« 「味噌汁・ご飯」授業研究会解散セミナーのお誘い | トップページ | 自前の授業法を作り上げること »

再び相談を受けて

   20代の男性教師の先生が、2回目の相談という形で以下のような相談を寄せられています。

  ★ ★ ★
 以前にも相談させていただいたことのある、20代男性教師です。
今年度5、6年生の理科専科を担当しています。

専科という性質上なのか、私自身がなめられているのか、
その両方だと私は考えますが、6年生の授業はやりにくいと感じていました。
子どもたちは、理科の授業で息抜きのような態度を見せます。担任の先生にも相談し、時々担任の先生が理科の授業のときにも後ろにいてくださることもありました。また、もし何か起こり、私自身で対応できない場合、すぐ担任を呼んだこともありました。

そうした中で、6年生のある1クラスは、そのクラスの3人の男子児童に授業をかき乱され、正直苦労しています。ノートを書くように言ってもその子たちはほとんど書かず、奇声をあげることもよくあります。注意してもほとんど指導が入らず、「なぜ僕だけに言うのか。他の子には言わないのか。」などの反発が返ってきます。その言葉に、何と返せばよいのかわからなくなったりします。

幸い、その3人以外はきちんと授業を受けているので、その点はありがたいので、そういったまじめに授業を受けている子たちをしっかり見て、授業をするように心がけてきました。

ただ、その3人は、明らかに授業の妨げとなるような言動を取るため、
注意しないわけにもいきません。しかし、私自身の指導が入らないため、最近はその3人への注意をあきらめているところがあります。
担任の先生が後ろにいてくれることもありますが、理科の授業は私が主で行う時間なので、本来は私がその3人への注意をすべきなのです。しかし、私はその3人への注意をあきらめ、それを心の中で担任任せにしているところがあります。
その3人には、担任の先生の指導は入るのですが、私自身の行動は目の前の子どもたちのことを考えた行動とは言えません。そして、その罪悪感も感じています。

卒業まであと2ヶ月と、心の中で、指折り数えている自分がいます。
私はどうすればよいのでしょうか。
 ★ ★ ★

 1回目の相談の時のことも、よく覚えています。
 この学校は落ち着いているところだと思われません。
 むしろ、荒れている学校でしょう。
 
 荒れている学校は、高学年が大変になるのです。
 その中で、高学年の理科専科としてがんばっておられるのです。
 それは大変なことだと思われます。
 3人の子供は、息抜きで来ていることは間違いないでしょう。

 その3人は、「生徒しよう」(学習の姿勢を示す)という気がありません。 
 きっとどんなに授業を工夫しようとも、同じような態度を取るにちがいありません。
 
 その3人以外はきちんと授業を受けているというのですから、先生の授業は、きちんとなされていると言えます。

 今、理科でも、音楽でも、家庭科でも、図工でも、高学年の先生は、大変な状態におかれていることでしょう。
 それは、私の最後の勤務校での経験からも分かることです。
 「この先生、甘いな!」と思えば、数人の男の子は、平気で、やりたい放題やるのです。
 それに打ち勝っていくには、大変な苦労がいります。

 私は、この20代の先生は、よく頑張ってきたものだと思います。
 担任の先生に付き添ってもらってもいいのです。
 そんなことを遠慮することはありません。できる手を打つのです。

 他のクラスや、ほとんどの子供たちは、きちんと勉強しているのですから。
 
 あと2ヶ月。凌いでいけばいいです。
 それで終わります。
  ★
 そこで、もう一言だけ言っておきたいことがあります。
  先生の、これからに関わります。
 まだ、20代の先生ですから、これからのことで一言だけ言っておきたいのです。
 
 この20代の先生の相談は、1回目とほとんど変わりません。
 多分、ずっと同じ状態が続いたのでしょう。
 ずっと3人の子供とも同じようなやりとりをやってきたのではないでしょうか。
 
 罪悪感を感じられています。
 自分の力の無さを責めておられるのでしょうか。

 むしろ、私は、ここに「甘さ」を感じます。
 厳しい言い方になりますが、聞いてください。

 先生は、理科専科の仕事を引き受けています。
 高学年であるために、苦労します。
 それは最初から分かっています。
 先生の力量から言えば、対応できない現状だったのでしょう。
 
 でも、この仕事が、「主戦場」なのです。
 ここで必死に闘わなければならない。

 たとえば、3人の子供です(あと子供たちは、ちゃんとやっているのですから)。
 ①私なら、3人の子供1人ずつ(必ず1人ずつです)と話  し込みます。3人一緒ならば、ほんとの話はできません。
    何が授業に問題があって授業のとき、ちゃんとできない  のかを聞きただします。
 
  そして、私の授業への注文も聞きます。
    私も努力するから、君も、普通に授業が受けられるよう になってほしいと話します。
 
  最後に、「先生の願いは、他の子と同じように普通に授 業を受けてほしいということだけです。理科の授業は、他 の授業と違って、命に関わる危険な薬品などを扱うからで す。そんな事故を絶対起こしてほしくないからです。もう 一度、君と話さなければならないときができたならば、今 度は担任の先生や校長先生も同席してもらいます。もしか したら、保護者の方にも来てもらうかもしれません」と伝 えます。
 脅しているのですが、仕方ありません。
 
 ②これを一人ずつと行います。
  この3人は、この程度のことですぐによくなるとは思っ てはいけません。
  ただ、3人の中で1人でも、ちゃんとし出したら、これ はうまくいきます。
  この1人には、どこかでさりげなく「うまくやれてるよ」 とフォローを入れればいいのです。
  まず、3人(これはきっとどこかで同調意識でつるんで いるはずです)の一角が崩れだしたら、あとの2人もうま くいかなくなるからです。
 
 ③もう一度話す子供が出てきたら、ほんとに担任を入れて、
 校長も、可能ならば入ってもらいます。
  先生は本気なんだと、思わせることです。
 ★
 これは1つの対処法です。
 他にもあるかもしれません。

 こういうことをきちんとできるには、ちゃんとした覚悟がなければなりません。
 子供たちは、先生の、その姿勢を見ているのです。
 ここが「甘い」と、私には判断できます。

 先生は、どこか思考停止をしているところがあります。
 「こんな子供だから仕方ないんだ!」
 「早く1年が終わってしまわないかなあ~」
 という呟きですね。
 ★
 もう一歩前に出なくてはなりません。

 私が尊敬する森信三先生は、こんな言葉を私たちに残しておられます。
  ★ ★ ★
 真に生き甲斐のある人生の生き方とは、つねに自己に与えられているマイナス面を、プラスに反転させて生きることである。(『一語千鈞』森信三著 致知出版社)
 ★ ★ ★
 マイナス面だけに埋もれてしまっている人がいます。
 マイナス面は、誰にでもあるのです。

 それで、自分嫌いになって生きている人たちは多いのです。
 でも、絶対に幸せには生きられません。

 そのマイナス面は、自分にあるのですから仕方ないです。
 だが、そこからです。
 これをプラスに反転させるにはどうするか、と考えることですね。
 
 どうすればいいか。
 20代の男性教師の先生に、それをこれから考えてほしいのです。

 でも、それは自分で考えていくことです。
 自分にしかできないことですから。
 
 わざわざ私のブログに、このような相談を寄せられているということは、それだけ自分のことを考えている先生だと、思っています。
 普通は、そんなことはしません。ただ、流されていくだけです。

 私は、20代の教師の先生の、これからの生き方に期待をしています。

|

« 「味噌汁・ご飯」授業研究会解散セミナーのお誘い | トップページ | 自前の授業法を作り上げること »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 再び相談を受けて:

« 「味噌汁・ご飯」授業研究会解散セミナーのお誘い | トップページ | 自前の授業法を作り上げること »