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2019年2月

横浜野口塾のお知らせ

       横浜野口塾のお知らせ


1 日 時 平成31年3月30日(土)  10:30~17:00

2 会 場 横浜水道会館

              相鉄線 天王町駅下車徒歩7分

3 参加費 4,000円    学生2,000円

4 定 員 60名

5 日 程
  10:00 受付開始

 
10:30~12:00 第一講座 「説明文指導のポイントはこれだ」

10:30~10:45 地元教師による「想像力のスイッチを入れよう」の模擬授業

10:45~10:50 野口先生による指導・講評   

10:50~11:05 野口先生による「想像力のスイッチを入れよう」の模擬授業

           5分休憩

11:10~12:00    野口先生による説明文の指導法についてのご講演

 

12:00~12:50   昼食休憩・書籍販売

12:50~13:00        PRタイム

13:00~ 14:30第二講座「物語指導のポイントはこれだ」   

13:00~13:15     地元教師による「わたしはおねえさん」の模擬授業

13:15~13:20    野口先生による指導・講評

13:20~13:35     野口先生による「わたしはおねえさん」の模擬授業
     5分休憩

13:40~14:30     野口先生による物語の指導法についてのご講演

          10分休憩・書籍販売

14:40~15:40  第三講座  野中信行先生の学級経営講座 

                          「学級を軌道に乗せる学級づくりのあり方」

          10分休憩・書籍販売

15:50~16:30 第四講座  野口先生の教養講座 

                           「情報の読み方」        16:30~ 17:00  交流会

17:30~19:30 懇親会(希望者) 

6 申込方法

 「第202回 授業道場 野口塾 IN横浜 」のページのURLからお申し込みください。

 

   https://kokucheese.com/event/index/552120/
    
7 連絡事項

(1)昼食は各自でおとりください。会場周辺には飲食店があります。会場での飲食も可能です。

(2)講座修了後に会場近隣店で懇親会を予定しています。野口先生と直接お話しができる
 チャンスです。進んでご参加ください。 (4,000円程度の予定です。)

 



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つれづれなるままに~野良猫のトロが亡くなった~

   ●朝日新聞の折々の言葉(鷲田清一)から  2019.2.4

「お前が絵を描くなら、文章を書くなら、このまちの住人になるなよ。
 距離を取れ。
            陸前高田(岩手県)の写真館店主

 東日本大震災後、消防団長としての復旧に尽くした写真館店主は、被災者の言葉を必死に写し取ろうと移住してきた東京藝大の院生(当時)・瀬尾夏美に、その張りつめた思いを汲みつつも毅然とこう告げた。表現者は土地に密着してはならないと。これがのちの瀬尾の仕事の支えになった。
 「さみしさという媒介についての試論」
 ★
 この言葉はあらゆるところで使われるはずである。

 たとえば、新しい担任になった初任者へも使われる。

「あなたが、この学級をほんとにきちんと軌道に乗せたいと思うなら、
 子供たちの仲間になったりしたらだめだ!距離を取れ。」

 初任者の、大きな失敗は、子供たちの中へ入り、仲間になろうとすることから起こってくる。
 距離を取れとは、「縦糸を張れ!」ということになる。
 そして、横糸を張る(子供たちとの心の通じ合い)ことが必要になる。
 距離を取り過ぎても問題だからである。

●可愛がっていた野良猫のトロが亡くなった。
 隣の家の小屋で誕生し、ちょこちょこと私の家に遊びに来ていた。
 
 娘が玄関にトロの小屋を作ってあげ、夜になると、そこに入って休むようになった。

 食が細く、こわがりで、おくびょうだった。
 だから、毎日隣の家と前の家で、ひなたぼっこして過ごした。
 どこに行くこともなく、いつも私たちの見える場所にいた。

 ところが、今年になって、隣のうちにずっといるようになり、冬になっても、小屋に帰ってくることがなくなった。
  この寒さである。
 耐えられるのかなと心配していたが、やはり無理であった。

 最後は、私の家に連れてきて、一晩過ごした。
 朝方5時頃、もう冷たくなり始めて亡くなっていった。
  5年を過ごしたことになる。
 野良猫の寿命は4,5年と言われるが、丸6年生きたことになる。
 えさは隣の家でもらい、いつもいつも小食であった。
 それが心配だった。

 朝玄関へ出ると、ついつい日が当たっているところを探してしまう。
 もうどこにもトロはいない。
 
 平和主義者で、争うということをほとんどしなかった。
 トロがいる見慣れた風景が、もうないのだ。
 しばらくこのことに耐えなければならない。
 
●学事出版が『教採合格手帳』を出した。
 教員採用試験合格を目指す人のための手帳だという。
 
 私は、この手帳のもとになった教師プランニング手帳づくりの作成に関わった一人であった。
 その関係で、今も必ずその手帳が送られてくる。
 
 今回も、採用試験合格のための手帳を作成したということ。 
  それが送られてきた。よく出来ている。

●日本画家の堀文子さんが亡くなった。
 100歳だった。
 「慣れない、群れない、頼らない」という生き方を終生貫いた方だった。

 今堀さんが書かれた「私流に現在を生きる」(中央公論新社)を読んでいる。
 文章がうまい。しみじみ感じる。合掌。

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事務連絡

  「学級づくり」「授業づくり」の基礎基本の文書を希望された方で、まだ届いていない先生は、もう一度コメントしてください。リターンで返ってきた先生がおられますが、所在が不明です。

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一昔前の授業だ!?

   フェイスブックを見ていたら、T先生の授業に対して、以下のような否定をしている先生がいて、驚いた。
 T先生は、多くの著作をもっていて、特に国語教育では貴重な提言を数多くされてきた先生である。
 T先生は書いておられる。
 ★ ★ ★ 
 ……
 お一人だけ、全否定された方がおられた。
「こんなものは主体的対話的で深い学びではない一昔前の授業だ。
このような発問や指示を通して成り立つ授業は脱却しなければいけない過去の成功体験だ。」
………
 ★ ★ ★
 普通は、思っていてもここまで言うことはない。しかも、授業をしてくれたT先生に向かっての感想である。

 こんな自信がどこから生まれてくるのであろうか。
 驚くばかりである。
 ★
 これと同じようなことを言われたことがある。

 かつて20年前にも、新しい学習指導要領が改訂され、新学力観の考え方で授業を大きく変えなくてはならないという流れがあった。総合が入ってきたときである。
 
 この新学力観の考え方は、今の授業観と同じものである。
 漢字学習を否定したり、無理矢理にかけ算九九を教えることはないと指導したり、…とにかく教え込みの学習を全て否定するような勢いであった。

 決して文科省は、そんなことを提起したわけではなかったが、各地の教育委員会は、そんなことを指導していくところが出てくる。

 総合で私が授業をしたら、それを見た指導主事は、「子供が最初に声をかけるような授業ではなくて、教師が最初に切り出して発言しているので、そういう授業はダメな授業だ!」とまで発言した。
 私としては、まあまあの授業だったと思っていたのである。

 こんなバカな指導主事が、えらそうに指導をするときがあったのである。

 教師が指導する授業は、一昔前の、古くさい授業だという風潮であった。
 子供たちが前面に立って授業で活躍し、教師は側面から支援をする。
 そんな授業をすべきだと強く主張された。

 この風潮は、「ゆとり教育」の失敗という形で、尻すぼみに終わっていくのである。
 その結果、副作用としてひどい学力の低下を伴っていく。
 ★
 時代は巡る。

 20年前の新学力観の授業で何が失敗したのかと言うと、「不易の学力」を全く想定の中に入れていなかったことである。
 学習指導要領の中には、常に変わることがない「不易の学力」があるわけである。
 小学校は、特にその「不易の学力」の習得に力点をおくべき。
 
 算数の場合で言えば、1年生で習う「繰り上がり、繰り下がり」、2年生で習うかけ算九九などなど、どうしても覚えさせ、身に付けさせねばならないものがある。

 これを身に付けさせないで上学年にいけば、確実に低学力児になる。
 間違いなく算数嫌いを起こし、学習そのものを拒否していく子供たちを数多く生みだす。
 
 この当時、「嫌がることは無理をして教えなくてもいい」という風潮が広がった。
 今まで首根っこをつかまえても教えていくことが教師の作法であったものが、解き放たれたわけである。
 「やらなくて良くなった!」と。
 
 だから、低学年で必ず低学力児を4,5人出していくことが当たり前になっていく。

 今でもその後遺症は数多く残っている。
 それ以来、多くの教師たちが低学力児を何とかしようと身構えなくなっていったからである。

 私が今全国の先生たちと算数の低学力児を引き上げていく試みを共同研究でなしているのは、その後遺症をどのように克服していくかなのである。
 ★
 いつでも時代の流れで、研究授業だけは、今の流れで授業をし、そして普通の授業(「日常授業」)は、赤刷りの指導書の斜め読みで、カスカスの授業をやっている。
 20年前も、ほとんどの教師はそういう二面性をもってやっていた。
 そうしなければやっていけなかったからである。

 問題は、研究授業を何とかするということではなく、毎日やっている「日常授業」を何とかすること。
 この当たり前のことを発想の基盤にしなければ、何も変わらないのである。

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「ふつうのはたらき人」ということ

   ある講演をしたあとに、控え室に相談にみえた先生がいた。
 「クラスに2人不登校の子供がいて、どう対処するか悩んでいます」
と。
 思い詰めた様な様子で、かなり負担になっている様子であった。

 今は、不登校の子供は各クラスに1人はいる時代である。
 不登校になる原因は、ほとんどが家庭的な要因。
 どんなに学校としての働きかけをしても、家庭までを変えていくことはできない。
 それだけ、子供が抱えている生活は、ずっと重たい。
 だから、担任は、まず第一に学校へ来ている大半の子供たちの教育を考えていくことが大切。
 
 そして、不登校の子供には、担任ができるだけの対応をしていく。
 学校だけの対応ではもう無理である。
 さまざまな関係の先生、機関などとの連携で進めていくものである。
 
 過剰に、不登校の子供に関わっていくことは本末転倒になる。
 もちろん、学校が原因で不登校になっている場合は、このようなことは言っておられないのだが…。

 私は「できることをやっていけばいいのですよ」と。
 涙ぐまれていて、クラスに2人も不登校がいることを管理職に責められているのかもしれないと思われた。
 ★
 私は最後の勤務校で6年生の担任の時、クラスに不登校の子供がいた。
 家庭訪問などをして対応したが、登校できない。
 
 昼夜逆転の生活をしていて、家庭訪問をすれば、家の中は散乱状態で足の踏み場もない感じであった。
 母親と話せば、「対応をしてもらわなくてもいい」と言うことになった。なすすべもない状態。
 その子はついに登校できなくて、卒業させてしまった。
 
 ところが、それから2年後、小中一貫の試みで中学校の授業を見に行くと、中2の教室で、その子が教室にいるではないか。
 そっと「学校にこれて良かったね」と一声かけた。
 中学校になって、心境や状況が変わってきたのであろう。
 私は、ほんとに良かったとしみじみ思ったものである。
  ★
 教師の仕事について、さまざまな考え方がある。
 学校という存在を特別なものとして位置付け、教師に過剰な役割を押しつける、という考え方がある。
 昔は、「聖職」という考え方であった。
 
 私は、「学校」を「通過するところ」としての位置付けをしている。

 「何だ!それは?」ということになる。
 昔、思想家の吉本隆明さんが「学校とは通過するところなんですよ」という指摘をされたことがあった。
 学校というのは、その程度のもので、自分の人生は、学校とは別のところにある、と。
 
 考えてみれば、自分の人生だって、一番の影響を受けたのは、学校の先生や学校の勉強ではない。
 自分が教師になるときは、確かに思い出す先生たちの姿があったが、大半の人たちにとっては、ほとんど先生さえも忘れているものである。

 学校は、通過するものだから、教師の仕事はいい加減でいいのかというと、そうは思わない。
 通過させる儀礼があるではないか。
 自分ができることをきちんとしてあげる。
 それでいいのである。
 ★
 私は、16年前に初めて出した本『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版、今は絶版になっている)の中で、次のように書いたことがある。

 ★ ★ ★
 私は、教師の仕事を「ふつうのはたらき人」と同じように考えている。果物や野菜を売る八百屋のおじさん、魚を売る魚屋のおじさん、……と同じように、教師もまた「子供に勉強を教え、育てるおじさん」(私の場合であるが)という「ふつうのはたらき人」でいいのだと思っている。
 それ以上でも、それ以下でもない。教師の仕事は、そういうものである。
 八百屋のおじさんだって、いかに野菜や果物を売るかに奔走しているし、魚屋のおじさんだって、いかに魚を売るかを一生懸命考えている。それが仕事だ。
 教師の仕事は、いかに子どもたちにうまく勉強を教えていくかを考えていく仕事。それでいいではないか。教師を特別な存在として考える必要などないのだ。「人間を育てる」特別な存在として考えるから、大きな間違いを犯してくるのである。
 もっとむずかしく言うなら、「労働者であることをベースにして、あるいは専門職であり、また、たまには聖職者になる場合もある」存在である、とでも言えようか。大切なのは、自分の中できちんとバランス感覚を持っておくことだ。
 ★ ★ ★
 
  こういう考え方を導き出すには、前段に書いている教育労働の位置付けからのものである。
 1960年代から70年代に盛んに論争になった「教師の仕事は労働者か聖職者か?」について、私なりの結論をつけたのである。
 ふっと気持ちが軽くなったことを思い出す。
 
 今は、そんなことはまったく話題にもならないことである。
  だが、消えたわけではない。内側にもぐりこんだのである。

 今、学校は「ブラック学校」としての位置付けがはっきりしてきている。
 多くは、過剰労働を強いてきた行政の問題であるが、それを支えてきた教師の役割も、やはりあるのである。
 
 自ら過剰労働に加担している。
  それは、先にあげた「聖職者意識」が底の方で支えているのだと、私は考えている。
 「子供のために」という思い。
 
「ふつうのはたらき人」という考えをもっていれば、この意識を克服することはできるのである。
 
 

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つれづれなるままに~「日常授業」の改善が浸透している~

●北海道の室蘭市立みなと小学校へ行った。
 飛行機が飛ぶのかどうか心配したが、大丈夫だった。
 30日に、東室蘭に行き、そこのルートインホテルへ泊まる。
  夜は、校長先生たちとの懇親会。
 とても楽しい会になる。

 翌日の31日は、9時過ぎにみなと小へ行く。
 4校が統合して1つの小学校へなっていて、開校4年目。
 まだ校舎は新しく、素晴らしい学校である。

 3時間目に、4年1組の教室で授業をする。
 いつもの国語の詩の授業。

 授業が始まる前に、自己紹介。
 笑って、笑って、…。
 一気に雰囲気が柔らかくなる。

 「Y君 いいね!」
 「えっ~~~、どうして知ってるの?」
 「顔に書いてあるじゃないの!」
 「えっ~~~~~」

 事前に担任の先生から、よくしゃべるやんちゃな子供の名前を教えてもらっていたのである。

 1時間があっという間に終わってしまう。
 素晴らしい子供たちである。

 授業の楽しさをまた味わう。
 ★
 そのあとに、若い先生たちを集めての、ちょっとした講座。
 「なぜ、あのような授業をするのか?」

 1人ひとりの先生にも、感想を言ってもらう。

 「先生の授業は、子供たちの『ほめごろし』です。」と感想を言った先生がいた。
 子供たちの活動や発言に対して、一つひとつフォローを繰り返すからである。
 見ている先生たちはびっくりしたのであろう。
「あんなにほめるんだ!」と。

 ★
 5時間目に、他校の先生たちが見えての、公開授業である。
 全部のクラスを見せてもらう。

 どのクラスも、特別の「ごちそう授業」をしていない。
 きちんとした「日常授業」を展開されている。

 目立ったのは、学習指導案。
 公開授業の概要と書いてあって、A4の半分に、1教科  2単元名 3本時の目標、4主な学習内容(授業のポイント)が書いてあるだけ。

 すっきりしている。
 先生たちの負担になることはない。

 「日常授業」の改善で行くのだという心意気が表されている。
 
 この後、「これから求められる授業づくり」というテーマで60分ほど、話をする。
 とても良く聞いてもらえる。 
 ★
 すぐに、東室蘭駅に送ってもらい、札幌を目指す。
 この後、新札幌で何人かの先生たちと会うことになっているのである。
 東室蘭駅のホームは、寒くて、寒くて、凍り付きそうな感じ。
 これが北海道だとしみじみと思う。

●北海道教育委員会の学校力向上アドバイザーを6年間やった。
 その間に、およそ50回ぐらい北海道を訪問したことになる。
 
 ほとんどが学校訪問であった。
 だから、北海道中を回ったことになる。

 先生たちの授業を見せてもらい、私も授業をし、そして講演を行うというパターンを繰り返したことになる。
  ★
 あるA市には、何回も訪問させてもらった。
 最近、その市の指導主事の先生から手紙をもらい、A市の小学校では「日常授業」の改善というテーマが浸透していることが書かれていた。

 小学校全体が学力もかなり向上しているようで、今まではA小学校がダントツに抜きんでていたのが、そのA校を抜いていく学校さえも出てきたらしい。
 
 手紙をくれた指導主事も、今年から「示範授業」を始めたという。
 私が「もう指導主事の口舌だけを聞いてもらえる時代は過ぎている。授業で主張したいテーマを提案するようにならなければならない」ということに応えた対応である。

 今年は小学校で、道徳の授業を何回も行ったということ。
 どの学校でもたくさんの先生が参観に見える、と。
 
 指導主事が授業で提案するということは、恐らく初めてのことだろうから、
先生たちにとっては興味があるはずである。

 授業は、「刺激を与えるような授業ではなく、『味噌汁・ご飯』『ザ・シンプル』な授業を心がけている、と。

「こんな授業準備はできない」「こんな板書は自分には無理」と思われるような授業を見せても、日常授業の改善に生かされないと思うからと言われている。

 A市の小学校の多くで「日常授業」の改善がテーマになり、そんな授業を指導主事も授業提案していくという、そういう試みが始まっている。
 なんとも頼もしく、A市全体の学校が伸びていくのは当たり前である。
 
 暗い話題ばかりが溢れているが、このような光明が出てくることは、なんともうれしいことである。


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教師の力量を高めるための、習得法とは?

32歳になったという先生から質問を受けた。
「これからどのような教師を目指していけばいいのでしょうか?」と。

 こういう問題意識を持っているだけでもたいしたことである。
 もう日々を過ごすのに一生懸命で、多くの先生たちからこういう問題意識がなくなっている。
 ★
 「守破離」という習得法がある。
 これは、茶人・千利休の歌「規矩作法 守りつくして破るとも離るるとても本を忘れるな」をもとにしていると言われる。
 茶道、武道、伝統芸能などの世界で、物事を極める重要な習得論として知られている。
 もちろん、教師の力量を高めるためにも、必要な習得法だと考えている。

 「守破離」という言葉は知っている人は多いが、では実際のそれはどんなことだと言えば解っていない。
  この習得法は、千利休が生きた戦国時代から400年が過ぎているが、その400年の時の試練を超えて生き抜いてきたものである。
 ★
 この「守破離」は、私なりに教師の仕事で説明をすると、次のように考えている。

 「守」…基本となる実践をマネて、マネて、基本をしっかりと習得する。

  「破」…セミナーや研修会、本などで、身に付けた実践とは違う実践を
     研究する。

 「離」…自分の今までの研究を集大成し、自分独自の教師像を
     追究する。
 
 32歳の先生には、今までの10年間で「守」と「破」の段階を経てきてほしかったことになる。
 そして、いよいよ「離」の教師像を求めるという段階になっていく。

 ところが、ほとんどの先生は、「守破離」のステップを踏まないで学ぼうとしている。
 効率が悪いし、なかなか成長もしない。
 
 どんな習得をしているかと言えば、「離」ばっかりである。
 「離」というのは、いわゆる「自己流」。

 最初から、誰かに習うことなく、基本の本を読むということもなく、自己流でスタートする。そして、自己流で試行錯誤をし、自己流のスタイルを確立したつもりになっている。

 しかし、全く基本がなっていないので、上達もしない。
 だから、ベテランになっても初任者並みの授業しかできないという人が現れるわけである。
 ★
 セミナーに参加する先生の中にも、こんな人がいる。

 福山憲市先生とか菊池省三先生など「離」を極めた先生の実践を学びに行く。
 ここまではいい。
 
 そして、その実践を即座に自分で実践しようとする。
 まだ、基本も身に付いていないのに、上級者の実践を身に付けようとする。

 さまざまな職種のセミナーが開かれているが、初心者ほど上級のノウハウを知りたがるらしい。

 初心者ほど、背伸びをして上級ノウハウを知りたがる。
 基本を学ばずに自己流を目指したがるわけである。 
  うまく行くはずはない。
  ★
 大きな問題は、教師の世界で「守」で学ぶべき基本がきちんと提示されていないことである。
 経験論しかない。

 これは困ったこと。
 初任者がきちんと学ぶべき「基礎・基本」がないのであるから。

 そこで初任者用に「学級づくり」「授業づくり」についての基礎・基本を作成した(これは野中流である)。

 私のブログを読んでいる方で、その冊子を欲しいという方には、メールの添付で差し上げたい。
 PDFにしている。
 枚数が15枚になる。
 パソコンの容量が不足すると、リターンで返ってきてしまうので、よろしくお願いします。

 申し込みは、ブログのコメント欄にお願いしたい。
 コメントは非公開にするので安心してほしい。
 コメントに書かれたメールに添付で送付します。

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