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『教育激変』を読む~アクティブ・ラーニングはエリート教育?~

 『教育激変』(池上彰 佐藤優 中公新書ラクレ)を読んだ。
 この本は、対談形式で進められている。2人とも、ジャーナリストや作家として有名な人たちだが、現役の大学教授でもある。

 2020年からの「教育改革」を話題にしている。
 少し斜めの視点から語られているところが、なかなか良かった。

 この中で、注目したのは、以下のやりとりである。

 ★ ★ ★
佐藤 誤解を恐れずに言えば、アクティブ・ラーニングは、基本的にエリート教育だと思うのです。自ら考えをまとめて説得力のある話をするというのは、指導的な立場になる人たちにとって必要なスキルでしょう。
 話が出たアメリカのハイレベルの大学がそうですよね。水準の高い授業で学生をふるいにかけ、残った人間たちをエリートに養成すると   いう方針が明確です。

池上 出来が悪ければ、どんどん落第させますからね。

佐藤 アメリカでは、それで文句が出ることはありません。競争社会で強い者が勝ち残っていくのは当然だ、という社会の合意がありますから。
   ただ、自分で「エリート教育」をやっていながら思うのだけれど、このアクティブ・ラーニングについていけない人たちがどうなっていく   のかというのは、深刻な話だという気もするのです。詰め込み教育同様、新しい学び方の現場でも「落ちこぼれ」は生まれるはず。面倒なことに、今度はAIが絡んでくるわけです。

池上 前におっしゃった、AIリテラシーを備えた人間のところに情報やお金が集まっていく、という問題ですね。選ばれた人たちは、アクティブ・ラーニングによってそういう能力を獲得していけるけれども、そこからこぼれ落ちると、以前にも増して悲惨なことになりかねない。
 ★ ★ ★
 
 こういう論議が今までほとんどなされていない。
 私が読んだ本の中では、この本が、初めてきちんとリアルな現実を語っているのだと思われた。
語っているのは、次の2つ。
 
 ①アクティブ・ラーニングは、基本的にはエリート教育である。

 ②アクティブ・ラーニングについていけない人たちは、深刻なことに
  なっていく。

 今まで、このように正直に語っている識者は、いなかったと思える。
 このように語ってしまったら、大変なことになるからである。

「こんなエリート教育を義務教育の小中学校に導入するとは何たることか!」という猛批判を浴びるからである。

 私が今までアクティブ・ラーニングについてのさまざまな提案に違和感を感じてきたのは、まさにこのことであった。

 アクティブ・ラーニングを進めていくのは、賛成である。
 これから日本の教育に求められているのは、まさにこのことである。
 しかし、それは、基本的には高校や大学教育で行うべきことである。

 また、小中で行おうとするならば、子供たちに余裕がある私立の学校である。
 どんどん私立はエリート教育を推進すべきであると考えてきた。

 今回の学習指導要領には、アクティブ・ラーニングの考え方が中心で構成されている。
 しかし考えてみてほしい。
 不易な学力もきちんと含み込まれている。
 それは7割ぐらいにもなるはずである。

 この不易な学力の定着なくしては、アクティブ・ラーニングなんか考えようがないではないか。
ここが忘れ去られている。

 だから、私は、小中は基本的には不易な学力を身に付ける学習をすべきであると考えている。義務教育段階の教育である。
 その元に、アクティブ・ラーニングに進んでいく。

 高校や大学では、小中で身に付けてきた「不易な学力」をもとに、アクティブ・ラーニングをどんどん推進する。

 これがきわめて原則的な進め方のように思えたわけである。
 ★
 まず、小学校の段階で、子供たちに次の3つを身に付けさせる。

 ①自分の考えをもつ。
 ②それを言語化する。
 ③それを他の人に伝える。
 
 私が提唱した「味噌汁・ご飯」授業は、この3つを身に付けさせるために、「全員参加」の授業を目的としている。

 この3つができなければ、その後のアクティブ・ラーニングは成立しないはずである。
 これが基盤である。
 ★
 このような考えをもったのは、1989年の学習指導要領に導入された「新学力観」の自分なりの総括からである。
 この試みは大失敗に終わった。
 「ゆとり教育」の失敗として、記憶にあるはずである。
総合が入ってきた時である。

 私はその渦中にいて、「先生の実践は、もう古い!」と批判された。
 不易な学力はそっちのけで「新学力観」でほとんどの教師が突っ走っていった。
 
 「漢字を無理矢理教えることはない、かけ算九九も嫌がるのを無理矢理覚え込ませなくていい、……」という言説がはびこった。
 その結果、学力は低下し、クラスの低学力児を引き上げるなどという発想は、まったくなくなってしまった。

 その考え方は、アクティブ・ラーニングとほとんど同じである。
 私は、アクティブ・ラーニングの第1回戦だったと言っている。
 2回戦が今回。

 新しい学習指導要領実施へ向けて、学校現場は盛り上がりに欠けるとよく聞く。
 「ただ、道徳だ、英語だ、…だ!」とその対応に忙しくて、コマネズミみたいに走り回っているそうである。

 どうなっていくのであろうか?
  


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