日常授業の改善(3)
「日常授業の改善」を書いた。
三重の中林先生に、「教室はドラマ30」という初任者に出している通信で、私が書いたものを引用してもらっている。
ありがたいことである。
最後の感想のところで次のように書かれている。
★ ★ ★
野中信行先生の文章には過激な言葉が並んでいます。うなづくところもあれば、指導書を見ていてもそれをアレンジするのだがら、スカスカではないと思ってみたり。
同感するところは日常授業の充実とそのための「全員参加、リズム・テンポ、小刻み活動」ということです。
「学び合い」の学習ではそのどれも欠けていました。というか、この考えの対論としての「学び合い」でした。
4人の初任者の皆さんが何年後か、この野中先生の文章を見るとき、自分の姿と重ねることのないようになってほしい。………
★ ★ ★
過激だと言われている(笑)。
意識して極端に書くことは、確かにある。
でも、今回の「日常授業の改善」というテーマで書いたことは、「リアルな現実」である。
指導書を見ることは問題はない。いや、それなくしては、もう「日常授業」をこなしていけなくなっている。多くの先生たちのこと。
しかも、それはつかの間の「斜め読み」なのだ。
それでしか、対応し切れていない現実がある。
★
だから、授業がスカスカになるのである。
教材の工夫をすべきだと言われる。
反対する人はいない。
その通り。
できれば、そうすればいい。
でも、そんなことは「日常授業」では無理だ。
教科書でいい。
子供たち全員が持っているのである。
それを使わない手はない。
指導書も使っていい。
だが、いつまでもそれを読まなければ授業ができない状態ではまずい。
指導書は、単元目標の確認や本時の目標の確認程度に止められるようにしたい。
教科書を読んで、それを1時間で、どのように教えていくかが考えられるように早くなりたい。
★
むしろ、私が強調したいのは、その「指導の展開法」なのだ。
ここを変える。
なぜ、変えるのか。
多くの先生たちの授業の展開は、子供たちにとって、「飽き飽き」するものだから。
①話を「聞くだけ」があまりにも多すぎる。
先生だけがずっとしゃべっている。
②一部の子供だけが始終発言する。
ほとんどが傍観者になっている。
③ゆっくり、丁寧で、いつも授業が中途半端で終わる。
これらを変える。
「聞く」だけの授業→「集中する」授業 に変える。
なぜ、「集中する」授業なのか。
それは、子供たちが一番望んでいるから。
子供たちは、どんなに「つまんない内容」(教科書に載っていることは、ほとんどがつまんないのである)でも、いつのまにかそれに「集中している」という状態に変えてほしいのである。
★
先日も、兵庫県の三木市で、授業をした。
4年生の初任者のクラス。
いつもの詩の授業である。
谷川俊太郎さんの詩を使う。
授業は、黒板に詩を書いて、それをノートに写し、それを一人ずつ読んで行く。それが基本の進め方。
おもしろくもないはずである。
だが、子供たちは楽しそう。手応えもずいぶんある。
どうして、このシンプルな進め方に、子供たちは乗ってくるのか。
それには、授業の展開法に工夫を凝らしているからである。
★
この授業では、展開法の工夫を、4つの条件で構成した。
①全員参加
②スピード・テンポ
③フォロー(ほめたり、認めたりすること)
④小刻み活動法
「日常授業」の改善では、「日常授業を乗り切る3条件」を提案したが、今回は、それにフォローを付け加えている。
これらの4つの「構成要素」を使って、「日常授業」の展開を変えていければ、子供たちはいつのまにか「集中してきますよ」という提案である。
70点の授業でいい。
「日常授業」は、80点以上を望む必要はない。
50点以下の「すかすか」状態を克服するのである。
それが、「日常授業」の改善というテーマになる。
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