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2017年11月

つれづれなるままに~これから網走へ~

●知り合いが亡くなった。

 難病になっていて、定年前に退職され、14年目だったということ。73歳。
 葬儀は近親者で行われた。
 
 以前の学校で副校長として勤務されていて、そこで一緒だった。芸術家で、画家であった。
 
 私が70歳になって、古稀になった知らせを送り、その知らせから1ヶ月後に亡くなったということ。
 あっけないものである。
 
 周りで多くの方が亡くなり、訃報のはがきが届く。
 私もそんな歳になっている。

●『みおつくし料理帖』で多くの読者を獲得した高田郁という小説家。
 最近、高田郁の『あきない世傳金と銀』(門川春樹事務所)を読んでいる。
 
 主人公幸が、その商才を生かして商売にのめり込んでいく、
その様を描いているのだが、これがおもしろい。
 
 ちょこちょこと読むだけ。
 一日がウキウキする。
 
●これから北海道の網走へ行く。
 その準備に追われる。
 
 きっと寒さと雪に覆われているのであろう。
 
 網走小の公開授業研究会に参加し、講演をすることになっている。
  この学校は、『日常授業&校内研修ガイドブック』(明治図書)を出版している(私が監修という形になっている)。
 
 訪問するのは、もう5回目ぐらい。
 先生たちは授業がうまい。
 子供たちも素晴らしい。
 
 さて、今年はどんな授業を見ることができるのか、楽しみである。
 
 

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算数の授業ということ(2)~単に「考える授業」をしているだけ~

 

問題解決学習は、「思考力」を付けるために行われていると書いた。

 本当に思考力がついているのか、と疑わしいとも書いた。
 実は、私も30代の少しの間、問題解決学習をやっていたときがある。
 だから、実際に経験しているわけである。
 その時は、ただやっていたというだけで実際に思考力がついているかどうかはまったく検討の対象にはなかった。
 そんなことを考えもしていなかった。
  ★
 問題は、思考力をつけるということはどういうことかということになる。
 国語の福嶋隆史さんはこのことについて以下のように書かれている。
 ★ ★ ★
 「考える授業」と「考える力を伸ばす授業」は異なります。世の中の「考える力を伸ばす授業」と呼ばれるもののほとんどは、考える力を伸ばしません。
 それは単に(無意識に)「思考する授業」に過ぎません。大切なのは、「思考技術を体系的に与え、それらを意識的に使えるまで練習させる」ことです。
 スポーツでも料理でも音楽でも美術でも演劇でもなんでも、全く同じです。
技術を与え、その技術を使いこなす能力(=技能)を高めさせること。これが肝心です。
そのためには、アクティブラーニングなんぞをやっている場合ではありません。
 ★ ★ ★
 最後の言葉は、厳しいが、考えさせられる。
 ★
 問題解決学習は、教師が最初に課題を与え、子供たちは既習事項を生かして、「課題」について自力解決をする。
 この「自力解決」をさせることが、この学習をやっている教師たちは、「思考力をつける」と思っているはずである。
 これは単に「思考する授業」に過ぎない。
 「思考力を伸ばす授業」にはならない。
 
 つまり、「考える時間を与える」→「思考力がつく」と簡単に考えているのである。
 
 しかし、私が実際に見た問題解決学習の算数授業は、「思考する授業」にもなっていなかった。
 先生の課題に対しての「自力解決」の時間。
 教科書は出していない。
 先行学習をしている子供は、その予想を書いている。
 でも、まったくアウトの低学力の子供は、ただ時間が過ぎるのを待っているだけ。
 これが「思考する」時間。
 そして、課題解決は、先行学習している子供が、習ったこと(教科書に書いてあること)を黒板に発表する。
 数人が発表する。
 先生は、教科書に書いてあることでまとめていく。
 
 ところが、大変な時がある。
 課題に対して多くの予想が出されたとき。
 これはその後の全体会で「予想が多く出て、子供たちはよく考えていました」という意見になる。
 ところが、先生は大変である。
 この予想の吟味を子供たちにやらせようとするとごちゃごちゃになる。
 だから、先生が最後に予想の1つ1つを吟味して、「これはむずかしいですね」と切っていかざるをえない。
 とにかく、最後は教科書に書いてあるものでまとめなくはならないからである。
 時間が延々とかかる。
 そして、1問だけで45分が消化されていく。
 練習問題は宿題になる。
 
 真面目に問題解決学習をやろうとすると、毎時間がこんなことになる。
 授業が進まず、完全に算数の時間が大幅に不足する。
 
 実態は、指導書で1時間ごとに設定している時間をきちんとこなしていかなければ不足するのは明らかだから。
 それでも、指導書はテストの時間やテスト返却の時間をとっていないので、きちんとやっても20時間ぐらいは不足する。
 問題解決学習をやっている先生たちは、どうしているのだろうか。
 
 テストの成績はどうだろうか。
 もちろん、学習塾などに行っている子供たちは、普通のテスト問題は解けるので、授業に関係ないが、問題は、そこへ行っていない中位の子供や低位の子供である。
 その子供たちは、本当に算数の学習が好きになり、学習ができるようになっているのだろうか。
 
 最大の問題は、そのような授業をして、本当に子供たちは「考える力」が育っているのかということ。
 単に、「考える授業」をしているだけではないかということになる。(続く)

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算数の授業ということ(1)~問題解決学習ではないか?~

  「ときかたハカセ」への応募が殺到して、大変なことであった(笑)。

 算数について多くの先生たちが悩んでいる状況がある。それがよく分かる。

 教科好き嫌いのアンケートをとれば、ほとんどトップにくるのが、算数ということになる。
 いかに嫌われている教科かがよく分かる。

 それはそうであろう。
 算数ができないという子供がいて、なかなかできるようにしてあげられない。
 できないままに上の学年に上げていく。
 その子供たちは、二度と算数ができるようにはならない。
 ほとんど低学力児のままで過ごしていくことになる。

 どうしてこうなったのか。
 それは、はっきりしている。

 日本の多くのところでやられている算数学習が、問題解決学習だからである(もちろん、ちゃんと問題解決学習で子供たちを引き上げておられる先生もいる)。
 私はそう判断している。

 若い先生たちに聞けば、問題解決学習と違うやり方をやろうとすると、ベテランの先生から「問題解決学習でやりなさい!」と指導されるという。
 特に、初任者の場合はそうなる。

 研究授業で、問題解決学習と違う授業をやると、批判の集中砲火を浴びる。
 だから、研究授業だけは、問題解決学習もどきの学習をし、それ以外は「味噌汁・ご飯」授業でやっていますという先生たちがいる。

 批判される観点はほとんど1点だけ。
「その指導では、子供たちが『思考力』がつかない」というもの。
 思考力をつけるために、問題解決学習をやっているのである。

 しかし、ほんとに「思考力」がついているのか。
 それは何でどのような形で評価されているのか。
 それが分からない。

 「テストの成績がぐんぐんあがっています」と資料を示されるなら、了解もできる。そのテストには、思考力を評価する問題もあるからである。
 
 でも、ほとんど何の変化もなく、ただやっているだけではないだろうか。
 相変わらず「できる子供」はできる、「できない低学力の子供」はできない。
 それを繰り返しているのであろう。
 
「できる子供」は、教師の授業ではなく、学習塾や通信講座などで先行学習ができている子供の場合が多い。
 結局、この子供たちに支えられて授業が進んでいっているに過ぎないのではないか。
 こういう風に邪推してしまう。

 問題解決学習も1つの学習の方法論に過ぎない。
 1つの方法は、子供の状態によって成り立つこともあり、成り立たない場合があるということに過ぎない。
 
 このことをあまりにも考えなさすぎている。
 最初から「算数は問題解決学習でなければならない」と決めてかかっている。
 なぜ、そんなことがまかり通っているのであろうか。
                                        (つづく)
 

 
 

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「ときかたハカセ」はもう終わりです!

   

「ときかたハカセ」の残部がなくなりました。東書①②③です。

 まだ、教育出版⑤、啓林館⑥はあります。
 増刷分もなくなりましたので、これで終わりにします。
 ありがとうございました。

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再び「ときかたハカセ」についての連絡です!

「ときかたハカセ」をさしあげますというブログを書いたら、すぐに多くの方から連絡がありました。
 
 もっと早く気づけばよかったと後悔しました。
 私たちは、50部作成して、10月21日のセミナーでお分けした残部を私のうちにそのままにしておいたのです。
 セミナーに参加したくても遠い方の参加は無理だった方があり、「ときかたハカセ」を送付する手があったのだと気づきました。
 ★
 そこで連絡があっているのですが、申し込みの内容が書かれていない方があり、メールに連絡しています。
 連絡をもらえる方は、次のことをよろしくお願いします。
 1 住所(郵便番号からお願いします)
   名前(ペンネームではなく本名)
  2 送付物(番号で連絡してください)
 いずれも10月中旬~3学期末単元
 ①東京書籍版 1年・2年算数「ときかたハカセ」
  ②東京書籍版  3年・4年算数「ときかたハカセ」
 ③東京書籍版 5年・6年算数「ときかたハカセ」
  ④教育出版版 5年算数「ときかたハカセ」
  ⑤啓林館版  6年算数「ときかたハカセ」 
 

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「ときかたハカセ」が必要な方はさしあげます!

 

算数の「ときかたハカセ」について問い合わせが何度かありました。

 私の手元には、算数の「ときかたハカセ」の冊子があります。
 10月21日のセミナーでお分けした残部です。
 あのときのセミナーに参加しなかったけれども、ぜひとも「ときかたハカセ」だけでももらいたいという方は、私の方へ連絡ください。
 この「ときかたハカセ」は、研究会メンバーが個人で作成したものですので、あくまでも参考として考えてください。
 
 連絡方法
1,ブログのコメント欄にほしい旨の連絡をください。
  そこには、送ってほしい住所を書いてください。
  このコメントは、公開をしませんので住所が明らかになることはありません。送付したあとは、消去します。
2,私の手元にあるのは、以下のものです。
    いずれも10月中旬~3学期末単元
 ①東京書籍版 
                1年・2年算数「ときかたハカセ」
                3年・4年算数「ときかたハカセ」
        5年・6年算数「ときかたハカセ」
 
  ②教育出版版 5年算数「ときかたハカセ」
 
  ③啓林館版  6年算数「ときかたハカセ」
3、私の方で住所に送ります。
 折り返し
  切手代+冊子代(100円です。切手で送ってください)
 を送ってください。 

 

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「味噌汁・ご飯」授業が目指したこと

   注目する記事をフェイスブックで見た。

 北海道大曲小の山本和彦先生の記事。
 
  ★ ★ ★
 金曜日、算数のテストがありました。
月曜日から「放課後、勉強してから帰りたい」と言ってきて頑張っていた子がいい点をとれました(一問だけ間違い)。
頑張った成果です。
ところが、その結果では不満だと言います。
もう一度テストを受けたい、そんなことを言って、放課後、再テストをしました。
結果は、100点。
嬉しそうに答案用紙を持ち帰りました。
この子の姿から色んなことを考えさせられました。
・テストで100点をとるということが、どれほど嬉しいかということ。
・普段の授業での「わかった」「できた」が次の目標に向かう力になること。
・「自信」が前に進むためには必要だということ。
鉛筆を削ってなかったり、学習道具もきちんと揃ってなかった子ですが、算数の作図でできるようになってから、ちょっとずつ変わってきていました。
・赤ペン、青ペンが新しく、使いやすいものになる。
・コンパスが新しくなる。
・コンパスの鉛筆がきちんと削られているか、ネジがしまっているかを気にするようになる。
・定規が透明の使いやすいものになる。
例え不格好な授業でも、子供たち一人一人が前向きに学習に向かおうと思ってくれたら、変化は少しずつ始まるのだと思いました。
そして、こういう変化を側で見られることがこの仕事をしていて一番の喜びだな、と思いました。
 ★ ★ ★
 私たち「味噌汁・ご飯」授業が目指してきた方向が以下の点で完全に一致する。
  ★ ★ ★
・テストで100点をとるということが、どれほど嬉しいか  ということ。
・普段の授業での「わかった」「できた」が次の目標に向  かう力になること。
・「自信」が前に進むためには必要だということ。
 ★ ★ ★
 そして、山本先生は、「こういう変化を側で見られることがこの仕事をしていて一番の喜びだな、と思いました」と記されている。
 教師として生きることの原点がここにある。
  どんなに忙しくても、どんなにへとへとになっても、ここに仕事の原点を持ち続けること。
 しみじみとそんな感想をもつ。
 

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幼保小の会で話しました!

   

横浜市中区の幼保小教育交流事業として行われている「保護者・地域と共に学ぶ子育て講演会」に呼ばれた。

 こういう会に呼ばれることは珍しいことである。参加者は、幼稚園、保育園、小学校の園長、校長、教職員、そして保護者。
 いつもは小学校や中学校の先生たちに話していることが、ここでは話せない。
 幼児教育について話そうとして、付け焼き刃の話をしてもすぐに見透かされる。
 
 テーマは「未来をつくる子どもの育ちと学び」ということ。
 時間は55分。
 困った!
 仕方なく小学校の教師として実践してきた話をする以外にないではないかということになる。
  ★
 「ほとんど参考になりません。ごめんなさい。」と謝って話を進める。
 1 1年生の「正体」を見つける。
 2 しつけの3条件
 3 成功した子供たちへの関わり方
 4 子供の心を動かす「言葉かけ」はどのようなものか?
 以上の順序で話を進める。
 
 予想に反して(笑)、150名ほどの参加者に真剣に耳を傾けてもらえる。
 ★
 1年生の「正体を見つける」では、4回の担任経験から彼らの正体を明らかにする。
 このブログでも書いてきたことである。
 低学年は、「その場、おもしろ、理想主義者」。
 その場主義者、おもしろ主義者、理想主義者。
 この1年生の3つの特徴を心得て、対応すればクラスはうまくいくという話である。
 ★
 しつけの3条件では、森信三先生が明らかにされた「この3つができればあとは何でもできるようになる」というしつけの3つを考えてもらい、それを提出する。
 全国のあらゆる学校や先生たちで実践され、うまくいくとあきらかにされたものである。
 「あいさつができること」
 「返事ができること」
 「椅子、靴をきちんとそろえられること」
 ★
 成功した子供たちへの関わり方では、末期癌の患者の訴え「私はもうだめなのではないでしょうか?」に、医療関係者としてどう答えていくかという話から入る。
 これには鉄則がある。
 精神科医の答えになる。
 
 「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」という答え。
 でも、これは答えではなく、オウム返しにくりかえしているに過ぎない。
 私は、「くりかえし話法」と名付けている。
 このオウム返しによって、患者には「私の気持ちを受け止めてもらった」ということになる。
 これが大切である。
 この「くりかえし話法」で、高学年の女子たちに対応して成功した事例を話す。
 実は、この「くりかえし話法」は、「夫婦長続きする3条件の1つ」だと話し出すと、がぜん聴衆の皆さんは食いついてこられた。
  ★
 最後の「子供の心を動かす『言葉かけ』はどのようなものか」は、岩下修先生の「AさせたいならBと言え」の事例を出す。(『AさせたいならBと言え』岩下修著明治図書)
 これも多くの先生たちが現場で実践されてきたことである。
 私たちは、Aさせたいときには、ほとんどAと言っている。
  散らばった道具類を急いで片付けさせたいときには、「早く片付けなさい」とせきたてる。
 日頃は、どうしてもそうなる。
 でも、これでは子供たちを動かせないことが多々ある。
 そこで肝心なときには、「AさせたいならBと言え」となる。
 その事例を3つだけ説明する。
  ★
 そして、最後に「しあわせになるれんしゅう」を提示する。
 「教師や保護者の皆さんが、ほんとうにしあわせでなければ、子供たちをしあわせに育てていくことはできないのです」と。
 そこで、はせがわみつる先生という方に、本を送ってもらったときに、本に挟み込んであった「しあわせになるれんしゅう」を提示する。
 こそだては(  )れんしゅう
 ふうふは(   )れんしゅう
 じんせいは(   )れんしゅう
 「(  )には何が入るでしょうか。今までの人生を凝縮して答えてください」と。
 これはむずかしかった。
 はせがわ先生の答えは素晴らしかったのである。
 感動もの。
 さて、何であろうか?
 ★
 寒い日であった。
 夜は、幼保小の先生方の懇親会に一緒に参加させてもらい、楽しい会になった。
 
 
 

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座間の事件を考える(3)~遠くに目をやろう~

  最初は携帯(今ではガラケーという)から始まった。

 電車の中で、外国人から「聖徳太子!」と言われたように顔の前に掲げてメールをピコピコと打っていた。

 そして、スマホ。
 これで電車の中は様変わりをした。

 今では、男も女も、ぴこぴことゲームに興じている。
 ★
 携帯一色になった時代に、イギリスへ留学した姪は、「向こうの若者は、携帯はほとんど電話で連絡することしか使っていないよ」と言っていた。

  とにかく携帯も、スマホも、日本の若者たちの多くが真っ先に使い出した状況らしい。

 これらが、生活を変え、精神状況にどのような影響を与えるのか、その結果が真っ先に日本の若者たちで試されるのであろう。モルモット状態と言えるのか。
 世界の最先端の結果である。

 NHKのあさいちでは、スマホでの不調を放映していた。
 スマホ老眼、口が開かない、首、肩の不調、不眠症状ということらしい。

 はっきりしているのは、目の前のスマホに四六時中かかりっきりになっていて、精神的におかしくなっていくのは当たり前だということである。

 精神に異常をきたす。
 今は「スマホ症候群」と言って、片時もスマホをそばにおいていないと不安になってしまうという症状になっている人が多いという。

 そう言えば、近くの川縁を散歩していて、乳母車を押している若い母親や犬を散歩させている方が、片手に必ずスマホを持っていることに気づいたのはいつ頃からだろうか。

 ★
 しかし、この状況は後戻りはできない。
 それは不可能に近い。
  行き着くところまで行く。

 どうするのか。
 1つだけ、フランスの哲学者で『幸福論』の著者でもあるアランの言葉を思い出す以外にない。

 ★ ★ ★
 遠くに目をやる1
 ふさぎ込んでいる人に言いたいことはただひとつ。「遠くに目をやろう」
 こういう人はだいたいきまって本の読みすぎである。人間の目はそんなに近くに焦点を合わせるようにはできていない。だから宙を見つめると安らぐのである。
 星空をながめるとき、あるいは果てしない海をながめるとき、目の緊張が完全にほぐれる。目がほぐれると心が解き放たれ、足どりも自信にあふれる。自分の内部のすべて(臓器までも!)がほぐれ、しなやかになる。
 だからといって、意志の力でむりやり緊張をほぐそうとしてはいけない。自分の中にある意志の力を自分自身に向けると、すべての調子が狂い、しまいには身動きできなくなるのだ。自分のことを考えてはいけない。遠くに目をやろう。
     (『アランの幸福論』アラン著 ディスカバー)
 ★ ★ ★

 アランの時代は、携帯やスマホはなかった。
 近くを見続けている人は、「本の読み過ぎ」であった。

 ★ ★ ★
 遠くに目をやる2
 人間の目は、はるか遠くを見つめると安らぐしくみになっている。このことが、わたしたちに深遠な真実を教えてくれている。
 思考は身体を自由にし、その身体を、わたしたちの本当の故郷である宇宙へ導きかえさなければならない。人間のかけがえのない宿命と人体のはたらきの間には、深いつながりがあるのだ。
               (同上)
 ★ ★ ★

 これくらいでいいだろう。
 アランは、このスマホの時代が来ることを予感していたかのように、大事なひとことを残している。

 自分のことを考えてはいけない。遠くに目をやろう。
 
  ★
 今回の座間事件は、SNSが中心に関わって発生した猟奇殺人である。
 人々は、白石容疑者が、なぜあのようなひどい事件を起こしたのかというところに目を向けるであろうが、私は巻き込まれていった若者たちのリアルな「現在」に目を吸い寄せられた。(終わり)
 
 

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座間の事件を考える(2)~24時間へとへとになっている~

   いま、若者たちは、メールなどを絶えず交わし合っている。あいつはいくらメールを送っても返事をくれないから仲間はずれにしようなどと、わずか3,4人の付き合いであっても、そんな過酷な関係になっている。


 この関係から外へは出られない。
 出たらまったくの異邦人になって、一切の関係が断たれてしまう。
 
 だから、ずっと友だちに気を遣い続けている。
 24時間へとへとになりながら、メールをしまくっている。
 
 この心理状況は、過酷と言う以外にない。
 こういうやりとりは、次第に「内面」を肥大化させていく。
 「あの人は、ああいう目線で私をみているけれども、ひょ っとしたら私を嫌っているのかもしれない」と、ささいな仕草や行動に過剰な意味を感じて、常にびくびくしてしまう。
このような肥大化が起こる。
 ★
 この状況を、芦田宏直氏は、以下のように分析する。
 ちょっと長くなるが、勘弁してほしい。

 ★ ★ ★
 二,三人だけど、すごく世界大に内面が肥大化しているから、外が共同性として見えない。外の者は人間でないみたいになる。人間がいないのではなくて、二,三人だけで十分人間的に疲れている状態なのです。24時間やりとりすれば絶対にそうなるに決まっています。寝る寸前まで電話で、24時間無料だから、受話器をオンにした状態でベッドの中で寝る。お互いがサーバー状態になってしまっている。ipad miniとは、ベッドの中で眠る寸前まで使うコンピュータなのです。あれなら寝落ちの顔に落ちてきても痛くない(笑)。
 情報ツールが拡大したにも関わらず、リアルな交友関係が広がらなかったのは、24時間の「関係」が内面を異常に肥大化させたからです。内面の肥大化で携帯ツールの24時間化は二人三人の身近な友人関係にとどまったにしても、過剰な配慮や気遣いを脅迫的に要求する。たった二人三人であっても世界大の情報処理力を必要とする。だから外で見ていると二人三人に好かれるぐらい大したことがないではないかと思うけれども、二、三人が24時間内面を管理してるとすごくそれに力を取られてしまう。かつては恋人同士のきめこまやかな心遣いにとどまっていたものがいまではN個の友人関係に拡大していて、<恋愛>も<セックス>も面倒くさいと思う若者がいっぱい出てきているわけです。
 なぜかと言うと、それは恋愛をいやがっているのではなくて、毎日毎晩同性同士、友達同士で恋愛みたいな関係になっているから、わざわざ男女関係に入るまでもない。一日でも中断すると、友達同士でも「冷たいじゃないの」と言われる。それで何の役にも立たない話をずっとしている。役に立つかどうかではなく、ずーっと話し続けているというのが大切なのです。だから家族や地域を越えた少数の共同体が他者の存在を極端に排除する。それは他者が不在なのではなく、内部に巨大な他者を抱えてしまっているからです。
 (『努力する人間になってはいけない』芦田宏直著 ロゼッタストーン)
 ★ ★ ★
 
 家庭訪問で、中学のお姉ちゃんが、机の端にスマホをおいて、連絡があるごとにしょっちゅうそれに追われ、勉強に実が入らない姿を嘆いていた母親の心配を思い出す。
  それは、こんなことだったのであろう。

 こんなことを長く続けていると、へとへとになり、無気力になっていくのは目に見えている。
 精神がやられていくであろう。

 もし関係がこじれて、RINEの外にはじき出されたとき、全てが終わったようになるのではないか。きっとその時「死にたい」という呟きになっていくのではないか。

 逮捕された白石容疑者は、調べに対し、9人の殺害を認めた上で「会ってみたら『寂しい』『話を聞いて欲しい』と言っていた」と供述。「本当に死にたいと考えている人はいなかった」と述べていると、朝日新聞は記している。
 
  今、若者たちの内面に起こっているのは、こんなことではないか。

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旭川の大有小学校へ行きました!

  11月7日、北海道旭川に行く。

 旭川空港。ここは3度目になるのか。
 寒いことを予想していたが、さほどでもない(私が旭川を去った次の日から一気に寒くなったということだから、ついていたのである)。
 
 旭川空港へ着くと、バスに乗って、旭川駅へ。
 駅前のルートインに宿泊する。

 8日に、旭川大有小学校での「学校力向上に関する総合実践事業アドバイザー派遣事業・教育講演会」に呼んでもらえたわけである。

 その夜、道教委上川局の指導主事の先生たちと、大有小学校の先生たちとの懇親会に招いてもらう。来てもらったS支援課長とは、オホーツク局でよく知っていた方で、「えっ~~~~~どうしてここに?」という会話から始まる。
 ★
 翌日、8:45に指導主事の先生に迎えに来てもらい、大有小学校へ行く。
 
 この日、2時間目に、授業をする5年生のクラスで私の話をすることになっている。
 5時間目に授業をする。
 そのために、自己紹介代わりの話をするのである。

 1時間いただけるということで、いつもの「怖い話」に、「汚い話」に、「おもしろい話」をする。

 予想通りに、この5年生のクラスは、のりまくってくれた。
 最高のクラス。

 最初は、「へびと○○○」の話。汚い話。
 ここでおおいに笑わせる。

 そして、「この大有小学校で起こった震え上がる大事件」。
怖い話である。
  電気を消し、カーテンを引く。

「昨日、旭川駅前のルートインというホテルに早めに着いたので、近くを散歩していました。たまたま、畑を耕しているおじいさんに出会いました。ブロッコリーや大根を植えているということでした。
 『どうしてここに来たのですか?』と問われたので、『明日大有小学校へ行くのですよ』と答えると、『えっ~~』とびっくりされた。『私は30年前にあの小学校の管理人をしていました。あの事件があって、次の日にはぷっつりと辞めてしまいました。』『先生、あの学校の夜は怖いですよ』と。
 『何があったのですか?』と言うと、『先生、この話は誰にも言ってはダメですよ』と言われて話してもらいました。
『だから、絶対に誰にも話してはダメだよ』。
 ………」
 
 ここから理科室を登場させ、標本箱、骸骨というパターンになる。
 この小学校で起こった大事件という「リアルさ」が必要である。

 子供たちの感想には、「こわい話がとてもリアルでこわかったです」「こわい話が、耳をふさいでも聞こえたから、一人で帰れない」……などがあった。
 
 これ、みんな作り話。
 「子供たちに、そんなにウソばかりついていいのか?」(笑)と。
 
 野口芳宏先生は言われた。
 「冷たい真実よりも、温かいウソを」と。
 私は忠実に守っている(笑)。
 ★
 3時間目から先生たちの授業を見せてもらう。
 公開の授業。
 他の学校からも参観に見えている。

 確かに先生たちの授業のレベルは高い。
  この学校は、平成24,25年度はかなり学力が落ち込んでいたのだが、平成25年度に学校力向上事業を引き受けて、一気にレベルアップを果たしている。

 今年度は、全国平均を超えるというより、算数は秋田の平均を超えていっている。
 ★
 5時間目に、いつもの国語の授業をする。
 「ごちそう授業」ではない。
 「小刻み活動法」を取り入れた「味噌汁・ご飯」授業になる。

 楽しい授業であった。
 子供たちの感想には、「書くのが速くて、少し書ききれるかふあんだったけど、先生がおもしろくて、ふあんなどがふきとばされました。楽しいじゅぎょうをありがとうございました。また来てくださいね」。
 「おもしろかった。久しぶりに発表ができた」。
 「めったにない授業で詩のきまりなどを見つけるのがたのしかったです」…という感想が続いた。
 
  ほとんどの先生が、いつもは「つまんない授業」をしているはずである。
 そんなに毎日おもしろく、楽しい授業ができるはずがない。
 授業準備の時間も限られているからだ。

 でも、その「つまんない授業」をいつのまにか子供たちが「集中している」授業に変えたい。
 それが「小刻み活動法」である。
 子供たちは集中せざるをえない。

 私は、この「小刻み活動法」を駆使できれば、「日常授業」は十分ではないか、と思っている。
 ★
 90分の講演のあとに、大有小の先生たちへ授業への助言という時間が取られる。30分ほど。

 先生たちの授業は、3分しか見ていない。
 その3分だけの時間に何を見たのか。
 一人一人の先生に伝える。

 この学校のノート指導は素晴らしい。
 子供たちの集中力もみごとである。

 さまざまに綿密な計画がなされ、徹底されている。
 頭が下がる思いがする。
 ★
 その日、旭川は冷たい雨になっていた。
 横浜に帰り着いたのは、深夜の12時頃。
 長い一日であった。
 


 

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座間の事件を考える(1)~SNSが問題の中心にある~

  帯広空港からの帰り道、ふとJALの機内で「SKYWARD」11月号をめくる。

 浅田次郎さんの「考える葦」に目がとまる。
 ★ ★ ★
 ……
 ところで、このごろ私たちが急激に想像力を喪失していることにお気づきだろうか。
 実に急激に、である。
 ぼんやりと物思うことがなくなった。書物や新聞がSNSやゲームに入れ替わっただけでなく、多くの人が物思う時間を掌(てのひら)の小さなロボットに奪われてしまった。

 …略…
 想像する時間を奪われ、急激に想像力を喪失した人類は、やがてごく特定の分野を除いて、おそらく正当な創造を停止すると思われる。
 そう言えば、このごろはぼんやり物思うどころか、切実に考える時間も少なくなった。
 …略…
 人間は考える葦である。
 すなわち考えてこその人間である。
 ★ ★ ★
  ★
 神奈川県の座間市で起こった9人の猟奇殺人で驚くことは、2ヶ月の間に「死にたい!」とツイッターに書き込みをしていた若い女性たちが巻き込まれていることである。

 こんなに自殺願望があるのか、と。そのことに驚く。

 新聞では、「15歳~34歳世代の死因の1位は自殺だった。
先進国では日本だけの傾向で、17年版自殺対策白書は『国際的にみても深刻』と指摘した」(朝日新聞11月5日)と書かれている。

 朝日は、11月12日の朝刊にも、以下のようなことも書いている。
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 若者にとって、SNSはなくてはならない存在だ。LINEが昨年、神奈川県の全県立高校の生徒ら約6万4千人に実施したアンケートでは約97%が自分専用のスマホを持ち、約98%がLINE、約82%がツイッターを利用していた。
 SNSを通じて、子どもたちのつながりは広がっている。「ネットがきっかけで知り合った友人」の数を尋ねたところ、「いない」という生徒は約48%だったが、約13%が「51人以上」と答え、1割近くは「101人以上」だった。
 ★ ★ ★
 
 また、NHKのニュースでは、「死にたい」とツイッターに書き込む件数が一日平均57件、自殺募集の書き込みが37件あると報道していた。

 日本の若者たちが、決して幸せに暮らしていない状況が見て取れるのではないだろうか。
 
  浅田次郎さんは、スマホを「掌の小さなロボット」と称しているが、神奈川県座間での、今回の事件には、このSNSが中心にあるのだと、私は考えている。

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えりも小へ行きました!

●台風一過。羽田へ急ぐ。

 台風とぶつかって、飛行機が飛ばないとするとどうしようと心配したが、早々と去って行ってくれた。

 北海道の帯広空港へ行く。
 ここから襟裳へ行く。車で2時間。

 私を呼んでいただき、えりも町学校教育研究会学習講座が開かれる。
 近隣の小中高の先生方、えりも町の教育委員の方々が集まってこられる。

 ここへ来るようになって4年目である。
 2年目までは、札幌から高速バスで来ていた。
 しかし、4時間もかかる。
 これには懲りた。

 ところが、帯広からは、車で2時間ということで、3年目からは帯広空港へ来ることになった。
 ★
 今回もえりも町教育委員会のHさんが迎えにみえている。
 襟裳へ急ぐ。

 夕方の5:30頃に到着。もう日も暮れている。
 いつもの田中旅館に入る。
 
 偶然にも道教委のN政策課長がおられる。
 えっ~~~ということで、名刺交換をする。
 えりも町に他の仕事でこられたということ。

 早速、温泉に行く。
 ここの温泉はとても気に入っている。
 そして、新鮮な海の幸をいただく。

 風が強く、窓に吹き付ける。
 その音に馴染めず、なかなか眠れない。
 襟裳は風の街なのである。
 ★
 翌日、朝7:50に迎えに見える。
 1時間目に3年生のクラスで授業をする。
 この時間帯に無理に入れてもらったのである。

 担任のS先生と簡単な打ち合わせをして、すぐに3年生のクラスへ行く。

 いつものように子供たちを笑わせて、すぐに授業に入る。
 また、さまざまな収穫がある。

 2時間目から4時間目までは、先生たちの公開授業を見て回る。
 15分程度じっくり見ることができる。

 4年間、先生たちの授業を見続けているのである。
 昨年度から先生たちの授業が大きく変わってくる。

 テンポのある授業。
 45分で完結する授業。

 確実に、先生たちの授業力が上がっている。

 特に、4年目のT先生の授業(2年生)は印象的であった。
 この先生の授業を初任から4年間見続けてきて、今年は大きく脱皮している様子にちょっと感激する。

 ①学習規律が整えられていて、ノート指導が徹底されている。
 ②子供へのフォロー(ほめるなど)が数多くなされている。
 ③子供への指示が短く、小刻みになされている。
 
 ★
 その後、90分の講演をする。
 テーマは「学力向上を図る『日常授業』の改善を考える」。

 多くの先生方、教育委員の方が集まっておられる。

 「2年目から遺言ですからと言い続けて毎年来ているわけですが、ほんとに今年は終わりです。今年度をもちまして、学校力向上アドバイザーを卒業することにしました」と話し始めていく。

 学校力向上事業のアドバイザーとして6年目を迎える。
 もはや、私ができることはやり尽くしている。
  潮時である。

 夜、教育長、校長、教頭先生たちに田中旅館で懇親会を開いてもらう。
 楽しい会であった。
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 翌日、また帯広空港から帰ることになっている。
 その前に、襟裳岬を見せてほしいと課長補佐のHさんに頼みこみ、連れて行ってもらう。
 襟裳に3回も来ているのに、まだ一度も襟裳岬を見ていないのである。
 「冥土のみやげにお願いします」(笑)と。

 風速15mの風である。
 「このくらいは普通の風です」と。

 この上空を北朝鮮のミサイルが飛んでいったのである。
 襟裳岬は、想像していたよりもでっかくて、
 「これは、これは、………」
 とその風景のすごさに驚く。

 終わったなあという思いでいっぱいになる。


 

 
 
 
 

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