つれづれなるままに~良いお年を~
●山形のあるりんご農園に、いつもこの時期、りんごを頼む。
限りなく無農薬にしているりんごである。
そのなかで、「わけありりんご」を頼む。
キズがあるりんごで、市販できないりんごである。
それを頼む。
これがおいしい。
人は見栄えの良いりんごを選ぶのだろうが、キズのあるりんごの甘さは格別である。
外山滋比古さんの『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』(幻冬舎)にもそのことが紹介されている。
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青森に行った帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。こちらが、
「キズのあるリンゴの方が甘いんですよね」
と言うと、おばあさんが、
「東京の人のようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています」
という意味のことを土地のことばで言った。うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。」
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ここから外山さんは、「人間にも似たことがある。」と続けるのである。
失敗のキズをいっぱいもっている人ほど、人間の甘みが出てくるのである、と。
●フェイスブックに載っていた記事。
「あるなあ~~」と思ってしまう。
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「子ども観」
学校で研究授業が行われた日。研究授業を行う学級を除いて、それ以外の学級は自習になる。研究授業が行われる学級に全教員が集まり授業を見る。そんな中、同じ階の1つの学級から大きな声が聞こえてくる。日頃から荒れているクラスだ。そんな学級はもちろん静かに自習をすることができない。大きな声で注意をする子の声や、それでも遊ぶ子の声などが聞こえている。その担任の先生は、そんな声が聞こえる度に、怒った顔をして教室に入り、怒鳴る。「またうるさくして!」「静かにしなさい!」そんなことを1時間の授業の中で3回程繰り返していた。
そんな荒れている隣の学級は、対称的に静かに自習をしている。僕と同年代の女性の先生が担任をしている学級。特別になにか事前指導したわけではない。「静かにね。」と言って自習にしたらしい。
事前指導でいうと、荒れている学級担任の方が念入りにしていたと思う。それでもこれだけ対称的な自習になる。
どうしてなのだろうか。いろんな理由はあると思うが・・・
静かに自習をできた学級の先生とは仲がよく、ここ最近は毎日放課後におしゃべりをしたり、授業のことを話したりしている。そこで気づいたことがある。
ここからが僕の考察。
静かに自習をしていた学級の先生はいつも僕に、「うちのクラスはいい子ばっかりだから助かっている。」とか、「最初から優しい子たちだったから、楽させてもらってる。」など、子どもたちに対して肯定的なことを言う。子どもや同僚がいない、二人で話す時にも学級の子に対して肯定的なことばかり言う。否定的な言葉を一回も聞いたことがない。僕にこれだけ肯定的なことを言うんだから、多分、日常的に子どもにも「優しい」とか「助かってる」と伝えているだろう。そして、保護者にも連絡帳や学級通信で肯定的な言葉かけをして、それが保護者から子どもに伝えられる。ちょっと穿った見方をすると、子どもたちは先生の期待に応える行動を日々とっているのではないだろうか。先生から「優しい子がいっぱいのクラス」とラベリングされたことで、本当に優しい子がとるであろう行動を無意識にとっているのではないか。「みんなならできる」とか、そんな肯定的なラベリングの積み重ねで学級を上手に運営しているのではないか。
一方、荒れている学級の担任は、その逆の否定的なラベリングをしている。職員室でも、学級の子に対して「また、嘘をついてた。」とか、「悪ガキばっかりで大変」などと言っている。そんなラベリングをしてる先生は、例え直接子どもに言わなくても、よく思っていないというメッセージがきっと態度に出てしまうだろう。そして、その否定的なラベリングに応える行動をとっているのかもしれない。その先生、保護者への電話連絡でもよくトラブルになる。言葉の端々に出ているのかもしれない。そして、保護者も子どもに今の担任の悪口を言うのではないか。そして、子どもも不満がどんどん溜まっていく。悪循環でしかない。
多分、ずっと荒れた学級をもったために、「子どもは悪さをする」という子ども観ができあがっているのかもしれない。そして、そんな先生は50代。いまさらその子ども観を変えられないのかもしれない。
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●これもフェイスブックで見つけた記事。
ほんとなのかな、と思ってしまう。
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小学校採用 政府方針に現場困惑/半数を英検準1級に
2018年12月29日 9時33分
しんぶん赤旗
小学校の新規採用教員の半数以上が英検準1級相当の英語力を有すること―。安倍政権が2019年度予算案に盛り込んだ採用方針が、「ハードルが高すぎる」(近畿地方のある県の教育委員会の採用担当者)と現場に困惑を与えています。
小学校での英語の教科化に向け、安倍政権は小学校の英語の専科教員を1000人加配するための費用を予算案に計上。ところが財務省は、加配を受けられるのは新規採用する小学校教員の50%以上が英検準1級相当以上の英語力を有する自治体だと言いだしたのです。
すでに今期の教員採用試験が終わっており、文科省は「来年度達成できる自治体はない」として、今後達成状況などに応じて配分する仕組みを考えるとしています。ただ、新規採用の半数以上に英検準1級相当以上を求める点では、財務省と違いはありません。
東北地方のある県の担当者は「県として採用目標を決めても、教員養成を担う大学が対応できるのか」と疑問を呈します。取材で初めて加配要件を知り絶句する県の担当者も。
中国地方のある県の担当者は半ばあきれ気味に言い放ちます。「50%以上なんて考えられない。何年かかっても達成できる県は出てこないだろう」
上からの政策誘導が問題
全日本教職員組合の宮下直樹書記次長の話 学校現場はいま、いじめや貧困などさまざまな課題を抱えています。現場の要求ではなく上からの政策誘導だというのが一番の問題です。
教育予算は本来、全国どの子にも豊かな教育を保証するためのものです。各自治体はそのために教員採用の計画を立てています。そこに予算を使って政府が介入し、ときの国や財界の思うような教育へと政策誘導することはやめるべきです。
低年齢からの英語教育が子どもの発達にどのような影響を与えるのか、格差拡大につながらないかなどの懸念があります。加配が全国で1000人となると、各県や政令市あたりでは十数人にすぎず、到底現場の要請には応えられません。
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ただでさえ、新採の受験者数が減っているのに、こんなことになったら、ますます減っていくのは目に見えている。
とんでもないことである。
もし、ほんとうにこのことが実施されていくとするなら、間違いなく新採用は減っていく。
政府は、学校現場や教師たちに対して、何か違う思いをもっているのではないかとさえ思われてくる。
とにかく、現場を知らなさすぎる。そのひどさは、呆れるほどだ。
●30日、テレビでレコード大賞を見た。
欅坂46の「アンビバレント」と、乃木坂46の「シンクロニシティ」は、良かった。
この2つのグループは、他のグループに比べれば、歌も踊りも、格段の違いがあるのではないか、と素人判断で評価する。
途中で寝てしまったが、乃木坂の「シンクロニシティ」が、2年連続でレコード大賞を受賞したと翌日の新聞で知ったが、そうだろうなあと思う。
●今年もこうして暮れていく。
このブログも、細々と、何とか続いている。
「つれづれなるままに」は、その時々に心にひっかかったことを書くようにしている。
そして、今私が行っている仕事を明らかにすること。
このことが残されたことである。
どうぞ皆さん、良いお年をお迎えください。
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