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2018年1月

自前の授業法を作り上げること

  フェイスブックに、糸井登先生が、授業研究のことについて書かれている。

 糸井先生は、京都立命館小学校の先生。
 来週の土曜日は、研究発表会になるという。

 私のことも書かれている。
 そこで一言、書きたい気持ちになった。

 ★ ★ ★
学校から新しい風を!
 
1月20日 誰が見ていても、誰も見ていなくても・・・・ 2018年 01月 20日
誰が見ていても、誰も見ていなくても・・・。
この言葉は、若い頃から、常に自分に言い聞かせてきたこと。
この言葉の先に続くのは、「同じでなければならない」である。

簡単そうで、これがなかなか難しい。

本校の研究発表会が、いよいよ迫ってきた。
来週の土曜日、1月27日(土)である。
保護者の方の参観もあるということなので、1000名近い方が学校にお見えになるのではないだろうか。
授業だとか、分科会の用意に追われている。

今、私の頭の中にあるのは、上記の言葉と、野中先生の言葉だ。
野中先生は、研究発表会の授業を「ごちそう授業」と称されている。
つまり、その時だけのいつもとは違う授業を指す。
そうじゃなくて、大切なのは「味噌汁。ご飯」のような毎日の基本の授業でしょう。それを大切にしましょうよと。

だから、私は「誰が見ていても、誰も見ていなくても・・・」に、こだわりたい。
もちろん、公開授業ということで、いろんな縛りがある。
けれど、基本の授業の流れは同じでありたい。
いつもの私の授業を見ていただき、御意見をいただきたいと思っている。

いつものように資料を用意し、いつものように問えば、いつものように子どもたちは考え、話すだろう。
そこに参観者が誰もいなくても、教室が埋まるほどの参観者がいようとも、同じなのだと信じたい。
 ★ ★ ★
 私の主張は、糸井先生が言われている通り。
 
 日本の授業研究は、日頃の授業とは違って、「ごちそう授業」を追究することで成立してきた。
 もともとは、「日常授業」の改善の課題を設けて、研究授業はなされてきたはずである。
 
 だが、今では、ほとんどの学校で、研究授業は飾り立てた授業で、「日常授業」は、粗雑な、カスカスになっている。

 研究授業では、見栄えの良さが追究されている。
 教室中に張り巡らされた模造紙や、黒板に、ごてごてと貼り付けられたカード。日頃は、決してしないことをやっている。
  ★
 私立の立命館小学校は、多分教科担任制になっている。
 1つの教科を、教材研究する時間が与えられている。

 ところが、普通の公立の学校は、それができない。
 ほとんどない。
 教材研究をしようとすると、遅くまで学校にいなくてはならないということになる。

 だから、時間が限られているママさん先生は、綱渡りにような生活を強いられる。
 ★
 研究授業は、どのようになされるか。
 指導書と、ネット検索であろう。

 教材研究というと、この2つ。
 今はネット検索をすれば、指導案はほとんどコピペでいいし、授業展開も、それなりの指導案も検索できる。

 1時間の研究授業は、2つで十分。
 おそらく教材研究というのは、この2つであると思い込んでいるのかも知れない。

 ところが、「日常授業」というと、まとまった時間がない。だから、指導書の斜め読みぐらいしかできない。

 こんなことを何十年もやっている。
 授業が上達するはずはない。

 なぜなら、自前の基本の「授業法」を持っていないから。
 常に、誰かが書いた指導書と、誰かがアップしているネットの資料に頼っている。
 ★
 糸井先生は、ここから抜けている。
 「誰が見ていても、誰も見ていなくても」同じ授業を提起できる。
 それは、基本となる授業法があるからである。
 2月10日の解散セミナーでは、ここのところをくわしく提起できればいいなと思っている。

 大切なのは、いかに早く自分なりの自前の授業法を作り上げられるか、そこにかかっているのである。

 

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再び相談を受けて

   20代の男性教師の先生が、2回目の相談という形で以下のような相談を寄せられています。

  ★ ★ ★
 以前にも相談させていただいたことのある、20代男性教師です。
今年度5、6年生の理科専科を担当しています。

専科という性質上なのか、私自身がなめられているのか、
その両方だと私は考えますが、6年生の授業はやりにくいと感じていました。
子どもたちは、理科の授業で息抜きのような態度を見せます。担任の先生にも相談し、時々担任の先生が理科の授業のときにも後ろにいてくださることもありました。また、もし何か起こり、私自身で対応できない場合、すぐ担任を呼んだこともありました。

そうした中で、6年生のある1クラスは、そのクラスの3人の男子児童に授業をかき乱され、正直苦労しています。ノートを書くように言ってもその子たちはほとんど書かず、奇声をあげることもよくあります。注意してもほとんど指導が入らず、「なぜ僕だけに言うのか。他の子には言わないのか。」などの反発が返ってきます。その言葉に、何と返せばよいのかわからなくなったりします。

幸い、その3人以外はきちんと授業を受けているので、その点はありがたいので、そういったまじめに授業を受けている子たちをしっかり見て、授業をするように心がけてきました。

ただ、その3人は、明らかに授業の妨げとなるような言動を取るため、
注意しないわけにもいきません。しかし、私自身の指導が入らないため、最近はその3人への注意をあきらめているところがあります。
担任の先生が後ろにいてくれることもありますが、理科の授業は私が主で行う時間なので、本来は私がその3人への注意をすべきなのです。しかし、私はその3人への注意をあきらめ、それを心の中で担任任せにしているところがあります。
その3人には、担任の先生の指導は入るのですが、私自身の行動は目の前の子どもたちのことを考えた行動とは言えません。そして、その罪悪感も感じています。

卒業まであと2ヶ月と、心の中で、指折り数えている自分がいます。
私はどうすればよいのでしょうか。
 ★ ★ ★

 1回目の相談の時のことも、よく覚えています。
 この学校は落ち着いているところだと思われません。
 むしろ、荒れている学校でしょう。
 
 荒れている学校は、高学年が大変になるのです。
 その中で、高学年の理科専科としてがんばっておられるのです。
 それは大変なことだと思われます。
 3人の子供は、息抜きで来ていることは間違いないでしょう。

 その3人は、「生徒しよう」(学習の姿勢を示す)という気がありません。 
 きっとどんなに授業を工夫しようとも、同じような態度を取るにちがいありません。
 
 その3人以外はきちんと授業を受けているというのですから、先生の授業は、きちんとなされていると言えます。

 今、理科でも、音楽でも、家庭科でも、図工でも、高学年の先生は、大変な状態におかれていることでしょう。
 それは、私の最後の勤務校での経験からも分かることです。
 「この先生、甘いな!」と思えば、数人の男の子は、平気で、やりたい放題やるのです。
 それに打ち勝っていくには、大変な苦労がいります。

 私は、この20代の先生は、よく頑張ってきたものだと思います。
 担任の先生に付き添ってもらってもいいのです。
 そんなことを遠慮することはありません。できる手を打つのです。

 他のクラスや、ほとんどの子供たちは、きちんと勉強しているのですから。
 
 あと2ヶ月。凌いでいけばいいです。
 それで終わります。
  ★
 そこで、もう一言だけ言っておきたいことがあります。
  先生の、これからに関わります。
 まだ、20代の先生ですから、これからのことで一言だけ言っておきたいのです。
 
 この20代の先生の相談は、1回目とほとんど変わりません。
 多分、ずっと同じ状態が続いたのでしょう。
 ずっと3人の子供とも同じようなやりとりをやってきたのではないでしょうか。
 
 罪悪感を感じられています。
 自分の力の無さを責めておられるのでしょうか。

 むしろ、私は、ここに「甘さ」を感じます。
 厳しい言い方になりますが、聞いてください。

 先生は、理科専科の仕事を引き受けています。
 高学年であるために、苦労します。
 それは最初から分かっています。
 先生の力量から言えば、対応できない現状だったのでしょう。
 
 でも、この仕事が、「主戦場」なのです。
 ここで必死に闘わなければならない。

 たとえば、3人の子供です(あと子供たちは、ちゃんとやっているのですから)。
 ①私なら、3人の子供1人ずつ(必ず1人ずつです)と話  し込みます。3人一緒ならば、ほんとの話はできません。
    何が授業に問題があって授業のとき、ちゃんとできない  のかを聞きただします。
 
  そして、私の授業への注文も聞きます。
    私も努力するから、君も、普通に授業が受けられるよう になってほしいと話します。
 
  最後に、「先生の願いは、他の子と同じように普通に授 業を受けてほしいということだけです。理科の授業は、他 の授業と違って、命に関わる危険な薬品などを扱うからで す。そんな事故を絶対起こしてほしくないからです。もう 一度、君と話さなければならないときができたならば、今 度は担任の先生や校長先生も同席してもらいます。もしか したら、保護者の方にも来てもらうかもしれません」と伝 えます。
 脅しているのですが、仕方ありません。
 
 ②これを一人ずつと行います。
  この3人は、この程度のことですぐによくなるとは思っ てはいけません。
  ただ、3人の中で1人でも、ちゃんとし出したら、これ はうまくいきます。
  この1人には、どこかでさりげなく「うまくやれてるよ」 とフォローを入れればいいのです。
  まず、3人(これはきっとどこかで同調意識でつるんで いるはずです)の一角が崩れだしたら、あとの2人もうま くいかなくなるからです。
 
 ③もう一度話す子供が出てきたら、ほんとに担任を入れて、
 校長も、可能ならば入ってもらいます。
  先生は本気なんだと、思わせることです。
 ★
 これは1つの対処法です。
 他にもあるかもしれません。

 こういうことをきちんとできるには、ちゃんとした覚悟がなければなりません。
 子供たちは、先生の、その姿勢を見ているのです。
 ここが「甘い」と、私には判断できます。

 先生は、どこか思考停止をしているところがあります。
 「こんな子供だから仕方ないんだ!」
 「早く1年が終わってしまわないかなあ~」
 という呟きですね。
 ★
 もう一歩前に出なくてはなりません。

 私が尊敬する森信三先生は、こんな言葉を私たちに残しておられます。
  ★ ★ ★
 真に生き甲斐のある人生の生き方とは、つねに自己に与えられているマイナス面を、プラスに反転させて生きることである。(『一語千鈞』森信三著 致知出版社)
 ★ ★ ★
 マイナス面だけに埋もれてしまっている人がいます。
 マイナス面は、誰にでもあるのです。

 それで、自分嫌いになって生きている人たちは多いのです。
 でも、絶対に幸せには生きられません。

 そのマイナス面は、自分にあるのですから仕方ないです。
 だが、そこからです。
 これをプラスに反転させるにはどうするか、と考えることですね。
 
 どうすればいいか。
 20代の男性教師の先生に、それをこれから考えてほしいのです。

 でも、それは自分で考えていくことです。
 自分にしかできないことですから。
 
 わざわざ私のブログに、このような相談を寄せられているということは、それだけ自分のことを考えている先生だと、思っています。
 普通は、そんなことはしません。ただ、流されていくだけです。

 私は、20代の教師の先生の、これからの生き方に期待をしています。

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「味噌汁・ご飯」授業研究会解散セミナーのお誘い

   東京書籍版の1年~6年までの「ときかたハカセ」ができあがった。

 「味噌汁・ご飯」授業研究会編という形で、2月10日(土)の解散セミナーで提起する。
 「『ときかたハカセ』の使い方」というページも、冒頭に付け加えておいたので、初めての方も、使える物になっている。
 50部しか印刷しないので、セミナーで購入してほしい。
   ★
 今回の解散セミナーでは、「味噌汁・ご飯」授業を学校ぐるみで実践して大きな成果をあげた、当時の校長横藤雅人先生をお呼びしている。

 横藤先生は、現在は北海道教育大学の臨床教授をされている。
 縦糸・横糸の提唱者でもある。
 どんな提案になるのか期待してほしい。
 
 申し込みは以下でお願いします。

 http://kokucheese.com/event/index/501877/
 

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つれづれなるままに~これは「ゆとり」の二の舞か~

  ●高校の恩師が亡くなっていた。85歳。

 奥様からのハガキで気づいた。びっくりする。
 
 私は、佐賀東高校の第1回卒業生なのだが、3年の担任の先生がS先生であった。
 この先生との出会いがなければ、教師になろうという気持ちが湧いてこなかったのではないかと思う。
 
 先生に1冊目の本『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)を送ったところ、感想として「おまえ達だっ
 て十分に変わった世代であった」という内容であった(笑)。
 これは団塊の世代に対しての感想だったと思う。
 
 国語の研究家で、お父さんが追究されてきた『佐賀の方言』を校訂・再版されている。著作にも『蠏守さん~歌文集に見るその生涯』がある。
  最後の最後までずっと研究の日々であった、と聞いている。 合掌。

● 中央公論の2月号を買った。
 普通雑誌を買って、読む習慣をなくしているのだが、今回だけは特別に購入した。
 徹底討論「大学入試改革」というテーマ。
 副題に「これは『ゆとり』の二の舞か」と付けられていた。 
 「ゆとり教育」の二の舞をするのではないかと、言われている。その道を突き進んでいる。
 先日のブログでも書いたことだが、NHK「あさイチ」で取り上げた内容は、まさに二の舞そのものであった。

  あのときと違うのは、大学入試が変えられようとしている
こと。

 何度も言ってきたことだが、今7,8割の先生たちの授業は、「おしゃべり授業」になっている。
 この「おしゃべり授業」を、アクティブ・ラーニングに変えていく試みは、大変なことである。
 それが一体先生たちが抱えている、現在の忙しさの中で可能なのかどうか。

 「ゆとり教育」の中では、多くの先生たちが研究授業ではそれなりの提案をし、そして「日常授業」では、日頃の教え込みの授業に戻っていた。
 今回も、今の状態では、この二の舞になる。
 

 
 
 

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相談を受けて~とにかく凌ぐのです~

  初任のみかん先生から相談を受けました。

 他の職業をされている期間があり、またお子さんもあるということでの初任者ということ。
  次のような内容です。
 ★ ★ ★
 野中先生、初めまして。いつもブログを拝見し、勉強させていただいています。初任者のみかんと申します。尊敬する野中先生に、相談させていただきたいことがあり、コメントさせていただきました。
 
 今、一番悩んでいることは、「今からクラスを立て直すにはどうしたらよいか」ということです。
 野中先生が「クラスが荒れてしまったら、凌ぐしかない。」とおっしゃっていることはわかっています。8月に野中先生の本に出会い、4月から「その日暮らしの学級経営」をしてきた自分を悔やみました。そして夏休み明け、クラスを立て直そうと「目標達成法」や「「一人一当番制」に取り組みましたが、私の指導が悪かったのでしょう。子どもたちのやる気を引き出すことができず、失敗しました。今はもう行っていません。
 教育県で県独自の行事、学習も多く、忙しさ、気持ちの余裕のなさから学習規律や学級規律を整えることが十分にできないまま目の前のことを必死にこなす毎日でここまできてしまいました。
 しかし今、私にはクラスを立て直すという結果が求められています。
 なぜなら、12月中旬からいじめが原因で不登校になったA君がいて、その保護者と毎日電話をしているのですが、「過ごしやすいクラスにしてほしい。」、「荒れていたようだが、今はどうか。」と言われるからです。
 A君は悪口、からかい、物をかくされたり、時には暴力も振るわれていました。いじめの主犯格は5人ですが、クラスのほとんどの子がそのいじめをはやしたてたり、見て見ぬふりといった同調していたようで、我慢できなくなってしまったのです。2年生の時に保健室登校していたことがあり、精神面でも自己肯定感が低く、傷つきやすいから注意するように、と引継ぎを受けていた子でした。
 A君は今精神科にかかっていて、医師からはまず心の回復をすることを優先し、登校刺激はしないように、と言われています。A君は自殺願望があり、学校の建物を見るだけで吐き気がする、ということで私にも友達にも会うことができません。しかし、また教室に戻りたいという意思があるとのことです。
 学校ではいじめサポート班を結成し、A君には医師の言うとおりに心が回復できるまでゆっくり過ごしてもらい、学校側はA君の戻ってきやすい学級づくりを頑張ろう、ということになりました。
  昨日、A君のいじめサポート班を学校で結成し、今後の学級指導について話し合いました。冬休み前にQUを取った結果、私のクラスは非承認、不満足軍がクラスの半分いる「荒れ始め型」だったため、SSTで「自分の自信の持ち方」、「友達との関わり方」等の項目を道徳の時間を使って2月までプログラムしてやっていこうということになりました。(技術を要することなので外部の専門の先生に依頼中です)
 恥ずかしながら未だに毎日をこなすことでいっぱいいっぱいになっている私がクラスを立て直すにはどうすればよいか途方に暮れています。
 日記へのコメントをして当日返すこと(学校の決まりです)、宿題の丸付け、実験準備等次の授業の準備、教材研究(家に持ち帰っても終わらないことが多い)で学校での空き時間は埋まり、子どもと一人一人と関わる余裕がありません。
 放課後もいじめの件での会議や対応、6送会の主任の仕事、初任研のレポート、雑務に追われ、教材研究、丸付けは持ち帰り仕事です。味噌汁・ご飯授業の本も参考にさせていただいていますが、5年で内容も難しく、まだ教材研究に多くの時間がかかります。休日は普段できない家事、自分の子どもの相手をします。子どもを夫に任せて土曜日の午後は学校に仕事に行かせてもらいますが、終わりません。
 今、私のクラスの状態は、全体的に学習意欲がある子が多いので下手な私の授業でも成立しますが、友達同士の関係が希薄で群れの状態、叱ることが多く、面白いことを言ったり、楽しい授業ができない私に不満を持っていることが子どもたちの顔から伝わります。
 私はA君はもちろん、クラスの子どもたちを傷つけてしまいました。居心地のよいクラスにしたい、楽しい授業をしたい、子どもたちをたくさんほめたい、一人一人と関わってあげたい、と思うのですが、余裕がない中、どうすればいいのでしょうか。クラスの子どもたちのために、今私が一番しなければならないことは何なのでしょうか。このままでは、私の家庭も、クラスも崩壊しそうです。助けてください。お願いします。
 ★ ★ ★

 相談を受けて、ため息が出ました。
 みかん先生は、もう十分にがんばっているのです。精一杯やれているのです。
 これ以上がんばる必要があるのか、と思ってしまいます。

 まず、校長の担任人事の失敗ははっきりしています。
 臨任経験もまったくない、初任の女性を(しかも2人のお子さんがいる)、5年生の担任にするという暴挙はとんでもないことです。
 
 みかん先生が力量がないということではなくて、初任の先生ではやっていけなくなっているのです。
 
 今、5,6年の担任は、それまでの4年生までの担任とは、隔絶したものになっています。高学年の女子たちが思春期を迎えるようになっています。反対に、男子はかつての1,2年生ぐらいの幼さを持っています。男女のバランスがあまりにも悪いのです。
 
 そういう状況の中で、突然初任の先生が担任をして、うまくいくはずはないのです。

 それでも、みかん先生は、ここまでよくぞがんばってこれたものだと、感心してしまいます。
  ★
 これから何ができるか。
 クラスを立て直すためにはどうしたらいいか、と問われています。
 これは正直に答えなければなりません。
 今のこの時期からクラスを立て直すのはむずかしいのです。
 
 それは、もはやみかん先生と子供たちとの関係の糸が固定し、こじれてしまっていて、その糸を短期間に正常に戻すことがむずかしいためです。

 クラスの回復は、1学期の間なら可能です。
 でも、それでもよほどの頑張りが必要。
 2学期からは一月ごとに大変になっていきます。
 それは関係の糸がこじれるから。その修復がむずかしくなるからです。

 ほんとの勝負は、4月の1ヶ月間なのです。
 ★
 先生は言われています。
「私はA君はもちろん、クラスの子どもたちを傷つけてしまいました。居心地のよいクラスにしたい、楽しい授業をしたい、子どもたちをたくさんほめたい、一人一人と関わってあげたい、と思うのですが、余裕がない中、どうすればいいのでしょうか。」
 A君が不登校になっています。
 クラスが荒れてくると、必ずいじめが始まることを覚悟し
なければいけません。
 クラスの子供たちを傷つけてしまったと、先生は言われていますが、みかん先生は精一杯やったのです。過度に自分を責める必要はありません。
 良い先生ばかりが子供たちにとっていいとは限りません。
 子供たちは、いろんな先生から学んでいけばいいのです。

 居心地のよいクラスにしたい、楽しい授業をしたい、子どもたちをたくさんほめたい、一人一人と関わってあげたい、と言われています。先生の思いは素晴らしいです。
 でも、初任の先生にとっては、その1つ1つがとてつもなくむずかしいのです。
 それでも、みかん先生は精一杯やった、のです。
 ★  
  これからどうするか。
 3学期は、はやい。
 あっという間に、終わりを迎えます。
 
 その間、とにかく「凌いでいく」以外にないです。
 3学期の間はとにかく凌いで、6年生で他の先生に子供たちを託せばいいのです(もう絶対に持ち上がりの6年担任なんかを引き受けてはいけませんよ。責任をとって、もう1年がんばりますと言いがちになります。でも絶対にやってはいけません。それで失敗した先生はいっぱいいるのです)。
 
 教師の仕事で、何よりも良いのは、3月まで凌げば、また新しい気持ちで4月から新しい子供たちと出会えることです。
 
 やることは1つだけ。
 子供たちのそばにいてあげること。
 教室にいつもいてあげればいいのです。
 
 そして、自分が今できることをやっていけばいいのです。
 それだけで十分。
 
 凌ぎ方のために、この詩をもう一度載せておきます。
 このようにやればいいのです。
 

  君ならできる           葉祥明

 今どんなに苦しくても
 今日 いち日
 がまんできれば
 それでいい
 次の日は次の日で
 また我慢すればいい
 そうやって一日一日
 我慢していけば
 いつか もう
 我慢しなくていい日が
 必ず来る。
 その日まで
 大丈夫 君なら
 きっと耐えていける!

  ★
 私は、みかん先生のこれからの教師としての可能性を信じます。
 5年生というクラスで、これほどにがんばってやれてきたがんばりと、ねばり強さは、みかん先生が持っている天分と言えるものです。
 だから、3月までがんばっていけると信じています。

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つれづれなるままに~大石先生に憧れて~

●NHKのにっぽん紀行で「二十四の瞳 大石先生に憧れて」 を見た。香川県の小豆島で、2人の女性教諭(初任、4年目)のクラスが公開されていて、おもしろかった。

 
 特に、2年生の担任である初任のT先生のクラスは、初任のクラスらしく、やんちゃな男の子数人に悩んでいて、とても憧れている大石先生のクラスのようにはなっていなかった。T先生が悩んでいる様子も、映し出されていた。
 ★
 二十四の瞳の大石先生は(実在の人物ではない)、戦後の日本人がずっと憧れてきた先生である。必ず憧れのトップになる先生(今はもう大石先生を知っている先生方が少ないが)。
 
 子供一人一人に寄り添って行く先生である。
 私は、その映画をもう一度見直してみたことがある。
 
 高峰秀子主演の映画。
 涙、涙と思いきや、ちょっと「え~~」と思ってしまう。
 
 大石先生、あらゆるところで泣き出してしまう。弱々しい。
 この大石先生を、現在のクラスの担任にしたら、すぐに学級崩壊になってしまうのではないか、と思ってしまう。
 ★
 大石先生に憧れているだけではダメなのである。
 現実の子供たちの状況をしっかりと見つめ、対処しなければいけない。
 
 初任のT先生は苦労していた。
 授業も、ちょっとだけ公開される。
 ひどい授業をしていた(失礼!)。
 
 これは、大石先生に憧れている段階ではないなと思ってしまう。
●NHKの情報番組「あさイチ」で「学校現場が変わっている」と特集をしていた。
 
 冒頭で、どれが変わっているかと問いかけが出された。
 ①先生が教えない
 ②教科書を使わない
 ③テストは生徒が作る
 
 答えは、3つとも正解である。
 「おい、おい!」と見続ける。
 
 ここ6年間で1000人近くの先生の授業を見てきた私としては、完全に間違い。
 こんなことをやっている学校は1校もなかった。
 
 ②は、学校教育法34条に違反する。法律違反である。
 こういうことを平気で言う先生がいるが、法律違反になる。
 
 ゲストとして羽根拓也さんが出ていた。
 もう10年以上前からアクティブ・ラーニングを提唱してきた人である。
 現実を踏まえた提起をしていた。
 
 言われたことは、2つ。
 
 ①今までインプットばかりの授業をしていたが、アウトプ  ットの授業をしなければならない。
 ②今までしゃべってばかりいた先生が、急にアクティブ・  ラーニングの授業はできないので、問いかけをして生徒  に考えさせるような授業を工夫してみる。段階的に考え  ていかなければならない。
 
  ①は「味噌汁・ご飯」授業として言い続けてきたこと。
 
 ②も、「おしゃべり授業」を克服しなければならないと、何度も提起してきたことになる。

 今、日本の数多くの先生たちは、「おしゃべり授業」をしている。インプットばかりの授業。

 その授業を急にアクティブ・ラーニングにすることなんてできない。
 当たり前のことである。
 
 クラスの子供たちを、話し合いのできるクラスに変えていくには、話し合いの場を設定すればできるようになると勘違いをしている先生がいる。
 
 実は、これは教師の高度な技量によって成立してくることを分かっていない。
 
 教える量は、まったく変わっていないのに、そんな授業ばかりもできない。
 これも当たり前。
 
 あさイチで取り上げた学校が、ほとんど全ての学校の取り組みのような印象を与え、あのような授業ばかりやっていると思わせてしまう。
 これは困ったものである。

 

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授業をきちんと成立させていく基礎・基本10ヶ条

  授業をきちんと成立させていく

          基礎・基本10ヶ条
 
│                                                                              
│1 指導言を整えよ~発問・指示・説明を区別して~                             
│2  指示ー確認を徹底せよ                                                      
│3 フォローの技術を磨こう                                                    
│4 子供への視線を鍛えよ                                                      
│5 授業は、本時目標を徹底的に意識せよ                                       
│6 机間巡視は1つのことをきちんとマークせよ                                  
│7 話を聞かせるルールを整えよ                                              
│8 テンポのある授業を心得よ                                                   
│9 授業はノート指導と心得よ                                                   
│10  無駄な言葉を排除せよ                                                      
│                                                                              
 
1 指導言をきちんと整えよ ~発問・指示・説明を区別して~
  授業の中で、今子供に向けられている言葉が、問いかけの「発問」なのか、作業などを「指示」することなのか、事柄の内容や意味を分かりやすく「説明」することなのかを明確にすることである。
 この3つを意識しながら、授業を成立させていくことが最も大切なことである。
2 指示ー確認を徹底せよ
  ◎「一時に一事の技術」を使いながら、一つ一つ確認して進めていく 
   新卒教師は、なかなかこの技法を身に付けられない。
   子どもへ話す場合、最初にまとめて話そうとしてしまうためである。
   だから、さまざまな指示をまとめて出してしまう。
  「今日は、図工の単元の○○○○○をします。どんな勉強をするのか、図工の本の24ページを開きます。そして、はさみとのりが必要なので出しておきます。あとで色画用紙を使うので、今取りに来ます。」
  これでは子どもたちを混乱させるだけである。
  一時に一事の技法では、次のように指示を出していく。
  ①図工の本を出します。
  ②24ページを開きます。
  ③今日勉強することを確認します。
  ④図工の本をしまいます。作業しながら必要になったら、出して確認します。
  ⑤はさみとのりを出します。
  ⑥色画用紙を配ります。
  一つ一つ全体に徹底しているか確認して先へ進むことである。
3 フォローの技術を磨こう
  「ふり おち フォロー」は一連の指導である。
ふり…教師の指導
おち…子供たちの活動
フォロー…活動の評価 
 子供たちの活動(書いたこと、発言したこと、読んだことなど)に対して、フォロー加えてやることは子どもたち自身が望んでいることである。  
 ねらいに照らせば、事実がきちんと出ているのに、「みんな上手だね」と曖昧にごましてきたのである。
 良いものは良いと評定し、悪いものは良い方向に努力させていく手立てをとること。これが教師の力量である。
4 子どもへの視線を鍛えよ
  ◎全体に視線を向ける
    教師が指示したことが、どの程度きちんと徹底しているかを見ることは大切なことである。授業でも、集団活動でも大切なことである。特に、初任教師は、この見る技法が甘くなる。ただ、漠然と見てしまうのである。
    指示したことを子供たちがきちんと守っているか、まず確認することである。
    この確認の仕方を工夫しなくてはならない。
    子供へ向ける視線をいつもZ型にする、右左真ん中にするなどの練習を常にし続けなくてはならない。
5 授業は、本時目標を徹底的に意識せよ
 1時間の授業を作り上げるとき、次のような手順で行う。
 
 
①この授業で、「何が分かってほしいのか」「どんなことができるようになって      
   ほしいのか」                                                               
  ②ねらいを達成するために、どんな学習活動をするのか。どのような順番に構成するのか。                                                                
  ③ねらいを達成するために、どんな教材や教具を準備するのか。                  
  ④ねらいを達成するために、どんな発問や指示や説明をするのか。                
 
6 机間巡視は1つのことをきちんとマークせよ
  ◎発問や指示に従っているかの確認でいい
    教師が発問や指示を出して、机間巡視(机間指導ではない)をしていく場合、さまざまな指導をしていく必要はない。
    ア、指示に従って作業をしているか
    イ、まちがった作業をしていないか
    ウ、できていない子どもの指導
    エ、分かっていない子どもの指導
    オ、作業内容の把握
    これらのチェックは、どれも必要なことであるが、さしずめ初任教師は、アとイの2つに絞ってチェックしていけばいい。それ以上は、まだまだ力量をつけなくてはできない指導である。
7 話を聞かせるルールを整えよ
  ①おへそをこちらへ向けなさい
    子どもたちにきちんと話を聞かせるためには、「体をこちらへ向けなさい」というより「おへそをこちらへ向けなさい」と指示した方がいい。
    それができない子どもには、「○○さん、こちらへおへそを向けなさい」と名前を上げて呼んで上げればいい。
  ②話の聞き方
    「膝の上に手を置きなさい」という指示が一般的である。この指示の欠点は、膝の上に追いた手で、机の中のものを手いたずらする場合が往々にしてあるのである。
    その欠点を克服するには、机の上に右腕と左腕を重ねて置かせるようにすれば解決できる。
  ③ストップ
    それでも大切なことを突然指示しなくてはならない場合が出てくる。
   どうすればいいか。
    「ストップ」と声かけて、行動を制止させ、その間に話をすればいい。
  ④手をあげなさい
     教師の話の途中で、おしゃべりをがまんできなくてぺらぺら話し始める子どもが、必ずクラスに何名かいる。男の子に多い。これをそのまま許しておけば、クラスが崩れていく。どうするか。「どうしても話の間に聞きたいことや言いたいことがある場合は、手をあげなさい」と説明しておくことである。
    そういう子どもは、無意識におしゃべりをしている場合があるので、その子に対して「手をあげなさい」と指示をすればいい。
8 テンポのある授業を心得よ
  ゆっくり、噛んで含める授業をまだ極上のものだと考えている教師がいる。
 子供たちは、そのテンポの鈍さに飽き飽きしているのである。
 コマーシャルのテンポに慣れ親しんでいる子供たちは、テンポのある授業を好む。
 少し速いと思っていても、子供たちは、すぐそれについてくるようになる。
 テンポがあり、リズムがある授業を心得なくてはならない。
 
9 授業はノート指導と心得よ
  学力が高い子供は、ノートがきちんとしている。これは、子供に毎日接している教師ならば、当たり前の事実である。ほぼ90%の確率でそう言える。
 初任の先生が、最も手が抜ける指導である。ノート指導まで手が回らないためである。
しかし、ノート指導をきちんとしていくことは、ちゃんとした学力をつけていく早道であることを知っておかなくてはならない。
10 無駄な言葉を排除せよ
  ①机間巡視しながら、指示しない
    全体に指示を出して子どもたちが作業を始めている途中に、先生が全体に盛んに指示  を出している場面に遭遇する。子どもたちの集中力を欠かしていく。
    どうしても指示を変えなくてはいけないことや言い忘れがある場合は、子どもたちに  作業をやめさせて、もう一度指示を出さなくてはならない。そういうことをめんどくさ  がってはならない。
  ②子どもの発言をくり返さない
    子どもの発言を一々くり返している教師は多い。ムダである。それをくり返していけば、子どもたちは友達の発言を聞かなくなる。どうせ教師がくり返してくれるからである。教師がどうしてもくり返す場合は、全体に聞こえない発言だけである。
 

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「学級をきちんと成立させる10ヶ条」

  かつて中村健一先生の編集で、『野中信行が答える 若手教師のよくある悩み24』(黎明書房)という本を出したことがある。

 
 その本の中で、「学級をきちんと成立させる10ヶ条」「授業をきちんと成立させる10ヶ条」がほしい方は連絡をしてほしいと書いている。
 
 2011年に出した本だが、いまだに読んだ方から連絡がくる。
 ありがたいことである。
 
 この10ヶ条は、今では少し修正をしなくてはならなくなっているが、基本的にはこれで良いと思われる。
 
 コピーしたので罫線がめちゃくちゃである。
 まず、「学級づくり」について載せておきたい。
 




  学級をきちんと成立させていく10ヶ条
                                                                  野中 信行 
│                                                                         │   
│1 子供たちが「生徒」する学級づくりを意識しよう                         │   
│2 縦糸と横糸を意識した学級づくりをしよう                               │   
│3 友達先生にならずに、適度な距離をとろう                               │   
│4 子供たちとの通じ合いを豊かに                                         │   
│5 学級づくりは1ヶ月  ~3・7・30の法則~                          │   
│6 まず学級の子供たち8割を味方にしよう                                  │   
│7 学級を「群れ」から「集団」へと変えていこう                           │   
│8 学級がきちんと成立しているかどうかの決め手は、「朝会」「朝自習」     │   
│ 「靴箱」にある                                                         │   
│9 当番活動は、清掃と給食をマークせよ                                   │   
│10 教室は、いつも小綺麗に                                               │   
│                                                                         │   
1 子供たちが「生徒」する学級づくりを意識しよう
  「生徒 」するというのは、私の造語である。学校は、「教師」する先生と「生徒」する子供たちで成り立つ。「生徒」するというのは、学ぶ姿勢を持つということである。その姿勢がなくては、学習は成立しない。
 だから、私たちが「教師」すると同時に、子供たちを「生徒」させるような学級作りを意識しなくてはならない。
 「生徒する」というのは、次のことである。                                     
│                                                                  │         
│ ①学校のルールに従って行動する。                                 │         
│ ②教室のルールに従い、先生や友達の話をきちんと聞くことができる。 │         
│                                                                  │         
 
2 縦糸と横糸を意識した学級づくりをしよう
 子供たちが「生徒」する学級づくりをするためには、「縦糸」を張ること、「横糸」を張ることを意識することである。この縦糸、横糸は、「教育を織物モデルで語る」で提起した横藤雅人先生の命名である。これは分かりやすい。
 縦糸とは、「教師と生徒との上下関係を基礎とするしつけや返事、敬語、学級内ルールなどの関係づくり」である。横糸とは、「教師と子供がフラットな関係性をもち、心を通わせる関係づくり」である。
 縦糸は、強いか。また強すぎないか。横糸を乗せることに耐えられる本数と強さか。つまり、一方的な指示や方針が出されるばかりだったり、弱気な、一貫性のない指示だったり、子供の実態から見て無理な指示や方針だったりしていないか。
 横糸は、豊かか。笑い(嗤いではない)や子供の発想がきらめいているか。教師と子供がフラットな関係性を築いているか。どこかに冷たい頑なな教師の態度が残っていないか。模様に合わせて臨機応変に紡いでいるか。
 このように、学級づくりを反省していくことである。
3 友達先生にならずに、適度な距離をとろう
 まず、学級作りの始まりは、「縦糸」を張ることから始めなくてはいけない。最初は、「横糸」を張ることではないことを肝に銘じよう。
 初任の先生は、これが分かっていない。すぐ子供たちと「横糸」を張ろうとする。いわゆる「友達先生」になろうとする。
 その結果、子供たちから甘く見られ、学級が崩壊するパターンを作り出していく。子供たちとは、適度の距離を取り、「縦糸」を張ることに邁進しなくてはならない。
 「縦糸」を張ることとは、次のことである。                                     
│                                            │                               
│①教室でのルール作り、システム作り          │                               
│②挨拶、返事などの言葉づくり                │                               
│③言葉づかい(敬語など)をきちんとさせる    │                               
│                                            │                               
4 子供たちとの「通じ合い」を豊かに
 「縦糸」が適度に張られたら、次は、「横糸」を張ることに取り組んでいこう。
 若い先生たちは、どんどん子供たちと遊んで、フラットな関係作りをしていくことだ。 私は、子供たちと「通じ合い」を積極的に図るためには、さまざまな手法を使う。
 ①包み込み法 
  子供たち一人一人をまるごとに包み込んでいく。そして、その子の良さを見つけ
  出していく。その一方で、子供たちが引き立つ事実を作り出していく。(種まきをする)
 ③伝達法
  その子の良さやうまく出てきた事実をどんどん知らせていく。
  ハガキ作戦など
5 学級づくりは1ヶ月  ~3・7・30の法則~
 学級が1つのまとまりとして作り上げられるためには、1ヶ月の時間が必要である。
 私は、この1ヶ月を「3・7・30の法則」で作り上げようと実践してきた。
 「3」は、出会いの3日間。「7」は、学級の仕組み作りの1週間。「30」は、作り上げた仕組みを定着させる1ヶ月である。
 この1ヶ月で学級の器がほぼできあがる。この時間がすぎてしまえば、この器作りは困難になる。
 この器作りは、学級がスムーズに動いていくシステム作りである。
 このシステムは、子供たちに学級での居場所を作り上げるためのものでもある。
6 まず子供たちの8割を味方にしよう
 受け持ったままの学級は、「2対6対2の法則」が存在する。
 2割が担任に味方してくれる子供たち、6割がどちらでもない子供たち、2割がやんちゃな子供たちである。
 まず、大切なのは、この6割を担任の味方にしていくことである。そして、8割の多数派を作り上げなくてはいけない。
 そのためには、2割のやんちゃたちにばかり目を向けてはいけない。
 やんちゃたちは、「先生、これどうするのですか」などと「先生」コールをぶつけてくる。一々丁寧に対応する必要はない。
 大切なのは、まず8割の子供たちを味方にするために、きちんと授業をし、きちんと学級を機能させていくことである。
7 学級を「群れ」から「集団」へと変えていこう
 受けもったままの学級は、「群れ」のままである。
 この「群れ」を「集団」へと変えていくのが、学級経営である。
 担任が2,3日いなくても、学級が自主的に動いていくことができる状態を「集団」と考えている。
 私の学級経営法では、目標達成法が「集団」づくりのための手法である。
8 学級がきちんと成立しているかどうかの決め手は、「朝会」「朝自  習」「靴箱」である。
 その学級がきちんと機能しているかどうかの判定方法は、この3つである。          
│                                                                   │       
│ ①朝会できちんと並んで、校長先生の話をきちんと聞いているか。      │       
│ ②決められた朝自習をおしゃべりなく、静かに行っているか。          │       
│ ③靴が投げ入れられていなくて、きちんと整頓されているか。          │       
│                                                                   │       
 つまり、学級の最初からこの3つに焦点をおいた指導を繰り返しておけば、学級は、落ち着いてくることになる。
9 当番活動は、清掃と給食をマークせよ
 さまざまな当番活動があるが、その中でマークしておくのは、この2つである。
 学級が荒れてくると、必ずこの2つが荒れてくる。いい加減になるのである。
 なぜかというと、この2つは、子供たちの自由裁量が生かされてくる活動だからである。 その気にならなければ、いつでもいい加減にすることもできるのである。
 だから、学級が荒れてくると、真っ先にこの2つが荒れてくる。
10 教室は、いつも小綺麗に
 教室は、担任の力量が発揮されてくるところである。
 どんなに授業や学級経営に力を注いでいると思っていても、教室環境がいい加減だと力は半減される。
 子供たちは、身近な環境に多く影響を受けるからである。
 荒れている学級は、ほとんど教室もまた荒れているというのは、私が今まで見てきた事実でもあった。
 
 

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つれづれなるままに~2018年目標を立てる~

●3日の夜から背中が痛み出し、4日には寝返りもうてなく なる。「この痛みは何なんだ!」と。

 
 5日に急ぎ医者に行く。
 午前中だけの診療で、3時間30分待たされる。

 診察の結果は、帯状疱疹の疑いあり。
 でも、まだ疱疹が出ていない。

 薬を使うかどうか、の判断。
 一度、帯状疱疹にかかったことがあり、その痛みと似ている。引きつるような痛み。
 「薬を使ってください」と。

 薬を使い出したら、次の日には痛みが軽くなる。
 良かった!
 
 やらなければならない課題が数多く、こんなことで寝込んだりしたらどうしようかと心配していたところである。

 ついてる、ついてる。

●2018年の目標を立てる。
 その目標に従って、1ヶ月の目標を立てる。
 そして、1ヶ月の目標に従って、週ごとの目標を立てる。
 これはとりあえず2月まで。

 年賀状に書いたことである。

 ★ ★ ★
 思想家の吉本隆明は、歳を取ったら、禍福や幸不幸は長い周期で考えないようにする、先をあまり考えないで、小さく刻んで生活していくのだと「幸福論」で言っています。そして「先のことが心配で心配で仕方なくなっても、心配するだけ損なんだから、それよりもいま起こっていることに注目するほうがいい。それが幸せでも不幸せでも…」
 私もこのように生きていきたいものです。
 ★ ★ ★
  吉本隆明が言っているのは、歳を取った人ばかりではない。
 先が見えない今の状況では、全ての人がこのように生きていくことだと、私は考えている。
 
 とりあえず2月までの目標。
 ここまできちんと目標通り頑張っていく。
 
  私は、この目標をカレンダーに貼り付けて、私の部屋のトイレに貼り出している。

 1年の目標は、最初にトイレに入った時に、声に出して読み上げる(笑)。いやいやこれが大事。
 
 そして、毎日、月の目標と週の目標を確認。
 毎日の目標は、毎日手帳に書き上げる。

●かつて教え子が、大変な挫折にあって、生きていくのに大変な状況に陥ったとき、次のような詩を送ったことがある。
(ほんとうなら東北に出かけなくてはならなかったのだが…。) 
 葉祥明の詩である。

  君ならできる           葉祥明

 今どんなに苦しくても
 今日 いち日
 がまんできれば
 それでいい
 次の日は次の日で
 また我慢すればいい
 そうやって一日一日
 我慢していけば
 いつか もう
 我慢しなくていい日が
 必ず来る。
 その日まで
 大丈夫 君なら
 きっと耐えていける!
  ★
 その教え子は、この詩のように生きていった。
 今では結婚して幸せな生活を送っている。

  大変なことは誰にでも起こるが、それを乗り切るのは、きっとこの詩のように生きればいいのである。

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「味噌汁・ご飯」授業研究会解散セミナーを開きます!

  「味噌汁・ご飯」授業研究会を解散する。

 研究会は3月までで終了である。

 そこで、「味噌汁・ご飯」授業研究会解散セミナーを開くことにした。
 http://kokucheese.com/event/index/501877/

  ★
 もちろん、第2次の「味噌汁・ご飯」授業研究会が立ち上がる。
 新たに、秦安彦会長(現大和市文ヶ岡小校長)のもとで再出発する。

 もともと第1次の「味噌汁・ご飯」授業研究会は、5年間を目処に設立したものであった。
 ところが、算数本の出版で7年間かかってしまった。
  ★
 解散セミナーは、2月10日(土)に開く。
 
 ここには、北海道の大曲小学校の校長として、「味噌汁・ご飯」授業を学校ぐるみで実践し、画期的な成果をあげられた横藤雅人先生(現北海道教育大学臨床教授)を招いて、その成果と課題を語ってもらうことにした。

 ★
 なぜ、解散するのか。
 
 最初からそのように決めていたことだが、組織はだいたい長期間続けていると退廃する。
 惰性に流れてしまうからである。

  だから、こういう会は、きちんと年限を切って始めればいいと思い決めていた。
 それが今回のことになったのである。
  ★
 「味噌汁・ご飯」授業が、もう必要なくなったわけではない。
 日本全国の各先生方が、毎日5,6時間の授業をされている。
 どう言おうと、毎日授業はなされているわけである。

 その授業が豊かにならなければ、子供たちをうまく育てていくことはできないはずである。

 多くの先生方は、それこそこの「日常授業」をほんとにつまんないままに、飽き飽きしながら続けている(失礼!)。

 もともと「日常授業」はつまんない。
 教える内容も、決しておもしろくないし、毎日毎日おもしろ、おもしろくできるわけがない。 
 
  だが、カスカスの、それこそつまんないままに続けている授業でいいわけはない。
 教師も、そう思っているが変えられない。

 ところが、ここ最近今まで教室を支えていたはずの勉強が良くできる子供が、問題を起こしている事例を何度か耳にしてきた。その子たちが学級崩壊の中心になっている。

 私は、いよいよ始まったなあという思い。
  「真面目派の反乱」である。

  あまりにも毎日の授業がつまんないのである。
 耐えられなくなっている。

  研究授業や「ごちそう授業」だけにいそしんでいる時間はない。

 「日常授業」の改善をテーマに、本気になって「味噌汁・ご飯」授業を考えていくことが求められているのである。
 ★
 2月10日(土)の解散セミナー。
 ここで1年分の単元「ときかたハカセ」(1年~6年 東京書籍だけ)を提示する。
 50部だけ、印刷することになる。
 都合をつけて、ご参加ください。

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つれづれなるままに~あけましておめでとうございます~

  あけましておめでとうございます。

 今年も、お付き合いください。

●正月から急にインターネット接続ができなくなり、どうすることもできない。
 さまざまに連絡しても、回線が混み合っていてつながらない。
 
 どうしようもないので、何度か来てもらった訪問サポートに来てもらう。
 来てもらわなければ、どうにもならなかったということが分かる。
 そして、やっとネットがつながり、ほっとする。

●横浜は、1日から晴れ渡っていて、気持ちの良い正月になっている。
1日は、いつものように昔からの知り合いの家で新年会をやり、2日はいつもの箱根駅伝に入れ込んでいる。
 ひいきの早大が健闘しているのはいいものだ。

 かつて8月2日に、駅伝区間を走ったことがある。
 横浜走友会で箱根駅伝往路を走ろうという大会。 
 
 その時は、1区が走路を間違え、もうそこからタスキは繋がらなかったのだが、私は2区を走った。
 
 ランナーが走っている走路は、走れない。
  歩道を走る。
 信号がいくつもあり、そこで立ち止まる。
 結局4時間かかってしまった。

 ものすごい暑い日。
 一緒に走っている人が途中でゲーゲー吐いて大変であった。
  やはり、こんな日に走るもんじゃないと思ったものである。
 若い頃(と言っても40代)の思い出である。
 
●朝日新聞の正月号に載っていた、哲学者の國分功一郎さんの言葉が印象に残った。
 
 國分さんは、ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの言葉を語っている。
 「アーレントは『孤独と寂しさは違う』と言っています。孤独とは、私が自分自身と一緒にいること。自分と一緒にいられない人が寂しさを感じ、一緒にいてくれる他者を求める。だから、自己と対話できない。孤独にならなければ、人はものを考えられない。孤独こそ、現代社会で失われているものです。」と。

 ほんとにそうだなとつくづく思う。
 人は孤独を嫌う。1人でいることを嫌う。
 1人でいる時間を持てあまして、スマホに逃げる。
 あるいは、常に誰かと連れだっていなくては、自分を持てあます。


 
 

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