶として)していくわけである。

 『アウトプット大全』(樺島紫苑著 サンチュアリ出版)によって、さまざまな脳科学の研究成果をもらう。

 これによると、「算数学力向上メソッド」がいかに脳科学の成果をなぞっているかということに気づく。
 
 「インプットしたら、その知識をアウトプットする。実際に、知識を『使う』ことで脳は『重要な情報』ととらえ、初めて長期記憶として保存し、現実にいかすことができます。これが脳科学の法則です。
 脳の基本的な仕組みを知らないことで、人生の貴重な時間を失っている。計り知れない損失をこうむっているのです。」

「人間の脳は、『重要な情報』を長期記憶として残し、『重要でない情報』は忘れるようにつくられています。『重要な情報』とは、インプットしたあとに何度も『使われる情報』です。
 つまり、インプットしても、その情報を何度も使わないと、すぐに忘れてしまうのです
 脳に入力された情報は、『海馬』というところに仮保存されます。その期間は、2~4週間です。海馬の仮保存期間中に、その情報が何度も使われると、脳はその情報を『重要な情報』と判断し、『側頭葉』の長期記憶に移動します。
 ………
 だいたいの目安としては、情報の入力から2週間で3回以上アウトプットすると、長期記憶として残りやすくなるといいます。」
 ★
 この脳科学の情報によれば、ただ1回だけの授業で学習した知識は、すぐに忘れやすいことが明らかである。

 ましてや、クラスの低学力児は、なおさらのことであろう。

 「算数学力向上メソッド」は、このアウトプットをとにかく意識したのである。
 
 長期記憶として残っていかなければ、子供たちが本当の学力として身に付かないわけである。
 要するに、この長期記憶が「学力」だったというわけである。

 ★
 このことから気づくことは、授業もまた、アウトプットを意識したものに
変えていくことが必要だということ。

 多くの先生たちの授業は、45分(あるいは50分)の授業で、ほとんどをインプットで済ませている。

 脳科学によれば、インプット:アウトプットの黄金比率は、3:7だという。
 そうならば、大きくアウトプットの視点から授業改造をしていくべきことなのである。

 ある校長先生に聞いたことである。
 初任の先生が、算数の授業を途中から大きく変えたという。
 
 45分の授業で、インプットを10分程度に収めて、あとをアウトプットにしていった、ということ。要するに、どんどん練習問題を解くというアウトプットに変えていったのである。
 
それで子供たちの算数の成績がどんどんアップしていった、と。
 その学校のなかで、一番そのクラスの算数の成績が上がったと、校長先生は語っておられた。
 
 初任者にも、こんなことができるのである。
 脳科学の情報通りに、アウトプットを思い切って授業に取り入れて、授業を変えていった成果であろう。

 ただ、気をつけなくてはならないのは、インプットをいい加減に済まさないことである。
 インプットなくして、アウトプットはあり得ないわけだがら、そこは十分に注意する必要がある。

繰り返しになるが、インプットを必要なことだけに絞り、アウトプットをどんどん取り入れていくという授業に転換すること。
 これが、突きつけられている。


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小学校教員採用倍率 平均3.2倍になる!

 武道家で、思想家でもある内田樹さんが、以下のことをブログに書かれていた。 
長いが引用する。
 ★ ★ ★
小学校教員の採用試験の倍率低下について

2019-05-10 vendredi

 2018年度の全国の公立小学校の教員採用試験の倍率は平均3・2倍で過去最低となった。7年連続の減少で、就職氷河期に公務員が人気だった00年度(12・5倍)の4分の1。
 倍率3倍を切ると教員の質の維持が難しく、「危険水域」に近づいている。
 文科省によれば、倍率低下の原因は80年代に大量採用した教員が一斉退職を迎えたための採用数増、民間企業の採用の活発化、教員免許を出せる大学の減少である。
 しかし、最大の理由は、小学校教員が魅力のある職業ではなくなったせいだろう。
 2016年に文科省が実施した調査によると、小学校教員の平均週勤務時間は57時間25分。10年前より4時間9分増え、3割が「過労死ライン」を超えた。にもかかわらず、学習指導要領の改訂に伴い、これから英語やプログラミングが必修化され、教員の負荷はますます増大する。この後、仮に教員定員を満たすことができなくなれば、定員以下で現場を回さなければならない教員の負担は耐え難いレベルに達し、次々と教員たちが「バーンアウト」して脱落した後、教育現場は制御不能のカオスと化すだろう。
 
 教員の確保のために何が必要なのかは誰にでもわかる。
 それは教員の負担軽減と、給与の増額である。
 でも、政府はそれをしなかった。
 財源がなかったのだという言い訳はわかる。だが、それでも「教員の負担をどうすれば軽減できるか?」ということを問うくらいのことはできたはずである。
 過去四半世紀、文科省の役人はそう自問したことはあるのか。
 私はないと思う。
 少なくとも、私が大学教員をしていた29年の間に「文科省の通達があって、これまでしていた仕事をしなくてよくなった」ということは一度もなかった。
 私の在職中、大学が果たすべき仕事はひたすら増え続け、提出すべき書類はひたすら増え続け、開かなければならない会議はひたすら増え続けた。
 「教育改善」のために提出を義務づけらたれ膨大な書類作成と会議のために、教員たちは実際の教育活動に割くべき時間を犠牲にしなければならなかった。自己評価だとかシラバス作成だとかPDCAサイクルだとかいう工学的タスクのために、教員たちの研究時間は容赦なく削り取られた。そうして、日本の高等教育の学術的発信力は劇的に低下した。
 文科省は何か根本的な勘違いをしているのではないか。
 学校教育をうまく進めるための効果的な方法は一つしかない。それは現場の教員が機嫌よく教育活動に専念できることである。
 そして、教育方法上の創意工夫を凝らし、子どもたちの発する微細なシグナルを感知するためには、教師の側に「余裕」がなければ話にならない。
 けれども、日本の教育行政の政策立案者たちは「どうすれば教員たちが機嫌よく働けるようになるのか?」という問いをたぶん過去に一度も立てたことがない。反対に、教員たちを管理し、恫喝し、査定し、無意味な労働を強い、屈辱感を与えることに政策的努力の過半を投じて来た。
 確かに、そういうプレッシャーを与え続ければ、最終的には上位者が命じる無意味なタスクに抵抗しない「イエスマン教員」だけが生き残り、教育現場に政府や自治体が政治的に介入することはきわめて容易になるだろう。
 組織の効率的な管理ということを優先すれば、これは正しい政策である。
 そして、たしかにこの教育政策は「大成功」を収めたのである。
 文科省はそのことを認めるべきだろう。
 これは政府が自覚的に進めて来た政策の帰結なのである。それが所期の成果をあげた姿なのである。
 問題は「こんなことをずっと続けていたら、いずれ教師になりたがる若者がいなくなり、学校に行きたがる子どもがいなくなり、学校が知的活動の場ではなくなるのではないか?」というリアルな疑念が教育政策の立案者たちの脳裏に一瞬も浮かばなかったということである。
(2019-05-10 15:01)
 ★ ★ ★

 内田樹さんの指摘は、激烈である。
 
 さまざまな賛否はあるであろう。
 しかし、「こんなことをずっと続けていたら、いずれ教師になりたがる若者がいなくなり、学校に行きたがる子どもがいなくなり、学校が知的活動の場ではなくなるのではないか?」という未来は、もうすぐそこに来ていると思っていい。
 事実、若者が学校現場から逃げているではないか。
 暗澹とした気持ちになる。


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「目標達成法」を差し上げます!(3)

 前回は、1つ目の「指示ー確認」の原則 を書いた。
 今回は、2つ目の 「学級のルールづくり」について書くことにする。

 5月の半ばを過ぎていくと、初任者のクラスなどは少しずつ賑やかになり、荒れていくということが多くなる。

 1 荒れていくクラスの特徴
 賑やかになって、荒れていくクラスに特徴的なことは、きちんとしたルールがクラスに息づいていないことが多い。
 それでも、先生はしょっちゅう注意をしたり、叱ったりはしている。
 
 朝の会でしょっちゅう注意事項も伝えてはいる。
 担任の先生にとっても、きちんとルールは伝えていると思っているのである。
 しかし、言葉だけの注意では子供たちの中に残っていくことはない。
 
2 学級にルールが必要なわけ
 学級でのルールが必要なわけは、教室が安心して過ごしていける場所になるためである。
 そのためには、子供たちが自分たちで、自分たちの教室を動かしていく必要がある。

 教師が一々注意したり、叱ったりしないで、子供たち集団が自分たちでルールを守っていこうとする自治能力をつけるためである。

 クラスの子供たちは、「2:6:2の法則」で成り立っている。
 
 最初の2割が真面目派の子供。クラスを引っ張っていく子供たち。次の6割が中間派。クラスの浮沈を握っている子供たち。そして、最後の2割が、やんちゃな子供たち。このように構成されている場合が多い。

 クラスの浮沈を握っている6割は、強い方につく。
 2,3人の超やんちゃな子供が、担任よりもクラスの雰囲気を握っていると思えば、そちらになびいていく。その子たちからいじめられたり、いじわるをされたりしたくないからである。
 
 担任がリーダーシップがあって、クラスを引っ張っていく先生だと思われたら、担任についていく。
 だから、担任は、真面目派の2割に、この6割を引き寄せて「8割」の子供を味方につけると、クラスは安泰である。

 担任の仕事は、強力なリーダーシップだけでなく、きちんとルールをクラスに位置付けていくことが大切になる。そのために、ルールづくりをする必要がある。 
ルールを位置付けていくということは、一つひとつのルールを「見える化」し、守られているかどうかの「確認」の手立てをもっておくということになる。

ルールが位置付いていると、真面目派の2割の子供たちが、堂々とクラスを引っ張っていってくれることになる。
 そうなれば、子供たちが自分たちで教室のほとんどを動かしていくようになる。
 担任は、授業さえやっておけばあとは全部子供たちがやってくれることになる。どんな教師も、そんなクラスにしていきたいと願っているはずである。

 さて、そのルールをどのようにつくっていくかが問われる。

 私は、昨年よりこのブログで「目標達成法」(全学年版)、「個人目標達成法」(低学年版)を差し上げている。

 学級のルールをどうつくるのかについてのものである。

 昨年作成したものを見返したら、抜けているところがあったり、不鮮明なところがあったりしている。
 昨年差し上げた方には申し訳ないことをした。

 そこで、もう一度作成し直した。改訂版である。
 昨年申し込まれた方は、もう一度申し込んでほしい。

 いつものようにブログのコメント欄で申し込んでほしい。
 非公開である。
 メールに添付して送りたい。

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すべての始まりである(2)~指示ー確認の原則~

 前回のブログに以下のように書いた。 

★ ★ ★
③子供たちへの最初の関わりは、きちんと「基礎・基本」の方法がある。
  1つ目は、「指示ー確認」の原則。
  2つ目は、学級のルールづくりをすること。
★ ★ ★

 1つ目は、最初必ず初任の先生に教えなければならない、基本の原則になる。

 これは、どの教師もやらなければならない、縦糸を張るための基本原則でになる。
初任者指導を長年やって、指導のツボを心得ている先生は、必ず最初にこの指導を初任者にするわけである。

 初任者指導8年目になるN先生からは、その指導の通信をいつも送ってもらえる。

 その通信の1号には、次のような内容が書いてある。
新学期が始まっての3日目のこと。
 初任者は、教科書を使った初めての授業である。

 ★ ★ ★
 今の時期は授業を進めながら学習規律の徹底がとても大事です。
 子どもが「静かに話を聞く」という当たり前のことを繰り返し指導しなければなりません。子どもたちは集団になれば「群れる」のです。おしゃべりをしたり、遊んだりするのです。それが子どもというものです。静かにしていない子どもたちはそれが普通の状態だと心得ておき、話を聞くことを指導するのが教師の仕事です。
 ★
 1時間目の算数の時間は45分間、クラスが少しざわついている状態でした。全員が静かにするという時間はほとんどありません。おそらく担任もよくないと思っていたのでしょうが、指導の言葉はありません。
 1時間目が終わった後、担任に少し耳打ちしました。「子どもたちは授業中、話をしても先生がおこらない。これでいいのだと思ってしまう。話を聞かせる時は音や声を出さないように指導しないといけないよ」とだけ言いました。
 ★
 すると、2時間目の最初、担任が子どもたちに少し話をしました。「さっきの授業は話し声が多かった」と。子どもたちは担任が1時間目と雰囲気が違うことを瞬時に悟り、静かに聞き入りました。……。
 ★
ただこの時期の学習規律の指導は「あれはだめ。みんなダメだねえ」というスタンスをとってはいけません。今は指導の時期なのです。新しい学年になり、指導されていない子どもたちは話し出すのは普通のこと。……
 ★
 子どもたちには「先生や友だちが話をしているときは顔を見てしっかり聞きます。下を向いていてはいけないよ」と言いながら、「○○さんの今の聞き方上手だね」というと、みんなの顔が一斉に担任を見ます。「今、1人だけ下を見ている人がいるね。名前を言おうか」とでも言うと、子どもたちは震え上がるかも(笑)。まあそこまで言うよりも「顔を上げて話を聞く」ということを指導した後、それができているかどうかを「確認」します。その後、良くなれば「評価」(ほめること)をします。
 ★
 この「指導・確認・評価」というのは多くの場合に共通した方法です。
 子どもたちは今、「担任はどの程度こわいのか」とか「何をしたら叱られるのか」ということを推し量っているところです。傍若無人な態度をとることはありません。だからこそ、今がチャンスなのです。大げさに言えば、「クラスで権力を持っているのは誰か」というです。教師という権威はくずれかけたら歯止めがかかりません。
 ★ ★ ★

 長々とした引用である。
 初任指導のベテランは、こうした指導のツボを逃さない。
 
 N先生は、「指導・確認・評価」と言われている。
 私は、「指示ー確認ーフォロー」と言っている。
同じことである。

 なぜ、このことを最初に教えなければならないか。
 それは、教師は「指示(指導)」が子供たちへの言葉かけの始まりであり、全ての授業や活動で行われることであるから。
 これなくしては、教師は成り立たない。
 
 そして、ここで縦糸をきちんと張ることになる。
 すべての始まりと言っていい。
 


(つづく)

 

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クラスが荒れていくのは、いつも共通している!(1)

 10連休が終わって、いつもの学級が戻ってくる。
 
 この時期に必ず寄せられる初任者の悩みは、いつも共通である。

 相談1 子供たちがいつもざわざわしていて、落ち着きません。注意
     すればその場は何とかなりますが、また同じようになってし
     まいます。どうしたらいいんでしょうか?

 相談2 子供たちが思うように動かなくて、しょっちゅう叱っている
     状態が続いています。いつも叱るのはいけないとは分かって
     いますが、ついつい叱ってしまいます。どうしたらいいでし
     ょうか?

 相談3 学級が壊れかかっています。私の言うことに反発する子供が
     いたり、授業が始まるのに5分もかかってしまうことがあっ
     たりします。これからどうしたらいいでしょうか。
  
 初任者には、程度の差はあっても起こってくることである。
 
 ★
 なぜ、こんなことになるのか。
 そこには、共通の原因がある。

 まとめていえば、次の3点になる。

 ①子供との最初の関わり方(関係づくり)を間違っていること。
  最初「仲良し友達先生」として対応してしまっていて、そのつけが
  この時期に現れてくる。

 ②学級づくりをきちんとしないために起こること。子供たちが自分
  たちで教室を動かしていく「仕組みづくり」をしていないために、
  学級がまだ「群れ」のままの状態で推移している。

 ③子供たちへの最初の関わりは、きちんと「基礎・基本」の方法があ
  る。
  1つ目は、「指示ー確認」の原則。
  2つ目は、学級のルールづくりをすること。


 いや、初任者だけの問題ではない。
 いつも学級が不安定になる先生のクラスは、この3点ができていないから学級が荒れてくるのである。

 私は、学級の方法として「学級づくり3原則」を提唱してきた。

 1つは、関係づくり。
 2つ目は、仕組みづくり。
 3つ目は、集団づくり。

 先ほどの①の「仲良し友達先生」の問題は、この「関係づくり」に問題がある。
 きちんと縦糸・横糸を張っていないために起こってくる。

 ②の群れの状態は、「仕組みづくり」の問題。
 早く子供たちが自分たちで教室を動かしていけるように仕組みをつくらなければならないのに、それができていない結果である。仕組みづくりは、1週間で終えなければならない。

 ③の基礎・基本の問題は、縦糸・横糸張りとも関係してくるが、「群れ」から「集団」へ変えていく方法のことである。
 要するに、この方法を知らないのである。
 知らないことは恐ろしい。

 これらの解決は、そんなにむずかしいことではない。
 今からでも何とかなる。
 1学期の間は修正可能なのである。
                   (つづく)


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「日常授業」の改善をテーマにした先進的な取組(5)

 ここに2冊の本がある。
 いずれも「日常授業」の改善をテーマにして、学校ぐるみで取り組んだ本。

 

 1冊は、『学力向上プロジェクト』(横藤雅人編著 北広島市大曲小学校著 明治図書)。

 

 もう1冊は、最近刊行された『働き方改革』(新保元康著 明治図書)。
 新保先生は、札幌の小学校4校を校長として過ごされ、その学校で「日常授業」の改善を進められてきた経緯が明らかにされている。
 ★
 大曲小の実践は、学校ぐるみで「味噌汁・ご飯」授業を実践された内容が明らかにされている。
 「日常授業」の改善のメインテーマは、「ユニット法で授業を3つに分割する」というものである。
 全教科を、ユニット法で取り組まれている。

 

 ここでも「1つの型」が示されていて、学力向上に大きく寄与されたと聞いている。
 ★
 新保校長の働き方改革は、その「日常授業」の改善を、ICT機器の活用という視点から取り組まれている。

 

 ICT機器が単に常設されているというだけでなく、全教室同じ場所に同じように設置し固定することで、すべての教員が使えるようになった実践を明らかにされている。

 

 それと同時に、働き方改革という視点からの取組も明らかにされている。
 これも画期的なものである。
 きっと多くの学校が参考になる実践である。
 ★
 日本全国の、あらゆる学校が、まだまだ研究テーマを設け、仮説をつくって研究活動をしている。
 
 その研究テーマは、極めて大きくて、ともすれば日本の現状を切り開いていくような壮大のものもある。
 今は、新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」をテーマにした重点研究が進められていることであろう。

 

 年間の学校行事になっていて、それでどのような成果が上がっているのかと問われることはまずない。
 ただ、毎年同じことを繰り返している。目立った成果もない。
 学校現場は、そういうことがあまりにも多すぎる。

 

 考えてみれば、公立の1つの学校が、研究活動をするというのが問題ではなかったか、と思っている。
 年間に一人1時間の研究授業をすることで、研究テーマへの追究が果たしてなされるものなのかどうか、そこから問題にしなければならない。

 それではどうするか。
 研究ではなく、研修にすればいい。
 研修のテーマは、「日常授業」の改善でいい。
 
 先にあげた2冊の本は、きっぱりと、このような繰り返しを止めている。
取り組むべきことは、「日常授業」の改善というテーマだとはっきり定めている。

 

 中教審の働き改革の提案を、先取りする形で提案されていることに注目すべきである。

 

 これから学校は、このように進めていくのだという提案。
 もちろん、「日常授業」の改善はいろいろな視点から取り組まれていいのだが、1つのカタチをこうして提起されていることに注目すべきであろう。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このように「日常授業」の型をつくる(4)

 「日常授業」で、型をつくるとはどうすることか。

 これは、37年間の最後の勤務校で、実際に私なりの型をつくって実践してきたことである。

 「分割授業法」と名付けていた。
 いわゆるユニットの方法で、45分の授業の中を分割していくのである。

 たとえば、国語ではこうなる。

 ①漢字指導(新出漢字を2,3字指導)5分~10分
 ②音読タイム(5分)
 ③本時(30~35分)

 算数ではこうなる。

 ①計算タイム(100マス計算)5分
 ②復習タイム(前時の練習問題をテストする)5分
 ③本時 30分
 ④計算スキル 5分

 他にも社会などでも試みていた。
 
 最後の勤務校では、重点研究として、算数では、計算タイム、国語では、音読タイムを全校で取り組んでいたので、必然的にユニットのようになっていた。

 なぜ、授業を分割してユニット制にするのか。
 それは、それぞれの教科で必要になる「不易の基礎・基本」の学力がおざなりになるからである。
 
 今までは、その教科に必要な、不易な基礎・基本は、まとめて最後に1時間で済ましていくというのが、普通の単元の実践方法であった。
 ところが、これでは子供たちに徹底しない。落ちこぼれていくことが数多くなる。

 どうしても、毎日少しずつ(5分)繰り返して徹底していく。
 
 この効果は絶大である。

 最後の勤務校では、高学年になってかけ算九九などができないという子供がいなくなった。
 本を音読する、漢字が書ける子供たちが数多くなるという事実ができていった。

また、3年目に指導した初任者にも、この指導を薦めた。
 確実に子供たちの学力を高めていくことに成功した。
 横浜市で2月に実施している学力テストでは、なかなかの成績で、隣の学年主任のクラスよりも良くなるという結果を出していた。
 ★
 こうして毎日の授業を、分割したユニット制にしていくことによって、子供たちの基本的な学力を確保するのである。

 「日常授業」を、こうした「型」をつくって実践する。

 この「型をつくる」ということの大事なところは、初任の先生でも、十分に子供たちの基礎・基本の学力を育てていけるところなのである。

 「味噌汁・ご飯」授業が、この「型」を提起したのは、こういう経過にもとづいている。
                             (つづく)

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日常授業の質を高めるには?(3)~中教審の働き方改革を読む~

 「日常授業」の質を高めていくためには、どうするか?
 
 この必要性が分かっても、「じゃあ、具体的にどうしたらいいの?」と言うことになる。
この課題に戸惑っている学校は、かなりある。

 今まで研究授業で「ごちそう授業」をつくってきた先生たちが、いざ毎日の授業をどのように変えていくかと問われたら、それは戸惑う。

「えっ、研究授業を毎日やっていくことですか?それは不可能です!」。

「毎日はそれなりにやれているのに、これ以上何を変えるのですか?今のやり方で十分なのですが…」という反論が続く。
なかなか表面には出てこない本音でもある。

 それなりにやれている授業は、ほんとうはカスカス状態になっているのだが、それなりになっているから、問題にすることがない。
 
 しかし、それに対して、「もっと教材研究をして毎日の授業に臨むべきではないか!」などと指導できるのだろうか。
 そんな時間なんて、どこにもないのである。

 ★
 「日常授業」の改善をするためには、条件がある。

 ①授業準備(教材研究)の時間は限られていること。
 ②この限られた時間で何ができるかと考えること。

 ★
 このことを考えるために、ちょっと寄り道をしたい。

 かつて村田兆治という投手がいた。マサカリ投法として有名であった。
 プロ野球にくわしい人はだれでもが知っている投手。

 50歳を超えたのに、OBリーグなどで、140キロを超える速球をビュンビュン投げて驚かせたものである。

 なぜ、いつまでもこんな速球を投げられるのか。

 それについて、江夏豊投手(この人も有名な投手)が「最近の投手は型ができていない。いったん型をつくってしまえば楽なのに」と嘆くのを受けて、村田は言ったものである。
 「自分の中に、速球を投げる型をもっているから、今やほとんど練習をしなくても速球を投げられるのだ。」と。

 ここで指摘されていることは、2つ。

 ①投げる型をもつこと
 ②それが持てたら、ほとんど練習しなくても速球を投げられること

 これは私たちの「日常授業」の改善にもかなりのヒントになるのではないかと思ったものである。
 ★
 「日常授業」で、型をもつとはどうすることか。
 これが問われてくる。(つづく)
 

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まず一人から始める(2)~中教審の働き方改革を読む~

 働き方改革で一番重要なことは、学校が本来なすべきことをきちんと見極めて、そこへ向けて縮減と選択をすることになる。
 
 学校が本来なすべきこととは何か。

 これは、もうはっきりしている。 
 学校が何で成り立っているのか、学校の日課表を見つめてみればいい。

 そこには、1時間目から6時間目までの授業が組まれている。
 その間に、休み時間や給食の時間、掃除の時間などがある。
 
 中心は、あくまでも授業。
 学校は、6時間(あるいは7時間)の授業で成り立っているのである。
 
 そのために、本来すべきこととは、「日常授業」の質を高めていく。
 これに尽きるわけである。

 中教審の目的の、さまざまな文言を削っていけば、結局このことで集約されるはず。

 「日常授業」を豊かにしていくこと。
 このために、その壁になっている、さまざまな縮減と改革が行わなければならない。
 
 ところが、現場は、この意識が限りなく薄い。
 毎日の授業は、「雑務」になっている。
 さまざまな仕事をこなしてから、最後に辿り着くのが授業準備(教材研究)。
 そうしないとやっていけないように、学校のシステムは成立している。

 辿り着ければいい。
 そうならないで、毎日、カスカスの授業をしている。

 だって、授業準備の時間を確保できないから。
 だから、赤刷りの指導書の斜め読みで、「日常授業」は対応している。
  ★
 私は、これまで「味噌汁・ご飯」授業として「日常授業」の改善を訴えてきた。
 まさに、今回の働き方改革が、その必要性を明確に示してきたことになる。
 
 でも、このことはそう簡単なことではない。
 
 まず、どれだけの覚悟で文科省ががんばってくれるか、にかかっている。
 そして、そのもとでの教育委員会や学校管理職が、どれほど実践に移してくれるかどうか、その道も険しい。

 もっとも大変なのが、学校現場で中心になってきた「熱心な先生たち」である。
 この先生たちが、今までの長時間労働を支えてきたのが自分たちの働き方にあったと自覚し、働き方を変えようと身構えてくれるかどうか、そこに最後のハードルがある。
 このハードルが一番難しいのかもしれない。
 ★
 その実現を待っている、ということが可能なのかどうか。

 その間に、多くの教師たちが疲弊し、ぼろぼろになり、鬱病になっていく。
 休職に入ったり、辞職の道を選んでいく。

 待ったなしの状態が、今も、目の前で続いている。

 一人の教師に何ができるか。
 まず、「日常授業」を豊かにしていく道を探っていくこと。
 「雑務」意識をきっぱりと捨てて、ここに本気になっていくこと。

 これを一人から始めることである。
 それは、どうしたらいいか。(続く)

 
 
 

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