●横須賀での初任者研修のアンケートが届く。 その中で、以下のように書いている初任者がいる。
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今まで、子どもとうまく学校生活を送りたいという気持ちが強く、野中先生がおっしゃっていたように「仲良し友達先生」になっていると感じた。これからでも遅くないということだったので、縦糸と横糸をしっかり意識し、児童の願いを達成できるように心がける。まずは、クラスで、目標達成法を取り入れ、子どもたちが教室を動かせるよう支援していく。
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「仲良し友達先生」になっている初任者は、たくさんいるに違いない。
自然な行為だからである。
でも、そういうクラスは、危険である。
もうクラスが、荒れてきているのではないか。それが心配である。
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初任者は、自分が「若い」ということは、子供たちにとって良いことだと思っている。
いや、学校の先生たちの多くも、初任者などの若い先生たちに対して、「若い先生が入ってきて良かった!」という歓迎のムードがある。
だが、次のような警句があることは、まったく想定されていない。
有名な英文学者である外山滋比古さんは、以下のように書かれている。
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学校を出たての新人教師はハリキっている。こどもの前で「キミたちといっしょになって勉強しよう。先生ではなく兄貴だと思ってくれ」などとイキがるかもしれない。こどもとの年齢差が小さすぎる。教師としての致命的ハンディである。それに輪をかけるように年齢差を縮めるようなことを言ったりするのはものがわかっていないのである。もののわからない人が人の子を導くことは難しい。
若い教師が若ぶるのは悲しむべき誤り。逆のことを考えるべきだ。若く見られてはいけない。服装なども、少し地味に、きちんとしたものにする。(『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』幻冬舎)
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この指摘は、初めて聞くことに違いない。
「こどもとの年齢差が小さすぎる。教師としての致命的ハンディである」と。
外山さんは、「人と人は近ければ近いほどよいなどということはない。近いものは、近いものに、よい影響を及ぼすことができない」と厳しい指摘をされている。
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どうしていくか。
私は初任者研修で強調している。
「教師をする」のだと。
初任者は、意外な感じで受け取る。
自分では、「教師をしている」つもりだからである。
「仲良し友達先生」としての「教師」をしているのである。
子供たちには、「友達」のようにしか受け取られていないことを分かっていないのである。
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そこで、「教師をする」というのはどうすることかと畳みかける。
「行動化」しなければ意味がないからである。
普通こんなことを考えていないから、「えっ~~」となる問いかけになる。
これを読んでもらってる皆さんはどうだろうか?
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