つれづれなるままに~引き算発想で生きる~
●新年度が始まっている。
2018年度の始まりである。
私は、2017年度で終わったことが3つある。
1つは、6年間続けてきた道教委の学校力向上のアドバイザーの仕事を卒業したこと。
2つ目は、「味噌汁・ご飯」授業研究会から退いたこと。
3つ目は、一部の人たちを除いて年賀状を辞めたことである。古稀を迎えての決断。
親しい人たちとの忘年会も、新年会も、ほとんど辞めてしまっている。
引きこもり状態(笑)。
★
引き算発想である。
もはやたし算発想で何かをやるということはない。
人生は、往路と帰路があり、今その帰路を歩いているという自覚である。
帰路は、当然、引き算発想になる。
●4月4日、福島の郡山に行く。
ここには初任研として8年目になる。
昼頃に到着し、いつもの「杜の香り」というカフェでおいしいコーヒーを飲む。
今年は、桜の満開に立ち会う。
見事に咲きそろっている。
17名の初任者。
ほとんどが大学出たての先生たちになる。
過激に問題提起をし、どうすべきかも提起する。
●4月6日、横浜のA小学校へ行く。
メンターの先生たちに呼ばれてのこと。
かつて4年間ぐらい、この学校に4月1日に呼ばれて毎年出かけていたことがあった。
その先生たちが数人残っておられて、今回また呼んでもらえた。
もちろん、ボランティアで行く。
「味噌汁・ご飯」授業について質問があり、「今度私が授業しましょう!」ということになる。
37年間横浜にお世話になったのである。
お返しをしなくてはならない。
●仮説実験授業の板倉聖宣さんが亡くなったことは、前回のブログで紹介した。
「たのしい授業」4月号では、板倉先生の講演記録が載っている。
板倉先生の研究追究の原点が明らかにされている。
★ ★ ★
…「なぜ研究するのか」「なぜ問題なのか」ということをはっきりしなければ研究してはいかんのだ、<それが見えないようではただ流行で研究しているだけだ>という思いがあるからです。
「ぼくは下町主義だ」と言ったりします。その言葉が適当であるかどうかはわからないけれども、<そのテーマが普通の人たちにどうつながっているか、ということを鮮明にする>ということがぼくの下町主義の一つの表現です。
★ ★ ★
こういう研究者が、日本からいなくなっている。
残念なことである。
今は、多くの方が、流行に乗って「アクティブ・ラーニング」の研究にいそしんでいる。
考えてみれば、私もこの下町主義であったなあということ。
多くの普通の先生たちの課題に通じるテーマを追究してきたことになる。
●算数の坪田耕三先生が亡くなった。
私と同じ70歳であった。
くわしい病のことは聞いていない。
親しい付き合いでもなかった。
一度だけ帯広での授業づくりネットワークの大会で、一緒の講師だったことがある。
講座のあとの一次会で帰ろうとされたので、「先生、もう一軒行きましょう」と無理矢理二次会に誘っていったことを思い出す。
この時には、ずっと私より上に見えたのだが、同世代であった。
算数では名だたる方であり、授業名人でもあった。
まだ、まだであったはずである。残念!
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