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2018年9月

再び「日常授業」の改善ということ

 「日常授業」の改善をどのようにしていくか、を書いた。
 ある先生からコメントを受けた。
 ★ ★ ★
 今回の野中先生の記事、「そうそう!」と納得しながら読んでいました。学力向上推進教員を3年務めているため、延べ300学級の授業を参観し、アドバイスしておりますが、野中先生の言われる通り、ほとんどの先生方が赤刷り指導書の斜め読みで授業を行っています。意識の高い先生方は、板書型指導案を作成し、前以て私に渡してから授業にのぞまれます。しかし、残念なことに、授業がスカスカなんです。「ねらい」「全員参加型」ここに意識が向いていないんです。研究授業のときだけ、仰々しいほどの資料を用意して授業を終わらせて、それが済んだら、また元のスカスカ授業です。「日常の授業を改善しましょう!」と助言するのですが。。。
 ★ ★ ★
  300学級の授業を見てきている先生のコメントである。
 やはりなあという思い。
 ★
 今まで何度も訴えているのだが、今までなされてきた授業論の多くが破綻していることについてである。

 どんなことが破綻しているのか。
 真っ先に思いつくのが「教材研究」。
 
 これが必要ないと言う先生なんていない。
 初任者指導の先生などは、初任者に、「もっと教材研究をしなさい」と強く指導されることである。

 だが、実際にこれをやっているのは、研究授業のときだけ。
 しかも、そのやり方はほとんどがネット検索。
 膨大な指導案が出てくるので、そのコピペをやっている。

 日頃は、教材研究などほとんどしない。
 赤刷りの指導書の斜め読みである。
 これでしか乗り切っていない。

 最近は、もうこの指導書を公然と手に持って授業をしている先生が多いと聞いている。
 昔は、指導書を教室に持ち込むなんてすべきではないという暗黙のルールがあったのである。
 
 こういう「現実」で、「教材研究をもっとやろう」という呼びかけがどんなに虚しいものか、分かるはずである。
  ★
 同じような呼びかけが、さまざまな研究会や研修会で行われている。それは、民間の研究会でも同じである。

 たとえば、社会科の研究会で「学習問題づくり」とか「子供の問題意識を大切にしてとか……そんなことを言う先生たちがいまだにいるということ。
 親しい知り合いの先生から聞く。
 社会科をずっと研究してきた先生である。

 国語でも算数でも、他の教科でも、同じような提起をしているはずである。

「そうあったらいいね」という「べき論」である。
 誰もやらない、誰もやっていない、「べき論」。
 ああっ、極端な言い方である。訂正!
 
 一部の熱心な先生たちがやっている実践。
 そんな先生しかやっていない実践。
 
 あまりにも学校現場の「具体」から隔絶した実践なのだ。
 そういうことに早く気づくことである。
 ★
 赤刷りの指導書斜め読みの指導(「ぶっつけ本番授業」と言っている)を否定することは簡単である。

 現実では否定なんかできない。
 それしかできないのだから。

 アクティブ・ラーニングが出てきたときに、初めに思ったのは、「そんなことが多くの先生たちにできるのだろうか?」という疑いだった。
 今では、その言葉はなりを潜めて「主体的・対話的で深い学び」になっているが、状況はまったく同じである。

 そんなことができるのか?

 やれと言われて先生たちは研究授業でそれなりのことをやる。
 しかし、「日常授業」になると、また指導書の斜め読み指導に戻る。
 それを繰り返すことになる。
 
 かつて、新しい学力観という形でゆとり教育が始まったが、その二の舞になることは必定である。
 多くの先生たちは、同じことをしたのである。
  ★
 しかし、「指導書の斜め読み指導」を擁護はできない。
 それが陥っていく「結末」は、決してうまくない。
 
 ①何とか今を乗り切っているつもりであるが、それはつも  りにしかならない。
  授業はスカスカで、その時間時間を何とか乗り切れるだ  けで、それっきり。
  子供たちに学力もつかない。
  つまらない授業だから、クラスによっては学級崩壊の危 機が潜在的に控える。子供たちは、もう嫌気がさしている。
 
 ②クラスにいる低学力児を引き上げることはもちろんでき  ない。そのままで上の学年に上げていくだけ。
  いつのまにか、そんなことも望まなくなる。

 ③授業力が上がらない。いつまでも初任者並みの授業しか  できない。だから、中堅やベテランになっても、その日  暮らしで乗り切っていくだけになる。
 
 一番大きなものは、仕事に「手応え」がなくなることである。
 授業の「手応え」とは、目の前の子供たちが、自分の実践で目を輝かせ、意欲や自信を示してくれることである。

 もちろん、熱心な先生たちも、それを願って提案しているのであるが、しかし「べき論」にしか過ぎない。
  ★
 教える内容をどのように工夫するかなどをもう追究できなくなっている。
 発問などの指導法をどのように工夫するかなども追究できなくなっている。
 
 学校現場の「具体」で、多くの先生たちに、突きつけられているのは、忙しさの合間に、とにかく授業をこなしていく手立てなのである。

 知り合いの社会科の先生は、社会の専門の先生ばかり集まっている会で次のように発言されている。
  ★ ★ ★
 社会科の専門の先生から社会の授業を学ぶ。算数の専門の先生から算数の授業を学ぶ・・・。それをすると、先生は大変。苦しくなる。
 専門外の先生で、結構上手にされている先生に学ぶ方が、現実的ですよ」という内容。
 社会の専門の先生ばかり集まっている会で言いました。まあ、みなさん、何とも言えない顔をしてました。
  ★ ★ ★
 ここで指摘されている意味が分かっていただけるだろうか。
  そこで、次のようにも指摘されている。
 ★ ★ ★
 私は、教科書を使った授業をしたらよいと、私流の教科書を使った授業を代案として書いて配りました。
 小学校の教員は毎日5時間も6時間も授業をするんです。忙しいです。
 それでも、毎日の授業を少しでも充実させる。
 そのためには、教科書を使った授業を上手にすることです。
  ★ ★ ★

 長年、社会科を研究されてきて、多くの実践を残されてきた先生が、このように指摘されている意味は、実に重い。
 もうここには「べき論」がない。
 ★
 今、何が突きつけられるのか。
 これほど混迷する時代も、かつてなかったのではないか。
 いや、もう混迷というところを超えているのかもしれない。

 私は、先に「『日常授業』の改善ということ」を書いた。申し出のあった方には、算数の授業記録まで付け加えておいた。
 
 今求められているのは、「日常授業」の、その展開の仕方である。
 教材は、教科書。
 
 その教科書を、子供が集中できるように、どのように展開していくかにかかっている。
 私は、とりあえず3つの条件を出しておいた。
 
 「日常授業を乗り切る3条件」
 ①全員参加
 ②スピード・テンポ
 ③小刻みに
 このような条件は、いろいろ考えられた方がいい。

 今求められているのは、「こうあるべき」論ではなく、「日常授業」のカタチなのである。
 

 

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つれづれなるままに~鳥取大山に行った~

●19日から鳥取の大山へ行った。
 ここへはもう3回目になる。
 
 楽しみにしていたのは、大山に出会えること。
 この山は、今年開山1300年ということ。
 2回の訪問では、雲に覆われて見ることができなかった。
 今年はぜひという思いで出かけた。
 ★
 午後16:15に米子空港に着く。
 
 迎えにきてもらった井上先生の車の中から、早速大山が顔を出した。
 雄大な山で、そびえ立つ。
 やっと3回目で大山を見ることができる。
 ★
 ここへは学校訪問をし、授業をし、そして講演をすることになっている。
 名和小学校。
 
 朝学校へ着くと、サルビヤの花が咲き乱れていて、うわ~~という気分になる。なんとも素晴らしい眺め。
 
 校長先生から学校の中を案内してもらう。
 この学校を作った設計者の思いがしっかりと刻まれていて、すばらしい学校になっている。
 
 数多くの学校を見てきたが、こんな学校を見るのは初めてである。
 中でも目を惹いたのは、図書室。
 
 司書の先生がおられて、目を見張る思い。
 こんな設計をされている図書室を見るのは初めて。
 北海道で網走小学校の図書室もすばらしいものだったが、この図書室もすごい。
 ★
 3年生のクラスで道徳の授業をさせてもらう。
 反応が良いクラスで、打てば響く子供たち。
 楽しい授業だった。
 
 ところが、私の方が時間を間違えてしまって、最後の大事なところで時間がきてしまい、尻切れで終わる。残念。
 ★
 21日、すっかり晴れてきて、空港から大山が見える。
 どんどん雲が流れて、大山が顔を出してくれる。
 良かった!
 
●メールが、突然機能しなくなった。立ち上げるのに5分以上かかる。一向に直らない。
 これではどうしようもないと、訪問サポートを頼む。
 
 翌日に訪問サポートの人がくる。
 早速パソコン診断をする。
「3年経っていますね。正常に機能しています。普通の家庭のパソコンより3倍使われていますね。」
 
 メールの問題は、セキュリティーが機能しなくなったことからきている、と診断。
 早速機能回復にかかる。

  すぐに正常に機能するようになる。
 驚くほどの速さである。
 プロという人のすごさを感じる。

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日常授業の改善ということ

 「日常授業」の改善ということ
                                       
1 ぶっつけ本番授業をしている 
 小学校の担任は、毎日5,6時間の授業をしている。
 ちゃんと教材研究ができているかと言えば、それはない。
 

 ほとんどの先生たちが、毎日「ぶっつけ本番授業」をしている。何の準備をしないままに、そのまま教室へ行き、赤刷りの指導書を斜め読みしながら、何とか1時間を終えていく。
 

 「ちゃんと教材研究をしなさい」と言葉かけできない。
 そんな余裕の時間なんてない。
 

 本来、学校は、授業で成り立っているところ。1時間目から6時間目の授業で、一日の日課表は組まれている。
 だから、そこに学校は、エネルギーの大半を注ぎ込まなければならない。しかし、そうなっていない。
 

 多くの教師たちは、その授業の準備を一番粗末にしている。
させられているというのが、正確な言い方だ。
 

 きちんと教材研究をしようと思っても、できない。それだけの時間的余裕がない。だから、テキトウになる。
 それでもがんばっている先生たちは、自分の睡眠を削って行っているはずである。
 

 「べき論」が主張される。
「もっと教材研究をすべきだ」「もっと楽しい授業にすべきだ」……
 しかし、こんな「べき論」は、ほとんど破産している。
 

 実際に、ほとんどの先生がやっていることは、これとは隔絶したことなのである。
 
2 「日常授業」の授業法を変える
 

 問題点を指摘ばかりしていても始まらない。
 現実がそうなのである。この現実はすぐに変わらない。
 

 だから、この現実を踏まえてこちら側の発想を変えなければならない。
 どうするのか。
┌───────────────┐                 
│ 日常授業の授業法を変えること   │                
└───────────────┘                 
  私は、こういう結論にたどり着いた。
 

 多くの先生たちは、「日常授業」を乗り切る授業法を持っていない。
 ほとんどが指導書頼り。
 

 研究授業の場合だけが、特別に特別の教材研究を試みる。
 ネット検索がほとんど。
 

 お客様用の「ごちそう授業」。
 その授業が終われば、もう1年間が終わる。
 

 明日から、いつもの授業に戻っていく。
 ほとんど何も変わらない。
 

 子供たちの学力向上もない。
 授業力の向上もない。
 

 だって、1000時間以上の時間を赤刷りの指導書頼りで、スカスカの授業を続けているのだから。
 
3  「日常授業」を乗り切る3条件
 

 さて、どのように「日常授業」を変えていくか。
 このためには、いかに子供たちにエネルギーを使わせて、授業に集中させていくかを考えればいい。
 

 子供たちは、決して教師に、毎日楽しく、おもしろい授業をしてくれと願っているわけではない。
 子供を見くびってはいけない。
 

 ただ、無意識的に願っていることはある。
┌────────────────────┐       
│ 聞いているだけの時間を少なくしてほしい    │      
└────────────────────┘       
 彼らは、ただ聞いているだけでなく、体を動かして作業などの活動をさせてほしいと、願っている。無意識ではあるが……。
 

 集中する時間を作るためには、どうするか。
 そのための条件を考えればいい。
 

 それを提案したい。
 「日常授業を乗り切る3条件」になる。
┌──────────────┐                   
│ ①全員参加                      │                   
│ ②スピード・テンポ              │                   
│ ③小刻みに                             │                   
└──────────────┘                   
 

 ①全員参加のためには、挙手発言型の授業を止めなくてはならない。いつもよく手を挙げる4,5人を中心に展開する授業を止めなくてはならない。
 また、数多く挙手させようとする授業も止めなくてはならない(挙手発言を止めるということではない)。
 

 そんなことに力を使わないで、どんどん指名をして全員を参加させる授業に切り替えていく。
 

 ②のスピード・テンポは、必須の条件。
 子供たちはすでに毎日のゲームで、もう無意識的にスピード感が体に染みついている。だから、「ゆっくり、丁寧」な授業は、もう彼らの感覚に合わなくなっている。
 

 ③小刻みに というのは、「小刻み活動法」として提起していることになる。
 指導言(発問、指示、説明)のあとに、すぐに「活動」を小刻みに組み入れていく授業法。
 

 指導の内容を細分化する。子供たちが聞く時間をできるだけ少なくし、ちょこちょこと活動を入れる。
 

 活動とは、書く、発表する、ペアで相談する、グループで話し合うなどになる。

4 「味噌汁・ご飯」授業の算数授業
 

 ちょうどこの時期に、神奈川県厚木市のM小学校から頼まれて算数の授業を行った。「味噌汁・ご飯」授業の算数の授業をしてほしいということ。
 

 この授業を「日常授業を乗り切る3条件」で組み立て、授業を行った。5年生の授業。
 結果的には、予定通りには行かなかった。
 

 しかし、私がどんな授業をしようとしたのかを授業記録として提起することは意義があることだと考えて、授業を再現してみたい。

   ★

 もしこの再現授業がほしいという方がおられたら、コメント欄で申し込んでほしい。

 メールの添付(PDF)で送ります。コメント欄は公開にしませんので、遠慮なく申し込んでほしい。

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甲子園白山高校の快挙から算数教育を考える!

 今年の夏の甲子園は、2校の県立高校が大会を盛り上げた。
秋田の金足農業と三重の白山高校である。
 金足農業高校は、吉田君という豪腕ピッチャーで勝ち抜いていったことは皆さんが知るところ。
 ところが、三重の白山高校は、そんな特出した選手はいない。
 こんなチームが、どうして予選を勝ち抜いたのか。
 
 三重県は、高校野球で特別に弱いところでない。
 三重高校は、春の選抜でベスト4に進んでいる。
 ここには、松阪商業という強豪校もいる。
 この松阪が、今年は1回戦で三重を破っている。

 こんな中で、白山高校が登場してきている。
 甲子園では、1回戦で敗れたのであるが、そんなことは問題ではない。
 この登場に、報道ステーションは、12分をさいて異例の報道をしたほどなのだ。

 プロ並みの甲子園常連校の中で、部員数人という白山高校に赴任した東先生が成し遂げたことはすばらしいという一事。
 
 誰も予想しなかった快挙。
 きっと選手たちも信じられなかったに違いない。

 東先生は、何をしたのか、ということになる。
 高校野球は、ほとんど監督の技量が、すべてを決定していくのである。
 ★
 実は、このことをくわしく教えてくれたのは、いつも愛読している中林則孝先生の「教室はドラマ30」。
 初任者向けに出されている通信である。
 中林先生は、三重の白山高校の近く。
 
 中林先生の通信に、とても興味深い記事が出ている。
 「なぜ白山は強いのか」という記事。

 ★ ★ ★
 テレビ報道で知ったことですが、年間の試合数が160とのこと。この数字は常識的にはあり得ないことです。1年間は52週ですから、毎週土日に試合をしても100ちょっとです。160という数字は全国の高校野球の関係者を驚かせたはずです。
 1日に2試合をすることで160という試合数が可能になったようです。この試合数をこなすだけでもパワーやスタミナをつけることができるはずです。三重県大会で決勝を戦った松阪商の監督は「うちの選手は疲れ果てていたけど、白山の選手はピンピンしていた。練習試合の回数の違いだろう」とコメントしていました。
 ★ ★ ★
 160という試合をこなすことに賛否はあろう。
 しかし、これで普通の弱小の高校チームが、強豪校を破ったのである。
 それについて、中林先生は、次のようにその秘密を書いている。
 ★ ★ ★
 私はもう一つ思うことがあります。
 それは「練習」と「試合」は質が異なることです。練習はインプットといえます。対して試合はアウトプットです。
 脳科学者は「インプットだけではなくアウトプットをも取り入れる方が学習効果が高いこと」を実証しています。
 ……略……
 つまり練習ばかりするのではなく、試合を多くすることで強くなるということです。試合が多いというと、マラソンの川内選手を思い起こします。川内選手は常識外のレースを経験しています。レースそのものが質の高い練習になると川内選手はいいます。
 ★ ★ ★
 ここには、大事なことが言われている。
  公務員ランナーの川内選手が、プロのアスリートたちをなぎ倒して勝っていった秘密も、書かれている。

 このことは十分に考える必要がある。
 ★
 ここからまったく違う話題に引き寄せて語らせてもらう(笑)。
 「味噌汁・ご飯」授業の算数授業についてである。
  「味噌汁・ご飯」授業の算数について、この授業は子供たちに「思考力」を身に付けさせることができないという批判を受けることがある。
 
 「だって、どこにも思考させるところがない。ただ、教え込んでいるだけではないですか!」と。
 「じゃあ、反対に聞きますが、あなたの授業はどこで思考力をつけているのですか?」
 「私の授業では、最初の問題で自力解決として十分に時間をとって子供たちに考える時間をとっています」と。
 「それで思考力はついているのですか?ついていると何で評価しているのですか?」
 「……だって思考する時間は十分取っているのですから!」
というようなやり取りになる。

 ここには、「思考する授業」と「思考力をつける授業」の混乱がある。
 この2つを取り違えている。
 「思考する場面」を設定すれば、子供たちに「思考力」がつくという短絡化した発想がある。
 
 考えていただきたい。
 水泳のクロールの泳ぎ方についていろいろ考え、話し合いをして練り上げていけば、クロールが泳げるようになるのか。
そんなことはありえない。誰だってそれは分かる。
 
 クロールが泳げるようになるには、泳ぎ方の技術を教えてもらい(「インプット」)、水の中で何度も繰り返し練習(「アウトプット」)をしなければ泳げるようにならない。
 
 これは、スポーツ、音楽、料理、演劇、芸事などすべての技能を習得するものには共通なこと。
 技術を与え、その技術を使いこなす技能を高めさせていくアウトプットが大事になる。

 算数学習でもそうなる。
 子供たちに問題の解き方をきちんと教え(「インプット」)、その解き方を使って数多く練習問題に当たって、解いていく(「アウトプット」)。そのプロセスの中で算数の「思考力」は身に付いていくはずである。

 それを「味噌汁・ご飯」授業の算数はめざしている。
 ★
 要するに、1問だけの自力解決の授業は、インプットばかりで迫ろうとしている。

 算数の「味噌汁・ご飯」授業は、「インプット」から「アウトプット」へのつなぎをきちんとなして、勝負は「アウトプット」の練習問題を解くことだと考えている。
 そして、そのための布石を打っている。

 クラスにいる算数の低学力児を、確実に引き上げていく手立ては、この「アウトプット」にあるのだということではないか。

 今までの算数教育は、このことをほとんど問題にしていない。
 「インプット」ばかりを云々してきたのである。
 ★
 最初の中林先生の指摘に戻りたい。
 白山高校の快挙や川内選手の試みは、「アウトプット」への取り組みにその秘密があったのである。

 同じように、全ての学習も、ここにポイントがあることを知るべきである。
 
 

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